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新日本新書『ランボオ』

ここでは、「新日本新書『ランボオ』」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。




 六月の初め、ヴェルレーヌはこういう生活をおしまいにしようと決心した。彼はランボオから逃げだす計画をひそかに練った。その計画を実行する日が来る。
 六月三日水曜日、ヴェルレーヌは片手に油の壜(びん)をぶらさげ、もう一つの手に鰊(にしん)をもって市場から帰ってきた。その格好を窓から見ていたランボオが叫んだ。
 「油と魚をぶらさげて、まるで尼っ子のようだぜ!」
 この気に障る失敬な嘲笑が、ヴェルレーヌが行動を起こすきっかけとなった。彼はさっそく旅行鞄を手にして外へ出た。ランボオはあっけにとられて、大股に遠ざかってゆくヴェルレーヌのうしろ姿を見送っていた。やがてそれが冗談でないことに気がつくと、彼のあとを追った。ヴェルレーヌはセント・カサリーン・ドックの波止場から、ベルギーのアントワープ行きの船に乗った。正午にサイレンが鳴って船が出た。ランボオは波止場にひとり残された。一文なしで、途方に暮れて。

 ランボオは翌日どこへ送るという宛先もわからずに手紙を書いて、ヴェルレーヌが自分をゆるしてくれるようにと懇願する。彼は自分のあやまちを認め、自分の友情を吐露し、ヴェルレーヌの欲するどこへでも行って一緒になるつもりだと伝える。さもなければ、ランボオは軍隊か海軍に入ってしまうと告げる。

 翌日、ヴェルレーヌが船の上で書いた手紙がとどいた。手紙は悲壮な調子で、じぶんの執った行動はたんなる失踪ではなく、ランボオとの決定的な絶交を意味すると説明する。「もしもこれから三日のうちに、完全な条件で妻といっしょになれなかったら、ぼくはピストルで頭を撃ちぬいて自殺する……」さらに追伸はきっぱりとしたものであった。「いずれにせよ、ぼくらはもう二度と会うことはないだろう」そして彼は、三日間有効のブリュッセル局留郵便という宛先を知らせてきた。

 この絶交状を読んで、ランボオは怒りに燃えた。こんどは調子のちがう、激しい手紙を書く。「きみの妻君が、三カ月のうちに、三年のうちに、来るか来ないか、そんなことはぼくの知ったことか。くたばるなんて言ったって、ぼくはきみをよく知っているのだ」。それから、ヴェルレーヌの将来について警告する。
 「これから永年にわたって自由を失い、怖るべき退屈に見舞われて、きみは後悔するだろう……そのとき、ぼくを知る前のきみがどんなだったか、思ってもみたまえ」
 ランボオはロンドンを離れてパリへ行くつもりであった。
(つづく)

(新日本新書『ランボオ』)



 さて、ロンドンに亡命していたコミュナールたち──ヴェルレーヌのむかしの友人たちであったヴェルメルシュ、レガメエ、アンドリュなどのあいだでは、二人の醜聞について嘲笑や悪口が交されていた。ある日、ランボオがアンドリュを訪ねてゆくと、アンドリュは彼を戸口の外へつまみ出すという悶着がもち上がった。この話はすぐ亡命者仲間にひろがって、ヴェルレーヌとランボオは彼らから閉め出されることになる。

 二人はたがいに、人生を台なしにしたという非難を投げつけあう。ヴェルレーヌには、気に障るようなことがあると、いつも暴飲する癖があった。そんなとき、二人の関係は、激しい、乱暴な暴力沙汰に及んだ。ドゥラエによれば、二人の口論はしばしば拳による殴りあいから、ドイツ学生の決闘のような、ナイフをもった立ち廻りにまで及んだという。ランボオはそれをつぎのように描いている。

「幾夜も幾夜も、あの人の悪魔がわたしをひっとらえ、わたしたち二人は転げまわり、わたしはあの人と闘ったものです......」(「錯乱」Ⅰ)

 やがて彼らは、このように傷つけあい血を流す暴力沙汰をかくすことができなくなる。一八七三年八月一日付の警察の調書によれば、「この両人は、仲直りの悦びを味わうために、猛獣のようにたたかい、ひっ掻き合った」とある。事態はこのままつづくべくもなかったのである。(つづく)

