前年秋に発足した板橋詩人会の発展を願って1983年3月26日、第1回春の詩の祭典が開かれ、60余名が参加する盛会となりました。大島博光と土橋治重が賛助出演してスピーチし、詩の朗読や感想の発表などで参加者全員が演壇に上がりました。ほかに土屋二三男、大河原巌、武井京、鈴木初江らが賛助出演しました。
1982年11月28日に開催された板橋詩人会の結成大会の様子が『会報』第一号に載っています。記念写真とともに出席者名(山中和子、山口えく子、葵生川玲、角田博、橋元英樹、古庄紋十郎、宮林義信、広井三郎、風間光作、井上八蔵、井上千文、斉藤幸雄、天童匡史、長岡昭四郎、鈴切幸子、内藤健治、千川あゆ子)が紹介され、作品のページでは会員の詩14篇を掲載。「春の詩の祭典」案内ページでは、土橋治重と大島博光のスピーチが予告されています。
最後のページに長岡昭四郎さんが板橋詩人会を結成した理由について書いています。「一昨年松本に一人で住んでいた父が他界した。故郷の人のいないわが家はあっという間に廃家と化していく。漸く私は乳離れのしたような気持になれた。……もう板橋を永住の地と決めてもいいのではないかと思った。そこで自分のライフワークは何んだと問うてみた。……終戦後すぐ詩を書きはじめた私は途中寄り道はしていたが、詩から離れられず、何時の間にか自分の心のほとんどの領域を占めてしまっているのに気がついた。それにしては、詩を書く仲間が少なく板橋を永住の地と決めた私は淋しすぎたのだ」(「追憶の詩」)
板橋詩人会は板橋区に住む詩人たちの親睦と交流を目的とした会で、1982年11月28日に結成されました。信州出身の詩人長岡昭四郎とわたうちちふみが音頭を取って準備をすすめ、「いたばし詩人会会報」準備号を11月1日に発行、結成大会に向けての案内と経過報告(結成までのあらまし)、会則、会員名簿などを掲載しました。
会員は葵生川玲、井上八蔵、井上千文(わたうち・ちふみ)、風間光作、こばやしあきこ、佐々木龍之、鈴切幸子、千川あゆ子、建部昭男、角田博、天童匡史、内藤健治、長岡昭四郎、西尾熙道、広井三郎、堀口太平、増岡敏和、山口えく子、宮林義信。事務局員は井上千文、風間光作、長岡昭四郎、会計が鈴切幸子、千川あゆ子となっています。
板橋詩人会を中心的に担った長岡昭四郎さんのお宅をお訪ねし、お話しをうかがいました。
長岡さんは詩誌『橋』に大島博光の詩を多数掲載したのを始め、詩集『ひとを愛するものは』出版祝賀会(1985年、東方会館)の開催(発起人)や『老いたるオルフェの歌』出版を祝う会(1995年、三鷹)(呼びかけ人)などでも大変お世話になりました。
「松本の高校生の時、殿内芳樹さんが先生だった。彼を通じて高橋玄一郎を知り、多くを教わった。人生を通して文学をやって良かった」
「記念館で活用していただければ光栄です」と言って『橋』の全号(52号)を寄贈下さいました。入手が不可能な非常に貴重な物をいただき、感激しました。また、『高橋玄一郎文学全集』やご自身の著作『詩』(詩の解説書)なども寄贈下さいました。
詩誌『橋』掲載の大島博光作品(1986年〜1996年)
1 イカロス 13号 1986.5
2 早鐘が鳴ったら 21号 1988.3 (『冬の歌』)
3 それまでは 25号
4 ミラボオ橋 1990 (『冬の歌』)
5 わたしの行きたいのは 31号 1991.8
6 祭りは終わった 33号 1992.2.15
7 きみを失って 34号 1992.5.15 (『老いたるオルフェの歌』)
8 落穂拾い 35号 1992.9
9 きみはうつろな独房の 36号 1993.1
10 最初の涙 きみが地上にいなくなった最初の日に 37号
11 どこに刻もう 38号
12 地獄のうた 39号
13 泣いてる男は 40号(『老いたるオルフェの歌』)
14 逃げるな 41号 1994.8.20
15 ひとり老いる 42号 1994.12.1(『老いたるオルフェの歌』「最後の歌」)
16 わが胸像を彫る友に/フイ・カーン 45号 1995.9.30
17 蚕は死ぬまで/フイ・カーン 46号
18 サン・マルタン街の歌/ロベール・デスノス 47号
19 私の意地悪さん、きみの髪に 声に 口に/パブロ・ネルーダ 48号 1996.8.31
20 裸のきみは/パブロ・ネルーダ 49号 1996.12.1
21 ラ・マンチャの女/アントニオ・マチャード 50号
22 ロルカよ/アラゴン 51号
*板橋詩人会は長岡昭四郎、わたうちちふみが中心になって1983年に創立。この二人をはじめとして長野県出身の詩人が多く、長岡昭四郎と親しかった博光も参加した。
博光が『橋』に発表した詩の多くは詩集『冬の歌』(1991年)と『老いたるオルフェの歌』(1995年)に掲載されている。
1 イカロス 13号 1986.5
2 早鐘が鳴ったら 21号 1988.3 (『冬の歌』)
3 それまでは 25号
4 ミラボオ橋 1990 (『冬の歌』)
5 わたしの行きたいのは 31号 1991.8
6 祭りは終わった 33号 1992.2.15
7 きみを失って 34号 1992.5.15 (『老いたるオルフェの歌』)
8 落穂拾い 35号 1992.9
9 きみはうつろな独房の 36号 1993.1
10 最初の涙 きみが地上にいなくなった最初の日に 37号
11 どこに刻もう 38号
12 地獄のうた 39号
13 泣いてる男は 40号(『老いたるオルフェの歌』)
14 逃げるな 41号 1994.8.20
15 ひとり老いる 42号 1994.12.1(『老いたるオルフェの歌』「最後の歌」)
16 わが胸像を彫る友に/フイ・カーン 45号 1995.9.30
17 蚕は死ぬまで/フイ・カーン 46号
18 サン・マルタン街の歌/ロベール・デスノス 47号
19 私の意地悪さん、きみの髪に 声に 口に/パブロ・ネルーダ 48号 1996.8.31
20 裸のきみは/パブロ・ネルーダ 49号 1996.12.1
21 ラ・マンチャの女/アントニオ・マチャード 50号
22 ロルカよ/アラゴン 51号
*板橋詩人会は長岡昭四郎、わたうちちふみが中心になって1983年に創立。この二人をはじめとして長野県出身の詩人が多く、長岡昭四郎と親しかった博光も参加した。
博光が『橋』に発表した詩の多くは詩集『冬の歌』(1991年)と『老いたるオルフェの歌』(1995年)に掲載されている。