アラゴンとエルザ

ここでは、「アラゴンとエルザ」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


 三 星座

エルザになら どんな言葉も大げさすぎはしない
おれは夢みるのだ 雲の衣(ころも)に包まれたエルザを
そんなかの女を見たら 翼をもった天使たちも 
  宝石ちりばめた燕たちも ねたみ うらやむだろう 
地上では 花花が 身の置き場もないと思うだろう 

おれは 硝子と くまつづらとで 詩を編もう 
人形師が妖精をつくるように 脚韻をふもう
また風のような吟遊詩人らしく 感興のおもむくままに
  緑のからす麦をぶちまけて 詩節をよせ集めよう
そうして この戦利品を おまえにささげよう

詩はふくれて おれを巻き込み 過を巻く
このセントローレンス河(*1)は 隣のナイヤガラへと流れこむ
溺れた者の 救いを求める鐘の音が鳴りひびく 
  母獅子を 呼ぶ 子獅子のように
おれはもう地上のことも 我慢つよい葡萄のことも忘れてしまう

いまや 空はひらけて 讃歌の湧きあがる国
おまえのうつくしい手から 雪のように光が降る
ひとを眠らせる クロロフォルムの指をしたおれの星よ
  どうしておれを 眠りこませようとするのか
ことあるごとに近よるおれを おまえは遠ざけるみたいだ

おまえの手を こんなに愛するおれが いままで 
その手について何も歌わなかったとは どうしたことか
いくたびおれは その手を握りしめて 暖めたことか
  あの地獄で 二人が凍(こご)え ふるえていたとき
おお 春を約束する おれのこころの桜草よ

すばらしいおまえの手を ほかの人たちも夢みた 
極楽鳥のように奔放で しなやかなその白い手を 
おれは 嫉妬ぶかく 後生大事に守ってきたのだ 
  秋も 夏も 春も 冬も ながいこと 
おまえの手を 何も歌えなかったほどに 愛してきたのだ

この手の秘めてる秘密は おれたちの時代を越えて 
恋人たちを導き 彼らはおれたちのことを語りあうだろう 
だが 嵐を知らぬ者に うつくしい太陽が何んだろう
  砂漠がなければ 歴気楼が何んだろう 
敗れて膝まずく時 ひとは偉大な祖国に気づくのだ

人間嫌いになるようなこの時代の 名づけようもない悲惨さに 
おれはおれたちの愛を結びつけよう おれたちの甥たちが
その愛の光に ひまわりのような眼を向けて
  ヨーロッパの夜を よく知ってくれるように 
おまえの風になびく髪のように 燃えあがる火明りで 

現代のへラクゥラヌゥム(*2)の都の 災禍(わざわい)にみちた空の中に
 燃える 菜の花畑のような ふさふさとした髪を
 おれは 最初に記録し 最初に 名づける
  天文家たちが きのうまで知らなかった
おまえの星座を 「エルザの髪座」と

おまえを捕えようと 星占い師(*3)たちは 星座表を見て
すっかりめんくらい おずおずと占うだろう
急(せ)きたてられる 空のおべっか使いどもは
  忠勤をはげもうと布告(ふれ)をだす 「一番乗りの栄冠は
最初の猟犬にとらせるぞ 運のいい兵士でもかまわない」

希望の空港よ おまえの誘導燈にみちびかれて いま着陸する
彼らの十二宮の間を 追いまわされてきた運命は
そうして われら二人の新紀元(*4)の新しい年が
  美しいオートジャイロのように せり上がる
牢獄(わびずまい)を暖めようと おまえが焚く火のほむらのなかに

*1 セントローレンス河──カナダの河。ここでは、ふくれあがった詩想の流れを河の流れにたとえ、詩想にゆきづまると、隣のナイヤガラ つまり隣室のエルザに助けを求めにゆくことを歌っている。
*2 へラクゥラヌゥム──イタリアの町。でんデツによれば、ヘラクレスによって創られたといわれる。紀元七九年、ベスビヤス火山の噴火によって、廃墟となる。
*3 星占い師たち──ナチとその手先の官憲を指している。
*4 新紀元──アラゴンが動員解除によって、戦線から帰えり、ふたたび二人の新しい生活が始まったことを指している。

(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

軽井沢



美女1


美女2



*1 シャリアール──『千一夜物語』のなかの暴君。夜ごとひとりの娘をはべらせ、恋物語をさせては、朝になると、部下に命じて処刑させた。ここではヒトラーを指している。
*2 「愛の物語りひとくだり」──註1を参照。ここでは、ナチの官憲を前にした、愛国者たちの祖国愛の陳述を意味している。
*3 「あの影も形もない」──「抗戦(レジスタンス)で倒れていった英雄たちが、その英雄的な死によって抵抗運動を鼓舞したことを想起されたい。 
*4 「南」の海──一九四○年、フランスの三分の二がドイツ軍に占領されたが、ロアール河以南の地は「自由地帯」として残された。「南」の海とは、この自由地帯を指している。 
*5 「ハラルの砂漢」──『地獄の季節』で有名な、フランス十九世紀末の天才詩人ランボオが、十九歳で 詩筆を投げすてて、フランスから脱け出して、行ったところ。アビシニァ──こんにちのエチオピアの都ハラル。 
*6 バミューダの島──大西洋の小さな島。 
*7 「フランチェスカとパオロ」──ダンテの『神曲』の『地獄篇』に歌われている、フランチェスカ・ダ・リミーニはランチオット・マラテスタの妻。義弟のパオロ・マラテスタと恋に落ちて、ともに処刑される。 
*8 ランスロット──中世の騎士道物語である『アーサ王の円卓騎士』の主要人物・王妃ギニヴィアに愛をささげ、純愛と忠誠を兼ねた騎士道精神の理想像として描かれている。
*9 リミーニ──註7を参照。イタリアの町。フランチェスカは、リミーニのフランチェスカと呼ばれた。
*10 べレニス──ユダヤのへロデ王の王女。ティトウスは彼女を妻にしようと思い、ローマに連れてくるが、ローマ人たちに反対されて、送りかえさねばならなかった。
*11 べロナ──ロメオとジュリエットの悲恋の、北イタリアの町。ロメオとジュリエットは、一つの墓に葬られる。
*12 エレーヌ──十六世紀のフランスの詩人ロンサールに霊感を与えた愛人エレーヌを指すものと思われる。
*13 ラウル──美女ラウルと呼ばれ、ペトラルカの詩に歌われている。 
*14 エルビル──ラマルチィヌが『瞑想集』のなかで歌っている美女。 
*15 マリアの月──聖母マリアを記念する月──五月
*16 コルドパ──スペインの町。

