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アジェンデは死なず

ここでは、「アジェンデは死なず」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


写真は告発する(下)

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彼らは囚われた。祖国と民主主義と民衆の権利と繁栄をねがったゆえに

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何万もの愛国者を逮捕したため、収容所に国立競技場が使われた

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無数の死体のなかに、有名なフォーク・シンガー、ヴィクトル・ハラの遺体が発見された。

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民衆の怒りと悲しみの表情。
平和と民主主義を歌いつづけたがゆえに殺されたのだ。

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ドーソン島につくられた収容所の檻。

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チリの強制収容所の主な所在地。1)アントファガスタ 2)ラ・セレーナ 3)サンチアゴ
(ミリタリー・アカデミー)監獄 4)国立競技場 5)サンチアゴ監獄 6)ランカグア
7)キリキナ島 8)コンセプシオン 9)ドーソン島


(チリ人民連帯日本委員会パンフレット「アジェンデは死なず」)
写真は告発する(中)

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逮捕、蛮行が相つぎ、逮捕後、5時間以内に多くの人が殺された

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ドーソン島に強制収容されている人民連合の指導者たち
(つづく)

(チリ人民連帯日本委員会パンフレット「アジェンデは死なず」)

この反革命ファシズムの暴虐──写真は告発する

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ファシスト軍は労働者街、大学などを襲撃した

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社会主義関係その他の本を焼くファシスト軍兵士。ナチスと同じだ

3
逮捕、拷問、考えられるかぎりの暴虐が市民、学生、婦人、労働者を襲った

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5


(つづく)

(チリ人民連帯日本委員会パンフレット「アジェンデは死なず」)

チリ人民連帯日本委員会設立のよびかけ

 わたしたちは、一九七三年九月十一日を忘れないでしょう。
 民主的な選挙によって合法的に成立したチリのアジェンデ人民連合政府が、この日、アメリカにあやつられた軍部右翼勢力のクーデタによってうち倒されたのです。アジェンデ大統領は、この非道なファッショ的暴力に屈することなく、人民の委託をさいごまで守ってたおれました。爆撃と銃声のひびくなかで、ラジオをとおして人民によびかけたアジェンデのさいごの声は、死を越えていまなお力づよく鳴りひびいています。

 クーデタからすでに四ヵ月余、この間、チリの愛国者は、報道されただけでも、八万をこえる人びとが虐殺されたほか、三万五千人が逮捕され、うち約一万数千人が極寒の地ドーソン島などの牢獄につながれ、その生命は危険にさらされています。
 またチリのファシスト独裁政権は、上下両院を閉鎖し、いっさいの政党を禁止しました。さらに労働組合を解散させ、大学の学長に軍人をすえたばかりでなく、人類の英知である進歩的な書籍や文化遺産を焼きはらい、いっさいの報道機関を軍の統制下におきました。人刈りの狩りの対象は一般市民や聖職者にまでおよび、子どもたちは不安の日々を送っています。
 これらはすべて、チリ人民のなかに根をおろした一切の民主主義を破壊し、抹殺しようとするものにはかなりません。同時にこれは、ファシズムに反対し民主主義を愛する世界の人たちへの挑戦といわなければなりません。
 しかも、みのがすことのできないのは、チリの軍部ファシストの背後に、アメリカ政府や国際電信電話会社など大企菜の直接・間接の策謀があることです。
 しかし、いかなる力をもってしても、チリ人民がうちたてた不滅の金字塔、人民連合政府は、チリ人民の心からかき消すことはできないでしょう。またチリ国内で荒れ狂っているテロも弾圧も、祖国の主権と民主的自由の回復をめざす人民の正義のたたかいをおしとどめることはできないでしょう。
 だからこそ、死の直前までファシストたちの「腹黒さ」を糾弾しつづけた偉大な詩人パブロ・ネルーダの葬儀は、カービン銃の林にかこまれておこなわれたにもかかわらず、数百人の参列者のなかからは「インターナショナル」の合唱がわき起こり、それはやがて「アジェンデ万歳、人民連合万蔵」のシュプレヒコールとなり、公然たる反政府デモへと発展したのです。ラテンアメリカ諸国をはじめ、ヨーロッパ諸国では数万、数十万の抗議デモや連帯行動が急速にひろがっていったのです。
 すでに日本でも広範な民主勢力はチリ軍事クーデタとこれを背後からあやつったアメリカにたいする糾弾、逮捕・投獄されているすべての愛国者の即時無条件釈放の要求、田中内閣の軍事政権承認にたいする抗議、チリ人民との連帯集会や街頭行動、ネルーダ追悼集会、チリ軍事評議会議長ビノチェットを番組にとりあげた東京12チャンネルへの抗議などの諸行動をくりひろげてきました。
 そして、今日、これらの活動のうえに、チリ人民のたたかいを支持する活動をいっそう強めることは、日本はいうまでもなく、諸国人民の共通の事業、平和と民主主義、主権の擁護にたいし侵略と干渉をすすめているアメリカ帝国主義とチリの反動勢力に反対する国際連帯の闘争として、きわめて重要になっています。
 こうした立場から、わたしたちは労働組合、民主団体をはじめ広範な人びとと協力して、「チリ人民連帯日本委員会」を設立し、あらゆる支援・連帯行動を強力に発展させることが必要だと考えます。
 民主主義と自由を愛するみなさん
 わたしたちは、みなさんがヒューマニズムと国際連帯の精神にもとづき、この「日本委員会」に参加され、チリ人民との連帯のために奮闘されることを心からよびかけるものです。

