ヨーロッパ詩集

ここでは、「ヨーロッパ詩集」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。



グラナダ1
グラナダ2

     『大島博光全詩集』

アルハンブラ


 カスティリヤの野

マドリードのほこりだらけの駅からグラナダヘ
ディーゼル機関車の曳っぱるおんぼろ列車は
驢馬のような悲しげな汽笛を鳴らして

──まさしくサンチョ・パンザの驢馬の啼き声だ──
カスティリヤの荒野をのろのろと走る
背の低い葡萄の根株の畝がつづく
ときたま これも背の低いオリーヴ畑が現われる
そして屋根の抜け落ちた石の廃屋

そのむかし
あの国際義勇旅団の義勇兵たちが
この石ころだらけの野で倒れていった
ロバート・キャパの「倒れる兵士」の
生から死へと倒れこむ あやふやの一瞬を
定着させた映像が浮かんでくる

それから 雑草もまばらな
赤茶けた砂漠がつづく
もう一軒の家も見えない
むろん 村なども見えない
生きているものといえば
空を飛んでいる鳥ぐらいのものだ

この不毛の荒地を見れば
わかろうというものだ
十七世紀
ユカタン半島のマヤを食い荒し
インカの皇帝アタワルパを食いちぎり
チリのアラウコに襲いかかったのは
このカスティリヤの野の狼どもであり
エストラマドーラの豚飼いピサロであった

この不毛の荒地を見れば
かれらの飢えのほどがわかろうというものだ
                       (1979年11月)

<『大島博光全詩集』──ヨーロッパ詩集>

 モン・ヴァレリアン

パリ西郊シュランヌの駅から
爪先立ちに 急な坂を登ってゆく
瀟洒な住宅や小さな工場のあいだを
ひと登り、ふた登りして登りつめると
黒松の木立がならび 芝生の斜面があり
その向こうに かなり広い広場がひらける
正面には山の斜面を削って 大きな壁面がつくられ
大きなキ字型の十字架が立ち
その前に 永遠の火が燃えていた
ああ ここで限りもないフランスの愛国者たちの胸をめがけて
ああ ここに銃声が鳴りひびいたのだった
不吉な銃声の鳴りひびいた雑木林は
いまはひたすら 蝉しぐれにつつまれていた・・・

(草稿)

*この詩は大島博光全集の「ヨーロッパ詩集」には入っていません。「ランスの微笑み」の草稿といっしょに机の上に置いてありました。「パリの夏─フランスからのたより」(「赤旗」)にこの時のことを書いています。実際は蝉の声は聞こえなかったが、詩のなかでは銃声にかわって蝉しぐれがあたりをつつんでいるのです。『フランスの起床ラッパ』の「責苦のなかで歌った者のバラード」でうたわれたガブリエル・ペリの銃殺が行われたのもモン・ヴァレリアンでした。

プラント街三六番地──画家末永胤生に
                           大島博光

パリの南門 ポルト・ド・ルレアンの近く
地下鉄のアレジア駅から浮かび上がると
そこに 画家のやさしい微笑みが待っていた
三十年ぶりに握った画家の手は柔かかった

うちつづくニセアカシヤの並木が
白い小さな花群れを 花火のようにつけて
さわやかな風に 香っていた
夏のパリの 長くて明るい夕ぐれに

画家は アトリエで
若者のような熱っぽさで語る
──パリの光は油絵の色によくマッチするんだ
佐伯祐三もそれを感じとっていたから
パリでしか絵が描けなかったのだ
この光 この明るい軽やかな光
これが 絵を生むのだ・・・

その光ととけあった
かろやかな色彩たちの
はてしないヴァリエーションが
アトリエの壁のうえで歌っていた
オウレの うすみどりの広い河と白い橋を
リュクサンブールのマロニエの緑の壁と噴水を
ひろい野のなかの白い馬と少年を
地中海のほとりマントンのブルーと船を
見ることのすばらしさと
生きることのしあわせを

老画家は語る
──「ノヴァ*」で飲んで「山小屋」へ流れて
それから屋台で飲んで 明け方
幡ヶ谷ちかくのアトリエに辿りつく
あの頃 楠田一郎が 二年も
ぼくんところに転がり込んでいた
楠田は「山小屋」のみっちゃんが好きだったのに
気の弱いかれは
とうとう それを言わずじまいだった・・・

そうだ その頃だ
新宿三丁目裏の 花園神社の軒下で
「黒い歌」の詩人が寝たというのは──

その楠田一郎が死んで四十年
遠いパリの空の下で
彼の思い出を語りあおうとは──

プラント街三六番地
うちつづくニセアカシヤの並木が
白い小さな花群れを 花火のようにつけて
さわやかな風に 香っていた
夏のパリの 長くて明るい夕ぐれに

       一九八〇年八月十八日
       パリ コロネル・ファビアン広場のほとりで

*注「ノヴァ」── 一九三五年頃、現在の新宿の伊勢丹前のマルイの裏の路地に「ノヴァ」という小さな酒場があって、その頃のボヘミヤンたちのたまり場でもあり、名所でもあった。
「山小屋」という酒場は新宿三丁目裏の迷路のような小路にあって、美人の姉妹が店に出ていて、はやっていた。楠田一郎は死ぬ前のひと頃、毎晩のように「山小屋」で飲んでいた。みっちゃんは妹の方だった。