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

フルート


[『エルザの眼』(12)エルザへの讃歌 2 美女たち]の続きを読む


オーボエ


(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

ピアノ


[『エルザの眼』(11)エルザへの讃歌 1 序曲]の続きを読む
    獅子王リチャード

  なんとこの世は わしらの閉じ込められておる
  フランスは トゥールの兵舎にそっくりだ
  外敵が うまごやしの牧場を踏み荒らし
  なんときょう一日の 長いことか

  ただじっと 時の経(た)つのを数えていなければならぬのか
  かつて憎んだことのないわしが ひとを憎み 
  流れる時を じっと数えていなければならぬのか 
  もうわが家は 心のなかにさえありはせぬ 
  おお わしの国よ これでもわしの国だというのか

  このわしには 見やることもならぬのだ 
  ご法度の文句を 空でささやく燕が姿も 
  あの老いぼれの 不忠な雲めが むかしの夢を 
  投げ捨てて 国境越しに流れてゆくその姿も

  わしは思いのたけを 口に出してもならぬ 
  大好きなあの歌を 口ずさんでもならぬのだ 
  輝やいてる太陽を 悪い天気のように怖れ 
  沈黙にさえ びくびくせねばならぬのだ

  あのやからは権力で わしらは数字に過ぎぬ 
  苦しみに喘(あえ)ぐ君らよ わしらは同類なのだ
  いくら夜を暗くしても むだというものだ 
  囚われの身でも 歌のひとつは作れるわい

  その歌は 清水のように清らかな歌 
  昔のパンのように まじりけのないやつ
  それは 秩桶(まぐさおけ)の上に高らかに湧き上って 
  牧童たちが聞きつけずにはいられぬのだ

  羊飼いも 舟乗りも 牧師たちも 
  車引きも 学者先生も 肉屋たちも 
  言葉の手品師や ぺてん師の絵描きたちも 
  日ぐれの市場にむらがる 女たちも 

  商売(あきない)をする連中も 貿易商人たちも 
  鉄をつくる労働者も 布を織る織工たちも 
  電柱によじのぼる電工も まっ黒な坑夫たちも 
  みんな その歌を聞きつけるだろう

  フランス人はみな ブロンデルそっくりだ 
  その名は みんな ちがっていようと 
  自由を求める心は 翼の音のようにひそかに 
  獅子王リチャードの歌に 答えるのだ

さて、『エルザの眼』の最後を飾っているのは、大きな組詩『エルザへの讃歌』である。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

オーボエ

 一九四一年、ジョルジュ・デュダックが、ニースに住んでいるアラゴンをたずねてくる。そうして、パリへ行って党の指導部と連絡をとるようにと伝える。六月二十三日、アラゴン夫妻とデュダックは、被占領地帯と自由地帯との境界線を越える。ちょうどその前夜、ヒトラーのソヴィエト攻撃が開始されていたので、警戒は厳重をきわめていた。運わるく、彼らは三人とも、ドイツ軍のパトロール隊につかまって、トゥール市の騎兵隊の兵営に拘留される。正規の身分証明書をもっていたのにも拘らず、十日間も引き留められる。彼らは、南仏から来たのではなく、パリから来たのだと主張して釈放され、パリへ「もどされる」ことになる。そのうえ、父親が病気だという口実で、パリへ行ってニースに帰える通行証まで手に入れる。この監禁中にアラゴンは「獅子王リチャード」を書く。

 かれらがパリに着くと、エリュアールが駅で待っていた。アラゴンとエリュアールは、一九三三年の訣別いらい会っていなかった。その頃、エリュアールは入党したばかりであった。そういうわけで、エリュアールは妻のヌーシュとともに、アラゴン夫妻を迎えにきていたのである。エリュアールはエルザに花束を贈り、ヌーシュは手作りのパイをアラゴンに贈る……

  エリュアールの花束の なんと心うったことか
  パリ・リヨン・地中海線の駅で

  ここで兄弟がまた手を結んだのだ
  あんなに長いこと別れていた兄弟が……
                       (『眼と記憶』)
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

エリュアール
ピカソ「エリュアールの肖像」

 アラゴンは、この詩の冒頭で、ドリュ・ラ・ロシェルに毒舌を返えしている。「おれが呼吸をしていると、ある連中の生きる邪魔になり何かの苛責で彼らは夜もおちおち眠れぬのだ」と。そして「そこなる美女」──祖国フランスにたいする愛と熱情をあかし立てるために、国巡(めぐ)りをして、地方地方の美しさや、歴史や歴史的人物を喚び起こしている。そこには『ローランの歌』のローランが祖国のために戦死したロンスボーの峠があり、一七九二年のパリ・コミューンの義勇軍による勝利の地マルヌ(ヴァルミ)がある。
 この国巡りという歌いぶりは、後の『フランスの起床ラッパ』のなかの『百の村の出征兵』にも見出される。

  アルルから吹いてくる風には 夢がある
  その夢は 私の心そのものだから声高くは語れぬのだ
  オニスや サントンジュの黄ばんだ沼地を
  侵略者どもの 戦車の轍が踏みにじっているとき

