パブロ・ネルーダ Pablo Neruda

ここでは、「パブロ・ネルーダ Pablo Neruda」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


 しかし叙事詩は悲劇的な終曲へとむかう。「エデンの園」の恋人たちには、呪いの炎の剣が加えられる。ここでは、炎の剣は南アメリカにおける火山の爆発というかたちをとって現われる。この火の洪水のなかから、ロードとロジーは、森の動物たちといっしょに、救いの船に乗って逃げる。海の方へ──詩人の好きな海の方へ。
 すべての神話が望むように、ロードとロジーも滅びないだろう。彼らは禁断の木の実を味わいながら、しかし呪われることなく、遂にその古い呪いの神を殺してしまう。こうして詩人の意志にしたがって、古い神は死に、恋人たちは古い伝統的な運命から解放され、彼らじしんが神となったことを意識する。

  男の名は ロード
  女の名は ロジー

  彼らは 帆船を操った
  彼らは 船の世界をとり仕切った
  そのとき突然 滝のような波のふちで
  死のふちで 瞼は燃え 肉は躍り
  眼ははげしい痛みにみちて
  彼らは 自分たちが神になったことを覚った
  古い神が 呪いの火柱を立て
  炎の剣をふりあげたとき 古い神は死んだのだ
  おのれの創造を完うし それを呪った古い神は
  新しい作物もなく 死んだ
  そしていまや 人間が神になった
  人間は 大地に満たなければならない
  人間は 海に満たなければならない
  なぜなら ひとり新しい神神だけが
  愛の林橋を噛んだのだから

 さて、ロードとロジーはネルーダとマチルデということになろう。『船長の詩』において匿名でうたわれた愛、つづいて『イスラ・ネグラの思い出』『一OOの愛のソネット』において飽くことなく追求された愛は、『炎の剣』において、調子高い叙事詩的な幻想と希望をうたいあげているといえよう。

(この項おわり)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

夕やけ

 一九七○年九月に出版された詩集「炎の剣」も、この「世界の終り」の延長線上に書かれたように思われる。なぜなら「炎の剣」は、世界が終り、その廃墟に生き残った一組の男と女を主人公にした物語、つまり、新しいアダムとイヴの創世記であるから。じっさいにも、ネルーダはこの詩集の扉に旧約聖書の「創世記」のつぎの文章をかかげている。
 「こうして神は人間を追放して、エデンの園の東に、いのちの木への道を守るために、天使ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置いた」
 もうひとつ、ネルーダがこの物語詩のよりどころとしたのは、チリ南部のアンデス山脈の奥に隠されているといわれる「魔法の都」あるいは「セザールの都」の伝説である。この詩集の冒頭に、フリオ・ヴィクニャ・シフェンテス『チリの神話と迷信』からつぎのように引用されている。
 「チリの南部、アンデス山中の、だれも知らない、あるところに、この世のものとは思われぬすばらしい魔法の都がある。そこではすべてが黄金、銀、宝石である。この都の住民の幸福に匹敵するものはない。衣食住をみたすために働く義務もなく、人間世界を襲う貧困や苦しみにさらされることもない……」
 この詩においては、世界の終りが描かれ、そこへただひとり生き残った主人公ロードがやってくる。アラウカニアの地に新しい森を見つけようとやってくる。

  彼は土地を探した 新しい王国のために
  彼は青い水を探した 血を洗い流すために

 ロードはネルーダと同じく年とった失望した男、幻滅した男である。多くの闘いののち、「孤独のなかで/その心を手に負えぬ蔓(つる)草に蔽われた男」であり、「過去と呼ばれるものをうしろに引きずり」「犯罪の共犯者」「他者、すべての他者との共犯者」であることをやめて、「血まみれの魂をもたぬ最初の人間」にもどろうとする。
 そこにはまた怖るべき反省が現われる。

  ひとびとはもはや彼を必要としなかった
  そうだ だれも だれひとりとして

 しかし、この孤独と懐疑に苦労するロードのまえに、「セザールの都」の生き残りの女ロジーが現われる。するとロードの心にはふたたび愛と欲望が生まれる。若い同伴者を得て、孤独者はふたたび春と世界をみいだす。エロティックな美しい詩が、ロジーの口をとおしてこの愛の融合をうたう。

  最初の男(ひと)よ あなたが
  わたしの腹の上に手を置いたとき
  あなたのくちびるが
  わたしの乳房の乳首を味わったとき
  わたしはもう見捨てられた血の滴ではなかった
  道に落ちた棘のある小枝ではなかった
  わたしのからだはその葉っぱをそばたて
  音楽がわたしの血のなかを走った

 しかしこのような愛もロードの懐疑や苦悩を消しさることはない。

  だれもこの地上でわれらに耳傾けない
  みんな出て行ってしまった……
  これからわれらの夢をだれに託そう?

