アラゴンとエルザ

ここでは、「アラゴンとエルザ」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


  ひとつの国民詩のために

アランよ きみは息つくひまもない 
八月のさなかに 見かける雪で
どこからともなく 降ってくる雪で
羊の群から飛び散る 羊毛のように 
鯨が吹きあげる 潮(しお)しぶきのように

きみはわたしに思い出させるのだ きみの名によく似た あのベルトラン・ド・ボルン(1)と名のった 人を

アラン・ボルヌよ きみの詩はまるで 
あの遠いむかしの 国にも似ている
えりぬきの娘たちが 待っているのだ 
一角獣(2)のいた 美しい時代のように
ベルトラン・ド・ボルンが歌ってくれるのを

生き甲斐と愛し甲斐とを 愛し甲斐と愛に殉ずる死に甲斐とを 歌ってくれるのを そのことを忘れないでくれ

ベルトランは シェへラザードにもまして
時をかせぐ すベてを知っていた
次第に若者たちは 立ち上ってゆく
どうして心くじかれてなどいられよう 
ほかの人たちが 十字軍に出かけてゆくのに

わが金髪の愛人が チール(3)ではなくてフランスにいる時 しかもサルタンが枕を高くして安穏と暮らしている時

わが秋の 霜のおりた巻毛のなかに
うっくしかった わたしの夏を失っても 
もう かまわぬ 忘却の河 レテの河水(4)は 
愛の注いだ 血の味をたたえているのだ
そして接吻(くちづけ)(5)は いつもわたしの心をゆさぶるのだ

口の中で描きながら 描き終らぬ前に 崩れてしまった 金いろの輝かしい面影どうように
だがまさに 電が降ったそのとき
ベルトランのうたう歌声が聞こえたのだ
その危険は また別種のものだった
それともあれは きりぎりすの歌だったのか
フランスは 石蹴り遊びの夜ではないのだ

小石をほかの流れに蹴りやるように わが人民とわが心とを天国から地獄 へ突き落とすとは

生き甲斐と 愛し甲斐とは
うつろう季節のように 変わるのだ
われらがいま酔っている 青い言葉も
いっか われらを酔わせなくなる
フリュートもラッパの音に消されてしまう

ああ 茫洋としたわれらの地平線の その広さにふさわしい調ベが 戦いの中から湧き起こるだろうか

不幸は フランドルでわたしを捉え
ルーシオンまで 胸をしめつけて離れぬ
戦火をくぐり抜けて われらは叫ぶ
われらの歌を 火とかげの歌を
だが誰が この叫びをまた叫んでくれよう

死んだ人たちにも 生きてる人たちにも声をあげさせ 灰の中から火を掘りおこし そこに蟋蟀(こおろぎ)をとき放とう

大地も しゃベる舌をもつがいい
壁も 舗道も くちびるをもつがいい
みんなが話せ 語れ よく知ってる君たち
恐ろしい秘密を見とどけた 君たち
血は 黙りこんでいることを許さぬのだ

ついにフランスが その長い珠数をつまぐって すさまじいパーテルの祈りを すさまじいアベ・マリアの 祈りをあげてくれるように

波のなかに ひそんでいる海獣が
雑木林のなかを うろつく狼が
その序曲をきいて 身ぶるいした
歌手たち 鼻をふくらませて高く歌え
アレキザンドルの調ベで

一本の草の芽もひとつの息吹きも 一瞬のためらいもなく その胸の「ハ音」を祖国にささげねばならぬ

アランよ きみは息つくひまもない
八月のさなかに 見かける雪で
どこからともなく 降ってくる雪で
羊の群から飛び散る 羊毛のように
鯨が吹きあげる 潮しぶきのように

きみは わたしに思い出させるのだ きみの名によく似た あのベルトラン・ド・ボルンと名のった詩人を

(1) ベルトラン・ド・ボルン──十二世紀の有名な吟遊詩人たちのひとり。
(2) 一角獣──神話の怪獣。からだは馬で、頭は鹿だが角は一本しかない。
(3) チール──フェニキアの都。三世紀頃、アレキサンダー大王の軍勢に包囲されたが、抗戦したことで有名。 
(4) レテの河──ギリシア神話にある冥界の河。
(5) 口吻──ここでは、祖国へのくちづけの意味で、愛国者たちの献身的な犠牲の意味がこめられている。

(この項おわり)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

花々

 五月の夜

妖怪(1)どもは わたしの通った道を見張っていた
だが 野に立ちこめた深い霧が その警戒の眼を遮った
夜は 軽やかな足どりで 野のうえにやってきた
そこでわれらは ラ・バッセ(2)の城壁を後にした

百姓家の火が 人影もない野の奥で燃えている
溝の草の茂みに ひっそりとうずくまった
飛行機が一機 念仏のような唸りをあげて飛び
アブラン・サン・ナゼール(3)の上空で ロケット砲がその翼を揺る

うろつく妖怪どもは 足どりももうめちゃくちゃだ
同じ処をぐるぐる廻って 頭もふらふらしている
恐怖の羽根飾り(4)が 地平線にせり上る
戦車にふみにじられた アラース(5)の家々の上に

わたしは見る 二つの大戦が出会い重なりあうのを
見るがいい この共同墓地を あの殉難の丘を
ここでは夜が 墓の中の孤児たちの夜に重なりあう
むかしの亡霊が きょうの亡霊といっしょになる

おれたちは花環もない草の中で どんなに夢みたことか
地上を 自分の墓穴を 墓碑銘のない日附と名前を
だからおれたちは おまえらの神話(6)の中に生き返えってやろう
もう古戦場案内人の 歯の浮くような声もきこえてはこぬ

二十年たっても死にきれぬ ビミイ(7)の蒼い幽霊たち
おれは 夜明けへ通ずる道だ 突破口だ
尖塔のまわりを廻わる風見だ そしておれは危険に身をさらすのだ 
「眠れぬ者たち」「死にきれぬ者たち」よ 君らのさまよう場所で

思い出のパノラマよ 苦しむのは もうたくさんだ
あれは終ったのだ 静かにお休み だが再びとどろく大砲に向って
君らの誰かは反対(ノン)と叫んだ このえせトリアノン宮殿(8)は
白い十字架と緑の芝生を敷きつめても まさしく殉難の丘なのだ

もしも怒りに身を震わせるなら 生者も死者もおんなじだ
生きていても寝床で眠ってる者は 死者と変りがない
こよいは 生きてる者が その墓穴から這い出し
眼をさました死者たちが 身を震わせて生者のまねをするのだ

