博光語録

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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


<いつから詩人になろうと思ったのですか?>
なろうと思ったんじゃなくて 生まれた時から詩人だったんだよ 気がついたらそうなっていたんだ

<気がつかれたのはいつですか?>
母親が十三歳の時に死んでね どうしてだろうとメタフィジックになったわけだよ
フランス文学を読んで アナトゥール・フランスが 王様が学者に人生とは何か? という問いを与え答えを探させたわけだ 学者は書物をいっぱいろばに積んで帰って来たが 王様は言った 人生とは 生きて 愛して 死んでいくことだって そう言ったってさ 具体的にわからないじゃない 
それからマルクスに出会ってさ 人間は社会の反映 社会の鏡だってことを学んで そこまでくれば もう党に入るしかないじゃない アラゴンが共産党に入党した時に言った言葉が これはフランスの歴史がそうさせたって 
したくたってできない人もいるよ 大学の先生だってそうなったら職がなくなっちゃうし
だからわたしは親父にしろ 息子にしろまわりに助けてくれる人がいたからね そういう人の存在なしにはね そうやっていかれるのは
母親は二十五で結婚して七人子供を産んで 三十九で亡くなった
親父も四十五歳で母親が死んで 七人の子供が残されて苦労したよ 長男のわたしは好き勝手なことをして でも苦労を受け入れてくつがえそうとしなかったね 偉いよ
親父や息子の良いところは酒を飲まないことだね

(尾池和子「博光語録1」)
詩がどんどん出てくる 韻を踏んで三行詩にすればね 日本でこういう詩を書く人はいないよ 昔はnationalといったら国家だったが 今や人民がnationalについて書かないとならない 国家が国を売る時代だ
ゴーシュロンが湾岸戦争の詩で気づかせてくれたわけだ こういう詩もあるということを
アラゴンだってそうだよ レジスタンスのね
ゴーシュロンはわかりにくい フランス人にしかわからないような言い回しがある
日本語のごり押しのようなね しかしそれを無理に訳す必要はないということがわかった

「詩人は詩を書いている時 全世界を胸に抱いている」これは誰か詩人の言葉かな? 忘れちゃった でもいいんだよ そういう気持ちで書くわけだから そういう詩を書きたい そういう詩人になりたい そう言えるような詩人になりたい

今日は朝から二時間も座っていたよ 全世界を抱くのも疲れるよ

また詩が浮かんで来たから 喜び勇んで起きて書こうと思ったら ぐっと来て
むかむかしてまた寝たんだ

(尾池和子「大島博光語録Ⅰ」)

プロコフィエフのサンフォニーのような詩を書きたいね
プロコフィエフを聴きながら
このサンフォニーに比べて詩は小さいなぁ
シューベルトの歌曲は小さいけれど サンフォニーに負けないような大きさを持っているね

詩を頼まれても 自分の中で熟成しないと書けない といって自然に湧いてくるのを待っているだけでもね

ゴーシュロンの〈内面のバリケード〉にひかかって罠にはまったよ それも楽しいじゃないの こんな難しいフランス語は フランス人でもめったに書かないよ〈バリケード〉というだけでも戦闘的じゃない? 〈内面のバリケード〉 ゴーシュロン先生これをしたことに酔って長々と説明しているんだ すなわち 精神の○○だよ

シューベルトのCDあった?
テノールよりバスのディスカウのほうがいいんだよ 『グーテナハトお休みなさい』
中身が無い? うちではよくそういうことがあるんだ

シューベルトの歌曲

結核で寝てた時にすることが無いから レコードで聴いていたんだよ
この間テレビで見て涙が出たよ 青春時代を思い出して

(尾池和子「大島博光語録Ⅰ」)

アラゴンの序文がおもしろくて二時間も勉強したよ 第二次大戦が始まって マルセイユにはマルセル・デュシャンやマン・レイたちが集まって亡命しようと 船を待っていたんだね 
アラゴンにとってはéprouve(エプルーヴ)だったわけだ

<プレイヤード版アラゴン全集の一冊を手に取られ>
このイントロダクションの中でアラゴンの詩を世界の美しい詩のひとつだと言っているよ

<フランスの写真集『Les Chats』(猫たち)の詩を読まれ>
エリュアールも猫の詩を書いているんだ 猫の詩なんて訳す気にならない だって人間の高みが無いじゃないの
雨がどうのといったて そんなのつまらない 人の生き方に影響を与えるような詩でなくちゃ

この詩を読んでどう思う? 壮大さが表れていればいいよ 
もう一つの詩 この間ゲラ見たでしょう? あれが来月民主文学に出るんだ 楽しみにしている あっちのほうがいいでしょう? 時代をうたい体験を書いているからね
最後の二行がいいでしょう コンポジションに不備なところは 見直してみるとあるけれどね 勢いで書いたからいいよ

もう一つ壮大なひろがりを持った宇宙的な詩を書いてみたいね

ジャック・ゴーシュロンの序文わからないなりに書き上げておかなくちゃ 
ジャック・ゴーシュロンをまとめて ひとつ出そうかな

アラゴンの偉大さはね 人民のことを考えているからだよ 中原中也が偉大か?
偉大ではない なぜなら自分の私的なところに固まっているからだよ わたしのいう偉大というのは人民のために 人のための愛があるか  人のためになることをしているか   そういう要素が入っているかだよ  星だの何の自分の愛だけうたっていたってしょうがないじゃないの
アラゴンのような天才にはかなわない