(新日本新書『ランボオ』)

闘い

ブリュッセルの悲劇



 ふたたびロンドンに行ったヴェルレーヌとランボオは、グレート・カレッジ・ストリート八番地──こんにちのロイヤル・カレッジ・ストリートに部屋をみつけた。アレキサンダー・スミス夫人の家の一室で、住み心地がよかった。あたりは多くの芸術家たちが住んでいる街で、初め二人は静かな日日を送る。ランボオは例の『異教徒の書』の草稿に手を加えたり、大英博物館の閲覧室へ読書にでかける。ヴェルレーヌも詩作と読書にとり組む。
 二人は、いつまでもヴェルレーヌの母親の仕送りで暮すわけにはゆかず、フランス語の家庭教師の口をみつける。のちの一八七三年七月十二日、ブリュッセルの予審判事の「あなたはロンドンでどうやって暮らしていましたか」という質問にたいしてランボオは答えている。「主として、ヴェルレーヌ夫人が息子に送ってきたかねで暮らしていました。わたくしたちはまた二人でいっしょにフランス語の教師をしていましたが、大したかねにはならず、週に一二フランでした。」
 しかし、うわべの静けさの下に、火がくすぶっていた。その頃の二人の共同生活の模様は、「放浪者たち」(『イリュミナシオン』)のなかにもこれを見ることができる。

 「哀れな兄き!おかげで、おれはどれほど辛い、眠れぬ夜を過ごしたことか!《こんな放浪の企てに、おれはこころから熱中したわけではない。おれはかれの弱さをからかっていたのだ。おれのあやまちで、おれたちはまた流浪の身となり、奴隷の身におちるのかも知れぬ》兄きは、おれをとても風変りな、不運な男、無邪気な男と決めて、いろいろ気をもたせる理屈を並べたてたものだ。おれはあざ笑いながら、この悪魔的な先生に口答えして、窓べへゆくのがおちだった。おれは、奇妙な楽隊のよぎってゆく野の彼方に、未来の豪奢な夜のまぼろしを想い描いていた。
こんなわずかに衛生的な気晴らしのあと、おれは藁ぶとんの上に横になった。すると、ほとんど毎晩のように、眠ったかと思えば、哀れな兄きは起きあがり、腐ったようなくさい口で、眼をむきだし──まるで自分の夢でも見ていたように──おれを部屋のなかに引きずり出すのだった。白痴のばかげた悲しいたわごとをわめきながら。」
(つづく)

(新日本新書『ランボオ』)

大水



 しかしこんにち情勢は逆転する。その劣等人種が、「すべてを奪い返」したのである。
  「……劣等人種はすべてを蔽った──いわゆる人民を、理性を、国家を、そして科学を!おお、科学!すべてが奪い返された。……
  科学、新しい貴族!進歩。世界は進む。なぜ逆廻りしないのか」
 ここにふたたびコミューヌの頃のランボオの言葉、思想が顔をのぞかせている。「なぜ逆廻りしないのか」という言葉は、ガリレオの「けれども地球は廻っている」という言葉にたいする皮肉なのである。
  「おれはヨーロッパから出て行くのだ。海の潮風がおれの肺を灼くだろう。ひどい気候がおれの肌を褐色になめすだろう。……
  『おれは帰ってくるだろう、鉄のような手足をして、暗くくすんだ肌で、眼をぎょろつかせて。おれのつら構えを見て、ひとは強い逞しい人種だと思うだろう。おれは金をため、ぶらぶら遊び暮らし、狂暴にふるまうだろう。熱帯をかけめぐって帰ってきた、この凶暴な病人を、女たちは介抱してくれるだろう。おれは政治問題に巻きこまれるだろう。そうしてやっと救われるのだ」
 ここでランボオは、またしてもおのれの将来を──その後に実際に送ることになる、エチオピアの砂漠での生活を予言的に描いている。まるで熱帯をかけめぐれば、「劣等人種」も「強い逞しい人種」になれるものと信じこんでいたように。
 そしてまた子供の頃や過去の思い出が現われる。
  「まだほんの子供の頃、いつも徒刑場に閉じこめられている、手のつけられぬ徒刑囚に、おれはうっとりと見とれたものだ。徒刑囚が泊って、祝福した宿屋や木賃宿をものめずらしそうに見に行った。おれは徒刑囚の気持ちになって青空を見あげたり、田舎の生き生きとした野良仕事を眺めたりした……。
  ……おれは激昂した群衆の前で、死刑執行班に面とむかって立っていたこともある。彼らの理解することのできぬ不幸に泣きながら、しかもゆるしながら!──まるでジャンヌ・ダルクのように……」
 「手のつけられぬ徒刑囚」というのは、子供の頃によんだユゴーの『レ・ミゼラブル』の主人公ジャン・バルジャンを指すといわれる。この章には、ふたたび反抗にたいするランボオの讃美がみられる。「おれは激昂した群衆の前で、死刑執行班に面とむかって立っていたこともある」というイメージは、死刑執行班の前に立ったコミューヌ戦士のイメージに重ならずにはいないだろう。ランボオの反抗は根深く、根本的だったのである。