かつてこんなに敵意にみちた夜があったろうか
ミュッセ(9)よ 君の美神と執念とは何処へ行ってしまったのか
どこかに えにしだの香りがただよっている
いまはまさに 一九四○年の 「五月」の夜なのだ

(1) 妖怪──ドイツ軍を指す。
(2) ラ・バッセ──フランスのノール県の町。ラ・バッセ運河の中心点。
(3) アブラン・サン・ナゼール──ノール県の南境に近い、パ・ド・カレー県の町。
(4) 恐怖の羽根飾り──フランス軍(連合軍をふくめて)の軍帽の羽根飾りが地平線にちらちら見えるの意。つまりそれはドイツ軍にとって恐怖を意味していた。
(5) アラース──パ・ド・カレ県の町。第一次大戦でドイツ軍の砲撃によって破壊されたが、ドイツ軍はついに占領することができなかった。
(6) おまえらの神話──ナチの神話。ここでは、その神話によってひき起した第二次大戦そのものを指す。
(7) ビミイ──アラースの北にある町。第一次大戦の激戦地。
(8) トリアノン宮殿──ルイ十四世によってヴェルサイユに建てられた豪華で有名な宮殿。
(9) ミュッセ──十九世紀のフランスの詩人。詩集『夜々』の詩人として、ここで暗喩的に用いている。

(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

夕やけ



六 エルザ・ワルツ

どこへ行くのか もの想いよ どこへ行くのか強情なものよ
スフィンクスは じっと 燃える砂のうえに膝まずき
「勝利の女神」は 身じろぎもせず 色褪せて
  石壁のなかに 閉じ込められ
古代のはしけから 飛び立つこともかなわぬ

なんと心魅く 魔法のような 未知のワルツが
狂おしい思いのように いやおうなしに おれを捉えることか 
おれは足もとに感じる この痛ましい時代の ながれ行くのを
  エルザよ この音楽は何んだろう 
もう踊っているのはおれではない 足もただ誘われるまま

このワルツは ソーミュールの葡萄酒にも似た 一杯の酒 
このワルツは おまえの腕の中で 飲みほした あの酒だ 
おまえの髪は 金色に輝やき おれの歌は 顫え高鳴る 
  さあ このワルツを踊ろう 壁をとび越えるように 
おまえの名がつぶやかれる エルザは踊り 踊りつづける

ワルツの中に 青春がきらめく おれたちの若い日は 短かかった 
泣いたことを まぎらわしに おれたちは モンマルトルへ行った 
おれたちの夜は あの小窓の 秘密も 失くしてしまった 
  しかも 愛までも忘れてしまったというのか 
あんなに重い愛までも エルザは踊り 踊りつづける
 
それから人生は 夢のかかとで ぐるっと廻った
おれは多くの友を失った ある者は目先の富籤(とみくじ)を引いた
眠りながら 海綿への愛などを語ったものもいた
  暗闇に蝕まれた 奇妙な連中
誤ちだらけのほら吹きたちが 英雄たちをあざ笑っていた

覚えているか お白粉をつけた つややかなネグロ女が 
ま夜なかに おれたちのために 歌ってくれた あの歌を
夜明け前に 家に帰って おれたちは ひと息いれた 
  そんな夜夜が 飛ぶように過ぎ去った
おお 怒ることもなかった時代よ エルザは踊る 踊りつづける

月賦で 買った タイプライターの おかげで 
おれたちは 毎月 ひどい 苦労をした 
愛するにも 金が要るのに おれたちは 一文なしだった
  おれの気遣いは おまえが微笑んでくれることだった 
だからおれには言えたのだ エルザは踊る 踊りつづけると

それから人生は 硝子のかかとで ぐるっと廻った 
運命のジプシー楽師は ヴァイオリンを替えた
おれたちは きびしい世界をよぎって 旅をした 
  世界は 頭をのけぞらせて 
陽気なアコーデオンにまじえて 息苦しげな呻めきを挙げていた

おまえは 町と夜のために 宝石をつくった 
おまえの手の オペラの中で すべてが廻って 頸飾りになった 
ぼろの 小ぎれや こわれた鏡の かけらなどが 
  後光のように美しい 頸飾りになった 
信じられぬほどに美しい頸飾り エルザは踊る 踊りつづける

おれは売りに行った ニューヨークの商人へ それから 
べルリンや リオや ミラノや アンカラの商人へ 
おまえの指が 砂金を採るように がらくたから作った その宝石を 
  花花にも似て おまえの色を帯びた 
その小石たちを エルザは踊る 踊りつづける

それから人生は 激動のかかとで ぐるっと廻った
閃めく稲妻が ネオンサインを さっとよぎった
黒雲の馬どもが 嵐の馬車を曳きまわし
  いななき叫ぶ声が 聞こえた
ジャズは アコーデオンを 太鼓に替えた

つぎに来る者は もう思うままには 踊れまい 
シーザーが 金狼の群を 野に放って 君らを喰い散らす時 
だが ラザロの墓の上に 湧き上るのは 何んの歌だろう
  おまえに聞こえるか あの時ならぬリズムが 
一か八かの舞踏会で エルザは踊る 踊りつづける

荒れ狂う嵐と 運命のなかを おれたちは よぎってきた 
地獄は 地上にあるのだ そして天国も 地上に落ちてくるだろう
だがいまや 恐怖のあとに あけぼのが やってくる
  そうして愛は 死に打ち勝つのだ
エルザはまだ踊っている エルザは踊る 踊りつづける

そして生活は 藁のかかとで ぐるっと廻った
君たちはその眼を見たか それは子供の眼だ
大地は戦さのない ひとつの太陽を生みだすだろう
  戦争は 終らねばならぬ
だが 勝利者として出てくるのは 人間でなければならぬ

わが愛の名はただひとつ その名は若き希望
おれはそこから いつも新しい交響楽を聞きとるのだ 
  そして苦しみのどん底で それを聞きとる君たち
  眼を上げよ フランスのよき息子たち
わが愛の名はただひとつ おれの讃歌は終わる

(1) おまえの手のオペラの中で──エルザはその頃のことをこう書いている。「ああ、こうして生活は困難になり、わたしたちの生活の手だては一挙に崩れさった。そこでわたしは、高級装師店向きの頸師りを作ることを思いついた。それをあなた(アラゴン)は貿易商のところへ売りに行った……」(『交錯小説集』一巻序文)