(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

バラ


『世界の終り』『炎の剣』

 一九六九年七月に出版された『世界の終り』には、ネルーダの孤独、幻滅、懐疑などの精神的思想的状況がにじみ出ていると見られる。スターリン批判以来の絶望的情勢、核戦争の脅威など、科学的発見や社会的進歩がみられたにもかかわらず、この二○世紀はネルーダにとって期待はずれなものであった。この世紀を人間の世紀にしようとたたかってきた人びとの理想をうちくだき、裏切ってきたからである。この闘争に参加してきたネルーダはそれを認めずにはいられない。彼にとって二○世紀は「いつわりの勝利の世紀」であり、「断末魔の世紀」である。自然は変ることのない祭りを人類に提供しているのに、人間は研究所の奥で悲劇的な祭り──原爆の祭りを企んでいる。

  もう一つの祭りが準備されているぞ
  世界の自殺が             (「原爆」)

(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

川



ムリエタ1


ムリエタ2



    ムリエタの首は語る

  だれもおれに耳をかさないが おれはしゃべることができる
  くらやみのなかの子どもは 死んでしまった
  なぜおれは死んで あてどもなく砂漠のなかを
  さまよいつづけるのか おれにはわからない

  愛して愛して おれは悲しみにたどり着いた
  闘って闘って おれはうちのめされてしまった
  そしていまや テレサの両の手のなかに
  おれという ひとりの悪党の首は眠るのだ

  おれがぶっ倒れると おれは咽喉(のど)をかっ切られ
  おれのからだはまず まっ二つに切り離された
  おれは 完全犯罪のために叫ぶのではない
  おれは さまようおれの愛のために抗議するだけだ

  死んだ妻がおれを待っていた そしておれは
  険(けわ)しい道をとおって たどり着いたのだ
  死んだ妻といっしょになるために おれは·
  ひとを殺し自分も死にながら たどり着いたのだ

  おれはもう 血も流れさった空っぽの頭に過ぎぬ
  くちびるももう おれの声をきいても動かない
  死者はもう 何も言ってはならないのだろう
  雨や風をとおして 語りかけるというほかは

  だが これから霧のなかをやってくる人びとは
  どのようにして ありのままの真実を知るのだろう?
  同志たち おれは要求するのだ 一○○年後に
  パプロ・ネルーダが おれのために歌ってくれることを

  それは おれが犯した あるいは犯さなかった悪のためではない
  それはまた おれが守った善のためでもない
  おれが持っていた 唯一のものを失ったとき
  ただ 名誉だけがおれの権利だったからだ

  こうして ゆるぎないたしかな春のなかに
  時は流さり おれの生涯はひとに知られるだろう
  それは苦(にが)い人生でもなく 正義にみちたものでもなかった
  おれはおれの人生を 勝ったとも負けたとも思わぬ

  そして過ぎさってゆく すべての人生のように
  おれの人生も きっと夢といりまじっていた
  血の好きな残忍なやつらが おれの夢を殺した
  そしておれは遺産として残すのだ おれの深傷(ふかで)を

 ここでネルーダは、詩人の声をとおして、ムリエタの伝説の真実をとおして、アメリカ大陸における奴隷制・圧制を告発し、一時的な敗北を越えて、来るべき闘争に立ちあがるよう呼びかけているのである。
(この項おわり)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