 このくだりは、一九三七年十二月の、フランス共産党アルル大会を暗に歌って、アラゴンは同志たちに想いを馳せている。この大会では、「世界におけるフランスの高貴な使命を忠実に守ろう」と呼びかけたモーリス・トレーズの報告が採択されたのだった。そうして、この詩を読んだ多くの同志たちは、大会を思い出して、アラゴンに手紙を書いたのである。

 一九四三年の始め、ド・ゴール将軍は、「涙よりも美しき美女(ひと)」の数行を、アルジェ放送を通じて朗読することになるが、この詩は、きわめて興味ぶかい事情によって、北アフリカで合法的に発表されたのである。
 一九四二年、チュニジア総督、エスデヴァ提督は、独仏休戦条約におけるドイツ側の大きな権限に不満で、自分の新聞で腕曲に「愛国心を喚起する」方法を探していた。愛国主義は、対独協力派やヴィシー派の作家たちの間では殆んど見当らなかったので、提督はついにアラゴンに書かせることになった。提督の使者が、ニースにアラゴンを訪ねてきて、週一回、いろいろな問題を扱った記事を書くように求めた。非公式とはいえ、その筋からの求めをすげなく拒わるのは、困難でもあり、危険でさえあった。そこでアラゴンは、ドリュ・ラ・ロシェルにたいする反駁として書上げたばかりの「涙よりも美しき美女(ひと)」をチュニスの新聞に発表することにしたのである。
(つづく)

白バラ



    涙よりも美しきもの

  おれが呼吸(いき)をしてると 或る連中の生きる邪魔になり
  何かの苛責で 彼らは夜もおちおち眠れぬのだ
  まるで おれが詩を書けば 笛や太鼓が鳴り出して
  その音で死んだ者までが 眼を覚ますらしいのだ

  君らが おれの詩の中の戦争の響きにいきり立ち
  車軸の異様な叫びが その空にきしんでいても
  それは嵐が オルガンの奏でる天使の声をかき消し
  おれがダンケルクを思い出すからだ 諸君

  いかにも悪趣味だが ほかにやりようがないのだ
  おれたちは いつまでも「北国(メール)」の地酒に酔っばらい
  地獄の炎の火照(ほて)りを ちゃんと胸に受けとめている
  あの悪趣味な連中の まぎれもない仲間なのだ

  おれが愛を語れば きみらはその愛に苛(いら)だち
  いい天気だと書けば 雨降りだと言いたてる
  きみらは言う 「おまえの野には雛菊が多すぎる
  おまえの夜には星が多すぎ おまえの空は青すぎる」と

  外科医が 切り開いた心臓をせんさくするように
  きみらは おれの言葉の中に言いがかりの種(たね)を探すのだ
  おれは「新橋(ポン・ヌーフ)」もルーヴルも失ってしまったのに
  おれに復讐するには それでも足りぬというのだ

  きみらは ひとりの詩人を黙らせることもできる
  空とぶ鳥を 籠の鳥にかえることもできる
  だが フランスを愛する権利を奪いとることは
  きみらにもできぬと 知るがいい

  そこなる美女よ さあ戸口から戸口へと廻って
  おれがおん身を忘れてしまったかどうか 見てくれ
  おんみの眼は 手にした葬いの花束の色そっくりだ
  昔の春は おん身の前掛には花が咲きこぼれていたのに

  おれたちの愛が見せかけで 熱情はまっかなにせものだったのか
  にわかにかき曇るこの空を この額をとくと見てくれ
  ひろい表畑のなかの毒麦を さっと射(い)あてる
  あのボース平野のような深い眼なざしで

  おん身は あの黒パンを焼く石の国で見かける
  石像のような腕をしているはずではないのか
  ジャン・ラシイヌの面影は 優美な完璧さで
  永遠に フェルテ・ミロンに立っているのだ
 
  おん身のみごとな唇に浮かべたランスの微笑み(1)は
  処刑されてゆく聖者や予言者たちが最後に見た
  とあるタぐれの タ焼けの色にも似ており
  髪には シャンパーニュの葡萄を絞(しぼ)る匂いがしている

  モントーパンのアングル(2)もその絵に描いた
  おん身の肩のくぼみで ひと休みしよう
  山山の岩まをくぐり 濾(こ)され練(ね)られた
  美酒のような清水で 長旅の渇きをいやそう

  アヴィニョンの狩人の 手から逃れた牝鹿に
  鼓舞された 槍の穂先のようなあのペトラルカ(3)が
  ラウルを愛したのは おん身に似ていたゆえなのか
  傷ついたおん身のために 今日(きょう)おれたちは血を流す

  呼び起こせ 呼び起こせ 幽霊どもを追い払うため
  燦然と輝やく奇跡を 千と一つのいさおしを
  サン・ジャン・デュ・デゼールからブラントーム(4)の穴倉まで
  ロンスボーの峠(5)から ベルコールの高原まで

  アルルから吹いてくる風には 夢がある
  その夢はおれの心そのものだから 声高くは語れぬのだ
  オニス(6)や サントンジュの黄ばんだ沼地を
  侵略者どもの 戦車の轍(わだち)が踏みにじっているとき

  名を競(きそ)いあう町町や国国の この壮大な腕くらべは
  まさしく花花の美を競いあうにも似ている
  美を競った花花は 王侯たちの恋路に消えたが
  夢とその由来は 遺跡の中に溶けあっている
  おお 空とデュランス(7)の流れを遮(さえぎ)る山脈(やまなみ)よ
  おお 羊飼いたちの 葡萄の色をした大地よ

  フランス王 フランソワの愛(め)でたマノスク(8)の町よ
  その美しさに 王はその名を城壁に書いたのだ

  それに劣らず優しいのに 狂わんばかりのおん身は
  おれがおん身を歌っているのにも気がつかぬのだ
  ノールーズの水門(9)で ちょっと足をとめよう
  ここでおれたちの二つの運命は 二つの海の間でためらう

