軍事基地反対・沖縄

ここでは、「軍事基地反対・沖縄」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。



ただひとりで

詩集『ひとを愛するものは』──春としあわせについて)

沖縄
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なぜならそこに


詩集『ひとを愛するものは』──春としあわせについて)

集会

[なぜなら そこには……]の続きを読む

たとえ石の

(詩集『ひとを愛するものは』──春としあわせについて)

こぶし

[たとえ 石のように……]の続きを読む

いくどでもわたしは

(詩集『ひとを愛するものは』──春としあわせについて)

もくれん



[いくどでも わたしは……]の続きを読む

うばいとられた

(詩集『ひとを愛するものは』──春としあわせについて)

立岩

1953年に妙義米軍基地反対闘争があり、浅間山の闘争に続いて勝利を収めました


[うばいとられた]の続きを読む

浅間よいまこそ


浅間山


博光も『呼子』10号に浅間山の米軍演習地化に反対する詩を書いていました。
浅間山が6百何十番目というのですから、日本中に米軍の演習地が作られたり、作られようとし、それに反対する運動が起こったわけです。先日行った仙台の青葉山も米軍の演習地として使われました。
千葉の九十九里・片貝も米軍の演習地とされ、住民に大きな被害を与えました(九十九里浜闘争)。群馬では妙義山基地反対闘争(1953年、島田利夫が指導)があり、石川県では今に伝わる大闘争・内灘闘争がありました。
富士山の北富士演習場反対闘争(「富士のうた」「二百五十の名を」)、東京の砂川闘争など、基地反対闘争の高まりが決定的な要因となり(千葉大・三宅明正教授/東京新聞記事)、50年代後半、米軍基地の返還が相次いでなされました。沖縄への基地集中がすすみ、今の沖縄の基地問題につながっていきます。

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  二百五十の名を
                     大島博光

 見るがいい この砲口を
 その黒ぐろとした砲口をつきつけられ ぶちこまれる
 われらの山 富士を わたしたち自身を

 われらの富士は遠く見はるかして そこに立つ
 沖縄を 板付を 岩国を 小牧を 横田を 立川を
 新島を 横須賀を 厚木を 三沢を そうして千歳を……

 これら われらの うつくしいふるさとの
 奪われた二百五十の名をよびつぎ よびつらねれば
 二百五十の怒りがわれらの胸につきあげてくる

 めくら撃ちに 撃ちころされたむすこたちの叫びが
 汚されふみにじられたむすめたちの 憎しみが
 そこに つらなり うめくのがきこえてくる

 いのちそのもののような麦ばたけ いもばたけを
 鉄条網でしきられもぎとられた人たちの怒りが
 そこに 鳴りどよもしているのがきこえてくる

 これらペンタゴンに奪われた名をよびつらねれば
 原爆をつんでうろつく B52の爆音がきこえてくる
 水爆をつんだ空母が そこの港に黒ぐろと見えてくる

 南ベトナムの 朝鮮の 中国の ソビエトの兄弟たちに
 わたしたち自身の胸元に向けられた
 その砲口が はっきりと見えてくる

 だが 祖国の奥底から 民族の怒りが燃えあがるところ
 町じゅうに「アメ公帰れ」のビラがはりめぐらされ
 村ぐるみ むしろ旗をたてて立ち上る人たちがいる

 だれが平和の敵であるかを はっきりと見ぬくところ
 ふるさとの島を ミサイル基地にはさせぬと
 敵に面と向った番小屋にすわりこむ うんばあたちがいる

(『アカハタ』1962年1月)

富士山

九十九里

「海を見たい」と言われて昨日は「九十九里サンライズ」へドライブに。京葉道路から千葉東金道路を経て九十九里有料道路に乗れば、ほとんど一直線で太平洋に到達します。到達した地点に「国民宿舎九十九里サンライズ」があり、見晴らしのいいレストランで太平洋を見ながら昼食をとれるのです。
砂浜では親子連れやカップルが打ち寄せる波と遊び、平和な夏を楽しんでいました。

九十九里
九十九里
太平洋を望む九十九里サンライズ

この砂浜に米軍基地があったことが今朝の東京新聞千葉版に大きく書かれており、初めて知ってびっくりしました。
朝鮮戦争前後の時期、日本各地で米軍基地建設の企てに対して反対闘争が闘われたことを思い出します。内灘闘争(1953年、「内灘の歌」)、浅間山米軍演習地反対運動(1953年、小熊忠二ら信州の詩人が参加)、妙義山基地反対闘争(1953年、島田利夫が指導)、北富士演習場反対闘争(「富士のうた」)、砂川闘争(1955年)など。

九十九里では反対闘争は起きなかったのか?この記事では全く触れていないので疑問に思って検索したら、九十九里浜闘争という大闘争が1948年からあったのです。全国の反基地闘争の先駆けとなり手本となった闘争で、ウイキペディアにとても詳しく書いてありました。「新大漁ぶし」や「九十九里いろはかるた」「夜明けぶし-争議ぶし」も作られ、この反基地闘争が住民の生活と生存を守る闘いであったことが分かります。

東京新聞

沖縄
南城市知念のニライカナイ橋から太平洋を一望。

沖縄
辺野古のテント村にて踊りを舞う地元の女性たち。新基地建設反対の行動に各地から支援の方が参加していました。

斎場御嶽
南城市にある斎場御嶽(せーふぁうたき)。琉球最高の聖地だった。琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産に登録されている。

沖縄
神聖な拝所

沖縄
久高島を望む.