 さて、一八七三年五月二十五日、ランボオはヴェルレーヌと連れ立って、リエージュとアントワープを通って、ふたたびロンドンへと向かう。ロッシュにはおよそひと月滞在したに過ぎない。くされ縁とも見える二人の詩人の関係も、こうして破局へと向かう。
(この項おわり)

(新日本新書『ランボオ』)

森



 ここに言われている三つの物語のうちのひとつは、後に『地獄の季節』に収められる「悪い血」であるといわれる。それはランボオが抱いていた多くの矛盾、対立から成る散文詩である。「悪い血」の前半の部分にはミシュレの思想の影響がみられる。ランボオは、フランスの大地に深くむすびついたゴール族──あの征服された民族のなかに自分の祖先をみいだし、自分の資質の説明をもそこに見いだしている。(古代ゴール族は紀元前五〇年頃シーザーによって征服された。三世紀には、ゲルマン、西ゴート、ブルグント、フランクなど、諸族の侵略をうけた。)彼は自分の青い眼も、身についた悪徳もゴールから受けついだと考える。また絶えず街道を歩いて行きたいという欲求もゴールに負うていた。彼はあの中世の人びとがおのれのなかに生きているのを感じる……。
 「おれはゴール人の祖先から受けついだ、白みがかった青い眼を、狭量な脳味噌を、不器用な闘いぶりを。おれの身なりも彼らのと同様に野蛮だ。しかし、おれは髪にバターなど塗りはしない。
 ゴール人は獣の皮を剥ぎ、草を燃やし、当時もっとも無能な人種だった。」
「悪い血」の始めの部分は、ランボオ個人の叙述と見なすよりは、彼が歴史的展望のなかにおのれを位置づけて見ようとした試みと見なすことができる。ランボオは、いままでの自分の生きざまを、たんに彼ひとりだけのものとは考えずに、ひとつの種族から受けついだものだと考える。M・A・リュフの指摘によれば、この始めの部分は、ミシュレの『フランス史』を読んだ思い出によって書かれている。「異教徒の書」という初めの題名や、悪魔(サタン)の喚起も、ミシュレの「魔法使」に負うているという。ミシュレは、ある民族が汎神論と悪魔を手段としてキリスト教とたたかったことを描いている。「おれは林のなかの赤い空地で魔法使の夜宴(サバト)を踊っている。老婆や子供たちといっしょに。」という部分などは、直接ミシュレから借りているようである。ミシュレは「夜宴(サバト)」の章で、「悪魔(サタン)の女司祭はつねに老婆である」と書き「赤い焚き火」で照らされていたといい、「そこには子供たちもいた」と書き加えている。
 むろん問題は、この部分の源流をさぐることにはない。問題は、ランボオがここで自分をゴールの祖先にむすびつけていることである。ランボオの生きざまは、「おれはいつも劣等人種だった」という想いに支配されていた。「それはほとんど、ランボオが、その詩的な形式で、自分自身について示したマルクス主義的解明であると言えよう」とM・A・リュフは書いている。
(つづく)

(新日本新書『ランボオ』)