  いやおん身は 歌い止(や)まぬ歌のように止ろうとはせぬ
  どこへ行かれるのか もうヴァントーの山(10)も過ぎて
  眼下を流れているのはセーヌ河だ そうして
  ラマルティーヌ(11)が マドレーヌ(12)の林檎林(りんごばやし)で夢みている

  女なのか美酒(さけ)なのか 子守歌なのか風景なのか
  誰を愛し何を描いているのか もうおれにもわからない
  あの金色の脚なのか 母の胸のみどり児か
  ブルターニュとその糸杉は まだ老いてはいない

  白い襟飾りのような国で おれの口は所望する
  なみなみと注いだ林橋酒と牛乳を ぐっすり眠れるように
  おお ひっそりとしたノルマンディ おん身のために
  パルミルの廃墟に追われた兵士らは胸痛むだろう

  パリの魅惑は何処(どこ)から始まるのか わからない
  レ・ザンドリのような 血のにじむ名前があるのだ
  風景は身をのけぞらせて おれたちに涙を見せる
  ああ 泣き声など立てないでくれ おれのパリよ

  歌ごえ湧き起こるパリ 怒りに燃え立つパリ
  だが旗は 洗濯場で水びたしになったままだ
  北極星にも似た 光放つ首都パリ だがパリは
  舗道の石畳をひっぺがしてこそ パリなのだ

  おれたちの不幸に呻めくパリ クール・ラ・レイヌのパリ
  ブラン・マントーのパリ 「二月革命」のパリ
  フォブール・サン・タントワーヌからシニレンヌの丘へと
  硝子売りの叫びよりも 胸かきむしるパリよ

  何がおっ始(ぱじ)まるか あの酷(むご)い郊外は早く通り過ぎよう
  また夜明けがくれば 恐らく生命(いのち)が消されよう
  だがロワーズに物語もなく マルヌには歌声もない
  人影もないバロワには もうシルビーもいない

  思い出の銃眼よ ここにおれたちも兵隊で並んでいた
  あやふやな空に向けた 根もない廿才(はたち)の野望よ
  出会ったのは愛ではなく シュマン・デ・ダームだった
  旅びとよ 思い出してくれ あのムーラン・ラフォーを
  巻きあがる砂塵のなかを おんみは歩きつづける
  足のむくまま 国から国へと 辿りつづける
  アルゴンヌの森を通り オー・ド・ムーズの台地へ
  不滅の栄光と 裏切りの悪名とをもつ東方へ

  脱走兵に脚(あし)を折られ 傷ついた小鹿のように
  青い沼の眼は 森の下草を眠らずに見守っている
  スイスに通ずる 亡命者の道でひと休みして
  曼陀羅華の生える クールペの国へと向おう

  失(なく)しちまったアルザスでは ラインが溢れ出すと
  ゆれ騒ぐ枝から 雉子(きじ)がさっと舞い下りる
  ウェルテルは しばしおのれの悩みを忘れようと
  クリスマスには 百姓たちにお慈悲を垂れる

  嵐は ダンケルクからポール・バンドルへと荒れ狂い
  おれたちの愛するすべての声を かき消してしまうのか
  いや 誰にもできぬはずだ 伝説を追いちらし
  エイモンの四人息子から アルデンヌの地を奪いとることは

  いや誰にももぎ取ることはできぬ 世紀から世紀へと
  おれたちの咽喉(のど)から迸(ほとばし)りでた あのフリュートの歌は
  月桂樹は切り倒されても ほかの闘いがある
  陽気でへこたれぬ仲間たちよ そうして薔薇の木の

  茂みの中から 走り去る蹄(ひづめ)の音が聞こえてくる
  止ってくれ す速い者よ ああ 気のせいだったか
  だが希望は 泉の言葉で 夜につぶやきかける
  あれは馬だったのだ いやデュゲスクランだったのだ

  いつか聖なる面影が よみがえりさえすれば
  描き終らぬうちにおれは死んでも かまわぬのだ
  立ち上ろう 若者たち 奮い立とう 娘たち
  わが祖国は飢えて惨(みじ)めだが 愛にみち溢れているのだ

(1) ランスの微笑み──マルヌ県の都市ランスの、十三世紀に建造された有名なカテドラルを指す。
(2) モントーバンのアングル──アングル(一七八○〜一八六七)はモントーバン生れ。フランス古典派の巨匠。
(3) ペトラルカ──(一三○四〜七四)イタリアの大詩人。アヴィニョン在住中、一三二七年聖金曜日(四月六日)美女ラウラにめぐり会い、彼女を歌った詩『カンツォニエーレ』は、彼の傑作となる。
(4) ブラントーム──フランス西南部ドルドーニュ県の町。シャルルマーニュ王によって建てられた教会堂がある。
(5) ロンスボーの峠──フランスとスペインの国境、ピレネー山中の峠。七七八年、シャルルマーニュの軍勢は、バスク人に粉砕され、「ローランの歌」にうたわれたローラン伯爵は戦死する。
(6) オニス、サントンジュ──フランス西南部、太平洋に面した地方名。
(7) デュランス──デュランス川はアルプスを源として、ローヌ河に合流する。
(8) マノスク──南仏バッス・アルプ県の町。
(9) ノールーズの水門──南仏、太平洋と地中海を結ぶミディ運河の要衝。
(10) ヴァントーの山──南仏ヴォークリューズ県、アルピス山系南部に位置する山。
(11) ラマルティーヌ──(一七九○〜一八六九)フランスロマン主義の詩人。『瞑想詩集』で有名。
(12) マドレーヌ──ロアール河とアリエ河の間の高原地帯。ラマルティーヌの生地は、その近くのマコンにある。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

