FC2ブログ

ベトナム短編小説集『サヌーの森』

ここでは、「ベトナム短編小説集『サヌーの森』」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


『サヌーの森』目次

1 サヌーの森……グエン・チュン・タン
2 子供を売る……ゴー・タット・トー
3 人力車夫と女……グエン・コン・ホアン
4 死刑囚監房で……ファム・フン
5 ソエ踊り……グエン・トゥアン
6 眼……ナム・カオ
7 零落……グエン・ホン
8 飢え……トー・ホアイ
9 バイの首……グエン・バン・ボン
10 勝利のあとで……グエン・ユイ・チュオン
11 攻撃準備……チャン・ダン
12 ストライキ……ヴォ・ユイ・タム
13 落花生の収穫……グエン・カイ
14 子供……グエン・ゴック
15 ぼくの馬……チャン・コン・タン
16 魚……ビュイ・デュック・アイ
17 二人姉妹……ヴュ・チ・チュオン
18 かわいいサンダル……トイ・トウ
19 夜の火……ファン・トウ
20 この土地は……アン・デュック
21 道路は叫ぶ……ブイ・ヒエン
a ベトナムの文学
b ベトナム人民の文学・芸術
c 新しい天使(解説)……大島博光

表紙

原著名 En foret
著者名 Nguyen Tqung Thanh
大島博光 1910年生まれ 詩人会議会員
 主な訳書 アラゴン『すばらしき大地』(『お屋敷町』・蒼樹社)、同『フランスの起床ラッパ』(三ー書房)、『アラゴン詩集』『ベトナム詩集』(以上飯塚書店)
荒木洋子 1921年生まれ 日本民主主義文学同盟準同盟員

世界革命文学選 46 サヌーの森・ベトナム短編小説集
1968年6月30日 初版
編者 日本共産党中央委員会文化部 世界革命文学選編集委員会
発行所 新日本出版社


