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こばやし・つねお

ここでは、「こばやし・つねお」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。




山のうた

(詩集『夜の貨物列車』)

山






男は

(詩集『夜の貨物列車』)

海





日の丸


(『こばやし・つねお詩集』1948年)

波







ガスタンク


(『こばやし・つねお詩集』1948年)

タワー
 



あの娘

(『こばやし・つねお詩集』1948年)

横顔




東京の子供たち


(『こばやし・つねお詩集』1948年)

子ども




春よ まずしき


桜




梅の花

梅


おまえの村を忘れるな


(『こばやし・つねお詩集』1948年)

柿





コンパス


(こばやし・つねお詩集『夜の貨物列車』)

武蔵野



こばやし・つねおの「小河内谷のじじいが歌」は小河内ダム建設反対運動を組織する山村工作隊の若者たちを歌った感動的な詩でした。
過酷な活動の中で岩崎貞夫さんという活動家が病に倒れ、亡くなりました。その死をめぐって書かれた工作隊の自己批判書が博光に寄せられていました。

自己批判


手紙

[小河内工作隊「岩崎同志の死についての自己批判」]の続きを読む
 こばやし・つねお(小林恒雄)は戦後、「武蔵野」同人に参加して詩を発表し、1948年に「こばやし・つねお詩集」(解放社)を、1953年に「詩集 夜の貨物列車」(黄土社)を刊行しています。彼の人物像について「こばやし・つねお詩集」の跋文で甘粕石介さんが紹介しています。

      ◇      ◇      ◇      ◇      ◇

 こばやし・つねおのこと
                         甘粕石介

 こばやし・つねおの詩は、あちこちの雑誌にも発表されているので、しっている人はもう知っているだろう。私は詩のことはよく解らないが、戦後こばやし・つねおが詩を書きはじめたころから知っているので、どんな人間かちよっと書いておく。
 こばやし・つねおは去年まで工科の学生であったが、別に工科が好きでなったわけではない。茨城県の鬼怒川べりの長塚節の生家が一里ほどのところにある町で、小工場主の長男に生れたので、親の意見でそうなったのである。兵のがれの意味もあったらしい。戦爭が終ってから親の反対を押し切って学校をやめてしまった。おまけに世の中に対する考え方がまるで変わってしまい、共産党の役員の娘さんと恋愛をし、結婚するなどと言い出したので、一時はかんどうされることになった。かんどうはどうやら許されて、東京におけば危いからと言うので、反対に家に呼びかえされた。家におけばいろんな「過激な」考えも改まるだろうという親の考えであったらしいが、ここでじっとしていないで、左翼の運動をやり出したので、この封建的な町の顔役であり、民自党の支部長でもある親御さんは、さじを投げてもう勝手にしていい、ということになった。それでまた東京に出て来た。今は新聞記者をしている。結婚の方もとうとう両親に承諾させてしまった。結婚式の時はわたしも呼ばれたが、三々九度の盃がすんでから、共産党地区委員のお嫁さんのお父さんと民自党の支部長のこばやし・つねおのお父さんとの間に、共産党のことで大論争がはじまり、双方の親戚がそれぞれに味方して、大へんな空気になった。こばやし・つねおも自分の叔父さんとやり合った。しまいに双方のがわで「どどいつ」とインターナショナルの応酬があって、どうやら無事におしまいになったが、大へんな結婚式であった。
 こばやし・つねおのことを考えると、確かにわたしたちと世代のちがう新しい人間が生れて来たたということを感ずる。わたしはいわゆる戦後の世代、三十代といわれる人々が新しい人間だとは少しも思わない。二十代でこばやし・つねおたちの仲間を見ると、わたしたちにない、何かをもっていることを感ぜずにはおれない。それを強いて言ってみれば、一つは大膽さである。わたしたちがとても踏みこえられないと考えることを、平気でふみこえてゆく。もう一つは透明さである。心にいかにもくもりがない。こういった新しい性格の時々のあらわれがしばしばわれわれを驚かすのである。
 近代人的ないわゆるどすぐろい悩みを経て来なければ、何か深みがないように考えるのは、まちがいである。これからの若い人は透明なままですなおに伸びてゆくし、深くもなってゆくにちがいない。これがほんとに新しいのだと思う。
 こばやし・つねおの詩もその人間のままである。こんな詩はすなおに大衆に受けいれられ、愛されるにちがいないと思う。もし彼が人民大衆やとくに労働階級の気持にますます入ってゆき、またしっかりとものを見るようになれば、これから伸びるにちがいない。わたしはこばやし・つねおはきっと大衆に愛される新しい詩人になるにちがいないと考える。
   一九四八・一〇 