(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

彫像


五 ランセの眼なざし

ランプのまわりにむらがって 羽音をたてる蚊の群が
炎につれて渦巻きながら 天井へと昇ってゆくように
不幸のどん底より この讃歌はふたたび始まり
  この世ならぬ ファンダンゴ踊り(*1)の狂う中
ひとつの合唱 わき起こり おまえの声に答える

すべての恋びとたちは この人生を信じたように
彼らはまた ただ一つの愛だけを抱いていたのだ
あの匕首や 流刑や また絞首台などが
  ちょうど詩を終らせる 最後の詩句のように
彼らの狂わんばかりの心に とどめを刺す時まで

もしも 情熱の偉大さや 伝説や その不滅の思い出が
死を賭けた 情熱の挫折に 由来するとすれば
殉難者が倒れた日こそは 彼のための祭り日だ
  そうすれば 情熱の曲線は完成するだろう
いちども 乳を飲ませたことのない 乳房のように

いつも おんなじ言葉が 愛の歌の終りを告げる
ちょうど おんなじ言葉で それが始ったように
おんなじ眼のかぐろい隈(くま)が はてしない苦悩を語っているのだ
  かつては それが狂おしい愛を告げたように
そうしてランセの物語こそは 永遠の物語なのだ

彼はもう思い浮べる あのモンパゾン公爵夫人の
長い髪と優しい眼を かの女の姿が見えるようだ
声もきこえる 少なくとも聞こえるような気がするのだ
  いつもお待ちしていましたのよ と嘆く声が
そうしてかの女は 気も遠くなる裸(あら)わな腕を差しのべる

忍(しの)び梯子をのぼって 扉をあければ もう寝室だ
思いはやる指で カーテンもまだ引き終らずに
彼はその眼で見たのだ 断末魔の苦しみで
  紫いろになった眼を 朽葉色の巻き毛を 口を
銀の盆のうえの 切り落された首を

薔薇の花ばなをひき裂く こころない外科医たち
美しい肉体の横たわる 深いべッドのまわりで
死体に香をぬる者どもが 解剖学を論じている
  そこに 恋に身を焼く 恋人はすがりつく
大きなパンのそばの ちぎった白いパン屑のように

いまや ランセは 修道院へと消えさるがいい
われらにとって大事なのは この瞬間だけだ
胸もはりさけんばかりの 嘆き悲しみをこめて
  彼が 恋人に投げた あの眼(ま)なざしだけだ
盗んだ天の火は そこに 永遠に燃えているのだ

部屋の戸口に立った時の ランセのあの瞬間を
とある夜 漠然と経験しなかったものがあろうか
十二月のような凍りつく身震いが 自分の身ぬちと心の中を
  走りぬけるのを 感じなかったものがあろうか
自分はほんとに愛していたのか それとも夢でもみていたのか

ある夜 おれはもう おまえを失うかと思った
消えうせた幸福の名残りを おれは鏡の中に読んだ
ここにおまえは坐っていた ここがおまえの席だったと
  では おまえはそんなに生活に疲れていたのか
街をゆくひとの 吹き鳴らす口笛が 聞こえていた

ある夜 もうおまえを失うかと思った その夜からおれは
奇跡がつづくようにと 悲壮な希望を抱きつづけているのだ
しかし 恐怖は刺(とげ)のように おれに突きささる
  おまえの手首を握っていると それだけ
おまえの血の逃げてゆくのが遅れるような気がするのだ

ある夜 もうおまえを失うかと思った わが不滅のエルザよ
その大きな眼が 星のように輝やいた 聖金曜日の夜
あの不吉な夜は どうしてもおれから消えぬのだ
  死にもまた生のように あの酔いごこちにも似た
魅力があるのか おお わが美酒あふれる酒盃(さかづき)よ

消えては現われる悪夢 つきまとう恐ろしい思い出は
おれの心に 二人の地下生活を 思い起こさせる
ほかの夜夜とほかの恐怖とが こだまのように
  それに声を合わせて 鳴りどよもしてくる
それは 歌ってはならぬ小唄の リフレーンなのだ

ひき裂かれた美しい肉体(からだ)が 家に横たわっていた
低くすすり泣く声が 壕(ごう)の中から聞こえていた
香を塗る者どもの 高い話し声が聞こえていた
  わが祖国よ おまえは死なねばならぬのか
そしてすべての人民が あのランセの眼なざしをしていた

生き抜いてくれ おれたちはいま狩から帰ったばかりだ
家じゅうを埋めたすすり泣きは もうたくさんだ
だがそれも促していたのだ おれたちの手で おまえを揺り起こせと
  おお すでに聖体櫃(ひつ)に収まった聖女よ
どうか おれから遠ざけてくれ 「悪魔(デーモン)」(3)を 「類推」を

おれがこの胸に 狐のように隠している 喪(も)の悲しみ
そんなものは 当節 流行(はや)らないと 言いたければ言うがいい
おれの歌の意味が 知れわたってもかまわない
  いまは 斧が支配しているご時勢だから
いったい 君たちは理性の名で 何んと言ったのか

(1)ランセ──Aramand Rancé(一六二二〜一七○○)宗教改革家。恋人モンパゾン公爵夫人の死後、修道院にこもる。-
(2)ファンダンゴ踊り──ギターとカスターネットを伴奏とする、情熱的なスペイン舞踊。ナチと売国奴たちの狂暴さを指す。
(3)悪魔を 類推を──象徴派の詩人マラルメの言葉である「類推の魔」をもじったもの。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

エーデルワイス


エルザは言う1
エルザは言う2
エルザは言う3
エルザは言う4


(*1) わたしが望んだほど難解ではない……──当時、ナチの検閲の眼をくらますために、できるだけ彼らにわからないような詩が要求されていた。
(*2) イゾルデやヴィヴィアンヌやエスクラルモンド──中世の悲恋物語の主人公たち。 
(*3) 澄みきった空──ドイツの空軍機の飛ばない空を意味している。
(*4) 万雷の交響楽──ナチの暴虐を指す。

(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

赤と黄色



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 三 星座

エルザになら どんな言葉も大げさすぎはしない
おれは夢みるのだ 雲の衣(ころも)に包まれたエルザを
そんなかの女を見たら 翼をもった天使たちも 
  宝石ちりばめた燕たちも ねたみ うらやむだろう 
地上では 花花が 身の置き場もないと思うだろう 