ばら


 『リベラックの教訓』は、リベラックが生んだ中世の吟遊詩人アルノー・ダニエルや、クレチアン・ド・トロワを、博識を駆って論じてはいるが、その真の主題は、一九四〇年における詩人たちとその任務という問題にあることは疑いない。
 『リベラックの教訓』は、一九四一年六月、アルジェで発行されていた「泉(フォンテーン)」誌に掲載された。アラゴンの旧友で、いまやヴィシー派になっているドリュ・ラ・ロシェルは、右翼団体「反共十字軍」の機関紙「民族解放」紙(一九四一年十月十一日付)でこれを取りあげて、「真紅の騎士」とは赤騎兵およびソヴィエト・ロシヤと解すべきだと書いた。これが書かれた一九四一年における主な事件をあげると、

 六月の始め、アルジェの「泉」誌に、「リベラックの教訓」が発表される。
 六月廿二日、ヒトラーがソヴィエト攻撃を開始する。
 七月廿三日、「マルクス主義の宣伝扇動家」は死刑に処するというヴィシー政権の布告。
 九月五日、ドリオは、ドイツ軍の制服をきて、ロシヤ戦線に出発する。
 九月十六日、パリで、十人の人質が銃殺される。
 九月二十日、パリで、十二人の人質の銃殺。その中に、「共産党員官吏」ピタールとアジがふくまれる。
 九月廿二日、ヴィシー政権の軍法会議で、ウーグ、A・ギヨー、カトラ等が、共産主義活動のかどで、死刑を宣告され、後にギロチンにかけられる。
 十月十一日、ドリオ編集の「民族解放」紙上に、ドリュ・ラ・ロシェルのアラゴンに関する記事が、動員中のアラゴンの写真入りで、一頁全段に掲載される。
 十月廿二日、シャトーブリアンにおける五○人の人質の銃殺。これについて、後に、アラゴンは有名な「殉難者たちの証人」を書く。

 こういう情勢のなかで、ドリュ・ラ・ロシェルはこう書く。
 「……ここに、雑誌「泉」四号に発表された『リベラックの教訓』という一文がある。論旨はまことに文学的で、極めて純粋な郷土愛にあふれているかに見える。それは、偉大な詩の時代であったフランス中世への讃美である。……しかし、そこには一つの「しかし」がつく。いや、たくさんの「しかし」がつく。
 アラゴンの激賞するのは、奇妙な中世である。それは、じっさいの中世に全く反するかに見える一つの中世であり、性急な弁証法によるマルクス主義的方法によって捉えられた一つの中世であって、それはすでに中世そのものを飛び越えているのだ。
 ……この気まぐれの愛国主義にとっては、問題は、目的としてのフランスではなくて、手段としてのフランスである。赤い糸で縫いとじられている詩文学雑誌で、アラゴンが、レジスタンスとその強化のためにふり撤いているあの悲憤梗概、祖国の尊厳に注いでいるあの感涙、あの片言の呼びかけなどは、排他的かつ熱狂的な讃美でフランスをほめたたえているかに見えても、けっしてフランスに奉仕するものではない。ここに、この一文の最後の言葉がある。
 <……ねがわくばフランスの詩人たちが……新しい真紅の騎士の立ち現われる日のために準備されんことを。そのとき、閉ざされた芸術の実験室で準備された彼らの言葉は「言葉の一つ一つに法外の重要さを与えながら」すべての人びとに、詩人たち自身にも、明らかになるだろう。そしてそれは、国境を知らぬ、フランスの真の夜明けとなり、その光は空高く染めて、世界の果てからも見えるだろう> たしかに、国境を知らぬこの夜明けは、モスクワから見えるだろう。そしてこの真紅の騎士は、私にはむしろ赤騎兵に見えるのである。
 アラゴンは、つねにそうだったが、ここでもやはり大偽作者である。この邪悪な偽作者は、あらゆる価値を変質させて、横取りしてしまい、それを、自分の猿まねの贋金に作り変え、ロシヤ狂(きちが)いでロシヤ贔屓(びいき)の贋金に作り変え、頑迷な国際主義の贋金につくり変えてしまう。彼にとっては、「わが祖国よ」というトレモロも、文学的弥次馬どもがよく使ういんちきなトリックに過ぎない」

 ドリュ・ラ・ロシニルの、この批判というよりはデマゴギーを、ほぼ三○年後のこんにち、読みかえしてみるのは興味深い。アラゴンの人民的愛国主義とも言うべきものは、ここでは、「ロシヤ狂い」とののしられ、「国際主義」と言われている。しかし、だれがじっさいに「鷹金作」であり、「文学的弥次馬」であったかは、いまや歴史が証明している。アラゴンは「涙よりも美しき美女(もの)」を書いて、ドリュ・ラ・ロシェルに答える。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

パ栄占領



  絶望したものたちがみなそこに身投げする……

 という詩句も、エルザの深い眼によって、深い教えによって、絶望した者が、絶望を克服する、というほどの意味であろう。この絶望した者とは、アラゴンじしんでもある。この詩句は、『未完の物語』のつぎの詩句にも通じているだろう。

  おまえはおれの肉から 刺(とげ)を抜くように 絶望を抜きとってくれた

 そしてまた、「飛ぶ鳥」や「雲」や「風」は、ドイツ軍とその爆撃機や、ヴィシー政府をも意味しており、エルザの眼は「空」とも歌われ、「青い海」とも歌われる。青空にかかる悲しみの影は風も吹き払えぬとは、エルザの青い眼に浮んだ、悲痛の影は、どんな敵の嵐も奪いとることはできないということを歌っている。むろんこのような意味だけに還元してしまったのでは、詩の魅力は消えてしまう。「飛ぶ鳥たちの影で暗くかげる青い海」なども、詩の影像としての美しさそのものでも自立しているのである。