 一九七四年二月六日
  浅野順一(牧師)
  有倉遼吉(早大教授)
  いずみたく(作曲家)
  市川敏(全印総連委員長)
  今中次麿(学士院会員)
  宇野重吉(演出家・俳優)
  植村環(YMCA名誉会長)
  浦田宣昭(日本民主青年同盟委員長)
  江口朴郎(法政大教授)
  尾崎陞(弁護士)
  大島博光(詩人)
  岡倉古志郎(大阪外大教授)
  岡村恵(中立労連事務局長)
  加藤親至(新聞労連委員長)
  金子満広(衆議院議員)
  櫛田ふき(婦団連会長)
  具島兼三郎(九大名誉教授)
  小森秀三(日高教委員長)
  上代たの(婦人国際平和自由連盟日本支部名誉会長)
  新藤兼人(映画監督)
  千田是也(演出家)
  高田博厚(彫刻家)
  田畑忍(同志社大名誉教授)
  竹村富弥(民放労連委員長)
  永戸祐三(全学連委員長)
  野村平爾(日本福祉大学教授)
  羽仁節子(日本こどもを守る会会長)
  平野義太郎(日本平和委員会会長)
  真下信一(多摩美大学長)
  松浦一(北大名誉教授)
  松本清張(作家)
  松本正夫(慶大教授)
  壬生照順(宗教者平和協議会理事長)
  山根銀二(音楽評論家)

(チリ人民連帯日本委員会パンフレット「アジェンデは死なず」)

チリ連デモ
「民主チリ」の声明 (要約) (一九七四年二月十日、ローマ)

 ファシズムは、わが国を野蛮な状態に逆行させた。チリ人民のなかには、人民政府に賛成していなかった個人やグループを含めた広範な階層を結集するためのきわめて有利な条件があらわれている。
 この任務は、自由業者、中小企業者、商人などで形成される中間層の現実の利益に合致するものである。かつてかれらのうちの多くの人びとは、かれらの客観的利益が人民政府の利益および人民連合の綱領と一致していることを理解できなかった。今日では、ファッショ独裁が、その非人間的で殺人者的性格のほかに、現実に国内外の大資本の独占的利益にかれらを従属させている、ということに気づいている。
 すべての民主主義者は、その思想、宗教、文化上の傾向いかんにかかわらず、今日、独裁に反対している。
 すべての人には、ファシズムを抑え、孤立させ、打破するためにおこなうたたかいで占めるべき部署がある。人民勢力は、キリスト教徒各階層のなかで、反ファッショ闘争に積極的に参加しようとしている傾向が増大しつつあるのを関心をもって見守っている。多数の牧師や司祭はファシストの犯罪に加担することを避け、労働組合の諸権利と公的自由の擁護のために努力している。この態度はファシズムと対立し、軍事評議会の傭兵の攻撃の的となっている。キリスト教徒大衆に関しては、闘争への参加の展望は、より大きなものがある。

 さらに、軍隊そのものの内部でも、一定の兵士たち、下士官および将校までもが、ファシズムによって強制されている犯罪的で野獣的な役割について、ますます良心を感じている。この多数のものは、自分たちが反愛国的で反国民的な目標のために大資本と帝国主義を代表する少数に利用されていることに気づいている。この政策を実行するために、ファシスト将軍どもは軍隊そのものの内部で残虐な弾圧を強いたのである。多くの人びとが、この国民的、愛国的闘争、つまり反ファシズム闘争に加わっている。このような愛国的、人民的良心をはぐくみ、残虐な流血行為に参加しない人びとはだれでも、反ファッショ運動に参加することができるのである。