おれは 硝子と くまつづらとで 詩を編もう 
人形師が妖精をつくるように 脚韻をふもう
また風のような吟遊詩人らしく 感興のおもむくままに
  緑のからす麦をぶちまけて 詩節をよせ集めよう
そうして この戦利品を おまえにささげよう

詩はふくれて おれを巻き込み 過を巻く
このセントローレンス河(*1)は 隣のナイヤガラへと流れこむ
溺れた者の 救いを求める鐘の音が鳴りひびく 
  母獅子を 呼ぶ 子獅子のように
おれはもう地上のことも 我慢つよい葡萄のことも忘れてしまう

いまや 空はひらけて 讃歌の湧きあがる国
おまえのうつくしい手から 雪のように光が降る
ひとを眠らせる クロロフォルムの指をしたおれの星よ
  どうしておれを 眠りこませようとするのか
ことあるごとに近よるおれを おまえは遠ざけるみたいだ

おまえの手を こんなに愛するおれが いままで 
その手について何も歌わなかったとは どうしたことか
いくたびおれは その手を握りしめて 暖めたことか
  あの地獄で 二人が凍(こご)え ふるえていたとき
おお 春を約束する おれのこころの桜草よ

すばらしいおまえの手を ほかの人たちも夢みた 
極楽鳥のように奔放で しなやかなその白い手を 
おれは 嫉妬ぶかく 後生大事に守ってきたのだ 
  秋も 夏も 春も 冬も ながいこと 
おまえの手を 何も歌えなかったほどに 愛してきたのだ

この手の秘めてる秘密は おれたちの時代を越えて 
恋人たちを導き 彼らはおれたちのことを語りあうだろう 
だが 嵐を知らぬ者に うつくしい太陽が何んだろう
  砂漠がなければ 歴気楼が何んだろう 
敗れて膝まずく時 ひとは偉大な祖国に気づくのだ

人間嫌いになるようなこの時代の 名づけようもない悲惨さに 
おれはおれたちの愛を結びつけよう おれたちの甥たちが
その愛の光に ひまわりのような眼を向けて
  ヨーロッパの夜を よく知ってくれるように 
おまえの風になびく髪のように 燃えあがる火明りで 

現代のへラクゥラヌゥム(*2)の都の 災禍(わざわい)にみちた空の中に
 燃える 菜の花畑のような ふさふさとした髪を
 おれは 最初に記録し 最初に 名づける
  天文家たちが きのうまで知らなかった
おまえの星座を 「エルザの髪座」と

おまえを捕えようと 星占い師(*3)たちは 星座表を見て
すっかりめんくらい おずおずと占うだろう
急(せ)きたてられる 空のおべっか使いどもは
  忠勤をはげもうと布告(ふれ)をだす 「一番乗りの栄冠は
最初の猟犬にとらせるぞ 運のいい兵士でもかまわない」

希望の空港よ おまえの誘導燈にみちびかれて いま着陸する
彼らの十二宮の間を 追いまわされてきた運命は
そうして われら二人の新紀元(*4)の新しい年が
  美しいオートジャイロのように せり上がる
牢獄(わびずまい)を暖めようと おまえが焚く火のほむらのなかに

*1 セントローレンス河──カナダの河。ここでは、ふくれあがった詩想の流れを河の流れにたとえ、詩想にゆきづまると、隣のナイヤガラ つまり隣室のエルザに助けを求めにゆくことを歌っている。
*2 へラクゥラヌゥム──イタリアの町。でんデツによれば、ヘラクレスによって創られたといわれる。紀元七九年、ベスビヤス火山の噴火によって、廃墟となる。
*3 星占い師たち──ナチとその手先の官憲を指している。
*4 新紀元──アラゴンが動員解除によって、戦線から帰えり、ふたたび二人の新しい生活が始まったことを指している。

(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

軽井沢



美女1


美女2



*1 シャリアール──『千一夜物語』のなかの暴君。夜ごとひとりの娘をはべらせ、恋物語をさせては、朝になると、部下に命じて処刑させた。ここではヒトラーを指している。
*2 「愛の物語りひとくだり」──註1を参照。ここでは、ナチの官憲を前にした、愛国者たちの祖国愛の陳述を意味している。
*3 「あの影も形もない」──「抗戦(レジスタンス)で倒れていった英雄たちが、その英雄的な死によって抵抗運動を鼓舞したことを想起されたい。 
*4 「南」の海──一九四○年、フランスの三分の二がドイツ軍に占領されたが、ロアール河以南の地は「自由地帯」として残された。「南」の海とは、この自由地帯を指している。 
*5 「ハラルの砂漢」──『地獄の季節』で有名な、フランス十九世紀末の天才詩人ランボオが、十九歳で 詩筆を投げすてて、フランスから脱け出して、行ったところ。アビシニァ──こんにちのエチオピアの都ハラル。 
*6 バミューダの島──大西洋の小さな島。 
*7 「フランチェスカとパオロ」──ダンテの『神曲』の『地獄篇』に歌われている、フランチェスカ・ダ・リミーニはランチオット・マラテスタの妻。義弟のパオロ・マラテスタと恋に落ちて、ともに処刑される。 
*8 ランスロット──中世の騎士道物語である『アーサ王の円卓騎士』の主要人物・王妃ギニヴィアに愛をささげ、純愛と忠誠を兼ねた騎士道精神の理想像として描かれている。
*9 リミーニ──註7を参照。イタリアの町。フランチェスカは、リミーニのフランチェスカと呼ばれた。
*10 べレニス──ユダヤのへロデ王の王女。ティトウスは彼女を妻にしようと思い、ローマに連れてくるが、ローマ人たちに反対されて、送りかえさねばならなかった。
*11 べロナ──ロメオとジュリエットの悲恋の、北イタリアの町。ロメオとジュリエットは、一つの墓に葬られる。
*12 エレーヌ──十六世紀のフランスの詩人ロンサールに霊感を与えた愛人エレーヌを指すものと思われる。
*13 ラウル──美女ラウルと呼ばれ、ペトラルカの詩に歌われている。 
*14 エルビル──ラマルチィヌが『瞑想集』のなかで歌っている美女。 
*15 マリアの月──聖母マリアを記念する月──五月
*16 コルドパ──スペインの町。

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

フルート


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オーボエ


(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

ピアノ


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    獅子王リチャード

  なんとこの世は わしらの閉じ込められておる
  フランスは トゥールの兵舎にそっくりだ
  外敵が うまごやしの牧場を踏み荒らし
  なんときょう一日の 長いことか