男

『ホアキン・ムリエタの栄光と死』

 一九六七年、ネルーダの最初の詩劇『ホアキン・ムリエタの栄光と死』が出版され、一○月、チリ大学演劇研究会によって初演された。
 ホアキン・ムリエタは、「ゴールド・ラッシュ」の時代の伝説の人物である。彼は一団の部下を連れて、ヴァルパライソからカリフォルニアに渡って、黄金を手に入れるために懸命に働く。しかし彼らは成金の残酷な北アメリカ人たちから鞭(むち)と弾丸の報復をうけ、ムリエタは妻のテレサとともに首を切り落されてしまう。その頃北アメリカ人たちは人種的差別によって、チリ人やメキシコ人を排撃し虐殺したのである。伝説では、切り落されたムリエタの首は馬に乗ってチリに帰り、その怒りをぶちまけることになっている。この詩劇の「まえがき」に作者は書く。
 「ホアキン・ムリエタの亡霊はいまもカリフォルニアをうろついている。月の夜、憎しみに燃えた馬にまたがって、ソノラ砂漠をよこぎり、メキシコのマドレの山なみに消えてゆく彼の姿が見える……亡霊の足どりはしかしながらチリへと向かう……ホアキン・ムリエタはチリ人であった。……
 彼の切り落された首はこのカンタータを要求した。わたしはそれを反逆者のオラトリオとしてだけでなく、ひとつの出生証明書として書いた。
 ムリエタに関する書類のたぐいは、ヴァルパライソの地震や黄金獲得の闘いのなかで失われてしまった。こういうわけで、彼は彼の流儀でもう一度生まれなければならない。亡霊としてまた炎の男として、きびしい時代の開拓者として、希望のない復讐者として。
 この歌にとりかかるにあたって、わたしはただこの反逆者のいさおしを明らかにすることを心がけた。わたしはこの反逆者とその生活を共にした。それゆえわたしは、この男の生の輝きと死の広大さを証言するのだ」
 この詩劇の頂点をなすムリエタの声を──ムリエタに託したネルーダの声をきいてみよう。
(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

彫像

(3)ソネットの形式


「わたしの妻はわたしと同様に田舎者だ。彼女は南部の町チジャンで生まれた。そこは、田舎風の陶器による幸福と怖るべき地震による不幸とで有名な町だ。わたしは彼女を語ろうとして、『一○○の愛のソネット』のなかで彼女のすべてを歌った。それらの詩、それらのソネットは、恐らく彼女がわたしにとって何を意味するかを明らかにするだろう。大地と生とがわたしたち二人を結びつけたのである。」(『回想録』)
 『一○○の愛のソネット』において、ネルーダは、ソネットの形式を愛の詩にもっともふさわしいとする西欧の伝統に従っているのである。
 ソネットの巨匠はおそらくイタリアのべトラルカ (一三○四〜一三七四)であろう。フランスではロンサール(一五二四〜一五八五)のソネットが鳴りひびいていた。スべイン詩にあっては、フェルナンド・デ・エレーラ(一五三四〜一五九七)、ルイス・デ・ゴンゴーラ(一五六一〜一六二七)などがソネットを発展させていた。ネルーダはこの詩集の「まえがき」に書く。「いつの時代の詩人たちも、めいめいそれぞれに、気どった優雅な趣味によって、金銀細工の音や、水晶の音や、あるいは砲声のように鳴りひびく脚韻をもちいてきた。
 わたしはこれらのソネットを、きわめて謙虚に、つつましく木材でつくり、それらに木材というこの不透明で純粋な物質の音をあたえた。ねがわくば、これらのソネットがそのようにきみの耳にとどいてくれるように。きみとわたしとは方ぼうの森や砂漠を歩きまわり、荒涼とした湖水や灰色の高原を歩きまわって、水に流されるにまかせ、嵐に吹かれるにまかせた純粋な木材や板切れを拾い集めた。これらのいともなつかしい足跡から、わたしは斧や小刀やナイフで愛の骨組をつくり、一四枚の羽目板で小さな家を建てた。そのなかに、わたしの愛し歌うきみの眼が住めるように……」
 詩人はここで、優雅な金銀細工の音楽にたいして素朴な木材の音を対置させ、それを自分の手法として採用する。そして美しい比喩をとおして、彼は恋人とさまよった「森や砂漠」や「湖水や高原」などの大地のうえの生に詩の源泉をみいだすというレアリストの詩法を語っている。
(つづく)

ネルーダとマチルデ
ネルーダとマチルデ

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)



イスラ・ネグラの思い出


(2)デリア・デル・カリル

 アルゼンチンが与えた「蟻さん」──デリア・デル・カリルとネルーダは、スペイン市民戦争で知りあい、その後の苦難の一五年をともにする。詩人は彼女にも多くの詩をささげている。

  きみはやってきた 広い国から
  わたしの方へ
  ひろくひろがり
  小麦粉の未来へとひらいた
  黄金色の麦畑のような
  広いこころをもって
  牧場に降る雨ほどに
  やさしいものはない
  滴(しずく)はゆっくりと落ちて
  空地や堆肥や静けさに沁みこみ
  家畜の群をめざめさせる……

