青山伸

ここでは、「青山伸」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


青山さん
青山伸さんがお持ちだった詩誌「呼子」「角笛」「種」「火山帯」「ローカル線」「'61長野県年間詩集」

青山さん
ご子息の茂さんと奥様が届けて下さいました。「呼子」の浅間山演習地問題特集号が貴重です。
「昭和45-46年頃、長野市で開かれた詩の会合のあと、博光さんを松代の実家まで父と車で送ったのを覚えている」と茂さん。
奥様は演劇関係のお仕事をされていて、スペイン語が読めるのでアルピジェラに付いているメッセージを読みました。


 閉じられた窓    青山伸

むかいの整形外科病棟の窓に
髪を肩にたらし いつも
左の横顔しか見せない少女がいた

タンポポの芝生をなでてくる風が
僕の髪をふるわすのにたまらなく
半身をベッドに起して
窓から顔をだすと きまって
少女は青白い手で
曇りガラス戸を そっとしめた

 ある日 看護婦さんがささやいた
 広島の方なの
 右頬がひきつれて耳がないのよ

退院近い日
足音しのばせ 松葉杖ついて
長い間 閉じられたままの
窓の下の芝生を歩いてみた
ガラスに赤い花の しおれた影が映って
なかは ひっそりしていた

こうして びっこをひかなくなった僕は
原水爆禁止長野県大会の会場で
長い髪にかくされた少女の頬をおもい
僕は今 署名簿にむかう

詩集『きのこ雲』1956年6月)

白バラ

 壇上     青山伸

ひろしまの 廃墟に生えた 若木のように
あたしの白い胸も 荒地をもたげ まるく芽ばえたけれど
頬と心の傷ぐちは 十三才のまま
原爆記念堂の 瓦礫のようでした

そうして きずつかなかった やさしいお友だちが
あたしにだまって お嫁にいったとき
悲しみを 大きなマスクでおおい
人影をよけ 暗い裏道を歩きました

いつのまにか 死んでいた 母によりかかって あの時
この川岸で あたしも星となっていればよかったと
夜露にぬれて たたずみ
川原の草をちぎっていました

思ったものは あたしひとりだけの世界
ねがったものは すべての人がみにくくなること
街角にてる 太陽をうらみ
月のない夜の露路を愛しました

あれから十年 原水爆禁止世界大会へ
あたしはいやいや 壇上につれだされたけど
世界中からきた人びとの いのりとねがいは
悲しみがあきらめとなった 傷ぐちをあらう

あたしを愛するひとが たとへあらわれても
放射能や かたわが つたわるのでは
あたしは子供を産みたくない
こんな苦しみは もうあたし一人で沢山なの

あたしへの あわれみは ありがたいけど
唇をとじても見える歯が
平和のために お役にたつのでしたら
皆さん ニュースのライトを止めさせないで

動かない まぶたからこぼれる涙に
フラッシュは明るすぎるけれど
水爆をつくる人たちの前に
どうぞあたしを 連れてってください

(『角笛』13号 1955年9月、詩集『きのこ雲』1956年6月)

ポールヒマラヤン


石臼


水郷


青山伸 作品目録

A. 詩誌「角笛」
1)オフェーリヤの水死   角笛6号 1952.12
2)壇上   角笛13号 1955.9
3)夕焼けの丘で     角笛15号 1957.2
4)埴輪の少女  角笛16号 1957.7
5)石臼  角笛17号 1958.5
6)白いひとに  角笛18号 1961.4
7)風と光と自転車と  角笛19号 1961.6
8)またも灰が  角笛21号 1961.12.
9)犬  角笛22号 1962.4

B. 青山伸詩集「きのこ雲」(発行 呼子詩話会 1956年6月20日)
1)漁夫の死
2)壇上   (角笛13号)
3)傷ぐちは深くても
4)閉じられた窓
5)オフェーリヤの水死   (角笛6号)
6)あとがき

きのこ雲
(角笛15号 宣伝)
              


傷ぐちは深くても


(詩集『きのこ雲』1956年)

ボビー・ジェームス

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オフェーリヤ


噴水





夕焼けの丘で



夕暮れ





白い人に



白バラ


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風と光と


  (『角笛』19号 1961.6)

自転車




埴輪の少女



    (『角笛』16号 1957.7)

角笛 埴輪の少女
表紙写真・埴輪の少女

青山

5月8日にお亡くなりになった青山伸さんのお別れに小熊ふさ江さんと行きました。
小熊忠二さん、岡沢光忠さんらと国鉄長野工場で詩のサークルをはじめたのが最初で、「角笛」「呼子」に参加して詩を書きました。多くの国労の仲間とともに首切り合理化の犠牲になり、苦労されたそうです。

青山

青山伸詩集「きのこ雲」(発行:呼子詩話会 1956年6月20日)をふさ江さんがお持ちになりました。
あとがきには「また南の海で水爆の実験がはじまり、雨期の日本のあちこちで、ガイガーが鳴りはじめている。それに仲間のすすめもあり、小さなものであるが原爆詩集を出すことにきめた。ここに収録した作品の大部分は「呼子」「角笛に発表したものである。」

信州大学の名誉教授であった鷺坂修二さん(角笛同人・昨年ご逝去)の娘さんから<角笛同人の中の青山伸様の「きのこ雲」の出版祝賀会の写真も残っていました>とメールがあったことを伝えましたら、息子さんは鷺坂修二さんのことをご存知で、小熊さん、立岡さんらと交流していた、専門は工学係で詩は書かなかったようだ、その写真を探してみる、と言われました。

青山

青山さんの息子さん「博光のことを覚えている、長野市で講演会に来た帰りに、父と一緒に車で松代まで送った、ベレー帽をかぶっていた」

生前、お会いしてお話を聞けなかったことが悔やまれます。ずっと詩誌「歌ごえ」3号を見せていただきたいと思っていたのに、存命ではないかもしれないと思い込んで連絡する努力を怠りました。小熊ふさ江さんが親しくしていたことを知らずにいたことが残念。あまり知られていない青山伸さんの詩についても発掘していきたいと思いました。