  ただじっと 時の経(た)つのを数えていなければならぬのか
  かつて憎んだことのないわしが ひとを憎み 
  流れる時を じっと数えていなければならぬのか 
  もうわが家は 心のなかにさえありはせぬ 
  おお わしの国よ これでもわしの国だというのか

  このわしには 見やることもならぬのだ 
  ご法度の文句を 空でささやく燕が姿も 
  あの老いぼれの 不忠な雲めが むかしの夢を 
  投げ捨てて 国境越しに流れてゆくその姿も

  わしは思いのたけを 口に出してもならぬ 
  大好きなあの歌を 口ずさんでもならぬのだ 
  輝やいてる太陽を 悪い天気のように怖れ 
  沈黙にさえ びくびくせねばならぬのだ

  あのやからは権力で わしらは数字に過ぎぬ 
  苦しみに喘(あえ)ぐ君らよ わしらは同類なのだ
  いくら夜を暗くしても むだというものだ 
  囚われの身でも 歌のひとつは作れるわい

  その歌は 清水のように清らかな歌 
  昔のパンのように まじりけのないやつ
  それは 秩桶(まぐさおけ)の上に高らかに湧き上って 
  牧童たちが聞きつけずにはいられぬのだ

  羊飼いも 舟乗りも 牧師たちも 
  車引きも 学者先生も 肉屋たちも 
  言葉の手品師や ぺてん師の絵描きたちも 
  日ぐれの市場にむらがる 女たちも 

  商売(あきない)をする連中も 貿易商人たちも 
  鉄をつくる労働者も 布を織る織工たちも 
  電柱によじのぼる電工も まっ黒な坑夫たちも 
  みんな その歌を聞きつけるだろう

  フランス人はみな ブロンデルそっくりだ 
  その名は みんな ちがっていようと 
  自由を求める心は 翼の音のようにひそかに 
  獅子王リチャードの歌に 答えるのだ

さて、『エルザの眼』の最後を飾っているのは、大きな組詩『エルザへの讃歌』である。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

オーボエ

 一九四一年、ジョルジュ・デュダックが、ニースに住んでいるアラゴンをたずねてくる。そうして、パリへ行って党の指導部と連絡をとるようにと伝える。六月二十三日、アラゴン夫妻とデュダックは、被占領地帯と自由地帯との境界線を越える。ちょうどその前夜、ヒトラーのソヴィエト攻撃が開始されていたので、警戒は厳重をきわめていた。運わるく、彼らは三人とも、ドイツ軍のパトロール隊につかまって、トゥール市の騎兵隊の兵営に拘留される。正規の身分証明書をもっていたのにも拘らず、十日間も引き留められる。彼らは、南仏から来たのではなく、パリから来たのだと主張して釈放され、パリへ「もどされる」ことになる。そのうえ、父親が病気だという口実で、パリへ行ってニースに帰える通行証まで手に入れる。この監禁中にアラゴンは「獅子王リチャード」を書く。

 かれらがパリに着くと、エリュアールが駅で待っていた。アラゴンとエリュアールは、一九三三年の訣別いらい会っていなかった。その頃、エリュアールは入党したばかりであった。そういうわけで、エリュアールは妻のヌーシュとともに、アラゴン夫妻を迎えにきていたのである。エリュアールはエルザに花束を贈り、ヌーシュは手作りのパイをアラゴンに贈る……

  エリュアールの花束の なんと心うったことか
  パリ・リヨン・地中海線の駅で

  ここで兄弟がまた手を結んだのだ
  あんなに長いこと別れていた兄弟が……
                       (『眼と記憶』)
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

エリュアール
ピカソ「エリュアールの肖像」

 アラゴンは、この詩の冒頭で、ドリュ・ラ・ロシェルに毒舌を返えしている。「おれが呼吸をしていると、ある連中の生きる邪魔になり何かの苛責で彼らは夜もおちおち眠れぬのだ」と。そして「そこなる美女」──祖国フランスにたいする愛と熱情をあかし立てるために、国巡(めぐ)りをして、地方地方の美しさや、歴史や歴史的人物を喚び起こしている。そこには『ローランの歌』のローランが祖国のために戦死したロンスボーの峠があり、一七九二年のパリ・コミューンの義勇軍による勝利の地マルヌ(ヴァルミ)がある。
 この国巡りという歌いぶりは、後の『フランスの起床ラッパ』のなかの『百の村の出征兵』にも見出される。

  アルルから吹いてくる風には 夢がある
  その夢は 私の心そのものだから声高くは語れぬのだ
  オニスや サントンジュの黄ばんだ沼地を
  侵略者どもの 戦車の轍が踏みにじっているとき

 このくだりは、一九三七年十二月の、フランス共産党アルル大会を暗に歌って、アラゴンは同志たちに想いを馳せている。この大会では、「世界におけるフランスの高貴な使命を忠実に守ろう」と呼びかけたモーリス・トレーズの報告が採択されたのだった。そうして、この詩を読んだ多くの同志たちは、大会を思い出して、アラゴンに手紙を書いたのである。

 一九四三年の始め、ド・ゴール将軍は、「涙よりも美しき美女(ひと)」の数行を、アルジェ放送を通じて朗読することになるが、この詩は、きわめて興味ぶかい事情によって、北アフリカで合法的に発表されたのである。
 一九四二年、チュニジア総督、エスデヴァ提督は、独仏休戦条約におけるドイツ側の大きな権限に不満で、自分の新聞で腕曲に「愛国心を喚起する」方法を探していた。愛国主義は、対独協力派やヴィシー派の作家たちの間では殆んど見当らなかったので、提督はついにアラゴンに書かせることになった。提督の使者が、ニースにアラゴンを訪ねてきて、週一回、いろいろな問題を扱った記事を書くように求めた。非公式とはいえ、その筋からの求めをすげなく拒わるのは、困難でもあり、危険でさえあった。そこでアラゴンは、ドリュ・ラ・ロシェルにたいする反駁として書上げたばかりの「涙よりも美しき美女(ひと)」をチュニスの新聞に発表することにしたのである。
(つづく)

白バラ



    涙よりも美しきもの

  おれが呼吸(いき)をしてると 或る連中の生きる邪魔になり
  何かの苛責で 彼らは夜もおちおち眠れぬのだ
  まるで おれが詩を書けば 笛や太鼓が鳴り出して
  その音で死んだ者までが 眼を覚ますらしいのだ

