小山田二郎

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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


1952年7月に奈切哲夫が呼びかけた大島博光救援会のカンパに画家の浜田浜雄が応じて書いた手紙。

浜田浜雄てがみ

「いつぞや 小山田君と会った折 いろいろと色々と話し合ったことでしたが 大兄のマルドロールの歌に挿絵を描いてみたいと異様に眼を輝かせて語ったのが非常に印象的でした。
もしそれが実現されたら心から   のは勿論私だけにとどまらないでせう。待望するものの一つです。
心にかかりながら何時も何もできません。同封の金子わづかですが手前勝手な給料のつもりです。お納め下さいますよう 奥様によろしく
浜田浜雄」

「マルドロールの歌」(ロートレアモン著の散文詩)は大島博光が訳して『蝋人形』に昭和11年2月から11月に連載されたが、とても奇怪でシュールな作品。小山田二郎の絵のイメージがぴったりなので、確かに実現していたら面白いものになったに違いない。

浜田浜雄
小山田


12年前の年賀状。小山田チカエさんは画家の小山田二郎の妻。二郎が出奔した時、博光が彼女から相談を受けていました。<小山田二郎さんのこと

小山田二郎
奈切哲夫(左)と小山田二郎

 前衛画家の小山田二郎と博光は戦前からのつきあいでした。「蝋人形」の編集者時代に小山田二郎らにおごっていた、新宿の喫茶店NOVAに連れて行ったと語っています。
 小山田二郎は下口唇が異様に腫れていて印象に残る顔立ちでした。荻窪あたりで開いた個展に連れて行かれましたが、絵も全くグロテスクというか、異様・シュールで、小学生の眼からもこれが前衛絵画というものかと納得しました。小山田二郎が若い女性のもとへ雲隠れしたとき、奥さんで画家のチカエさんから居場所を知らないか、どうしたら戻ってくるか相談されました。博光は「もう戻ってこないよ」とつぶやいていました。

 数年前にNHK教育テレビ・新日曜美術館で「小山田二郎と鳥女」を放送していました。その女性小堀令子のもとで新しい作品をたくさん制作したことが紹介されていました。小山田二郎はチカエ夫人と小堀令子、二人の女性のささえで絵を書き続けたのでした。