  そのとき戦争がやってきた
  わたしたちは二人で戸口に出て迎えた
  戦争は 死にながら歌っている
  はかない聖処女のように見えた
  雪のうえの青い硝煙や炸裂は
  なんと美しく見えたことだろう
  だが とつぜん
  わたしたちの窓は壊された
  本棚のなかに弾丸がぶちこまれ
  街は生まなましい血の海となった
  戦争は微笑みではない
  讃美歌は眠りこみ
  兵隊の重い軍靴の下で大地は震えた
  死はひとつひとつの穂から
  実をもぎとって行った
  わたしらの友は帰って来なかった
  あの時は辛くて泣けなかった
  それからやがて涙が溢れ
  人間の誇りが泣いた
  わたしたちは敗北のなかで
  きっと気がつかなかったのだろう
  とてつもない大きな墓穴が口をひらき
  そのなかに人民や町まちが転がり落ちたのに
  あの日日は深い傷痕として心に残っている
  わたしたちにはその悲しみと灰が残っているのだ    (『イスラ・ネグラの思い出』)

 そこへチリ女のマチルデが現われる。ネルーダがカリルと離婚し、マチルデと正式に結婚したのは一九五五年である。そしてマチルデに『一○○の愛のソネット』(一九五九年刊行)がささげられる。
(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

デリア・デル・カリル
ネルーダとデリア・デル・カリル


ネルーダの博物誌


『一〇〇の愛のソネット』

(1)「パブロ・ネルーダの博物誌」

 「とりとめのない放浪」についで、一九五九年には、最後の恋人マチルデ・ウルティアにささげられた「一○○の愛のソネット」が刊行される。すでにマチルデへの愛の詩は、『船長の詩』のなかに匿名で書かれていたが、『一○○の愛のソネット』においてひとつの集大成をみることになる。これを機会にネルーダの愛と愛の詩について考えてみることにしよう。
 アマゾンの森のように多血質だった詩人は、外交官生活の異国の行く先ざきで恋をし、それぞれの恋人にかず多くの愛の詩をささげている。ブラジルの詩人ヴィニシウス・デ・モラエス はその「パブロ・ネルーダの博物誌」(「ウーロップ」誌一九七四年一・二月号)のなかにこう書いている。

  オランダは きみにマルーカを与え
  アルゼンチンは 軽やかで美しい
  「蟻さん*」を きみに与えた
  メキシコは きみにマリアを与え
  プラジルは マリーナを与えた
  ひそやかで 目だたぬ きみの愛
  だが きみに心奪われた世界は
  もっと多くの恋人を 与えたろう
  もしも 嫉妬ぶかいチリが
  マチルデをきみに 与えなかったら

  最愛の恋人マチルデを 

  *「蟻さん」は詩人の二番めの妻デリア・デル・カリル

(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

ロココ


秋の遺言


 さて、この『とりとめのない放浪』は、この詩集にふくまれるユーモアによって知られている。しかもそれは死をも嘲笑して追い払おうというものものしいユーモアである。「秋の遺言」のなかに詩人は書く。

 マチルデ・ウルティアよ もしもきみが
 あの燃える落葉の匂いや
 あの野いちごの香りをその身につけ
 きみの二つの海の乳房のあいだに
 カウケネスのたそがれと
 チリ・クスノキの匂いを秘めているなら
 わたしはきみに何を残すことができよう

 もしもいつかわたしたちがいなくなり
 行ったり来たりしなくなるなら
 塵(ちり)あくたの七つのマントの下で
 死の乾いた足の下で
 恋人よ わたしたちはいっしょに
 驚くほどに溶けあうだろう
 わたしたちのちがった棘
 見上げることもできぬ眼
 見わけもつかぬわたしたちの足
 忘れがたいわたしたちのくちづけ
 ついにみんなひとつに結びつけられるだろう
 しかし 墓場のなかでひとつになったとて
 わたしたちに何んの役に立とう
 生がわたしたちを引き離さないように
 死なんか とっとと消えうせるがいい!