  おれは 流れ星の網に つかまったのだ

 の「流れ星」は、眼のなかをよぎる微妙な光やその魅力を歌ったもので、『未完の物語』のなかの少年時代をうたった詩にもそれが出てくる。

  彼女の眼のまわりには金色のそばかすがあって
  「千一夜物語」からでも聞こえてくるような声をしていた
  「あのトルコ女の処でおまえはいつも何んしてるの?」

  マリーはわたしに尋ねたが わたしは流れ星だとか
  霧雨のなかに見える虹だとかを 持ち出さずに
  どうしてうまくかの女に 答えられたろう

 最後の章節における、壮大なイメージの美しさは無類のものである。おそらくここには、ダンケルクで九死に一生を得たときの、詩人の体験がそのまま歌われているのであろう。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

海

    エルザの眼

  おまえの眼の深いこと 身をかがめて飲もうとして
  おれは見た すべての太陽がきらめき映り
  絶望したものたちがみな そこに身投げするのを
  おまえの眼の深いこと おれは気も遠くなる

  飛ぶ鳥たちの影で 暗くかげる青い海
  ふと 晴れ間がのぞけば おまえの眼の色も変わる
  夏は雲をちぎって 天使たちの仕事着に仕立てる
  麦畑のうえの空ほどに 青いものはない

  青空にかかる悲しみの影は 風も吹き払えぬ
  涙のひかるとき おまえの眼は空よりもきらめき
  雨あがりの澄んだ空さえ おまえの眼をねたむ
  砕けたグラスの かけらほどに青いものはない
  涙のなかに射す陽の光はさらに胸かきむしるばかり

  おお 「七つの苦悩」をになう母の 濡れた眼(ま)なざしよ
  七つの剣(つるぎ)が 七つの色のプリズムを射しつらぬいた
  涙のなかに射す陽の光は さらに胸かきむしるばかり
  悲しみに射(い)ぬかれた瞳(ひとみ)は 喪にふしていやましに青い

  おまえの眼は 不幸のなかに二つの突破口をひらく
  そこから「三人の博士」たちの奇跡が起こるのだ
  あのとき かれら三人は心躍らせて 見たのだ
  まぐさ桶にひっかかった マリアのマントを

  「五月」の月を 言葉で歌い 嘆くには
  ひとりの詩人の口で こと足りた
  だが千万の星たちには 一つの空では足りぬのだ
  かれらには おまえの眼や同じ秘密が必要だった

  うつくしい絵本に見とれた子供が ぱっちりと
  見ひらいた大きな眼も おまえの眼には及ばぬ
  ひとを煙にまくように おまえが大きな眼をひらくときは
  まるで にわか雨に濡れて咲いた野の花のようだ

  昆虫たちが激しい恋をとげる あのラヴァンドの
  花の中には ひらめく稲妻も隠してあるのか
  おれは 流れ星の網につかまったのだ
  八月のさなかに 海で死んだ水夫のように

  おれは このラジウムをウランから取り出した
  この禁断の火で おれは手の指を焼いたのだ
  何度となく 見失ってはまた見つけだした楽園よ
  おまえの眼はおれのペルー ゴルコンド おれのインドだ

  とある夕べ 世界は暗礁にのりあげて砕けた
  難破者たちは 暗礁に火を放って燃え上らせた
  だがおれは見た 海のうえに かがやく
  エルザの眼を エルザの眼を エルザの眼を

 「わたしは、眼にたいして特別の愛着をもっている」と、アラゴンはどこかで書いているが、この詩では、エルザの眼をとおて、世界が歌われている。それはエルザの眼ではあるが、「砕けた世界」──祖国の地獄のような現実を映しとっている鏡であり、抗抵運動にみずからも身を投げいれているエルザの眼である。こうしてここでは、すべての言葉が寓意的であり、象徴的である。太陽、星、天使などの言葉は、愛国者、指導者、活動家などをも意味している。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

雲


   ダンケルクの夜

  フランスは 擦りきれたぼろ布(きれ)のように
  一歩一歩 おれたちの歩みをこばんだ

  死者たちが 藻にからみあう海のなか
  ひっくり返った舟は 司教の帽子さながら

  空と海とのほとりの 十万の露営
  空のなかに伸びる マローの浜べ

  馬の屍臭のただよう夕ぐれ 移動する野獣の群が
  踏みならす地響きのような どよもしが起こる

  踏切が 縞模様の腕木を上げる
  おれたちの心は またばらばらになる

  十万の「土地なしジャン」の心に高鳴る愛も
  もうずっと黙りこんでしまうのか

  人生で傷だらけになった聖セバスチャンたち
  なんと君らは わたしによく似ていることか

  そうだ 心の傷口を愛さずにいられぬような
  ひとびとだけが おれに耳傾けてくれよう

  せめておれは叫ぼう かつて歌ったあの愛を
  燃える戦火が花花のようによく見える夜の中で

  おれは叫ぼう叫ぼう 燃えあがる町のなかで
  夢遊病者たちを 屋根の上から呼びおろすまで

  おれは叫ぼう おれの愛を あの朝はやく
  包丁 包丁と歌って通る研(と)ぎ屋のように

  おれは叫ぼう叫ぼう おれの愛する眼よ
  どこにいるのか おれの雲雀 おれの鷗よ

  おれは叫ぼう叫ぼう 砲弾よりも強く
  傷ついた者よりも 酔っぱらいよりも激しく

  おれは叫ぼう叫ぼう おまえの唇の杯(さかづき)で
  酒をのむように おれは愛を飲んだのだと

  おまえの腕の木蔦(きづた)が おれをこの世に縛(しば)りつける
  おれは死ねないのだ 死んだ者は忘れてしまう

  おれは思い出す 舟でのがれた人たちの眼を
  ダンケルクへの愛を だれが忘られよう

  とび交う曳光弾のために おれは眠れぬ
  自分を酔わせてくれた酒を 誰が忘られよう

  兵士たちは 身をかくす穴を掘った
  まるで墓場にゆらめく幽霊のように

  並んだ石ころのような顔 ぶざまな寝姿
  みんな びくびくおびえながら眠っているのだ

  ここ北仏の砂丘に 「五月」は死に
  ただよう春の香りを 砂は知らない

(1)「土地なしジャン」──「Jean-sans-terre(一一六七〜一二一六)イギリスの王。獅子王リチャードの実弟に当る。フランス王フィリップ・アウグストに敗れて、フランスに持っていた領地ノルマンデイ、アンジウ等の地を失う。ここでは独軍に土地を奪われたフランス人を指している。