 キリスト教民主党は、一度ならず十字路にたたされている。多くの指導者たちはファシズムに協力し、その手玉にとられた。この党はフレイ主義のヘゲモニーのもとに最後の時期に行動したが、このフレイ主義がクーデタをおしすすめ、ファシストと共謀し、今日、権力のなかで地位をうるためにかれらと取引きしている。
 この態度は、最初からクーデタを科弾し、反ファシスト闘争に加わった多数の指導者の果たした役割とは、とくに対照的である。しかし、この社会的基盤を構成する活動家の水準では、二つの傾向のあいだの矛盾、個別的、集団的進化によって解決始みであるか、まさに解決されつつある。
 人民に対して加えられた搾取と犯罪的弾圧に直面して、かれらはフレイ主義と手を切り、独裁政権に反対する闘争に加わっているか、当面の課題で協力している。
 この幅ひろい反ファッシュ戦線は、労働者階級とその他の人民皆階層との同盟によって可能となっている。
 この戦線の主要な任務は、あらゆる形をとっているファシズムを敗北させることである。しかし、とくにこれは体制の主人、国内独占資本と帝国主義の利益を打ち破ることである。ファシズムのあらゆる残渣は、この国が必要としている真の民主主義を打ちたてるために取り除かなければならない。ファシズムとのイデオロギー的対決、超過搾取の諸結果を取りのぞくための大衆的要求、社会的政治的獲得物の漸時的回復。これがもっとも決定的な闘争段階に先行する当面の闘争の諸分野である。
 闘争方法の選択、闘争の各局面の出現は、力関係と、人民と革命家がそれぞれの時期とに到達した組織水準にしたがって決定される。
 労働者階級と人民には、どのような分野であろうとも、自分たちを抑圧している独裁政權に対決し、これを解体する条件がある。
 人民諸勢力の存続と、新しい諸条件のもとにおけるその再組織は、闘争の最初の成果であった。労働者階級とその他の人民諸階層との同盟の強化、反ファシスト的民主主義者の結集を実現することが、現在進められている二つの課題である。政治的、社会的諸権利の回復のための大衆闘争はすでにはじめられた。この闘争の深化拡大は当面の課題である。開争のより高い局面、ファシズムに対する対決の局面の準備もまた、当面の間題である。
 国際連帯は人民の勝利のための不可欠の要素である。とくにルイス・コルバラン、クロドミル・アルメイダ、アンセルモ・スレ、ペドロ・F・ラミレス、バウティスタ・バン・シュウェル、ビセンテ・ソダ、ファン・デ・ディオス・フェンテスその他のドーソン島にとらえられている人びとの釈放を要求する世界的な規模での大きな努力が、とりわけ緊急性をもっている。
__________________________________________________
★人間の尊厳と民主主義の名において、流血をやめよ
★殺害、拷問、投獄をやめよ
★すべての政治犯を釈放し、家族のもとにかえせ

(チリ人民連帯日本委員会パンフレット「アジェンデは死なず」)

チリ連帯

アジェンデ大統領の最後の演説(全文)

 同胞のみなさん、私がみなさんに話しかけるのは、これがきっと最後の機会となるであろう(飛行機の爆音)。空軍が「ラジオ・フォルタレサ」と「ラジオ・コルポラシオン」の放送塔を爆撃した。私のことばは、にがにがしさではなく、腹立たしさをあらわすものであり、そしてみずからの宣誓を裏切った者(男の叫び声)にとっては、道義的な懲罰となるであろう。
 裏切り者とは、チリの兵士、つまり(男の叫び声)、正式に任命された総司官、自分勝手に自分を任命したメリノ提督、(激しい銃声)さらに政府にきのう忠誠を誓ったばかりで、しかもこれまた自分で国家警察隊長官に自分を任命した軽べつすべき将軍メンドーサ氏である。
 こうした事態に直面して、私は勤労者のみなさんに、ただひとつのことをいうだけである。
 ”私は辞任しない”と。
 歴史的な転機に直面し、私は、人民の忠誠にたいし私の生命をささげる。私は、私たちが幾千、幾万のチリ人民の誇り高き良心にまいた種子が、けっして芽をつまれないことを確信している。
 かれらには力があり、服従させることができるかもしれない。しかし、犯罪によっても、力によっても社会的過程をおしとどめることはできない。
 歴史はわれわれのものであり、それをつくるのは人民である。

 わが祖国の勤労者のみなさん
 正義への偉大な熱望と現実をかえた唯一の遂行者となり、憲法と法律を尊重すると誓って、それを実行したひとりの人間に、みなさんがつねによせられた忠誠と信頼にたいし、私はみなさんに感謝したいと思う。
 この決定的な瞬間にあたり、また私がみなさんに話しかける最後にあたり、この教訓をいかしてほしい。外国資本、帝国主義が反動勢力と結んで、軍隊にその伝統を破らせるための状況をつくりだしたのである。そして軍隊にこの伝統を教えたシュナイダー(激しい銃声)とこれを再確認したアラジャ司令官を殺害したまさにこの同じ社会層の人間は、きょう家のなかにこもり、手先をつかって権力を奪回し、自分の利益と特権を守りつづけようと待ちうけている。

 私が話しかけているのは、まず、私たちの大地のつつましい婦人のみなさん、私たちを信じてくれた農村婦人のみなさん、一生懸命に働いた婦人労働者のみなさん、そして私たちのこどもたちへの配慮を知っておられる母親のみなさんにたいしてである。また私が話しかけているのは、祖国の専門職のみなさん、愛国的専門家のみなさん、そしてあの階級組合の専門職組合が資本主義社会が与えたわずかな特権を守ろうとして(激しい銃声)組織した反乱とたたかって、幾日も働きつづけてこられたみなさんにたいしてである。
 私が話しかけているのは、青年のみなさん、歌をうたい、たたかいの喜びと精神を発揮したあのみなさんにたいしてである(激しい銃声と男の呼び声)。 
 また私が話しかけているのは、チリの男性のみなさん、労働者、農民、知識人のみなさん、わが国にファシズムが出現してすでに数時間たち、テロ攻撃を加え、橋を爆破し、鉄道を切断し、石油とガスのバイブラインを破壊しているが、そのファシズムから迫害を受けるかもしれないみなさんにたいしてである。