森


 その時、ランボオの健康状態はよくなかった。放浪生活ですっかり消耗していた。生きいきとして光りを放っていた青い眼もいまは光りを失っていた。何時間もベッドにひっくりかえって、眼をつむってじっとしていた。妹たちが食事に呼んでも食べようとしない。妹のイザベルの語るところによれば、彼は夜も眠れずに、納屋には夜明けまで灯がともっていて、悪魔と闘っているような呻き声がきこえたという。

 ときどき野や森を、彼が絶望に沈んだ姿でさまようのが見られた。このとき彼の内部には烈しい危機が見舞っていた。彼は自分の過去をふり返り、自分のあやまちを反省し、自分の挫折を噛みしめていたのだ。ロッシュに着いてからまもなく、彼は『異教徒の書』あるいは『黒ん坊の書』を書き始める。ロッシュから書き送った一八七三年五月のドゥラエ宛の手紙は、その頃のランボオの状況をよく物語っている。
 「……夕ぐれ、一杯飲みにゆくにも二里も行かなければならない。おふくろはこの悲しい穴倉にぼくを閉じこめてしまった。どうやってここから脱けだすかわからないが、とにかくそのうち脱けだすだろう。あの怖るべきシャルルヴィル、カフェ・ル・ニヴェール、図書館などがなつかしい……けれどもぼくは規則正しく仕事をしている。『異教徒の書』あるいは『黒ん坊の書』という題目で、いくつかの小さな散文の物語をかいている。……ぼくはとても気づまりだ。一冊の本もない。ぼくの行けるような酒場もない。路上には事件ひとつ起こらない。フランスのこの田舎のなんとおぞましいことか。ぼくの運命はこの書にかかっている。そのためには、もう半ダースほど残酷な物語をつくらなければならない。だが、こんなところで、どうしてそんな残酷を考えだせよう?きみに物語を送らないが、すでに三つばかり書いた……」
(つづく)

(新日本新書『ランボオ』)

樹々

ロッシュの農場──「悪い血」



 ランボオとヴェルレーヌの同棲生活は、結局うまくゆかない。「気狂い娘」は「錯乱1」のなかで言う。
 「幾夜も幾夜も、あの人の悪魔がわたしをひっとらえ、わたしたち二人は転げまわり、わたしはあの人と闘ったものです……」
 二人の取っ組みあい、修羅場は、かれらの酒浸りの結果によるだけではなく、ランボオが「哀れな兄き」に抱いていた恨み、侮蔑によるものでもあった。激しいいさかいの後に仲なおりや優しさがもどってきても、もう二人ともこの耐えがたい生活をつづけることにどんな幻想を抱くこともできなかったにちがいない。それにまた経済的な切迫という問題も加わったであろう。

 一八七三年四月十一日聖金曜日、ランボオは予告もなしにロッシュの農場に帰ってくる。ちょうどランボオ一家が月初めから農場にきていた。妹ヴィタリは日記に書く。
 「みんなでいつものように部屋で片づけものなどしていた。妹と兄と母がわたしのそばにいた。そのとき遠慮がちに戸を叩く音がした。わたしが開けにゆくと……なんとびっくりしたことに、眼のまえにアルチュル兄さんが立っていた!」
 ロッシュはシャルルヴィルの南方四〇キロほどにある小さな農村で、アティニの駅から四キロのところにある。アルデンヌのこの地方は収穫の少い土地で、スレートぶきの家の小さな部落がそこここにあって、地平には伝説的な森がつらなっていた。睡蓮や葦におおわれたエーヌ川が青緑色に流れている……ランボオの母親はそこに親譲りの農場をもっていた。農場の家は十八世紀に建てられたもので、大きな入口は養鶏場に面していた。農場の家の一部分と附属家屋の大部分は普仏戦争で破壊されたままであった。その頃、一家は農作業の時だけシャルルヴィルからやってきて、その廃屋のなかに住んでいた。四月、五月は農場では猫の手も借りたい時である。しかしランボオは何ひとつ家族の手助けをしない。畑を鋤(す)くのは兄のフレデリックで、養鶏場の仕事は妹たちが受けもっていた。ランボオは畑仕事を手伝わずに、納屋にひとりこもって過した。働くのがいやだったのだ。『地獄の季節』の「悪い血」のなかに彼は書く。
 「おれはあらゆる職業が大嫌いだ。親方も労働者もすべての百姓もいやらしい。」
(つづく)