 ここでは、「空と海と」の遠大な光景のなかに、悪夢のような影像がくりひろげられ、「幽霊のように」ゆらめいている。しかし、この暗い敗残のなかでも、詩人の愛は声高くよびかけている。それは、

  おまえの腕の木蔦(きづた)が おれをこの世に縛(しば)りつける
  おれは死ねないのだ 死んだ者は忘れてしまう

 という、愛のつよい力が詩人を希望の方へ押しあげるからだ。そして、ひろく知られている詩『エルザの眼』は、無類の美しさで、その愛の力と希望をうたいあげている。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

波
『エルザの眼』

 四〇年五月廿九日、アラゴンの部隊はダンケルに後退し、六月一日、駆逐艦に乗って、イギリスのプリマス港に上陸する。翌日、輸送船に乗り移って、ルアーヴル、シェルヴール、サン・マロと、フランスの北西海岸を廻るが、どこにも上陸することができず、ブルターニュ半島の突端ブレストにやっと上陸する。そこから、パリの南方にあたるユール県コンシェにたどり着く。このとき、ドイツ軍はすでにセーヌ河を渡っていた。コンシェでアラゴンの部隊はニつに分けられる。一隊は再編部隊として、新しい武器を調達するために、パリ地区に送られた。戦車やその他の車輌を、ダンケルタに捨ててきたからである。他の一隊は、その場にうっちゃられることになる。アラゴンはこの後の一隊にぞくしていた。そこで彼は、自分の医療班とともに、「西部」軍の指揮下にはいって、ユール県からドルドーニュ県ペリグー市の近郊に向う。こうして、彼は独仏休戦条約の日を、ペリグー市近郊のリベラックの町で迎える。
 『ダンケルクの夜』は、ダンケルク脱出の体験をなまなましく反映している。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

植物園


 あとがき

 この本では、わたしはまず、エルザへの愛の詩を中心としたアラゴンの詩のアントロジーを編みたいと思った。レジスタンスの時代のアラゴンの詩集──『断腸詩集』『グレヴァン博物館』『フランスの起床ラッパ』『新断腸詩集』などは、とにかくわが国でもすでに訳出紹介されてはいるが、戦後の『眼と記憶』『未完の物語』『エルザ』『エルザの狂人』などの詩は、まだほとんど紹介されていないからである。
 アラゴンの詩、とりわけエルザへの愛の詩をよく理解するためには、エルザとアラゴンの人となりや、レジスタンスの時代の二人の地下生活、その時代背景などを素描しなければならなかった。アラゴンの詩も愛も、「歴史とおなじ歩はば」をもっているからである。たとえば、『サンタ・エスピナ』(『断腸詩集』)と題する詩にしても、「サンタ・エスピナ」というのが、スペイン戦争の時代、パリにおけるスペイン人民戦線支援の集会で吹奏されたカタロニアの民謡の曲であるということがわからなければ、この詩も、この詩の呼びかけていることもよくはわからないであろう。また、『涙よりも美しいもの』(『エルザの眼』)という詩が、ドリュ・ラ・ロシェルのデマゴーグにたいする反駁として書かれたことを知るならば、この詩の意義と美しさはいっそう浮きあがってくるだろう。
 アラゴンにおける愛の問題の解明分析も、この本ではほんの素描に終らざるをえなかった。それには、シャルルアローシュやジャン・シュールのように、それだけでも一冊の本をかかねばならぬだろう。
 また、アラゴンにおける思想・芸術の発展を緻密にあとづけるためには、ロジェ・ガローディの『アラゴンの道程』のようなぶ厚い一冊が必要であろう。
 アラゴンのたくさんの詩集と、その厖大な数にのぼる詩のなかから、できるだけ重要な詩をえらんで訳出するだけでも、しかもそれらの詩がきわめて訳出するにはむつかしく、また難解でもあるので、それだけでもわたしの手にはあまるものであった。また、詩集『詩人たち』や『オランダへの旅』などにも、手はまわらなかった。
 しかし、アラゴンの詩を翻訳することは、わたしにはつらい作業ではあったが、また楽しかった。

  わたしはいつも愛するのだ 若者の清らかな額を
  あのまぶたのしたに秘めた アネモネ色の眼を
                         (『未完の物語』)

  砕けた酒杯(さかづき)から こぼれ流れる酒のように
  姿かたちもないわたしの亡霊は どこへ急ぐことやら
  土の重みにおしつぶされた 菫の花の
  ほのかな香りに酔って わたしの足は千鳥足
                         (『エルザの狂人』)

 などの詩句に出くわしたとき、わたしはしばし詩的酩酊をおぼえた。それは詩の魅惑だけが与えてくれるものであった。そこにはまさに「書きとめられた」一片の無限があり、詩を詩たらしめるところのものがある。とはいえ、むろんそればかりを強調してはなるまい。なぜなら、アラゴンが詩においてめざしているのは、人間の全的追求──まるごとの人間の追求であり、その主要な主題は愛であり、愛をとおしての未来の精神だからである。そしてエルザへの愛の歌の教えは、「愛することを学ぶこと」にあるのだから……

 この本が世に出るにあたっては、旧友島谷逸夫および魚岸勝治君の手と足とをわずらわした。ここに謝意をしるしておきたい。
  一九七一年五月            大島博光