 かつて義務であり……(聴取不能。激しい銃声)それに従わされていた沈黙が迫っている。歴史は彼らを裁くであろう。
 「ラジオ・マガジャネス」は沈黙させられ、しっかりと落ちついた私の声は、みなさんにとどかなくなるであろう。
 しかし、かまわない。聞きつづけてほしい。私は永遠にみなさんとともにある。そして少なくとも働く者がしめした誠意にたいし、忠実であった誇り高い人間として思い出に残るであろう(男の叫び声)。
 人民は自衛しなければならないが、自分を犠牲にしてはならない。人民は(激しい銃声)なぎ倒され、穴だらけにされてはならない。みずからをいやしめてはならない。
 わが祖国の働くみなさん
 私はチリとその運命を信じている。チリはチリの裏切者にうち勝つだろう。この暗く苦い瞬間、裏切りがのさばるかもしれない。しかし、まもなく(激しい銃声)あらたに大道が開け、誇りある人間がよりよい社会を築くため、その道をゆく日がくることを忘れないでほしい。
 チリ、万歳!(激しい銃声)
 人民、万歳!
 働く者、万歳!
 これが私の最後のことばである。
 私は、私の犠牲が無駄にならない、と確信している。そしてこれが少なくとも不誠実、卑怯、裏切りを糾弾する道義的教訓となるものと確信している。

(チリ人民連帯日本委員会パンフレット「アジェンデは死なず」)

アジェンデ

(5)連帯と統一の輪をいっそう強く

 また、チリ人民との連帯を発展させることは、七〇年代に国政革新──広範な革新統一戦線の結成をめざしてたたかっている日本の国民と民主勢力にとって、とりわけ重要な意義をもっています。
 自民党など日本の反動勢力は、小選挙区制導入などの意図にみられるようにファッショ的性格を強めながら、チリ事件を利用して民主勢力にあくどい中傷をおこなう宣伝をつよめています。こうした攻撃を破るうえでも、日本の民主勢力がチリ軍事政権、これをあやつるニクソン政権、これを承認した自民党政府にたいし抗議、糾弾の活動を強めることは重要な役割をもっています。また、チリの実情を正しく伝え、世論を広くもりあげることも重要な連帯活動です。
 一八七一年のパリ・コミューンは、血の弾圧のもとで敗北しましたが、世界で最初にブロレタリアートの政権を打ちたてたその偉業は、不滅のものとなりました。チリの人民連合政府は、三年にして転覆されはしましたが、統一戦線を結成し、民主主義的手続きのもとで国の政治を変革してゆく道を、身をもってしめしたその偉大な経験は、いくつかの弱点にもかかわらず、二十世紀後半の人民運動のなかに不滅の地位をしめるものであると確信します。
 日本の国政革新実現のためにたたかうとともに、困難ななかで、不屈のたたかいをつづけるチリ国民を支持しましょう。
(おわり)
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チリ・クーデターと自民党
 昨年九月二十四日、アメリカがチリ軍事独裁政権を承認したのをみとどけて、自分も承認にふみきった自民党政府の外交政策は、対米追従の典型といわなければなりません。
 ベトナム協定の当事者である南ベトナム共和臨時革命政府はいまだに承認していないのに、全世界の非難をあびているチリ軍事独裁政権をいちはやく承認するという田中自民党内閣のこのやり方は、「自由」や「民主主義」を標ぼうし、「自由か独裁か」などと選挙などには革新勢力を攻撃する自民党が、まさに反自由、反民主主義の政党であることをかさねて証明するものです。

(チリ人民連帯日本委員会パンフレット「アジェンデは死なず」)

デモ
(4)コルバラン書記長ほかすべての政治囚の釈放を

 チリ人民への国際連帯はすでに大きな力を発揮しました。それは昨年十月はじめ、不幸にして逮捕されたルイス・コルバラン=チリ共産党書記長の「処刑近し」という報道と、全世界でまき起こった処刑取消し要求の声です。
 たとえば、昨年十月、ヨーロッパの十ヵ国の国会議長が連名で、チリ共産党のルイス・コルバラン書記長の処刑を取消すよう要求するアピールを軍事政権当局に送りました。
 この共同アピールは、フランス国民議会のエドガー・フォール議長のよびかけでなされたもので、これには西ドイツ、ベルギー、デンマーク、オランダ、アイルランド、イタリア、ルクセンブルグ、ノルウェー、スウェーデンの各国議会議長が署名しています。