新しい天使(解説)    大島博光

      1

 この本に収められている作品は、フランス植民地主義者、アメリカ帝国主義者、およびその手先たちにたいする、ベトナム人民の英雄的な闘争を描いた作品を主としているが、『ソエ踊り』や『二人姉妹』のように、封建制、あるいは封建制の残りかすとの闘争をあつかった作品もあり、また、『人力車夫と女」のように、ベトナム庶民の貧窮ぶりを、痛烈なユーモアをもって描きだした作品もある。
 これらの作品から共通して感じとられることは、長いあいだの闘争にきたえられた、ベトナム人民の落ちついた態度である。ほとんど、大げさな叫び声などは聞こえてこない。煮えくりかえる怒りや思いは、じっと抑えられることによって、逆に大きなエネルギーとなって、作品のなかにゆきわたっているように思われる。グェン・ゴックの『子供』のなかには、そのエネルギーは、ちみつな意識の流れとなって、うねっているように見える。そうして、長い闘争も、ベトナム人民の伝統的な豊かな人間感情をそぎとるどころか、ますます根づよいものにきたえあげ、みがきあげているかに見える。この豊かな人間感情は、作品のなかで、人間性をふみにじるものにたいする――敵にたいする怒りのなかに身をふるわせている。そして愛するもののためには、その気高い犠牲心と優しい心根とで燃えているのである。こうして作品のなかの英雄たちも、ぎすぎすとした類型としてでなく、血と肉をもった人間として描きだされ、形象化されているように思われる。
 だが、もっと重要なのは、このような人間的感情にうらうちされたリアリズムが描きだしている当のものである。
 ベトナムの詩人チェ・ランビィェンは、いみじくもこう言っている。
 「新たに天使が生まれた。悪魔をたおすために、神聖犯すべからざる力が生まれた。だが、この天使は天から降ったものでもなければ、三面六臂《ぴ》でもない。農村から、工場から、何万という腕、何万という眼、何万という心、そしてすべての人びとの知恵にささえられてあらわれたのだ。この天使は古代の救世主のようなスーパーマンでもなければ、現代の原子力のような特別な力をもっているものでもない。それは怒りにみちた民衆の感じやすい心から生まれた革命的な力である。……
 いたるところで、いろいろな立場の人びとが革命にたちあがった。革命は真理であり、現代の救世主である。……
 偉大なるものは革命である。革命は人びとに土地をあたえるだけではない。革命は人びとの生命を守るのだ。……」(『炎のなかで」の北原幸子氏訳による序文より)
 この新しい天使は、ここに収められているどの作品のなかにも、その姿を現わしている。『サヌーの森』のチューやメー、『この土地は……』のタンじいさんなど、その他、たくさんの人物の中に、その姿を現わしている。それは、見たところ、みんな平凡なベトナム人民のひとりひとりにすぎない。『道路は叫ぶ』の作者は、敵の爆撃で破壊された道路を直す仕事で、労働英雄ともいうべき力を発揮するチュオンについてこう書いている。
 「ある日、わたしは、キイアン区運輸隊の労働者、チュオンの肩にさわってみた。彼の肩は、とくべつに筋肉が盛り上がってはいなかった。わたしは、彼の背中にもさわってみた。その背中は、普通のベトナム人より広くはなかった。だから、彼がいつも、いちばん骨の折れる仕事を進んでやっていたのは、人並み以上にすぐれた肉体のおかげというわけではなかった。彼の精神のもつ気高さ、その勇気が、そうさせていたのだ。」
 人間精神のもつ気高さ、その勇気……これこそ、それらの天使たちがおこなういろいろの奇跡の秘密である。『死刑囚監房で』の、共産主義者の主人公は、死刑の宣告をうけたのちも、死の直前まで、悠然として、おなじ監房の刑事犯の囚人たちを教育し、組織し、さいごまでその任務と希望とを捨てないのだ。また『かわいいサンダル」のなかの主人公の「わたし」のように、自分の心の奥でささやく天使の声をききとるや、悪魔をうち殺して、悪魔の側から脱け出し、移ってくる天使もいるのである。これらの作品にみられる、人間精神の気高さと勇気、人間感情の豊かさと美しさは、正義と真実と美とが、ベトナム人民の側にあることを、もういちど、あかしだてている。それは、アメリカ帝国主義者が、ぺてん師のことばと論理をあやつって、ただ謀略をこととし、あらゆる懐柔と脅迫とによって、人間精神をふみにじり、人間を堕落させ、腐敗させる以外に能のないことと、あざやかな対照をみせているのである。
 祖国愛と革命的精神にあふれ、希望にみちた人間の声は、けだものの吼え声にうち勝つだろう。「新しい天使」は、ナパーム弾や毒ガスを撒きちらす悪魔を追い払うだろう。

      2

(作者紹介……略)

(ベトナム短編小説集『サヌーの森』

木



 中央監獄には、フランス人用の図書室があった。わたしは何冊かの本を借りだして、読んだあと、そのあらすじをタンとローとラムに話してやった。彼らはひどくおもしろがった。わたしは、そんなふうにして、ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』やデュマの「三銃士』の話をしてやった。
 それから、わたしは、彼らに本の読み方を教えてやろうと思いついた。勉強したくないかとたずねると、彼らは叫んだ。
 「とんでもない! もうすぐ死ぬっていうのに、何だって文字を覚えるんだ! 死刑囚監房にいて、もう首が死刑台にのっかっているのに、勉強をおっぱじめるなんて、まっぴらごめんだよ!」
 「そんなふうに考えちゃいけないよ」とわたしは言った。「おれたちが、まだ世の中の役に立つんだと思ったら、おれたちは残りの時間をむだにせずはたらかなくらゃいけない。勉強するのもはたらくのと同じことだよ。監獄の中で読むことを勉強すれば、気がまぎれるし、おもしろいあたらしいことがわかるようになるよ。もし君たちが死ぬことになっていたって、何にも損はないだろう。そうして、もし生きることになれば、得になるだけだよ」
 わたしは、挿絵のたくさんはいった、喜劇や近代劇や古典劇の本を差し入れさせて、それを彼らに見せた。カィ・ルンの芝居『歌を入れた大衆的な悲劇』を好まない南ベトナム人がいるだろうか?彼らは、本の内容がわからなくても、挿絵を見ることができた。わたしは声を出して読んだ。彼らはわたしの両側に横になって、頭をあげて、一生懸命に聞き入っていた。
 ときどき、わたしは言った。
 「ここのところはトー・マ(流行歌)の節で歌うんだ。さあ試しに歌ってごらん」
 すると三人はトー・マを歌いだした。
「ここはナム・カ(流行歌)の節でやるんだ。さあ、やってみないか」
 とわたしが言うと、三人はナム・カを歌った。
 毎日、わたしはいくつかのことばを彼らに教えた。三カ月たつと、彼らは、字を拾ってたどたどしく読み、やがて短い文章を読めるようになった。彼らはだんだん熱心になった。まだ夜が明けないうちに、彼らはもうわたしを呼び起こした。
 「フン兄貴、勉強を頼みますぜ」
 しばらくすると、彼らはもうすらすら読めるようになった。めいめい手に一冊の本を手にして、横になって読んだ。鎖がなかったら、まるで貧乏学生の部屋にでもいるようだった。
 そこで、わたしは芝居をやることにした。みんなに役をふりつけた。便器が太鼓の代わりになった。テノール、バス、ソプラノといろんな声が騒々しく響いた。とても陽気だった。ある晩、何事かおっ始まったかと看守たちが駆けってきて見ると、わたしたちは青虫のようにすっ裸で足には相変わらず足枷をはめたまま、空想の顎ひげをしごきながら歌っているところだった。
 わたしは看守たちに言った。
 「何でもないから、向こうへ行ってくれ。君たちの監獄があんまり退屈だから、おれたち、芝居をやってうさばらしをしているだけなんだ」