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

空


   四〇年のリチャード二世

  わしの祖国は 舟曳きどもに
  見捨てられた 小舟さながら
  してわしは 世にも不幸な
  あの国王に そっくりじゃ
  あれも苦しみ だらけの王じゃった
  生きるとは もはや戦略にすぎぬわい
  流れる涙を 風もかわかしてはくれぬ
  愛するものすべてを 憎まねばならぬ
  はや手にないものまで奴らに与えねばならぬ
  わしは 苦しみだらけの王なのじゃ

  心臓は 脈うつのをやめるもよかろう
  血は 温(ぬく)みなしで流れるもよかろう
  盗っ人どもの どろぼうゲームじゃ
  二たす二は 四にはならぬ
  わしは 苦しみだらけの王なのじゃ

  太陽は 死んでもまたよみがえってくれ
  空まで 色を失ってしもうたわい
  若かった頃の やさしいパリ
  おさらばじゃ 「花河岸(ク・オ・フルール)」の春よ
  わしは 苦しみだらけの王なのじゃ

  森や 泉は 姿をかくすがいい
  わめき散らす鳥どもは 黙るがいい
  おまえらの歌は 聞きたくもないわい
  いまや 鳥追いのご治世じゃ
  わしは 苦しみだらけの王なのじゃ

  ジャンヌがヴォクルールに着いた時の
  いまは あの苦しみの時代なのじゃ
  ああ フランスを八つ裂きにするもいい
  陽の光まで いろ青ざめたわい
  わしは苦しみだらけの王なのじゃ

(1)ヴォクルール──ムーズ河畔の町。ヴォクルールの隊長ロベール・ド・ボードリクールに、ジャンヌ・ダルクは始めてシャルル七世救援の計画を打ち明けた。愛国者が立ち上る前、というほどの意味で使われているのであろう。

 この詩は、カルカソンヌで書かれた。当時、「自由地帯」の家家の壁には「予は、虚偽の流言飛語を憎む。それはわれわれに多くの害毒を与えている──フィリップ・ペタン」というビラが貼りめぐらされていた。

  わめき散らす鳥どもは 黙るがいい
  おまえらの歌は 聞きたくもないわい
  いまや 鳥追いの ご治世じゃ

 という詩句は、ヴィシー政権の売国の指導者たちに投げつけられた毒舌である。この詩は、『断腸詩集』に収められて、一九四一年四月初め、被占領地帯と自由地帯の本屋で売られた。「グランゴワール」紙、その他の御用新聞が、「共産主義者の陰謀は粉砕された」とヴィシー政権をほめたたえていた時、ひとびとは争ってこの詩集を買いもとめていたのである。

(この項おわり)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

ボビージェームス

 『リラと薔薇』は、一九四一年九月、「フィガロ」紙に発表された。フランス軍の敗戦、降伏後の、戦々競々とした沈黙の時代に、この三〇行の詩は、大きな反響をよび起したのだった。「フィガロ」紙の批評家アンドレ・ルッソーは、この詩は、「新しい詩の開花」の始まりを告げるものであり、「フランス精神に与えられた一種の恩寵であり、フランス人の心がフランス的な生命によってのみ生きるという意志をかためることのできた、血と涙の輝く瞬間」を定着した、といってこの詩を讃美した。
 この文章にたいして、「フィガロ」紙は共産主義者の宣伝に力を貸している、という非難の投書が舞い込んだ。ルッソーは答えた。「アラゴン氏が以前に、文学活動のほかにおこなった政治活動に、私はなんら同意するつもりはない」と。

 一九四〇年四月、アラゴンの部隊は、ベルギーに派遣される。彼は医療班長として、軽自動車隊に配属されていた。部隊は、ベルギー中部チルルモン郊外のベルギー軍陣地を救援することになっていた。しかし、五月初め、アラゴンの部隊が、チルルモンの近くに到着したときには、ドイツ軍の先遣部隊は、すでに百米先に迫っていた。その頃、マジノ戦の一角も崩れさっていたのである。
 こうして四〇年六月、「ダンケルクの悲劇」に遭遇して、からくもアラゴンは、九死に一生をえて帰還する。
 『リラと薔薇』のなかの

  愛を積みこんだ戦車や ベルギーの贈り物……
  ……
  熱狂した民衆が リラで飾った砲塔……

 という詩句は、ベルギーで受けた歓迎の光景をうたっている。その光景は『レ・コミュニスト』のなかに、鮮やかに描かれている。
 「……ボリナージュ(ベルギーの地名)のまんなかに着いた。……家いえは小さく、白く、まるで石膏のチーズのようだ。色とりどりの鎧戸の窓には、子供や女たちが鈴なりになり、カーテンが風のなかで、どこかの国旗のように、ごてごてした色で、陽気に、ひるがえっていた……いきなり花ばなが舞い飛んだ、花……花……いったい、どこで摘んできたんだろう? 赤や、黄や、紫の、そんなにたくさんの花を、朝から投げているとすれば……それに煙草、ビール、葡萄酒、果物、車にとりついて兵隊たちに抱きついている娘たち、それらすべてが、「フランス万才!」という歓呼の下でつづくのだ。それに気をとられているひまもなく、つづいてリラの花が現われた。みんなが、リラの花束を抱えてやってきた。道はリラで埋まった。戦車は敷きつめられたリラの上を進んだ。砲塔の中の兵隊たちは、ときどき、異教の神のように、花に包まれた……」
 小説におけるこの活写と、詩句とを比較すれば、アラゴンの詩におけるほとんど直接的なレアリズムがよくわかる。

 こん夜きけば パリはついに陥ちたという

 「この詩句は、いまもわれわれの記憶のなかに鳴りひびいている。かつてユゴーが、単純に、直接的に書いた「子供は頭に二発の弾丸をぶち込まれた」という詩句と同じように」とサドゥールは書いている。

(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

ラベンダー