 日本共産党の野坂議長と宮本委員長が十月一日、「チリ共産党コルバラン書記長ら全愛国者の即時釈放を」要求した声明をはじめ、同四日には、日本アジア・アフリカ連帯委員会、日本平和委員会など十九団体が連名でワルトハイム国連事務総長にあて、コルバラン書記長の処刑中止とチリ全愛国者釈放要請の電報を打ちました。
 こうして高まった全世界の抗議の圧力をうけて、チリのファシスト軍事政権は、コルバラン書記長処刑の手をひっこめざるをえなくなったのです。
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フランスに「アジェンデ広場」
 フランスのフィニステール県モルレー町の町議会は、昨年暮れ、故アジェンデ大統領の名にちなんで、こんご町の中心広場を「アジェンデ広場」とよぶことを決議しました。

(つづく)

チリ連
チリ人民連帯日本委員会創立総会

(チリ人民連帯日本委員会パンフレット「アジェンデは死なず」)
(3)日本での発展

 日本でもチリ人民連帯運動は、自覚的民主勢力が中心となって発展しています。チリ・クーデタのニュースが伝わった昨年九月十二日、日本アジア・アフリカ連帯委員会、日本平和委員会、日本原水協、日本共産党などがそれぞれ談話を発表、クーデタの主役、チリ反動勢力とアメリカ帝国主義を糾弾し、ファッショ的テロ弾圧に激しく抗議しました。十三日には日本婦人団体連合会が声明を、日本キューパ友好協会が談話を発表してクーデタを糾弾しました。
 これに呼応して、安保破棄・諸要求貫徹中央実行委員会が九月十八日に、全学連が二十日にチリ・クーデタ料弾の課題を加えて、連帯行動への決起を呼びかけ、大衆的行動をくりひろげました。さらに、九月十九日に日本アジア・アフリカ連帯委員会、日本婦人団体連合会、文化団体連絡会議、日本平和委員会、日本民主青年同盟、新日本婦人の会、全日本学生自治会連合、日本共産党の八団体主催で「チリ軍事クーデター糾弾、チリ人民連帯集会」が東京でひらかれ、「チリの進歩的勢力にたいする暴力的弾圧の停止と逮捕者の即時釈放を要求する国際連帯行動にたちあがること」を呼びかけました。
 こうして、日本でのチリ人民連帯運動は、この八団体を中心にして、共同であるいは単独で連帯行動や集会をくりひろげていきました。チリ人民連帯運動の発展のうえで、ひとつのふしとなったのは、十月十一日、東京でさきの八団体が、チリ軍事クーデタと、田中内閣による軍事政権承認を糾弾し、チリ人民連帯国際会議(ヘルシンキ)報告実践のためにひらいた「チリ人民連帯集会」でした。
 この集会では、「チリ人民連合勢力にたいする虐殺とファッショ的弾圧の即時停止、チリ共産党コルパラン書記長をはじめ捕えられている全愛国者の即時釈放を要求する活動を強力におしすすめる」など、六項目の申し合わせ事項をきめ、「チリ人民連帯活動を強化するために……チリ人民連帯組織を準備する」と確認しました。
 これから四ヵ月、チリ人民連帯運動の高まりとともに、二月十九日、チリ人民連帯日本委員会が創立されました。チリ人民への連帯運動はいま大きな発展段階をむかえています。
(つづく)

(チリ人民連帯日本委員会パンフレット「アジェンデは死なず」)

チリ連
(2)世界にひろがる抗議と連帯

世界におこるデモの波
 昨年九月十一日のチリ・クーデタのニュースは、日本を含め全世界の世論に巨大な怒りと糾弾の嵐をまき起こしました。それは、適法的に成立した民主的政府を武力で転覆したチリ反動勢力と、これを背後であやつったアメリカ帝国主義にほこ先をつきつけた国際世論の抗議でした。
 クーデタ当日の昨年九月十一日には、はやくもメキシコ、コロンビア、アルゼンチン、ペルーなど中南米各地で抗議デモがおこりました。エチェベリア・メキシコ大統領は、"平和と民主的な道"にチリ国民が戻るよう希望、アジェンデ大統領の遺族にメキシコにくるよう申し出ました。(アジェンデ夫人はこれを受け、メキシコに亡命中です)。コロンビア上院はアメリカの独占資本を非難、アルゼンチン下院は「帝国主義者のあからさまな攻撃」を非難する決議、コスタリカ国会は全会一致でクーデタ非難決議を採択しました。こうした中南米の各国はかならずしも進歩的な国とはいえませんが、クーデターのこの日には強い怒りをぶっつけたのです。
 その後すぐに、抗議と糾弾の波は全界にひろがりました。イタリアやフランスでは、十二日に大衆集会が開かれました。社会主義諸国が軍事独裁政権のチリと断交したのはいうまでもなく、スェーデン政府など多くの政府までが抗議の姿勢を明らかにしました。たとえば、オランダ政府は、チリ軍事政権にたいし、援助中止をきめ、「弾圧をやめよ」とのアピールをおこない、ニュージーランドのカーク首相は、チリ軍事政権承認国を非難し、同国はチリ軍事政権を承認しない態度を明らかにしました。

