便り・書翰

ここでは、「便り・書翰」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。




マチスの壁

マチスの壁

マチスの壁


博光が毛筆で書いた「マチスの壁」への礼状。御子柴昭治さんは日野市にお住まいだった友人で、障害児教育が専門でしたが、詩や絵を書いていました。(御子柴昭治さんの遺作展

「マチスの壁」は詩集『冬の歌』を出版した年(1991年)の作品ですが雑誌等に発表していないようです。同じように散歩中にとらえた情景をスケッチした作品に「もうひとつのわたしの書斎 」がありますが、こちらは詩誌『稜線』に発表しています。

散歩道

手紙
手紙


 リンゴのご案内も差し上げないうちに結構なフランスワインを頂戴して恐縮しています。ありがとうございました。
 お陰さまで ようやく復調してきました。少し飲めるようになりましたので早速楽しみます。
 お送りしたもの 珍しくもありませんが ふるさとのリンゴです。元気をつけて下さい。

 先月 須坂市で第三回パピエ・コレ展をしました。「明滅する赤」「梳るエルザ」「赤と黒」等 新作を加え18点を出品しました。推薦文に大島さんの手紙にあった「モダンでしゃれた空間構成、偶然と作者の意志との幸福な出会い」を使わせてもらえばよかったと後で気づき、残念に思っています。この次の時は使わせて下さい。

 遅い報告になりますが、十年がかりの市民運動が実って 去る七月 松代にすばらしい文化ホールが竣工しました。
先頭に立って苦労しましたが、それだけに感激も大きく 満足しています。
文化活動の拠点にしていくつもりです。
 まずは お礼旁々 報告まで。
 奥様によろしく

  八九年十二月三日   長谷川 健

 大島博光様

 夕陽の中の早明ラグビー戦を見ました。
 快勝ワセダのために今宵はボジョレー・ヌーボオで乾杯


文化ホール

松代の文化行事の中心となっている松代文化ホール。長谷川健さんを先頭に市民が建設運動をした結果、実現したのですね。


菊池幸子

「この子らに」拝見。そのすこし前 NHKのお天気おじさん、倉嶋厚の「くらしの気象学」をよみ、ガガーリンが地球は青かったと云い「空は青かった」とはいわなかった、大気圏の外はまっくらである。ある地球天文学者は、地球は幸福の星である、といい、月世界に足をおろしたアメリカの宇宙飛行士は、地球は宇宙のオアシスだ、と云ったとかいてありました。暗黒の宇宙の中、唯一の生命の輝く地球をこわすことの罪悪感を考えぬ権力者たちをぶっころしてやりたいです。
「エリュアール」はすすんでいますか。私はビッコのおばーになりました。

二月十七日(1985年)
飯田市鼎上山 菊池幸子
大島博光様

◇    ◇    ◇    ◇
飯田市の菊池幸子さんからのハガキがありました。
新聞に載った詩「この子らに」を読んで、宇宙のオアシス、生命の輝く地球を壊そうとする者への怒りを書いています。

河野さくらハガキ


大島さん、おめでとうございます。
今朝の赤旗紙上のご感想を読ませていただき、わが詩人の言葉のやさしさ、強い感性のひびきになんだか涙ぐんでしまいました。感動なんですね。
あなたの文が紙上にのる度に文化欄がやわらかく感じられるのでしたが、ごぶさたばかりお許し下さいませ。
P.S. 烏山の栄子さん 飯田の菊池幸子さん、電話や文通で交遊しています。

1985年2/22  河野さくら

◇     ◇     ◇     ◇
赤旗記事「第17回多喜二・百合子賞 受賞の感想<わたしを変えてくれた党> 」を読んで書いたハガキのようです。

菊池幸子さんも「現実と文学」誌に「伊那谷の選挙」を書いています(「現実と文学」21号 1963年5月)。菊池謙一氏(参議院議員選挙長野県地方区の共産党候補者として活躍した)の妻で、「菊池謙一・幸子夫妻の戦時下往復書簡」(三輪泰史 編)が編纂されています。
https://ir.lib.osaka-kyoiku.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/.../57/rk_53_001-726.pdf
博光とどういうつながりがあったのかは不明。


河野さくらハガキ

3月12日紙上に出た”多喜二・百合子受賞作を語る”てい談の土井さん、秋元さんなどの発言をとても心地よく拝読しました。詩人を語るふしふしになんだか涙ぐんだくらいです。
「ノヴァ」の時代をどうぞお書き下さい。あれは詩人にだけしか表現できない雰囲気のものと信じます。
おはがいいただいてから、引込み思案のさくらばばあは あれこれと思いをあそこの走らせ、人びとの顔を画いています。村山知義さんの破れた飲みっぷりを昨日は思い出したり、──飲めのめーとドイツ語を口走った。
 わせだと東大とムーランルージュの若いひとびとと……

1985/3/13
三鷹市下連雀 大島博光様
新宿区西新宿 河野さくら

◇     ◇     ◇     ◇
座談会─『NOVA』の時代を回顧して─が1988年7月26日に開かれているので、この座談会に関連して博光がハガキを出したようだ。
河野さくらは戦前、関鑑子らと日本プロレタリア音楽同盟創立に参加、宮本百合子の「獄中への手紙」にも名が出てくる。「われらは一団-日本プロレタリア音楽同盟の記録-(上・中・下)」(「文化評論」1968年5・6・7月号連載)、「結びつきは心の底に──戦前の思い出から」(「現実と文学」45号1965年5月1日)を著している。