  君らが おれの詩の中の戦争の響きにいきり立ち
  車軸の異様な叫びが その空にきしんでいても
  それは嵐が オルガンの奏でる天使の声をかき消し
  おれがダンケルクを思い出すからだ 諸君

  いかにも悪趣味だが ほかにやりようがないのだ
  おれたちは いつまでも「北国(メール)」の地酒に酔っばらい
  地獄の炎の火照(ほて)りを ちゃんと胸に受けとめている
  あの悪趣味な連中の まぎれもない仲間なのだ

  おれが愛を語れば きみらはその愛に苛(いら)だち
  いい天気だと書けば 雨降りだと言いたてる
  きみらは言う 「おまえの野には雛菊が多すぎる
  おまえの夜には星が多すぎ おまえの空は青すぎる」と

  外科医が 切り開いた心臓をせんさくするように
  きみらは おれの言葉の中に言いがかりの種(たね)を探すのだ
  おれは「新橋(ポン・ヌーフ)」もルーヴルも失ってしまったのに
  おれに復讐するには それでも足りぬというのだ

  きみらは ひとりの詩人を黙らせることもできる
  空とぶ鳥を 籠の鳥にかえることもできる
  だが フランスを愛する権利を奪いとることは
  きみらにもできぬと 知るがいい

  そこなる美女よ さあ戸口から戸口へと廻って
  おれがおん身を忘れてしまったかどうか 見てくれ
  おんみの眼は 手にした葬いの花束の色そっくりだ
  昔の春は おん身の前掛には花が咲きこぼれていたのに

  おれたちの愛が見せかけで 熱情はまっかなにせものだったのか
  にわかにかき曇るこの空を この額をとくと見てくれ
  ひろい表畑のなかの毒麦を さっと射(い)あてる
  あのボース平野のような深い眼なざしで

  おん身は あの黒パンを焼く石の国で見かける
  石像のような腕をしているはずではないのか
  ジャン・ラシイヌの面影は 優美な完璧さで
  永遠に フェルテ・ミロンに立っているのだ
 
  おん身のみごとな唇に浮かべたランスの微笑み(1)は
  処刑されてゆく聖者や予言者たちが最後に見た
  とあるタぐれの タ焼けの色にも似ており
  髪には シャンパーニュの葡萄を絞(しぼ)る匂いがしている

  モントーパンのアングル(2)もその絵に描いた
  おん身の肩のくぼみで ひと休みしよう
  山山の岩まをくぐり 濾(こ)され練(ね)られた
  美酒のような清水で 長旅の渇きをいやそう

  アヴィニョンの狩人の 手から逃れた牝鹿に
  鼓舞された 槍の穂先のようなあのペトラルカ(3)が
  ラウルを愛したのは おん身に似ていたゆえなのか
  傷ついたおん身のために 今日(きょう)おれたちは血を流す

  呼び起こせ 呼び起こせ 幽霊どもを追い払うため
  燦然と輝やく奇跡を 千と一つのいさおしを
  サン・ジャン・デュ・デゼールからブラントーム(4)の穴倉まで
  ロンスボーの峠(5)から ベルコールの高原まで

  アルルから吹いてくる風には 夢がある
  その夢はおれの心そのものだから 声高くは語れぬのだ
  オニス(6)や サントンジュの黄ばんだ沼地を
  侵略者どもの 戦車の轍(わだち)が踏みにじっているとき

  名を競(きそ)いあう町町や国国の この壮大な腕くらべは
  まさしく花花の美を競いあうにも似ている
  美を競った花花は 王侯たちの恋路に消えたが
  夢とその由来は 遺跡の中に溶けあっている
  おお 空とデュランス(7)の流れを遮(さえぎ)る山脈(やまなみ)よ
  おお 羊飼いたちの 葡萄の色をした大地よ

  フランス王 フランソワの愛(め)でたマノスク(8)の町よ
  その美しさに 王はその名を城壁に書いたのだ

  それに劣らず優しいのに 狂わんばかりのおん身は
  おれがおん身を歌っているのにも気がつかぬのだ
  ノールーズの水門(9)で ちょっと足をとめよう
  ここでおれたちの二つの運命は 二つの海の間でためらう

  いやおん身は 歌い止(や)まぬ歌のように止ろうとはせぬ
  どこへ行かれるのか もうヴァントーの山(10)も過ぎて
  眼下を流れているのはセーヌ河だ そうして
  ラマルティーヌ(11)が マドレーヌ(12)の林檎林(りんごばやし)で夢みている

  女なのか美酒(さけ)なのか 子守歌なのか風景なのか
  誰を愛し何を描いているのか もうおれにもわからない
  あの金色の脚なのか 母の胸のみどり児か
  ブルターニュとその糸杉は まだ老いてはいない

  白い襟飾りのような国で おれの口は所望する
  なみなみと注いだ林橋酒と牛乳を ぐっすり眠れるように
  おお ひっそりとしたノルマンディ おん身のために
  パルミルの廃墟に追われた兵士らは胸痛むだろう

  パリの魅惑は何処(どこ)から始まるのか わからない
  レ・ザンドリのような 血のにじむ名前があるのだ
  風景は身をのけぞらせて おれたちに涙を見せる
  ああ 泣き声など立てないでくれ おれのパリよ

  歌ごえ湧き起こるパリ 怒りに燃え立つパリ
  だが旗は 洗濯場で水びたしになったままだ
  北極星にも似た 光放つ首都パリ だがパリは
  舗道の石畳をひっぺがしてこそ パリなのだ

  おれたちの不幸に呻めくパリ クール・ラ・レイヌのパリ
  ブラン・マントーのパリ 「二月革命」のパリ
  フォブール・サン・タントワーヌからシニレンヌの丘へと
  硝子売りの叫びよりも 胸かきむしるパリよ

  何がおっ始(ぱじ)まるか あの酷(むご)い郊外は早く通り過ぎよう
  また夜明けがくれば 恐らく生命(いのち)が消されよう
  だがロワーズに物語もなく マルヌには歌声もない
  人影もないバロワには もうシルビーもいない

  思い出の銃眼よ ここにおれたちも兵隊で並んでいた
  あやふやな空に向けた 根もない廿才(はたち)の野望よ
  出会ったのは愛ではなく シュマン・デ・ダームだった
  旅びとよ 思い出してくれ あのムーラン・ラフォーを
  巻きあがる砂塵のなかを おんみは歩きつづける
  足のむくまま 国から国へと 辿りつづける
  アルゴンヌの森を通り オー・ド・ムーズの台地へ
  不滅の栄光と 裏切りの悪名とをもつ東方へ