国際会譜がひらかれる
 チリ軍事政権を国際的に孤立させ、国際世論を高めるうえで大きな力を発揮したのは、各国民主勢力のたたかいです。こうした世界各国のチリ人民連帯運動の発展にもとづいて、昨年九月末、「チリ人民連帯のための国際会議が開かれました。この会議には日本代表をはじめ、五十三カ国、十六国際団体、二五七人の代表が出席しました。そして、アメリカ帝国主義の策動とファシストを糾弾し、広大な国際連帯運動をおこすことを訴えた「緊急アピール」と、「チリ人民連帯行動にかんする勧告」が採択されました。これにもとづき、世界各地でチリ人民連帯運動がさらに大きく発展しています
(つづく)

チリ連帯


(チリ人民連帯日本委員会パンフレット「アジェンデは死なず」)

E. アジェンデは生きている

(1)不屈のチリ人民

デモとなったネルーダの葬列
 人民連合政府を打倒され、多くの指導者を失ったチリの人民は、巨大な打撃を受けたにもかかわらず、不死鳥のように生きつづけています。チリの偉大な詩人パブロ・ネルーダの葬儀がターデター以後、はじめての大衆デモとなったことは日本にも伝えられていますが、一九七三年十一月から十二月にかけて開かれた第一六回ライブチヒ映画祭で、スウェーデンのテレビ・ドキュメンタリー『サンチアゴ・デ・チリ──暴行された街』を通して、そのいちぶ始終がカラーの映像と同時録音で再現されました。
 ──ネルーダの葬儀の列が静かにすすむ。その両側は剣つき鉄砲の兵士たちが警戒している。しかしデモの隊列にはおそれる気配すらない。子どもたちの姿もみえる。やがて彼らは『インダナショナル』を歌い、シュプレヒコールをさけぶ。『ビバ(万歳)、ネルーダ』、『ビバ、アジェンデ』と隊列のなかから声がわきあがる。一人の婦人がこぶしを力強く突きあげ『ビバ、アジェンデ』とさけぶ顔が、ズームでアップになって終わる。
 それはまさに驚嘆すべき映像の連続であったということです。
 チリの人民はいま、困難な状況にもかかわらず、組織を維持、回復し、さらに、かつては人民連合に反対していた人びとまで含めて反ファッショ戦線を拡大しつつあります。すでにクーデタ直後の昨年十月十一日、チリ共産党はサンチアゴで「チリ人民への宣言」を発表、反ファシズム闘争を呼びかけました。チリ共産党は国内で組織保持に成功していると伝えられており、また、労働者統一中央組織(CUT)も地下の連絡網をつくりあげてたたかっていることが報道されています。
 チリ国内の反ファッショ闘争の展開準備の進行とともに、国外にいるチリ愛国者もいちはやく『民主チリ』という組織をつくりあげてローマに本拠をおき、国際連帯運動を発展させ、国内の闘争と呼応した活動を世界各地でくりひろげています。
 チリ・クーデタは近来にない野蛮で残虐な弾圧を特徴としていますが、それだけに全世界の心ある人びとの慣りも激しく、急速で広範な国際連帯運動の発展もチリ事件の大きな特質となっています。このため、チリ軍事独裁政権は国際的に孤立を深めています。
(つづく)

ajennde


(チリ人民連帯日本委員会パンフレット「アジェンデは死なず」)


(2)チリ人民のあゆみ
   ──スペインの植民から独立宣言まで──


スペインの植民はじまる
 一六世紀の初期、スペインがインカ帝国を征服するまで、チリの北部から中部地方までは、インカ帝国の一部として統治されていました。住民たちは金、銀、銅の細工や農耕、高山動物リヤーマ(アメリカらくだ)の放牧などに従事して暮らしていました。南部地方には、インカ帝国の征服に最後まで抵抗したアラウーコ族が独自の文化を発展させていました。
 一五二〇年、ポルトガルの航海家マゼランがマゼラン海峡を発見し、この海峡を通って、大西洋側から太平洋側にでることができた話は有名ですが、それからわずかに二十年しかたたない一五四一年には、すでにリマ(ペルーの首都)のスペイン植民地政府の派遣したペドロ・デ・バルジビアによって、チリにおけるスペイン植民地の基礎がきずかれます(この時期は、日本は戦国乱世のさなか、徳川家康が生まれたばかりの頃です)。
 チリ南部の原住民アラウーコ族は、このスペインの侵入に長期にわたって抵抗したため、スペイン軍はしばしば苦戦をしいられます。しかし一六四〇年、アラウーコ族との間に停戦協定が成立してから、スペインの植民は急速にすすみ、それいらいチリはおよそ三百年にわたって、スペインの植民地として統治されることになります。

独立の気運たかまる
 一七七六年のアメリカの独立宣言、一七八九年のフランス革命などの影響によって、チリ生まれのスペイン人はしだいに本国からの独立を要求するようになります。
 そして、ナポレオンのスペイン侵入をきっかけに、チリの独立運動はラテン・アメリカの他のスペイン植民地とともに活発化し、一八一〇年九月、革命委員会を結成して、いったん独立を宣言しますが、翌年、独立軍は力およばず政府軍にやぶれ、ふたたび植民地の地位におしもどされてしまいます。