     *

 六、七ヵ月の拘留ののち、死刑が決定するか、あるいは破棄されて、終身強制労働に減刑されるか、どちらかだった。わたしはぶちこまれて、もう七ヵ月たっていた。モー・ラムはギロチンにかけられた。死刑台へ連れて行く前に、フランス人は彼をほかの監房へ移した。ある明け方、わたしの監房の入り口の前に足音が聞こえた。そして、ラムの声がした。
 「フン兄貴、おれ、いよいよギロチン行きだよ、みんなにもおさらばだよ。元気でな」
 監房の中で、わたしはいまや、戦友のオーとコーだけといっしょだった。わたしたちの件については、何も耳にしなかった。経験によれば、もし判決が破棄されたとすれば、拘留されて六ヵ月たてば、わたしたちにもわかるはずだった。わたしたちはもう七カ月目になっていたから、わたしたちの刑が執行されるのは確かだと思った。そこでわたしたちは、死ぬまで勇敢にふるまうには、どうすればいいかを討論した。ギロチンにかけられる前に、必ず最後の望みをたずねられることがわかっていたので、わたしたちは、まず、死刑台に上がる順序を選ばせてほしいと要求することにした。はじめにコーが上がり、それからオー、おしまいがわたしということに決めた。
 コーとオーはわたしに言った。
 「ねえ、君、死刑台に上がる自分の順番を待ちながら、前の者がやられるのを自分の目で見るなんて、まるで何度も死ぬようなもんだ、わかっているね、君」

 註
『キム・バン・キェウ』『金雲翹新伝』 広く流布している十八世紀ベトナムの偉大な国民詩人グェン・ズー(阮攸、一七六五〜一八二〇)の筆になる長編叙事詩で、キム・バン・キェウという薄幸の美女をヒロインとしている。
** わが民族の偉大な詩人 『キム・バン・キェウ』の作者グェン・ズーをさす。

(解説)
ファム・フン──『死刑囚監房で』の作者ファム・フンは現在ベトナム労働党の中央委員会政治局員で、インドシナ労働運動のはじめからの著名な活動家。一九三一年頃、フランス行政当局に死刑を宣告され、ブーロコンドル島の牢獄に移された。この作品は、そこでの実際の体験を記したもの。

(ベトナム短編小説集『サヌーの森』)

絵本




 刑の執行を前にした死刑囚には、適当にご馳走を食わせる規定になっていた。そういうわけで、わたしたちの食事には、豚の足の肉やカツレツや焼いた若鶏などがついたし、あるいは、フランスふうな食事が出たのである。食べたいものがあったら、一言いえば、それにありつけたのだ。わたしたちのところへもってきた餅《もち》を揚げさせたこともある。外にいる同志たちが「椰子《やし》の実でつくった匙《さじ》で、餅を食った」と言っていたように。
 わたしたちの監房の近くに、政治犯と刑事犯のまじった婦人監房があって、扉から彼女たちを見ることができた。いく人かの婦人たちには、幼い子供がいて、かわいそうにやせ細って監房の中をよちよち歩きまわっていた。わたしは仲間に、食事の一部を子供たちにやろうと提案した。それからは、食事ごとに、その子供たちのために一皿をしつらえた。この食事が少しでもおくれると、子供たちは、待ちかねた様子で、遠くから催促するような目で、わたしたちを眺めるのだった。