(自筆原稿)

楡の木かげ

ある朝
サン・マルタンの運河のほとりを
わたしは歩いていた
とある木蔭に
つぎのような標識が立っていた

 「一九四四年八月二一日
 パリ解放のために華々しく倒れた
 シャルル・デュパの記念に
 享年二九歳」

その上に垂れていた木の葉のおもしろさにひかれて
通りかかったフランス人にその木の名を尋ねると
ormeという返事がかえってきた
「楡の木」だった
わたしは初めて楡の木を見知ったのだった
レジスタンスの英雄のおかげで

(『大島博光全詩集』)
ブランシュ広場
                      大島博光
 ──わたしはブランシュ広場のカフェ・ブランシュで初めてアラゴンに会った。その頃そのカフェはシュルレアリストたちの溜まり場であった。──サドゥル『アラゴン』


シュルレアリスムの名所のひとつ
カフェ・ブランシュをたずねて
わたしはブランシュ広場へ行った

行ってみれば 左手には
ムーラン・ルージュがあって
赤い風車が 廻っている

そうだ ここはまた ロートレックの
広場だった──あの偉大なちんばの
画家と踊り子たちの街だった

わたしはカフェに坐って そんな
幻を追う──隣にいるのは
いまは 老人と孫娘の一組・・・

まだ 夏のひるさがりとあれば
ブランシュ広場も 素顔なのだ
暮れれば 夜の蝶が舞い始める

(自筆原稿)
ランスの微笑み
    おんみのみごとな唇に浮かべたランスの微笑み・・・・  ──アラゴン

「ランスの微笑み」とは何を指すのか
それまでわたしは知らなかった
知らぬままに
わたしはランスのカテドラルを訪ねて行った

カテドラルの塔は 列車の窓からも見えた
まるでシャンパーニュの野に根づいた
大きな樹木のように

ランスの駅前は
鬱蒼としたはしばみの林の公園になっていて
林のなかを大きな通りが
町にむかって放射線状に伸びていた

そんな大通りのひとつをしばらく行くと
左側の横丁のつきあたりに
カテドラルは立っていた

わたしたちのほか 訪れる観光客もなく
門前町というようなものもなく
小さな広場を前にして
ランスの大カテドラルは聳えていた
暑い夏の夕陽のなかに
中世のままに 飴色の石肌を輝かせて立っていた
たび重なる戦火をくぐりぬけてきて
その角石の角はもう丸く擦りへっていた

そうしてその正面の左側の入口の壁面に
いかめしい聖者たちと並んで
『微笑みの天使』が立っていた
長い時間に耐えて左手はもげ
背負った翼には穴があいたりしていたが
春風のように優しい微笑みをその唇にたたえていた
──これが「ランスの微笑み」なのだ!
わたしはしばらくその前に立ちつくしていた
まるでその微笑みに吸いこまれたように

               (1974.8)
 <「大島博光全詩集」>

パリの乞食

ヴィレット大通り五三番地
わたしの宿のすぐ近くの道ばたに
年とったフランス女の乞食が坐っていた
大柄で 眼がくばみ落ち
尖った鼻の高い 哀れな老婆
わたしが通るたびに
長い腕をさしのばす
わたしは何サンチームかを
その手のひらに置く

幾日かたつと
だんだんその乞食の老婆が
怖ろしくなってきた
まるでいまにもほうきに乗って
空へと飛んでゆく
魔女のように見えてくる

ある日
背の高い黒人の若い男が
この年とった白人の乞食女の手に
かねをのせ
やさしく言葉をかけて いたわっていた

ずっと離れたところで
わたしはそれをじっと眺めていた
ふしぎな情景を見たように

               (1974.8)
 <「大島博光全詩集」>
パリの王様

モンパルナスの駅前に聳え立った
シェラトンホテルの十階あたり
わたしのとった部屋の窓は
パリの街にむかって開いていた
朝 眼をさますと
夏の陽のなかに うすだいだい色に映える
パリの石の街が一望に見える

東はビュット・ショーモンから
西はヌーイのあたりまで
それは一塊の巨大なチーズのようだ
遠くサクレ・クールのドームが
白く輝いているのが見える
夜には ノートル・ダムがイリュミナシオンのなかに
夢のように浮かびあがる
この夜のなかを かってヴェルレーヌが酔いどれ
ランボオが足速に 通り過ぎたのだ
またこの夜のなかを若き日のアラゴンやエリュアールが
反抗の夢に燃えて夜どおしさまよい歩いたのだ
詩人たちの街パリ
パリ・コミューヌの街パリ
パリをわたしは幾日か一望に収めて過した
まるで パリの王様のように