ついに共和国として独立
 一八一七年、チリの独立運動の指導者ベルナルド・オヒギンスは、アルゼンチン軍の支援をえて、スペイン軍をやぶり、翌一八年二月、ついにチリは共和国として独立を達成します(この頃、日本は一一代将軍徳川家斉の時代で、イギリス船がたてつづけに浦賀に来航、幕府の鎖国政策をおびやかしはじめていました)。
 独立して半世紀あまりたって、硝石の開発をめぐるイギリスの策動もあって、チリは隣国ボリビア=ベルーの両国を相手に戦争(太平洋戦争とよばれています)をはじめ、大勝して北部の硝石地帯を手にいれます。
 以後、チリは急速にイギリス帝国主義への従属を深めていくのですが、すでに一九世紀末、対外従属を拒否し、チリの真の独立をめざす進歩的な勢力が力をもちはじめていました。バルマセーダ(一八八六〜一八九一年までの大統領)は、その一人でした。バルマセーダの反帝国主義政策はイギリスの策動する内戦によっておさえられ、バルマセーダはこれに自殺をもって抗議したのです。
 それいらいチリは、硝石の輸出を中心とするモノカルチュア(単一商品栽培)経済におちいり、イギリスへの従属をますます深め、人民の生活は苦しいものになっていきます。
 資源は豊富なのですが、働らく人々は、きわめて貧しい生活をしいられてきました。
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インカ帝国
ペルー高原地方を中心に繁栄をきわめたインカ族の国。一五〇〇年ごろには北はエクアドル、南はチリにおよぶ大帝国を建設し、高度の芸術・文化が発展した。一五三三年、スペイン人ビサロに征服された。

(この項おわり)

少女

チリ人民連帯日本委員会パンフレット「アジェンデは死なず」


A.チリの風土と人民のあゆみ

(1)チリとはこんな国

世界でいちばん細長い国
 南アメリカ大陸の南西部、アンデス山脈と太平洋にはさまれた世界でいちばん細長い国――この国がいま、ファシズムとたたかっている人民の国チリです。
 東側はアンデス山脈をはさんでアルゼンチンとボリビアにむかいあい、北部は砂漠をへだててペルーに接し、 西側は太平洋に面しています。面積は約七四万平方キロ(日本の面積は約三七万平方キロ)。海岸線の長さが約四、二〇〇キロですから、ちょうど日本をたてに二つならべたような国を想像すればいいわけです。

人口は日本の十分の一
 人口は約一千万人、日本の人口の十分の一にしかすぎません。首都サンチチアゴは人口約二六〇万人、南米第四の都市といわれています。
 人種別では、スペイン系七五パーセント、その他のヨーロッパ系二〇パーセント、五パーセントが原住民系でラテン・アメリカ諸国のなかでは、ヨーロッパ系住民の占める割合がもっとも高い国の一つです。東洋系は日系約七〇〇(うち一世は約二五〇人)、中国系約三〇〇〇と推定されます。国語はスペイン語。

気候、地勢のちがう三つの地帯
 南北に細長い国なので、位置によって、気候、地勢など特徴がそれぞれちがう三つの地帯に大別することができます。
 北部は、雨がほとんど降らない砂漠地帯ですが、チリのおもな産物である銅や硝石がとれます。
 中部は、温暖な地中海性気候の農牧地帯で、首都サンチアゴをはじめ、第二、第三の都市バルパライソやコンセブシオン、有名な海浜避暑地のビニャ・デル・マルなど、チリの主要都市は、ほとんどこの一帯に集中しています。
 南部は、南にくだるにしたがって雨が多くなり、熱帯のジャングル以上に森林が密生しています。石炭や木材 がとれるほか、粗放農業(自然物、自然力にたより、資本、労働力をあまり使わない農業)がいとなまれています。
 さらにくだって、チロエ島からマゼラン海峡あたりになると、岩が多く年中氷河におおわれ、人間の居住に適しない地域となります。

日本に似て地震の多い国
 チリの北部と中部には、万年雪と氷河におおわれた南米最高のアコンカグア山(七〇二三メートル)をはじめ、六〇〇〇メートル級の高峰が二〇以上もあり、火山も大小あわせて千をかぞえます。
 地震が多い点では日本とよく似ていて、昔からしばしば大地震におそわれています。
 一九六〇年五月のバルジビア付近の大地震のときは、その影響で、いわゆる「チリ津波」が太平洋をよこぎってわが国の三陸海岸にまで押し寄せ、大きな被害をあたえました。
 変わった点では、四季が日本とほぼ逆になっていることです。それは、チリが日本からみて、地球の反対側にあるからです。春は九月中旬〜十二月中旬、夏は十二月中旬〜三月中旬、秋は三月中旬〜六月中旬、冬は六月中旬〜九月中旬となっています。
(つづく)

(チリ人民連帯日本委員会パンフレット「アジェンデは死なず」)