 囚人たちが、以前ほどどなったり、乱暴をはたらいたりしなくなったのに気がついて、警官や看手たちが、監房に近づくようになった。彼らは、そういう事態が一人の政治犯が来てから始まったことを知っていた。彼らはわたしと話をしようとつとめた。アレクサンドルという名の看守は、社会党員だと名のり、たびたびやって来て、わたしとしゃべった。ある時、彼は思案顔でわたしに言った。
 「どうもおれにはよくわからない、不審なことがあるんだが、共産党員は、外にいる時は猛烈な勢いでたたかうくせに、監獄にはいると、ひどく堂々とした態度になる。死ぬのが決まっているのに、相変わらず陽気なんだなあ」
 わたしは答えた。
 「君たちは、死の苦しみがおれたちをおじけさせたり、気違いにさせるにちがいないと考えている。人生に何の目的もなく、政治的な理想も未来の展望ももたない連中は、死刑の宣告をうけると気も狂い、狂暴にうなる。だがおれたちは、はっきりと未来の社会を見通しているんだ。おれたちは処刑にされても、おれたちの国が将来独立することがわかっているんだ。おれたちは、君らの支配体制に反抗して革命闘争をやっているからには、牢獄と死が避けられないってことも、はっきり知っているんだよ。だから、ぶちこまれたって、べつに驚くことはないのさ」

 わたしはずっと後に、プーロコンドル島の監獄で看守をしているアレクサンドルにまためぐり会った。彼はもう誰にも意地の悪い扱いはせず、ラジオであたらしい二ュースを知ると、すぐわたしたちにそれを知らせてくれた。
 わたしたちは、監房の中で、トランプやさいころをつくった。トランプは古いボール紙で、自分たちで絵を描いたし、さいころはパン屑をよく固めたものだった。壁に塗ってあるタールをたばこでとかして、それでさいころの黒い点を着けた。赤い点は、巻きたばこの箱の包み紙で着けた。
 食事がすむと、わたしたちはおしゃべりをし、さいころ遊びやトランプ遊びに興じた。勝った者は、負けた者に食器を洗わせるという賭《かけ》をした。
(つづく)

(ベトナム短編小説集『サヌーの森』)

母子像




死刑囚監房で    ファム・フン 大島博光訳

 わたしが、サイゴン中央監獄の死刑囚監房に着いた時、そこにはもう刑事犯の死刑囚が三人はいっていた。プーロコンドル島に収監されていたタンとローは殺人罪だった。三人目のモー・ラムは、ジァディンで犯した殺人の罪に問われていた。わたしが政治犯だとわかると、彼らはさっそくわたしに敬意を示した。
 「前に、小人《こびと》さんがここにいたよ。あの人の『キム・バン・キェウ《*》』の詩の本がまだそこにある」と彼らが言った。
 死刑囚監房では、刑事犯の囚人や警官や看守はリ・チュ・チョンを尊敬していた。そして「小人さん」と呼んでいた。
 やはりチョン同志はここに入れられていたのだった。部屋の隅に、小型本の黄色くなった数枚があった。それはチョンが残した有名な『キム・バン・キュウ』のベージだった。わが民族の偉大な詩人《**》は、死刑囚監房の中まで、死刑台にのぼる時まで、闘士のあとについてきていたのだ。
 大きな悲しみに胸をしめつけられながら、わたしはこれらの数ページを揃《そろ》えた。
 獄史どもがチョンを死刑台へ連れて行った日、わたしはまだ、ミリトの監獄にいた。その前の日、われわれの監房はみな、抗議のしるしにハンストを決行した。わたしは、「殺戮《さつりく》と放火と治安の撹乱《かくらん》を伴うデモ」のために、ミリトに連行されていたのだった。
 このデモは、一九三一年、ミリトで行なわれた最初のメーデーのデモだった。人民は、ひじょうに残酷な市役所の役人の「フォン・カン」という男を捕えて裁判にかけ、処刑した。
 わたしはあちこちの監獄を引きまわされた。そして、特別法廷で死刑を言い渡されて、この監房に移されたのだ。わたしは二十歳だった。
 監房は、縦が三メートル、横が五、六メートルばかりの狭い部屋だった。四方の壁はむきだしのコンクリートの壁で、鉄の戸がひとつついていた。一方の側に、窓とは名ばかりの、たばこ一本はいらないような小さな穴をあけた鉄板があった。中は暗くて、昼間でも赤いランプがついていた。おそろしく暑かった。わたしたちはすっ裸だった。監房の長さだけある足枷《あしかせ》で片足をしめつけられた、コンクリートの床にじかに寝ていた。
 二、三カ月に一度、警官がやって来て、わたしたちの気分を変えさせるために、この足枷を外した。わたしのを外すごとに、彼らはほかの監房をすっかりしめ切り、まるで軍事作戦でもやるように、兵隊と警官と看守をひとつところに集めた。それだけの準備をして、やっと彼らはわたしの足枷の南京錠をあけにかかったのである。