農場
ロッシュの農場


(新日本新書『ランボオ』)



 この頃、ランボオの詩想は純粋な神秘主義からそれて、唯物論的な主題へとむかっている。『イリュミナシオン』のなかの「都市」のような新しい散文詩形式の作品を書き始めたのもこの頃である。この「都市」で彼は、近代的な産業都市の怖ろしさ、地平線へむかって伸びる街、小さな家が密集している悲惨な郊外などを、異常な巧みさで具象的に描いている。それらの街街のうえを、黒い喪のヴェールのように、ロンドンの霧と煙が覆うている。これらのイメージの喚起はレアリスム風ではないが、その暗示力はたんなる描写をはるかに越えている。とにかくこれらの『イリュミナシオン』の諸作品はイギリスの雰囲気をただよわせていて、フランスで書かれたものとは思われない。しかし日付がないので、いつ頃書かれたのか、はっきり断定することはできない。

 ヴェルレーヌとランボオは、ロンドンのイースト・エンド地区にあった中国人のアヘン窟に出入りしたのではないか。──出入りしたといわれる。アヘンの吸用によって、ランボオの都市感覚に変化が生じた、ともいわれる。彼の都市感覚は建築家のもので、建築家はちがった地層を発見し、都市を切れ切れに見る。あるいは遠近法のない原始絵画(プリミチーフ)におけるように、ちがったいろいろの面がたがいに重なり合っている。いわばピカソのキュビスムを先取りして、それを言葉の世界で実践しているようである。ランボオはそのようにロンドンを描いている。
 「密集した建物によって、辻公園、中庭、閉ざされたテラスから、御者たちは立ちのかされた。公園はすばらしい技術によって造られた原始的な自然をあしらっている。山の手の街区には不思議なところがある。舟のいない水路が、巨大な枝付燭台をならべた河岸のあいだに、青い霰(あられ)の布を押し流している。短い橋がセント・チャッペルのドームの下の裏門にじかに通じている。このドームは、直径およそ一万五千フィートにも及ぶ、芸術的な鋼鉄の骨組である」(「都市」)
 イギリス人のスターキー女史によれば、ここに描かれている風景はそのまま、ロンドンのウエスト・エンド地区、そこにある辻公園、テラス、公園、人造湖などを思い出させるという。
 ところでロンドンにおけるランボオとヴェルレーヌの放浪生活は、ヴェルレーヌの健康と精神上の不安定によって絶えずおびやかされていた。その破局は避けがたいものになっていたのだ。
(この項おわり)

新日本新書『ランボオ』

ランボオ



4

 ヴェルレーヌはランボオを見ると、まるで魔法にかかったように回復してしまった。二人はまた酒場びたりの生活を始める。ときどきロンドンの郊外や田舎の方も歩きまわる。彼らはまたホワイトチャッペルのような貧民街をぶらつく。この近代的な大都市における貧民の悲惨さをまのあたりに見て、ランボオは虐げられた大衆にたいする新しい同情を覚えずにはいられない。『地獄の季節』のなかにその反映をみいだすことができる。
 「ときおり、あの人は語るのです。ほろりとさせる方言など使って──悔いの残る死について、たしかにこの世にいる不幸な人たちについて、辛い労働について、心ひき裂くような出発について。わたしたちが酔っぱらった汚い部屋で、あの人はよく泣いていました、わたしたちのまわりにいた貧乏な畜生なみの人たちのことを考えながら。また暗い街なかで、あの人は酔いどれを抱き起こしていたものです。あの人は、小さな子供にたいする意地悪な母親のようなあわれみを持っていたのです」(「錯乱」I)
 ここにはランボオのコミュナールとしての心情が姿をみせているようである。
(つづく)

新日本新書『ランボオ』

少女

3.