チリ

アジェンデは死なず チリ人民は勝利する

  目 次

A. チリの風土と人民のあゆみ
  チリとはこんな国
  スペインの植民から独立まで
B. チリの夜明け
  人民戦線政府の樹立(一九三八年)
  かちとられた人民連合政府(一九七〇年) 
C. 不滅のチリ人民連合政府
  三年間の偉大な業績
  反革命クーデタ
  クーデタの背景
D. この反革命ファシズムの暴虐
  暴虐のかぎりをつくす反乱軍
  写真は告発する
E. アジェンデは生きている
  不屈のチリ人民
  世界にひろがる抗議と連帯
資 料
  アジェンデ大統領の最後の演説(全文).
  「民主チリ」の声明
  チリ人民連帯日本委員会のよびかけ..... 
  チリ人民連帯日本委員会の活動と組織についての要綱.

アジェンデ

(7)クーデタの背景

 チリ人民連合政府の三年間は、人民の統一による「反帝、反独占、反封建」の民族民主革命の発展と、これに対抗するアメリカ帝国主義、大資本家、大地主、さらに極左分子とのたたかいの過程でした。
 しかしながら、ついに一九七三年九月十一日、人民連合政府は軍部ファシストのクーデタによって崩壊させられました。チリ人民はこれまでたびたびクーデタの陰謀に会いながらも、これを人民の動員によって粉砕してきました。しかし、こんどはどうして人民連合の努力にもかかわらず、クーデタを成功させてしまったのでしょうか。前節でみたようなアメリカ帝国主義、右翼反動勢力、極左集団の攻撃のほかに、つぎのような要因があります。

チリの教訓から何を学ぶか

 第一に、中間層を含む強固な統一戦線を広範につくりだすために、まだ一歩力不足であったということがあげられます。人民連合は文字どおり「チリ国民の九〇パーセント以上」の利益を守る政策を実施して諸階層の同盟のための努力をつづけ、支持を拡大してきました。しかしながら、「左」右からの分裂策動によって、とくに中間層の人々が動揺させられ、人民連合への結集のテンポが遅かったといえるでしょう。
 第二に、軍部の問題があります。ラテン・アメリカではめずらしく、チリでは一九三二年以来軍部のクーデタが成功していませんでした。このことの背景には、なによりも人民の民主主義をめざすたたかいの持続的な発展があります。そのなかで、軍隊においても一定の民主主義思想が根づいていました。しかし、アメリカ帝国主義の軍事支配体制の中で存在してきたこと、また人民連合政府成立前の歴代政権下で人民の闘争を弾圧してきたことも事実です。
 したがって人民連合政府の軍隊改革の努力にもかかわらず、アメリカ帝国主義や右翼反動勢力のテコ入れや極左分子の挑発のなかで、アメリカ帝国主義と反動勢力はついに反動勢力の道具として軍隊を使用しうる状況をつくりだすことに成功しました。しかしそのため、軍人の中の民主主義者をクーデタ直前に大量に処刑したり、とらえたりしなければならなかったのです。
 第三にあげなければならないのは人民連合自体の弱点です。人民連合は広範な諸勢力の統一体でした。したがって、一つ一つの政策の細かいところでの不一致はむしろ当然のことといえます。それは一致点での行動のつみ重ねによって克服できるものです。重要なのは革命の戦略の問題です。共産党やアジェンデ大統領は、広範な人民を結集して民族民主革命を徹底させてこそ、社会主義への道がきりひらかれると考えていました。一方、人民連合内の一部の人たちはMIRのようなやり方を支持して、いっきょに社会主義革命を行なうことに賛成していました。このような革命の基本的な問題での不一致が、MIRの反革命活動を許し、さらに右翼反動勢力の攻撃を容易にする一つの大きな原因になったのです。
 チリ人民は、人民連合政府成立までの長い道のりと人民連合政府樹立後の三年間の果敢なたたかいを通して、民主主義と民族解放をめざす世界の人民に偉大な貢献を行ないました。私たちは、チリ人民の犠牲をむだにせず、彼らの残した教訓を深く学び、明日のたたかいに生かさなければなりません。

 <アジェンデは労働者の味方だった>

 前政権の破産状態をひきつぎ、また国会では少数与党という困難な条件のもとにおかれていたにもかかわらず、アジェンデ政権が経済の復興や動労者の生活の擁護という点で達成した業績は、今後ますます明らかになるでしょう。
 人民連合支持者にたいする射殺や逮捕がつづいていたときでさえ、人びとは「アジェンゲは労働者の味方だった」(『朝日』)、「かれは貧乏人の味方だった」(『読売』)、「アジェンデさんは立派な人だった。おかげで来月末には新しいアパートに移れます」(『サンケイ』)とはっきり語っています。これはクーデター直後、ようやくチリ入国を許された日本人記者に、サンチアゴ市民が語ったことばで、人民連合政府の成果をはっきりとものがたるものです。
(この項おわり)

(チリ人民連帯日本委員会パンフレット「アジェンデは死なず」)

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