      *

 刑事犯の死刑囚たちは、どのみち死ななければならないと考えて、絶望していた。
 彼らは口を開けば、やけっぱちにわめきちらした。彼らの狂暴さは、しばしば、警官たちをさえふるえあがらせるほどだった。大部分コルシカ人である看守たちも、彼らを恐れていた。タンとローとラムは、一日じゅう、彼らに毒づいていた。食事を運んできた看守は、戸をあけるなり、ひどい悪口の波をあびせかけられた。屑《くず》入れのバケッをすっぽり頭にかぶせられることさえあった。
 彼らの話によると、一度、フランス人の神父がやって来て、「みなさん、何か必要なものはありませんか。みなさんの手助けをします」とたずねたことがあった。暗い監房の奥で、ひとりの男が立ち上がって、ていねいに返事した。「どうぞおはいりください、神父さん。わしらはあなたにお話ししてえことがあるです」。神父が中にはいるやいなや、囚人たちはとびかかって、神父のひげをつかんで、叫んだ。「よーくお出でなすった、神父さん。はいったからには、おれたちといっしょにいておくんなせえ」
 わたしは、こういうことはいいことだとは考えなかった。警官や看守たちは「死刑囚なんかにはかかわりあわねえことだ。あいつらはほんとの狂犬なんだから」と言い合っていた。看守たちは、共産党員の死刑囚も彼らに似たりよったりだと思っているのにちがいないとわたしは考えた。そこで、わたしはタンとローとラムに言った。
 「人間はよいことをするために生きているんだよ。おれたちがよいことをすれば、よい評判を残すことができる。ここにいて死刑台にあがる日を待っているおれたちも、威厳を保っていたら、よい評判を残せる。死刑台はすぐ間近だ……けれどもおれたちはほんとうの人間として、堂々とりっぱに生きなければならない。そうしてこそはじめてひとに尊敬の念を起こさせることができるんだ。そうなれば、裁判官たちも、いくら法律で死刑を命じても、彼らは満足も得られぬということがわかるんだよ」
 三人とも、黙って聞いていた。わたしはつづけた。「おれたちの生き方は、君たちとはちがっているんだ。おれたちは革命をやるんだ。おれはいくつも牢獄を引きまわされて、刑事犯の囚人に大勢会ったがね。たいていは、政治犯の言うことを聞いてくれるものだということが、おれにはわかったよ。おれたちみんな人間じゃないかね?植民地主義者どもにばかにされないようにしなければならない。そうすれば、おれたちが死んだあとも、尊敬するだろうよ……」
 だんだんと、わたしは囚人たちを組織していった。わたしは言った。
 「看守にたいしても、めいめいがかってなことをすれぼ、混乱するばかりだ。おれたちのうちの一人を代表にえらぼうではないか」
 タンとローとラムは賛成して、わたしを代表に推した。監房の中に秩序ができた。
 朝、囚人の一人だが死刑囚でない炊事係が、何を食べたいかと聞きにきた時、わたしは献立表をつくって手渡した。もう以前のように、「おいこら、ベンランの市場へ行って、とりたての野菜を買ってこい」とか「こら!よく肥えた、まだ生きてる鶏を買ってこい。それをおれたちのところへもってこい。しめ殺すまえの鳴き声が聞きてえんだ、わかったか」などと、タンとローとラムが、どなりちらすこともなくなった。
(つづく)