  脱走兵に脚(あし)を折られ 傷ついた小鹿のように
  青い沼の眼は 森の下草を眠らずに見守っている
  スイスに通ずる 亡命者の道でひと休みして
  曼陀羅華の生える クールペの国へと向おう

  失(なく)しちまったアルザスでは ラインが溢れ出すと
  ゆれ騒ぐ枝から 雉子(きじ)がさっと舞い下りる
  ウェルテルは しばしおのれの悩みを忘れようと
  クリスマスには 百姓たちにお慈悲を垂れる

  嵐は ダンケルクからポール・バンドルへと荒れ狂い
  おれたちの愛するすべての声を かき消してしまうのか
  いや 誰にもできぬはずだ 伝説を追いちらし
  エイモンの四人息子から アルデンヌの地を奪いとることは

  いや誰にももぎ取ることはできぬ 世紀から世紀へと
  おれたちの咽喉(のど)から迸(ほとばし)りでた あのフリュートの歌は
  月桂樹は切り倒されても ほかの闘いがある
  陽気でへこたれぬ仲間たちよ そうして薔薇の木の

  茂みの中から 走り去る蹄(ひづめ)の音が聞こえてくる
  止ってくれ す速い者よ ああ 気のせいだったか
  だが希望は 泉の言葉で 夜につぶやきかける
  あれは馬だったのだ いやデュゲスクランだったのだ

  いつか聖なる面影が よみがえりさえすれば
  描き終らぬうちにおれは死んでも かまわぬのだ
  立ち上ろう 若者たち 奮い立とう 娘たち
  わが祖国は飢えて惨(みじ)めだが 愛にみち溢れているのだ

(1) ランスの微笑み──マルヌ県の都市ランスの、十三世紀に建造された有名なカテドラルを指す。
(2) モントーバンのアングル──アングル(一七八○〜一八六七)はモントーバン生れ。フランス古典派の巨匠。
(3) ペトラルカ──(一三○四〜七四)イタリアの大詩人。アヴィニョン在住中、一三二七年聖金曜日(四月六日)美女ラウラにめぐり会い、彼女を歌った詩『カンツォニエーレ』は、彼の傑作となる。
(4) ブラントーム──フランス西南部ドルドーニュ県の町。シャルルマーニュ王によって建てられた教会堂がある。
(5) ロンスボーの峠──フランスとスペインの国境、ピレネー山中の峠。七七八年、シャルルマーニュの軍勢は、バスク人に粉砕され、「ローランの歌」にうたわれたローラン伯爵は戦死する。
(6) オニス、サントンジュ──フランス西南部、太平洋に面した地方名。
(7) デュランス──デュランス川はアルプスを源として、ローヌ河に合流する。
(8) マノスク──南仏バッス・アルプ県の町。
(9) ノールーズの水門──南仏、太平洋と地中海を結ぶミディ運河の要衝。
(10) ヴァントーの山──南仏ヴォークリューズ県、アルピス山系南部に位置する山。
(11) ラマルティーヌ──(一七九○〜一八六九)フランスロマン主義の詩人。『瞑想詩集』で有名。
(12) マドレーヌ──ロアール河とアリエ河の間の高原地帯。ラマルティーヌの生地は、その近くのマコンにある。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

ばら


 『リベラックの教訓』は、リベラックが生んだ中世の吟遊詩人アルノー・ダニエルや、クレチアン・ド・トロワを、博識を駆って論じてはいるが、その真の主題は、一九四〇年における詩人たちとその任務という問題にあることは疑いない。
 『リベラックの教訓』は、一九四一年六月、アルジェで発行されていた「泉(フォンテーン)」誌に掲載された。アラゴンの旧友で、いまやヴィシー派になっているドリュ・ラ・ロシェルは、右翼団体「反共十字軍」の機関紙「民族解放」紙(一九四一年十月十一日付)でこれを取りあげて、「真紅の騎士」とは赤騎兵およびソヴィエト・ロシヤと解すべきだと書いた。これが書かれた一九四一年における主な事件をあげると、

 六月の始め、アルジェの「泉」誌に、「リベラックの教訓」が発表される。
 六月廿二日、ヒトラーがソヴィエト攻撃を開始する。
 七月廿三日、「マルクス主義の宣伝扇動家」は死刑に処するというヴィシー政権の布告。
 九月五日、ドリオは、ドイツ軍の制服をきて、ロシヤ戦線に出発する。
 九月十六日、パリで、十人の人質が銃殺される。
 九月二十日、パリで、十二人の人質の銃殺。その中に、「共産党員官吏」ピタールとアジがふくまれる。
 九月廿二日、ヴィシー政権の軍法会議で、ウーグ、A・ギヨー、カトラ等が、共産主義活動のかどで、死刑を宣告され、後にギロチンにかけられる。
 十月十一日、ドリオ編集の「民族解放」紙上に、ドリュ・ラ・ロシェルのアラゴンに関する記事が、動員中のアラゴンの写真入りで、一頁全段に掲載される。
 十月廿二日、シャトーブリアンにおける五○人の人質の銃殺。これについて、後に、アラゴンは有名な「殉難者たちの証人」を書く。

 こういう情勢のなかで、ドリュ・ラ・ロシェルはこう書く。
 「……ここに、雑誌「泉」四号に発表された『リベラックの教訓』という一文がある。論旨はまことに文学的で、極めて純粋な郷土愛にあふれているかに見える。それは、偉大な詩の時代であったフランス中世への讃美である。……しかし、そこには一つの「しかし」がつく。いや、たくさんの「しかし」がつく。
 アラゴンの激賞するのは、奇妙な中世である。それは、じっさいの中世に全く反するかに見える一つの中世であり、性急な弁証法によるマルクス主義的方法によって捉えられた一つの中世であって、それはすでに中世そのものを飛び越えているのだ。
 ……この気まぐれの愛国主義にとっては、問題は、目的としてのフランスではなくて、手段としてのフランスである。赤い糸で縫いとじられている詩文学雑誌で、アラゴンが、レジスタンスとその強化のためにふり撤いているあの悲憤梗概、祖国の尊厳に注いでいるあの感涙、あの片言の呼びかけなどは、排他的かつ熱狂的な讃美でフランスをほめたたえているかに見えても、けっしてフランスに奉仕するものではない。ここに、この一文の最後の言葉がある。
 <……ねがわくばフランスの詩人たちが……新しい真紅の騎士の立ち現われる日のために準備されんことを。そのとき、閉ざされた芸術の実験室で準備された彼らの言葉は「言葉の一つ一つに法外の重要さを与えながら」すべての人びとに、詩人たち自身にも、明らかになるだろう。そしてそれは、国境を知らぬ、フランスの真の夜明けとなり、その光は空高く染めて、世界の果てからも見えるだろう> たしかに、国境を知らぬこの夜明けは、モスクワから見えるだろう。そしてこの真紅の騎士は、私にはむしろ赤騎兵に見えるのである。
 アラゴンは、つねにそうだったが、ここでもやはり大偽作者である。この邪悪な偽作者は、あらゆる価値を変質させて、横取りしてしまい、それを、自分の猿まねの贋金に作り変え、ロシヤ狂(きちが)いでロシヤ贔屓(びいき)の贋金に作り変え、頑迷な国際主義の贋金につくり変えてしまう。彼にとっては、「わが祖国よ」というトレモロも、文学的弥次馬どもがよく使ういんちきなトリックに過ぎない」

