(『ネルーダ詩集』角川書店)
一九四二年の秋のある朝、メキシコ市の壁という壁にひとつの詩が貼りめぐらされた。それは、スターリングラードにおけるソヴェト赤軍の英雄的な抵抗をうたった、ネルーダの「スターリングラードにささげる歌」であった。これにたいしてメキシコの若い芸術至上主義者たちは、純粋詩の名において異議を唱えた。ネルーダは反論する。
「純粋詩におぼれて、はやくも老衰してしまった青二才たち、かれらはもっとも大切な人間の義務を忘れてしまった……いまたたかわぬものは臆病者なのだ。過去の遺物をふりかえることや、夢の迷宮を踏査することは、われわれの時代にふさわしいものではない」(北民彦訳)。ネルーダは「スターリングラードに捧げる新しい愛の歌」を書いて、彼らにこたえる。<新日本新書『パブロ・ネルーダ』>
(『ネルーダ詩集』)
一九三六年九月四日付の、「反ファシズム知識人同盟の機関誌「エル・モノ・アスル」(菜っぱ服)五月号に、「死んだ義勇兵の母親たちにささげる歌」という詩が掲載され、「この詩はある大詩人の筆になるものであるが、本誌編集部は現時点ではその名前を明らかにしない方がいいと考える」という注が書き添えられていた。むろんそれは、そのときマドリード駐在チリ総領事パブロ・ネルーダにほかならない。外交官の立場上、その名前を公表することがはばかられたのだ。このすばらしい詩は恐らくスペインの悲劇について外国の詩人が書いた最初のものであった。(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)