そして詩人はこの世への告別の言葉を書きのこす。

 いまや この原稿紙をあとに
 わたしは出てゆくが消えはしないだろう
 わたしは透明のなかに躍りこむだろう
 空を泳ぐ男のように
 そしてわたしは再び大きくなり それから
 いつかごく小さなものとなり
 風がわたしを連れさるだろう
 わたしは自分の名をもはや知らないだろう 
 わたしはいつ目覚めるかもはや知らないだろう

 そのときわたしは黙って歌っているだろう

(この項おわり)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)
 
夕暮れ

夕暮れ

 彼は『回想録』のなかに書いている。
 「多くのひとびとはわたしを筋金入りのスターリン主義者とみなした。ファシストや反動どもはわたしをスターリンの抒情的解説者として描きだした。それは特にわたしを苛立たせはしない。とてつもなく混乱した時代にはあらゆる結論が可能なのだ。……スターリン批判による暴露はわれわれの心を揺さぶったが、つづいて苦悩にみちた良心の問題がやってきた。あるものはだまされたと感じて、敵の議論を大っぴらに受け入れて、敵の戦列に移行した。またあるものはこう考えた──二十回大会によって容赦なく暴露された怖るべき事実は、世界に歴史的真実を示し、その責任をうけいれて生きつづける、ひとつの党の力をはっきりと示したと。
 もしもほんとうに、この責任はわれわれすべてにかかわるのであれば、スターリンの犯罪を告発するということは、われわれの学説の要素である自己批判と分析へわれわれを立ち返らせ、このような怖るべき事態が二度とくり返されぬように、そのために必要な武器をわれわれに与えたのである……」

 スターリン問題で深刻な苦悩を経験したネルーダもアラゴンも、こんにちのソヴェト連邦とソヴェト共産党の崩壊を見ることなく、この世を去ってしまった。彼らがこんにちの崩壊の状況を知ったら、どんな感概をおぼえたことだろう。
(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)


わたしがつぶやく


 ところで一九六五年の春、チリ大地震によってヴァルパライソにあったネルーダの家「ラ・セバスティアナ」が崩壊した。これを機会にアラゴンは「パプロ・ネルーダへの悲歌』を書き、そのなかでこの「怠け者」にたいして「わたしがつぶやく」という返歌を書いている。

 わが友パブロよ きみはあの心うずかせる言葉で語った
   おのずからなる奇妙な言葉で
 「あるのはただ苦しみの世界 血まみれの世界ばかり
   どんなに遠く行っても なんにも変わりはしない」と

 さんざしの刺(とげ)のように 苦い痛みの叫びをあげさせる
   あの苦しみを わたしもなめつくした
 すべての言葉 すべての叫び すべての足跡に過ちがあり
   そこに魂は ふとおのれの姿をみいだすのだ

 わが友パブロよ われらはこのあやふやな世紀の人間だ
   屋根組をしっかり支えるものとては 何もない
 空の高みに 白みかけた朝を見たと思ったら
   それは 遠くの自動車(くるま)のへッドライトなのだ

 われらは 太陽をふところにいれて歩く夜の人間だ
   太陽は われらの身の奥でわれらを焼くのだ
 もう闇のなかを おのれの膝も分からぬほど歩いたのに
   来たるべき世界にはまだ たどりつけぬ

 ほんとに こんな酷(むご)い風景に甘んじていられるのだろうか
   生とは せいぜい生き永らえることらしく
 われらは せいぜい黄金だと思って銅を歌った
   魔法を失った魔法使いででもあったのか

 アラゴンのこの「つぶやき」には、絶望的な調子、幻滅、苦渋、嘆きがみち溢れている。アラゴン自身がこの詩についてこう書いている。
 「一九六五年の春、チリを襲った大地震は太平洋岸のネルーダの家を破壊した……その機会にアラゴンはその友人に語りかけ、チリの詩人の詩に彼じしんの詩をまぜ合わせた……そのとき、作者は苦にがしい嘆きをぶちまけずにはいられなかった。その嘆きによって、詩人たちを裏切った大地そのものが告発されたのだ……こうして作者ともうひとりの詩人とのあいだの嘆きの詩が、分かちあった苦(にが)い果実のように出来あがった……」
 「詩人たちを裏切った大地……」という表現は、一九五六年二月のソヴェト共産党第二○回大会におけるフルシチョフの「スターリン批判」によって始まった非スターリン化の状況、その中での共産党員知識人・芸術家の苦悩、絶望、自己批判、再出発などの精神的状況を指さしている。むろんネルーダもまたこの悲劇的な状況のなかに投げこまれたのだった。
(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