『わたしの選んで愛した詩人たち』
あれはひとつひとつ調べて書いたわけじゃないからね 今まで研究してわたしの頭の中に残っているものを書いたわけだ

ヴィクトル・ユーゴーは偉大か? 偉大だ 何故なら『レ・ミゼラブル』でみじめな人々を書いたからだよ フランスでもブルジョワたちがユーゴーを追い払おうとしたけれど フランスの人民たちが支持したんだよ だから今でも残っている

ゴーシュロンの序文はあたりまえのことを言っているんだね あたりまえのことが しかし一番大事なんだね
 それを多くの詩人は個人のうわごとにすぎない 私事にすぎないことを言っているだけだ
あのボードレールだって偉大ではあるけれども ブルジョワの御用詩人になってしまった
 小林秀雄 あれは詐欺師だよ ひどいもんだ 

<一人でも読んでくれる人がいるなら詩を書きますか・・>
あぁ 楽しかった (詩について話せて)

詩は人の心の奥底に深く降りていってそこに眠っている記憶を呼びさますようなものでなければ意味が無いね

プロコフィエフのサンフォニーのような詩を書きたいね
(尾池和子「大島博光語録Ⅰ」)
あなたも詩人と知りあって詩の講義を聞くことになったね
『さよなら』の詩を読んでどう思う?
これを読んで 愛について人が考えなければ 無意味だね
たくさんの詩が送られて来るけれど 一人よがりだったり そこへいくと
〈愛〉という言葉を使わずにそれを表現する中野鈴子(中野重治の妹)はそこが天才だね

〈なつかしい〉というのは日本語ではregret(ルグレ)や 過去のことばかりを
言うけれど フランス語で aimable(エマーブル 慕わしい)の意味もあるんだよ

社会科学を勉強しなさい 弁証法を それを身につければ なにも無くったって怖いものは無い 科学とは人間の理性と知性であり それが無かったら 世の中 でたらめになってしまう

精神の    が 無かったら全的救いは無いよ

作詞をして自分の名を売ろう 稼ごうとは思わない だけど そういう人を
否定してはいけない 笑ってはいけない 食べていかなくちゃならないわけだし
自分だって人に支えてもらって来た

十三歳で母親が死んで 人生って何だろうってペシミスティックになった
ジャン・バルジャンを見たり 読んだり 文学青年になったわけだ そんな人が
ぽっと田舎から出て来て 当時の大学の雰囲気が勉強になった

現に苦しんでいる人民がいるんだから 芸術至上主義で そこから人の目を
そらそうとしたって何の意味も無い 中野重治だって途中から転向し主流になった
今 彼のことを研究しようという人は誰もいない
アラゴンの偉い所は苦しむ人を見捨てなかったことだよ

NHKテレビ番組『雨の神宮外苑 学徒出陣』
それを〈運命〉や〈諦め〉と言っちゃいけない 
社会の仕組みが悪いんだから それを変えなくちゃ そこを言わなければうそだよ

Elan Vital(エラン ヴィタル)だよ ベルグソンの生的飛躍
  ロベールの辞書には ちゃぁんとベルグソンの引用も出ている
  哲学ではもう時代遅れになっても 言葉ではちゃぁんと残っているんだね

アラゴン著『ブランシュとは誰だ』(稲田三吉訳)の文中の詩人?の一行
Nous sommes rien, (?)est tout これをどう訳す?
この人たちは「私たちは何もない」と訳している
 「私たちは無である 向かうもの(?)がすべてだ」と私なら訳す
  無と有 東洋の思想だね

  これ読んで 声出して.... もういいよ  いかにつまらないかわかったから
形而上のことばかり 人間の生活が無いじゃないの métaphysiqueなことばかり

アラゴンの『Fornicateur』(フォルニカチュール)を読んでごらん
  (おもしろそうに微笑まれ)いかに私の訳がいいかがわかるから

今まで詩を書いていたんだ 詩人はあれだね できたものはどうかということは
ともかく あれこれ詩を考えている時が一番楽しいね

詩らしきものを書いてお見せした時に
極めて生活に即して歌っているね こういうものもいいけれど詩は精神の高みを歌わなくては意味が無い それを言わないで今日雨が降ってどうのと言ったて何の意味も無い あなたが詩人じゃないから言うけどね この詩は人間の深みや高みを表していないじゃないの いわば皮膚の表面的なことしか書いていない あなたが詩人ならぺしゃんこだよ そういう詩がいかに多いか 自分のまわりのつまらないことばかりでね

あなたの詩はミスティフィカシオン 日本語では韜晦(とうかい)という
ほかの冒険ばかりしないで エラン・アンテレクチュエル(知的飛躍)もしてください

また『エルザの狂人』をやってみようと思う ジャック・ゴーシュロンのに『エルザの狂人』が書いてある 明日読んでみよう

中野重治だって転向して 死ぬときに決して良い人生だったなんて思っていないよ
自分をごまかすことはできない
(尾池和子「大島博光語録Ⅰ」〈2006年3月〉より)