愛の詩

ここでは、「愛の詩」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


わたしは
 窓
                       大島博光

   *
窓は 壁のなかに開いた眼だ
そこから木が見える 空が見える
   *
窓は 外部と内部の蝶番だ
光を入れるためにある
外を見るためにある
内を見るためにある

窓にも めくら窓がある
開かない 飾りつけの窓だ
内側の闇にむかって開いた
にせの窓だ

薔薇窓というのもある
まるで光と色彩の交響楽だ
天国をかいま見る まぼろしの窓だ
それほどにも 地上は地獄だったのだ
   *
窓べに立って 娘は
下の若者に 微笑みかけた
春風のようなそのやさしさに
若者は 身ぶるいをした
   *
北向きの窓べに
柿の木が生えていた

その窓を 愛がひらりと飛び越えた
燕のように
   *
窓は 愛の通り道だ
そして 風の通り道だ

さあ 窓をあけ放って風を入れよう
眼をみひらいて 敵を見つめよう

(一九八一年 『詩人会議』1月号)

愛について
                           大島博光

アポリネールが 語ったように
ひとは ひとを愛するとき
おのれ自身を 語りながら
みんなのために 語るのだ
  *
きみは 春先のそよ風のように
遠い峠を越えて やってきた
蜜糟(みつぶね)から飛んできた 蜜蜂のように
菜の花の 花粉をつけてやってきた

きみは 春先のそよ風のように
暗い わたしの冬の中へやってきた
きみが やってきたら
雪のなかさえ 温かくなった

わたしの氷が 溶けるには
きみの微笑みだけで こと足りた
灰色のわたしの空が 青くなるには
きみのくちづけで 十分だった

きみは 柔らかいからだを弓なりにして
狂った若者を 受けとめてくれた
雪のなかに 泉を探していた牡牛は
きみの唇でやっと渇きを癒した

穴倉のなかに 虹がかかり
くる毎日が 祭りだった
酒が流れ 夢が湧きあがり
歌が流れ 蜜が流れた
ナルシスをまねていた 孤独者(ひとりもの)が
愛を 他者を 見いだした
悪夢ばかり見ていた わたしの眼が
太陽と大地を 見いだした

わたしの詩は 売れなかった
きみは街へ 花を売りに行った
太陽になめされた その手で
きみは 小さな星座をささえた
  *
愛するすべを 知らないものは
孤独で ひとりぼっちの男は
湿った うつろな洞(うろ)だ
ただ 毒茸が生えるばかりだ

ひとは 愛においても
絶望しては ならない
ひとは 愛に絶望すれば
愛の砂漠を さまようばかり

愛しあう ひと組の恋人たちは
腕をくんで ともに闘いながら
愛をふやし 愛をひろげる
未来への 道のうえで

アラゴンが 言ったように
世にすねたり 突っぱるより
愛することの方が はるかに
はるかに 偉大なのだ
(詩集「冬の歌」1991年)
恋する女
                           大島博光

    かつて欲望と悦楽の名をこれほど大胆に
    これほど高らかに歌った声はなかった
     ──アラゴン「永遠の若者ピカソ」

わたしは 恋する女
ピカソが わたしを描いてくれた
恋する女の わたしの姿を
あられもないわたしの 姿態(ポーーズ)を

しかも そんなわたしの裸像を
一九七〇年 ところもあろうに
アヴィニヨンの 法王庁宮殿の
石の壁にならべて 見せたのだ

そこでこんどは わたし自身が
自分の言葉で 自分のイメージで
恋する女の 自分自身を
描いてみよう うたってみよう

わたしはじゃじゃ馬で おてんばで
天真らんまんで なびきやすく
そそっかしく 不意討ちをくらわし
抜け目なく 不死身で 大胆だ

わたしはしなやかで 窪みがあって
いつも満されずに じりじりしている
手のつけようもなく 血迷ったり
ひまわりのように陽気で 夢みがちだ

わたしは嵐ともなれは 凪ともなる
そよ風ともなれは どしゃ降りともなる
流れとなった わたしのなかを
いとしい魚が 泳いでゆく

わたしはひらかれた女 ひらかれた愛
わたしは身をのけぞらせて 挑発的で
露骨で 露出狂で 戦闘的だ
愛とは生きること生むこと変えること

わたしには 栗の花の匂いが立ちこめ
わたしの濡れた眼には 虹がかかり
そよ風さえ わたしをかき立てる
誰も野性のわたしを 飼い馴らせない
   *
男たちは わたしの肉体を愛しながら
わたしの精神が飢えていたことに 気がつかない

わたしが いつも飢えて渇いているのは                            
男たちが まるごとのわたしを愛する術(すべ)を知らないからだ

まるごとの愛のないところにいる女ほどに
満されようもなく 孤独なものはない

わたしが孤独(ひとり)でいるのは まるごとのわたしを
愛してくれる そんな男にめぐり逢わないから

わたしの愛は そんなに欲が深いのだろうか
精神の渇きをも 癒してほしいというのは
(詩集「冬の歌」1991年)

愛の弁証法
                      大島博光

やけつくような悔恨のなかで
消えさった愛の記憶を
激しく生きる恋びとの物語
それは 詩(うた)とならずにはいないだろう

それが 詩の弁証法だ

     *

ひとりの詩人は言う
「私が愛したのは 彼ではなく
 彼の書いた詩ではなかったか・・・」※
これこそ 美しい詩人の愛ではないか
これこそ まるごとの愛ではないか

たがいに知り合った愛から 詩人たちは
他者たちの地平へと歌い進んでゆく

それが 愛の弁証法だ

     *

死んだ恋人の影を追って泣いていた男が
涙の壺から這い出して 反抗者のように
死や不幸とたたかうために立ちあがって
ふたたび未来の方へと歩いてゆく

それが 生の弁証法だ

  ※『五代格遺稿詩集』あとがき(関敦子)より

(『稜線』51 夏 1994.7)

小さなひとつの恋物語

むかしむかし 娘がひとり
涼しい眼と 熱い頬をしていた
めぐり会って わたしは愛した
小さな ひとつの恋物語

すいかずらが はしばみの幹に
絡みついて 抱きあうように
二人は きみとわたしとなり
他者をみいだした二人となり

涼しい眼も 炎と燃えて
われを失い またみいだして
きみなしでは わたしもなかった
わたしなしでは きみもなかった

弾けば ひびき鳴るウィオラだった
弦(いと)にふれて わたしも震えた
わたしは初めて春を知った
わたしたちはもう離れなかった

きみは太陽の娘だった
わたしの闇をはらいのけた
絶望をうたっていたわたしは
希望の歌い手となった いまは

バラも病んで老いて地に落ちる
みんなもう むかしばなしになる
みんな消えさる 霧のように
夢のなかで書いた詩のように

顫えた二人のよろこびも
二人で泣いたくるしみをも
時は消しさって跡かたもない
忘れさられて何も残らない

だが いまもなお わたしはあの
むかしの娘が 忘れられない
きみと過した あの春の日の
酔い心地から いまも醒めない

いまだに きみと 別れられずに
別れを惜しんでも 惜しみきれずに
きみを恋うて わたしはうたう
きみの眼と頬とを 風にうたう

むかしむかし 娘がひとり
涼しい眼と 熱い頬をしていた
めぐり会って わたしは愛した
小さな ひとつの恋物語

       一九九六年五月
                     (『稜線』60 秋)