ベトナム短編小説集『サヌーの森』

父子像

ベトナムと私
天使たちの大地      大島博光

 わたしはさいきん、『ベトナム詩集』(飯塚書店)と、『サヌーの森』(新日本出版社)とを、フランス訳から重訳した。そこに出てくる農村や農民や、その風習などの描写を訳しながら、わたしは、自分の子供の頃を過した、信州の農村と農民とその風習とを思い出さずにはいられなかった。映画『キム・ドン』に出てくる、水をはった田や、その向うに見える小さな山の風景などを見ても、それはなんと似ていることだろう。稲作を中心とした農耕生活、生活のなかにとけこんでいる仏教風な行事などの類似は、日本もベトナムも、むかしからおなじ東洋の文化圏に属していたことを、よく物語っているように思う。
 たとえば、アン・デュックの『土地は』(本誌六七年十一月号)に出てくるタン老人が、カイライ軍の隊長とたたかって死ぬ場面などは忘れられない。家を明け渡して戦略村へ移れ、と言って家に押し込んできたカイライどもを前にして、タン老人は、悠々と、『綾織の絹の長衣』を取り出して、ゆっくりとそれを着る。それから、線香に火をつけると、仏壇の前に座って、お祈りをあげる。
「ああ、先祖の方がた! ああ、わしの御両親よ! 昔、被牲になられた英雄たちの霊よ! この家とこの土地は、先祖さまと御両親とあなた方みんなのものです。革命のおかげで、わしは今のようになりました。きょう、奴らがやってきて、わしにこの土地を離れよと強いとります。わしは、御先祖と革命から受けた御恩に背きたくありません。じゃから、御先祖と革命の英雄たちに見守っていただけるように、ここで死なせてくだされ……」こういうお祈りがすむと、家の隅の槍をとって、タン老人は、コルト銃を構えた、残忍なカイライの部隊長に決然として抵抗し、殺されてしまう。

 わたしが子供の頃を過した信州の農村でも、家々に、先祖伝来の、もうすすけて黒光りのした仏壇があって、年とったおじいさんたちが、朝晩、その前に坐って、小さな鐘をたたきながら、お経をよんだり、お念仏をあげていた。(いまでは、もうそんなおじいさんは恐らく数少ないことだろう。)そして座敷のなげしには、柄に螺鈿をあしらった長槍が、飾ってあった。この長槍は、まったくの装飾であって、むろん何んの役にも立たなかった。しかし、思い出せば、わたしの村にも『タン老人』はいたようだ。当時は、小作争議の盛んな頃で、わたしの村のタン老人は、地主の家に単身で乗りこんで、たたかった。結果は敗北であった。それまで住んでいた家を追われて、別の土地に住むことになったのだった。そのおじいさんは、子供のわたしの眼にも、気骨あるえらい人のように映ったことを覚えている。それから、トー・フーの「おふくろ」という詩などは、そのまま日本の田舎の風景を思わせる。