夕空



怠け者


『とりとめのない放浪』

 『とりとめのない放浪』は一九五八年に出版された。詩人は、自分の思い出、経験、旅行など──いわば大地から大地への放浪を打明ける。詩人は疲れることなく事物に語りかけ、動くものと動かないもの、生きて変るものと変らなものとを統一しようとする。こうして人間実存の本質に迫ろうとする点で、これは哲学的な詩集であると言えよう。ここには、人類が初めて月面に到達した、宇宙探査を反映した詩がみだされる。「怠け者」という詩がそれである。

  怠け者

 金属の物体は
 星のあいだを飛びつづけるだろう
 人間たちはふらふらになって登ってゆき
 優しい月に侵入し
 そこに薬局を建てるだろう

 いまは葡萄のとりいれのまっさかり
 わが国では 葡萄酒(さけ)が流れはじめる
 アンデスの山なみと海のあいだに
 わがチリでは 桜んぼが踊り
 素朴な小娘たちが歌をうたい
 ギターのうえに涙がひかる

 わたしの家には 海も陸(おか)もある
 妻は 森のはしばみの実の色をした
 でっかい眼をしている
 夜がやってくると 海は
 白と緑を 身にまとい
 月は 泡のうえで
 海の婚約者(いいなずけ)の夢をみる

 どうして星を変えることがあろう

 ここには、ネルーダらしい楽天主義に溢れたユーモアによる、宇宙探検への風刺を読みとることができる。
(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

夕暮れ





ムリエタ


ムリエタ



子供


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スライド構成「詩人パブロ・ネルーダの生涯」より「スペイン戦争」


ナレーション 阿部百合子 1974年7月17日 ネルーダ生誕70周年記念チリ人民連帯の夕にて

 ……
 ネルーダはこの時代を回想してこう書いた。
「わたしはマドリードで、生涯のもっとも重大な時期をすごした。われわれはみな、ファシズムにたいする偉大なレジスタンスに魅(ひ)きつけられていた。それがスペイン戦争だった。
 この体験は、わたしにとって何か体験以上のものであった。スペイン戦争の前、わたしは多くの共和派の詩人たちを知っていた。共和国は、スペインにおける文化、文学、芸術のルネッサンスであった。フェデリーコ・ガルシーア・ロルカは、このスペイン史上もっとも輝かしい政治的世代の象徴であった。これらの人間を物理的に破壊するということは、わたしにとって怖るべきドラマであった。こうしてわたしの古い生活はマドリードで終わった……」
(『ネルーダ最後の詩集』解説)

スペイン戦争
 帰国

 スペイン人民戦線を支援したという理由で、ネルーダを領事から解任したチリ政府は、一年後の選挙の結果、チリ人民戦線公認候補アギレ・セルダが大統領となる。新しい政府はスペイン人民戦線の亡命者たちをチリに受け入れることを決定し、その任務をネルーダに託した。かれは数千人の亡命者を乗船させ、一九三九年の終り、フランス船「ウィニペッグ」号でチリに到着する。ネルーダも帰国する。のちにかれはつぎのような詩を書く。

   恐らくそのときだわたしが変ったのは

  わたしは祖国に帰ってきた 戦争が
  わたしの眼の下に入れた
  ちがった眼をもって
  ほかの人びとの涙と血にまみれた戦火のなかで
  焼かれた ちがった眼をもって
  そしてわたしは この世の仕組の厳しい奥底を
  さらに深く さらに遠く見つめ見とどけようとした
  ……
  とつぜん さまざまのアメリカの旗が
  わたしの眼に見せつけた
  国ぐにのありのままの領土を
  畑や路上の貧乏な人びとを
  おびえた農民や死んだインディオたちを
  それから 銅や石炭の出る鉱山の
  地獄のような巨大な坑道を
  しかし もろもろの共和国の内部では
  それがすべてではなかった
  上の方には 大仰にも
  尊大にふんぞり返った冷酷な男が
  犠牲者たちの血に汚れた
  たくさんの勲章を胸に飾っていた
  また上流のクラブの紳士どもは
  優雅な暮らしの羽根のなかを
  もの思わしげに往き来していた
  その一方 しがない哀れな天使や
  つぎはぎだらけのぼろを着た哀れな男は
  石から石へと歩いてきたし いまもまだ
  裸足で 空きっ腹をかかえて歩いているのだ
  彼はどうしたら生き残れるのか だれも知らない   (『イスラ・ネグラの思い出』)

(この章おわり)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

ジーンズ