 一八七二年十二月の終り、ランボオは母親の忠告にしたがってシャルルヴィルに帰る。この頃、『イリュミナシオン』のなかの数篇の詩が書かれる。
 そのときひとりロンドンに残ったヴェルレーヌは、相棒を失ってたちまち意気消沈、ノイローゼにおちいる。ハウランド街の小さな部屋は、ランボオがいたときには陽気だったのに、いまや冬のさなかで暗鬱であった。深い霧のたちこめる日がつづいたかと思うと、こんどはしとしとと雨が降りつづいた。ヴェルレーヌは孤独のなかで、あの有名な詩を書く。

  街に雨が降るように
  わが心にも 雨が降る
  わが心に 沁みとおる
  この憂鬱は 何んなのか

  おお 大地に屋根に降る
  やさしくあまい 雨の音!
  倦(うん)じ 悩む 心に沁みる
  おお 降るこの 雨の音!

  ここにはヴェルレーヌの孤独な旅愁と悲哀がにじみ出ている。そんな状態で新しい年を迎えると、彼は病気になった。たんなる風邪にすぎなかったが、ノイローゼのために彼は重病と思いこみ、いまにもひとりのまま死ぬのではないかと大げさに考える。彼は母親に手紙をかき、急いで病床に駆けつけてくれるように、またランボオに旅費を送って会いにくるよう連絡してほしいと懇願する。ヴェルレーヌの母親はさっそく姪をつれてロンドンに向かう。ランボオは二日おくれて彼女たちのあとを追う。
(つづく)

(新日本新書『ランボオ』)

雨


2.飢えの祭り

 二人の生活はヴェルレーヌの母親の送金に頼るだけで、みじめなものであった。生徒がみつかった時にはフランス語の家庭教師などもしている。その悲惨な生活は「飢えの祭り」のなかに反映している。

    飢えの祭り

  おれの飢えよ アンヌ アンヌ
  おまえの驢馬で 逃げうせろ
  おれに食い気が あるならば
  ただ 土くれと 石ころだ
  ディン ディン ディン 食ってやれ
  空気を 岩を 石炭を 鉄を

  おれの飢えよ ぐるぐる廻われ
  音の鳴る牧場の 草を喰(は)め!
  昼顔から
  陽気な毒を しぼりとり

  食ってやろう
  貧乏人の砕いた 砂利を
  教会堂の 古びた石を
  洪水ののこした 石ころを
  灰色の谷間に横たわったパンよ!

  おれの飢えは 黒い空気の端(はじ)っこだ
  鳴りひびく 青空だ
  ──身を引きちぎるような胃袋だ
  それが おれの不幸なのだ

  地のうえに 青草が現われた!
  ふだん草の葉を 採りに行こう
  畝(うえ)のなかに 摘みとろう
  野萵苣(のぢしゃ)と すみれを

  おれの飢えよ アンヌアンヌ
  おまえの驢馬で 逃げうせろ

 この詩の日付は「一八七二年八月」であるから、ベルギーをさまよっていた頃に書かれたとも思われる。しかし、S・ベルナールの注釈によると、ロンドンでランボオが眼にした石炭置場や鉄材などの風景に触発されたものとされる。とにかく季節は冬で、石や鉄ばかりの風景と飢えのなかで、詩人はみどりの春とその野菜を夢見ている。
(つづく)

(新日本新書『ランボオ』)