 きり雨の山から 冷めたい風が吹きおろす
 おふくろさんよ 寒くはないか

 おふくろは 寒さになろえながら田植えだ
 足は泥田のなか 手は苗を植える

 おふくろは 一本いっぽん苗を植えてゆく
 そして植えるたんびに 息子のことを考える

 きり雨は おふくろのぼろ着をぬらして降る
 そのしたたりほどに おれはおふくろを思う

 おふくろよ おれを思っても悲しまないでおくれ
 敵を追っぱらって おれはきっともどってくる

 これらの名もない英雄たちは、ベトナムの大地のうえに。
 だが、ある人びとは、そこに東洋的な停滞の姿を読みとるかも知れない。しかし、二千年来、外敵の侵略とたたかいつづけねばなら一なかったベトナム人民が、ようやくたたかいとった自由と進歩にたいして、いまも理不尽な爆撃を加え、世界の面前で、橙面もたく皆殺し政策をおし進めているもののことを思えば、人間と自由と進歩の敵であるところのものの姿は、悪魔そのものの姿として、いっそうくっきりとしてくる。そうして悪魔がいるからには、天使が生まれて来ないわけにはゆかぬのだ。詩人チェ・ラン・ビヤンは「新しい天使」について、いみじくも、こう言っている。
 「新たに天使が生まれた。悪魔をたおすために、神聖犯すべからざる力が生まれた。だがこの天使は天から降ったものでもなければ、三面六臂でもない。農村から、工場から、何万という腕、何万という眼、何万という心、そしてすべての人びとの知恵にささえられてあらわれたのだ。この天使は古代の枚世主のようなスーパーマンでもなければ、現代の原子力のような特別な力をもっているものでもない。それは怒りにみちた民衆の感じやすい心から生まれた革命的な力である。……」(北原幸子氏訳)
 まさに、大地のうえに立ち上った人民ほどに強いものはない。ベトナムの天使たちは、ベトナムの大地から、かならずあの星条旗をかざした悪魔どもを追い払うだろう。(詩人)

(『民主文学』一九六八年八月)

農村

子供

*グエン・ゴック──「子供」のグェン・ゴックは一九三二年、南ベトナムの田舎に生まれた。一九四六年以後高原地帯の少数民族が結成した人民解放軍に加わり、宣伝隊兵士として、また従軍記者として、山の村を歩きまわった。一九五五年、実在のバーナー族の抵抗戦士メッブを主人公とした長編小説『山の英雄ヌップ」(邦訳名「不敗の村」世界革命文学選二八)を発表して文芸一等賞を受け、作家としての才能をあらわした。また、たくさんの物語と短編小説を書いた。
「子供」は、一九五四年のジュネーブ協定によって北へ集結した、南部出身の解放軍の一隊長と、やはり南部生まれで、北へ引き揚げる部隊に託されてきた孤児の物語。戦争で妻と小さな娘とを失ったグエンは、そのことを、その悲しみを、部隊の誰にも打ち明けずに、ひとり耐えている。彼は、訪ねて行った小学校で、小さな女の子に会う。ほかの子供たちは、迎えにきた親たちと楽しそうに行く。しかし、その小さな女の子には誰も会いに来ない。女の子は戸口にもたれて、悲しそうに立っている。作者の筆は、これらの場面を、豊かな情感をこめて、生き生きと描いている。とりわけ親に迎えられて「ぴょんびょんとびはねながら」駆けてゆく子供と、「ませた様子で、……子供らしくもない悲しみに」目をくもらせた子供との対照のあざやかさは、ひとの心を打たずにはいない。──ここにも、戦争は、くろぐろとした深い影を落としているのである。しかし、人間は、その豊かな人間感情は、それらに打ち勝って前進するだろう。この作品は、そのような人間信頼を、しずかに、人間の深部にふれる描写で、歌いあげているといえよう。
(ベトナム短編小説集『サヌーの森』大島博光・荒木洋子訳 新日本出版社 1968年)

子供

子供

(ベトナム短編小説集『サヌーの森』新日本出版社)

白


子供

(ベトナム短編小説集『サヌーの森』新日本出版社)

ピンク






子供


(ベトナム短編小説集『サヌーの森』新日本出版社)

花





子供

(ベトナム短編小説集『サヌーの森』新日本出版社)

花



子供


(ベトナム短編小説集『サヌーの森』新日本出版社)

花

落花生


*グエン・カイ──『落花生の収穫」はベトナム民主共和国成立後、希望に燃える青年男女が祖国建設のために共同農場を開拓する中でのエピソード。不幸な流離の過去をもつ、あまり若くもなく美しくもないダオが、新しい、明るい生活の中で女の幸福を望む心をとりもどす。そこに生まれる微妙な陰影ある心理を、さりげなく、淡淡と叙して、余韻ある清潔な短編である。
 作者グエン・カイは一九三〇年ハノイ生まれ。人民解放軍の兵士として戦い、一九五〇年に書きはじめた。一九五八年の「闘争」と一九六〇年の短編集「落花生の収種」で広く大衆に知られている。

(ベトナム短編小説集『サヌーの森』大島博光・荒木洋子訳 新日本出版社 1968年)

桜





落花生
(ベトナム短編小説集『サヌーの森』新日本出版社)

すずらん





落花生
(ベトナム短編小説集『サヌーの森』新日本出版社)

花