(「こばやし・つねお詩集」 解放社 昭和23年11月)

こばやし・つねお詩集



夜の貨物列車
こばやし・つねおの第2詩集の表題となった詩。
「日本ヒューマニズム詩集 第2集」(三一書房 1953年11月)に採用されている。

駅
 前略、先日は色々と教えて頂いて本当にありがとうございました。僕たちの詩に対する考え方が随分深められたようで本当に感謝しています。
 あの日は僕が遅く出て来て、あまり話も出来なくて実に残念な思いが今しているのですが、いつかゆっくりお伺いしようと思っております。その折はよろしくお願いします。
 ところで、今日は折り入ってお願いがあってこの手紙を書きました。別に事あたらしく書くほどのことでもないのかもしれませんが、それではなんだか落ち着かず、それでくどくどしく書こうと思ったわけです。と申しますのは例の原稿のことです。ぜひ書いてください。期待しています。こばやし・つねお詩集に限定することなく、(僕たちの希望としては)「文学の友」に掲載された詩、サークルの詩、その他のものなどを(赤い詩人、ヒューマニズム詩集など)具体的に例をとって、今日の詩のあり方、その傾向、今日と問題、将来への方向展望などを、わかりやすく、面白く、書いていただきたいと思うのです。
 文学の友3月号の安藤次男の文学講座(詩はどうして創るか)は、いろいろな意味で失敗でした。というより悪い文でした。(そのことも詳しくお話し合って、僕の考えを深めてゆきたいとも考えているのですが)昨日手にしたので、新日本文学の関根弘、吉本、高橋などのものをまだ読んでいませんが、だから何も言えませんが、その文なんかも考慮願った上で、こんどの原稿を書いていただきたいと思っています。
 詩をつくる手引き、よい詩とはどういう詩か、詩における思想の表現の問題など、初歩的な人たちを主な対象として、サークルの詩人たちにも大切な問題の導きとなるような(ずい分くどくどしい注文ですが)文章をぜひお願いします。
 返信用はがきを同封してありますから、ご返事くださいますようお願いします。
 期日は2月25日までに(今月は28日までしかないものですから)枚数は17・8枚までにお願いします。(4ページから5ページを予定しています)。
 お返事を期待しています。草々
29年2月20日
                文学の友編集部 牛田幸雄
大島博光様

   ◇        ◇        ◇         ◇  
*『文学の友』(1954年1月~1955年2月)・・・1950年、新日本文学会から離れた江馬修や藤森成吉らによって創刊された『人民文学』(1950年11月~1953年12月)の後継誌。『人民文学』は、各地で刊行されたサークル誌の中心的存在であり、安部公房や野間宏らの文壇作家や小林勝・春川鉄男ほかの労働者作家、許南麒ら在日朝鮮人作家等が参画した民主主義文学運動の拠点であったという。

*こばやし・つねおの詩集は『こばやし・つねお詩集』(1948年 解放社)と、こばやし・つねお詩集『夜の貨物列車』(黄土社判 S28/10/20発行)の2冊があるが、この手紙は時期からみて後者についての執筆依頼である。この詩集の最後を小河内ダム反対闘争を歌った「小河内谷のじじいが歌」がかざっている。

夜の貨物列車