小僧


ロンドンへ

1.
 初め、ランボオとヴェルレーヌの友情は彼らに大きな悦びを与え、詩作上の刺戟ともなった。やがて彼らの関係は苦痛、苦悩、はげしい嫉妬の原因となり、同性の二人は深く傷つけあうようになる。『地獄の季節』のなかの「地獄の夫と気狂い娘」は、こういう情況の緊張と苦悩を現わしている。この章は一般に二人の関係を描いたものとみられているが、ここでも、ランボオが知的にも感情的にもヴェルレーヌを支配していたことがうかがわれる。「気狂い娘」とその繰り言は、優柔不断で泣き虫のヴェルレーヌの姿を忠実に示している。まさにその泣き言、涙もろさ、絶えざる告白癖、その弱さが、ランボオを絶望させたのである。「気狂い娘」の繰り言をきこう。
 「……そうです、わたしはむかしは真面目な女でした……あの人はほとんど子供でした……彼の不思議な気むずかしさがわたしを誘惑したのです。わたしは人間の義務を忘れて、彼のあとをついてきたのです。なんという生活でしょう!ほんとうの生活などはないのです。わたしたちはこの世界にはいないのです。彼の行くところへわたしはついて行きます。そうしなければならないのです。ときどき彼はわたしに、哀れな魂であるこのわたしに、怒鳴りちらすのです。悪魔め!──あれは悪魔です。人間などではありません。」
 ヴェルレーヌは次第にランボオへの依存関係を深め、ランボオの愛に飢える。「わたしはますます彼の優しさに飢えたのです。彼に接吻され、親しく抱きしめられると、わたしはもう天国に、ほの暗い天国にのぼった思いで、そこに、哀れな者として、何も聞かず、何も言わず、盲目のままで、じっとしていたかったのです。わたしはもうそういう習慣になっていたのです……」
 ヴェルレーヌとランボオは、ふた月のあいだベルギーをさまよった後、九月七日、ドーバー海峡をわたってロンドンに行く。すべてその場の思いつきであり、風まかせの気まぐれな放浪である。ロンドンで、彼らはヴェルレーヌの旧友で画家のフェリックス・レガメエを訪れ、画家はよれよれの服を着た二人の詩人の姿を描いたデッサンを数枚のこしている。ぼろ服を着た二人の詩人が、二人をうさんくさそうに見やるロンドンの警官の前を、ぶらぶら街歩きをしている図も残っている。
 彼らはまたロンドンで、有名なコミュナールのウジェヌ・ベルメルシュに会い、その紹介で、やはり亡命中のコミュナールであるリサガレ、ジュル・アンドリゥ、カミィユ・バレールなどとも会っている。この人たちは活動的なグループをつくっていて、警察から眼をつけられていた。
 二人はロンドンの名所を見物して歩いたり、博物館を訪れる。とりわけランボオは大英博物館の閲覧室を訪れている。彼はロンドンの空を、「ガラスのような灰色の空」(「メトロポリタン」)、「まるで喪の海がつくったような陰鬱な黒い煙りに覆われた空」とノートに書く。『イリュミナシオン』の「都市」もロンドンの思い出によって書かれているようである。

(つづく)

ロンドンへ
ランボオとヴェッレーヌ(レガメエ画)


(新日本新書『ランボオ』)


(5)
 しかし、放浪の幸福感もだんだん薄れてゆく。マチルデの影がまた二人のあいだに落ちてくる。一八七二年七月二十一日、マチルデは母親といっしょにブリュッセルに向かう。ヴェルレーヌが手紙を出したからである。彼はホテルで妻と義母を迎える。久しぶりの夫婦の逢う瀬で、たちまち抱擁、涙、笑い、和解となる。マチルデが再び一緒に暮らそうと本題をもちだすと、ヴェルレーヌは口を濁して逃げてしまう。とにかく夫人たちは彼をパリに連れ帰ろうと汽車に乗せたが、国境のキエヴラン駅で乗客がみんな税関の手続きをするために下車した、その混雑にまぎれて、彼は姿を消してしまう。それがヴェルレーヌ夫妻の最後の別れであった。そのときの妻との出会いを詩人は書いている。

  ぼくはまたきみを見る 扉を少し開ける
  きみは疲れてか ベッドに寝ていた
  おお 愛に駆られた 軽やかな肉体
  きみは裸で跳ねる 泣きぬれて陽気に

 ヴェルレーヌは、マチルデと過したホテルの午後を思い出しては、甘くて苦い嘆きにひたる。しかし、それはランボオには嫌らしい泣きごとに聞こえる。喧嘩になった後など、ヴェルレーヌはランボオに捨てられはしないかと不安になる。ヴェルレーヌは書く。

  さあ 眠れ! ぼくはきみへの恐怖で眠れぬのだ

 後にランポオもまた書くことになる。──「哀れな兄きよ! きみのおかげで、幾夜つらい夜明かしをしたことか」
 その頃、ランボオは哀れなヴェルレーヌにまるで呪文をかけたように、思いのままにあやつっている。彼はまだヴェルレーヌを解放してやる、「太陽の子」の本然の姿に還元してやるという使命感を、正確にいえば、自分のまぼろしの使命感を抱いている。彼はヴェルレーヌへの手紙に書く。「ただぼくといっしょにいて、初めてきみは自由になれる。ぼくを知る前にきみはどんなだったか、思い出してもみたまえ」この頃、ヴェルレーヌがランボオについてどう考えていたか、彼はそれを「英智」のなかにほのめかしている。