沖縄
守礼門
首里の守礼門を見学して沖縄にお別れ。



祖国は怒り叫んでいる


祖国は怒り叫んでいる


(1960.10 「アカハタ」)


 富士のうた

わたしの ひろいもすそは
しいたけの生える 松林
牛の草かる ゆたかなかや場

わたしの ふかい茂みのなかに
小鳥たちはうたい ひなをそだて
こいびとたちは くちびるかわし

わたしのもすその ひだのなかには
汗と血でひらいた もろこし畑
火いれした 炭がまもある

わたしの 背なかをよじのぼって
ひとびとは のぼる太陽をむかえ
しあわせと 平和をいのった

海のかなたから 帰ってくるひとは
雲つく わたしのひたいをみつけて
ふるさとへの あいさつをおくった

わたしの 雪をまとうた胸には
わたしを愛して倒れた 息子たちの
いとしいこころと 骨も眠っている

季節ごとに 衣かえるわたしは
民族が 想いこめて仰いだ高み
ひとは描き ひとは歌った

しかしいま わたしの肌のうえには
ナパーム弾が 突きささり えぐりとる

いま わたしの足指のうえに
原子砲車の キャタピラがめりこむ

いま わたしの胸とふところは
よそぐにの 原爆用レーダー基地

わたしもまた 異国の兵士に
汚がされ ひき裂かれた女

この痛みうずきを わたしは
ただ こらえていなけれはならぬのか

この血ぬられた傷ぐちを だまって
ただ 見ていなければならぬのか

わたしのふみにじられた いのちのまえに
もうなんの言いわけが なりたとう

わたしは もうながいこと
火を噴くことを 忘れてきた

だがいま 雪のしたの胸にさえも
熱い火がにえくりかえる

だが わたしは見る 愛する息子たちが
わたしのひだのなかに 立ち上るのを

いまこそ わたしを描き歌っておくれ
うめき 叫んでいるわたしの姿を

いまこそ わたしの周りに手を結んでおくれ
平和なわたしを とりもどすために

(『ひとを愛するものは』、「アカハタ」1955.9.6)

内灘のうた

四ヶ月 ただ四ヶ月の試射だと
村人をだまし たぶらかし
かれらは うりわたした
内灘のすべてを アメリカの手に

やつらはまた撃ちはじめた
坐りこんだ村びとをしりめに
歯ぎしりする村びとの腹の底を
かきむしり とどろく砲弾を

やつらはまた 砂丘にぶちこみはじめた
くろく砂けむりをあげる砲弾を
漁場をふみにじる砲弾を
戦争火つけ人の砲弾を

じいさんもおかみさんもくやしさに
砂をにぎりしめて怒った 泣いた
かなしみのはて つかれのはて
ひとりのおかみさんは くるってしまった

浜べにはりめぐらされた
鉄条網にしがみついて
鉄条網のあみ目から
海をみつめる子供たち

──おれたちには釣もできない
もう泳ぎも 舟あそびもできない
地曳網の手つだいもできない
海べにいながら 海がないんだ

子どもたちがなく これでいいのか
先祖たちのねむる この砂丘
このまんま孫子にわたせるというのか
もうだまされるものか 狼と狐に

ほおかむりの おかみさんたち
ねじりはちまきの じいさんたち
浜小屋から退くな 岩のように
断じておろすな むしろ旗を

砂丘にうちよせる波のように
いま日本じゆうのねがいが はげましが
あなたたちの砂丘におしよせる
祖国の眼は内灘をみまもる

内灘のじいさんたち おかみさんたち
村だけでは 勝てないんだ
鉄板道路を 怒りのデモでふみならす
北鉄の労働者たち 学生たちと腕をくめ

おお アカシヤの林をゆるがし
日本海の潮風に はげまされて
うたごえは 砂丘からわきあがり
うたごえは こだまを どよもしてゆく

津軽の海べへ 九十九里へ
浅間の山ふところへ 妙義山へ
日鋼赤羽工場の 高い塀のなかへ
立川フィンガム基地の 鉄条網のなかへ

敵はひとつ たたかいはひとつ
労働者と農民をひきさくものは
村を組合を割るものは 敵の手先だ
祖国はひとつ民族はひとつ

アメリカ兵に折られきりさかれた
ねむの技 アカシヤの枝さえ
ふたたび みどりに牙ぶいてくるぞ
おれたちにこそ 明日はある

<1953年『角笛』10号>

アバター
<「アバター」パンフレットより>
地球から5光年離れた惑星「パンドラ」。ここでは人間のような知能を持ったナヴィ族が美しい自然、山や森林、木々や花、動物や鳥、虫などと共生している。ここに埋蔵している高価な鉱物を得るために地球の資源会社が軍事基地を作り、強大な軍事力で征服しようとする。ナヴィ族を懐柔するためにナヴィ人の肉体をもち地球人の頭脳で行動する「アバター」が作られたのだったが・・・

先住民だったインディアンを武力で追い払い、広大な国土と資源を獲得したアメリカ合衆国の歴史を告発しているといわれるが、その後の、ベトナム戦争から湾岸戦争、イラク侵略に至るアメリカの軍事行動も同じ構図といえる。

ひるがえって日本でも、沖縄をはじめ全土に軍事基地を置いて世界戦略のかなめとして使い、多くの犠牲を住民に押しつけている。
平和な独立国になぜ外国の強大な軍事基地があるのか?在日米軍は日本国憲法の平和主義に反し、アジアに緊張を生み出している侵略用の軍隊である。同時に日本自体の首根っこを押さえている日本支配の道具にほかならない。
日本の平和と安全、真の独立のために「パンドラ」と同じように出ていってもらうほかない。
はたして日本のアバターはどちらにつくのか?