 ドリュ・ラ・ロシニルの、この批判というよりはデマゴギーを、ほぼ三○年後のこんにち、読みかえしてみるのは興味深い。アラゴンの人民的愛国主義とも言うべきものは、ここでは、「ロシヤ狂い」とののしられ、「国際主義」と言われている。しかし、だれがじっさいに「鷹金作」であり、「文学的弥次馬」であったかは、いまや歴史が証明している。アラゴンは「涙よりも美しき美女(もの)」を書いて、ドリュ・ラ・ロシェルに答える。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

パ栄占領



  絶望したものたちがみなそこに身投げする……

 という詩句も、エルザの深い眼によって、深い教えによって、絶望した者が、絶望を克服する、というほどの意味であろう。この絶望した者とは、アラゴンじしんでもある。この詩句は、『未完の物語』のつぎの詩句にも通じているだろう。

  おまえはおれの肉から 刺(とげ)を抜くように 絶望を抜きとってくれた

 そしてまた、「飛ぶ鳥」や「雲」や「風」は、ドイツ軍とその爆撃機や、ヴィシー政府をも意味しており、エルザの眼は「空」とも歌われ、「青い海」とも歌われる。青空にかかる悲しみの影は風も吹き払えぬとは、エルザの青い眼に浮んだ、悲痛の影は、どんな敵の嵐も奪いとることはできないということを歌っている。むろんこのような意味だけに還元してしまったのでは、詩の魅力は消えてしまう。「飛ぶ鳥たちの影で暗くかげる青い海」なども、詩の影像としての美しさそのものでも自立しているのである。

  おれは 流れ星の網に つかまったのだ

 の「流れ星」は、眼のなかをよぎる微妙な光やその魅力を歌ったもので、『未完の物語』のなかの少年時代をうたった詩にもそれが出てくる。

  彼女の眼のまわりには金色のそばかすがあって
  「千一夜物語」からでも聞こえてくるような声をしていた
  「あのトルコ女の処でおまえはいつも何んしてるの?」

  マリーはわたしに尋ねたが わたしは流れ星だとか
  霧雨のなかに見える虹だとかを 持ち出さずに
  どうしてうまくかの女に 答えられたろう

 最後の章節における、壮大なイメージの美しさは無類のものである。おそらくここには、ダンケルクで九死に一生を得たときの、詩人の体験がそのまま歌われているのであろう。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

海

    エルザの眼

  おまえの眼の深いこと 身をかがめて飲もうとして
  おれは見た すべての太陽がきらめき映り
  絶望したものたちがみな そこに身投げするのを
  おまえの眼の深いこと おれは気も遠くなる

  飛ぶ鳥たちの影で 暗くかげる青い海
  ふと 晴れ間がのぞけば おまえの眼の色も変わる
  夏は雲をちぎって 天使たちの仕事着に仕立てる
  麦畑のうえの空ほどに 青いものはない

  青空にかかる悲しみの影は 風も吹き払えぬ
  涙のひかるとき おまえの眼は空よりもきらめき
  雨あがりの澄んだ空さえ おまえの眼をねたむ
  砕けたグラスの かけらほどに青いものはない
  涙のなかに射す陽の光はさらに胸かきむしるばかり

  おお 「七つの苦悩」をになう母の 濡れた眼(ま)なざしよ
  七つの剣(つるぎ)が 七つの色のプリズムを射しつらぬいた
  涙のなかに射す陽の光は さらに胸かきむしるばかり
  悲しみに射(い)ぬかれた瞳(ひとみ)は 喪にふしていやましに青い

  おまえの眼は 不幸のなかに二つの突破口をひらく
  そこから「三人の博士」たちの奇跡が起こるのだ
  あのとき かれら三人は心躍らせて 見たのだ
  まぐさ桶にひっかかった マリアのマントを

  「五月」の月を 言葉で歌い 嘆くには
  ひとりの詩人の口で こと足りた
  だが千万の星たちには 一つの空では足りぬのだ
  かれらには おまえの眼や同じ秘密が必要だった

  うつくしい絵本に見とれた子供が ぱっちりと
  見ひらいた大きな眼も おまえの眼には及ばぬ
  ひとを煙にまくように おまえが大きな眼をひらくときは
  まるで にわか雨に濡れて咲いた野の花のようだ

  昆虫たちが激しい恋をとげる あのラヴァンドの
  花の中には ひらめく稲妻も隠してあるのか
  おれは 流れ星の網につかまったのだ
  八月のさなかに 海で死んだ水夫のように

  おれは このラジウムをウランから取り出した
  この禁断の火で おれは手の指を焼いたのだ
  何度となく 見失ってはまた見つけだした楽園よ
  おまえの眼はおれのペルー ゴルコンド おれのインドだ

  とある夕べ 世界は暗礁にのりあげて砕けた
  難破者たちは 暗礁に火を放って燃え上らせた
  だがおれは見た 海のうえに かがやく
  エルザの眼を エルザの眼を エルザの眼を

 「わたしは、眼にたいして特別の愛着をもっている」と、アラゴンはどこかで書いているが、この詩では、エルザの眼をとおて、世界が歌われている。それはエルザの眼ではあるが、「砕けた世界」──祖国の地獄のような現実を映しとっている鏡であり、抗抵運動にみずからも身を投げいれているエルザの眼である。こうしてここでは、すべての言葉が寓意的であり、象徴的である。太陽、星、天使などの言葉は、愛国者、指導者、活動家などをも意味している。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

雲