  きみはもう優しくなくて役立たずだ
  きみの言葉は隠語と冷笑で死んでいる
(この項おわり)

(新日本新書『ランボオ』)

マチルダ


(4)
 さて、アンドレ・ジルによって「暗鬱な駿馬」と呼ばれたヴェルレーヌは、マラルメによって「とてつもない通行人」とよばれたランボオのあとをついてゆく。それからの数カ月というもの、ヴェルレーヌの生活は西部劇のようにくるくると変る。ランボオを追い払う……ふたたびランボオを呼びもどす……ヴェルレーヌはマチルデと和解を試みる……ヴェルレーヌはランボオといっしょに逃げる……マチルデはヴェルレーヌを追ってベルギーにゆく……ヴェルレーヌとランボオはイギリスに渡る……ランボオが逃げだす……ヴェルレーヌはランボオを探す……ヴェルレーヌはマチルデを探す……眼のまわるようなドラマの転回である。ヴェルレーヌは絶えずマチルデとランボオのあいだに引き裂かれて揺れている。
 一八七二年七月の初め、放浪に出た始めの頃、哀れなヴェルレーヌは、家庭的束縛から解放されて身軽になり、放浪生活の面白さに心奪われて、わずらわしい重荷をみんな捨て去ったと思い込んでいた。

  おれたちは こころも動かさず
  パリに 重荷を置いてきた
  かれは かつがれた阿呆者で
  おれは どこかの微笑む姫君で……

 行方をくらました二人の詩人は、いまは信頼しあい、解放をわかちあう。

  まるで 浮かれた二人の幽霊だ……

 ランボオにとって、放浪はすでに手馴れたものである。脱出というよりはひとつの征服であった。彼にはパリに置いてくる荷物さえなかった。ベルギーでの道中では、彼も旅の悦びに浸り、緑の国のゆたかさに慰めをみいだしている。

  おお 季節よ おお 城よ
  無疵(むきず)の魂が どこにある?

  おお 季節よ おお 城よ

  だれも 逃れられぬ 幸福の
  魔法を おれは究(きわ)めたのだ

  おお 幸福よ 万歳だ!
  ゴールの鶏(とり)の 啼くたびに

  だが おれにもう望みはないだろう
  そいつが おれの生を引受けた

  あの魅惑! そいつが身も魂も捉えて
  すべての努力を 吹き散らした

 ブリュッセルでは、二人の詩人は、「桜んぼの熟す頃」の詩人ジャン・バチスト・クレマン、ジョルジュ・カヴァリエなど、コミューヌの亡命者たちとしばしば会っている。
(つづく)

(新日本新書『ランボオ』)

レストラン


(3)
 しかしまた同じこの頃書かれた「渇きの喜劇」では、詩人の拒否と絶望が色濃くうたわれている。

  おれたちは おまえの遠い祖先だ
  おれたちの酒倉へ降りて行こう
  そこで りんご酒や牛乳を飲むとしよう

  おれ──牝牛どもの飲む処へ行くことだ
  ……
  いつか ある 「夜」
  おれは どこか 古い町で
  こころ しずかに 酒を飲み
  こころ みちて 死ぬだろう
  おれは 耐えてきたんだから

  もしも おれの悪病が しずまって
  おれに いくらか 金(かね)ができたら
  おれは 出かけて 行こう
  「北国」か 「葡萄の国」へ
  ……
  あの森を染めるあけぼのの色のような
  湿った菫のなかで 息絶えることだ

 祖先たちは因襲的な飲料をすすめ、祖先崇拝や信仰をすすめる。パリの友人たちはボヘミヤンの飲み物、ビッテルやアブサンをすすめる。それにたいして、ランボオは精神の渇き、未知への渇き、冒険への渇きを対置して拒否する。そうしてこの詩の結びはもの悲しい。「どこか古い町」を夢みながら、「董のなかで息絶える」ことを夢みる詩人の絶望は深いのである。
(つづく)

新日本新書『ランボオ』

夕暮れ