ビュット・ショーモンの公園

わたしはパリにひとり旅
好きなパリも
ひとりぼっちでは地獄のようだ

毎日のように
コロネル・ファビアン広場から
右手に折れた坂道をのぼって
ビュット・ショーモン公園にゆく

門をはいると つきあたりの
ひおおぎのかげの岩のなかに
詩人のクロヴィス・ユグの小さな
胸像がそっと置いてある

パリ・コミューヌの詩人のおかげで
わたしは思い浮べるのだ
このビュット・ショーモンの丘で
数千のコミューヌが虐殺されたこと
それらの屍を焼く火葬の煙が
幾日も幾日もこのパリのはずれの空に立ちのばったことを
そんな血なまぐさい歴史をよそに
丘の斜面に 芝生はみどり
朱いべコニヤなども花咲き
老夫婦たちがベンチにいこう

大樹の下 地のまわりを
若いパリ娘たちが
大きな乳房をぶるんぶるんとゆさぶりながら
ジョギングしている

   *

わたしは高い釣り橋の上から
池のなかの鯉たちに見とれる
藻におおわれた浅い水のなか
群をなして泳いでいる鯉たち

その鯉たちをめがけて
釣りびとたちが糸を投げる  
パン屑や角切りのじゃが芋の餌(えさ)に
誘惑されずに泳いでいる鯉たち

わたしの心は魚影の濃い
多摩川の釣場へと走る
ビュット・ショーモンの鯉よ
さようなら 明日(あした)はもう多摩川だ

(『大島博光全詩集』)

パリの雨

オレンジ色のパリの屋根に雨が降る
ヴェルレーヌの心に降った雨が降る

ひとつひとつの積み重ねた石が見える
むきだしの 灰色の壁のうえに雨が降る

雀が二羽 よりそって雨宿りしている
煙突のひさしの上にも 雨が降る

わたしはひとりでパリに病んでいる
ベッドにねて それらを眺めている

むこうの屋根裏部屋の窓べに立っている
赤シャツの男も やはり雨を眺めている

しとしとわたしの心に夏の雨が降る
そして旅愁ということばが身に泌みる
   (一九八〇・八)

(ひとこと)
大好きなパリに数ヶ月滞在したことがありますが、ホームシックにかかって急に帰国しました。
成田空港に迎えに行くと、もう元気になっていましたが、この詩でむこうでの様子がわかりました。
「ビュット・ショーモンの公園」という詩でも「・・・好きなパリも/ひとりぼっちでは地獄のようだ」「ビュット・ショーモンの鯉よ/さようなら 明日はもう多摩川だ」と、異国でのさびしさと帰国がきまってほっとした心持ちを書いています。
マチャードの墓

 だいぶ以前のこと、マドリードを訪れた、その帰途、わたしはコリウールで下車してマチャードの墓に詣でたことがある。コリウールは地中海に面したリゾートの地で、マチスが『窓』を描いて、フォヴィスムの旗上げをした地としても知られる。
 墓地は、町の入り口にある、鈴懸けの並んだ小さな広場から、西へ数百メートル行ったところにあった。海を見おろす、海辺の高台の墓地で、糸杉が二、三本生えていた。ちょうど墓詣りに来ていた土地の老婆がマチャードの墓を教えてくれた。

マチャードの墓
ミラボー
ミラボー
メニルモンタンの坂の街で
                    大島博光

わたしはいま 石畳のメニルモンタンの
カフェ・テラスに坐っている

カフェは 坂になった広い袋小路の
まんなかに立っていて
そこからセーヌの方へ だらだら坂の
街通りが下っている
下の街は 夏の光と騒音のなかに煙っている

わたしはいま ペール・ラシェーズ墓地の
「コミューヌの壁」を訪れてきたばかりだ
壁には 百年むかしの銃弾の痕が
生まなましく黒い穴を残していた
最後の一五三人のコミューヌ戦士が
この壁の前で銃殺されたのだった
壁の前の芝生には 白いデージーが咲いていた
小さな星をまき散らしたように

坂の下の街通りには
コミューヌ最後のバリケードが
崩れ落ちていた
そこからひそかに姿を消した
ひとりのコミューヌ戦士もいた

燃えるパリの残り火に
血と泥が輝いていた

坂の下の街通りからおしよせてくる
ヴェルサイユ軍のときの声が
わたしの耳にきこえてくる

わたしは歴史のなかに坐っていた

連盟兵

小さな禿鷹たち

二羽の小さな禿鷹が
さっと飛んできて
わたしの肝臓ならぬ
弱い心臓を啄んだ
年老いたわたしを
プロメテとまちがえて

ポン・ヌフの橋の上

(大島博光全詩集・ヨーロッパ詩集)

博光が ポン・ヌフの橋の上を散歩していたらジプシーの少女がつむじ風のように舞いながら近づいてきて、あっという間に財布をすられたそうです。本人にとってショックだったエピソードですが、ちょとしゃれた詩に昇華しました。

アラゴンの「ポン・ヌーフの橋の上で私は出合った」という詩も訳しています