ドキュメンタリー

ここでは、「ドキュメンタリー」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


家族の軌跡


大西暢夫監督の最新のドキュメンタリー映画。東日本大震災で家族を亡くした人たちの生活を丹念に追っています。両親を失った幼ない兄弟、娘や妻を亡くした男性や女性、様々な人が家族への思いやつらさをたんたんと語ります。悲惨な現実の中から立ち上がり歩み続ける姿に心を打たれました。

家族の軌跡
家族の軌跡


映画が終わってから、コーヒーをいただきながら交流。熱心に映画上映を働きかけた長野市ボランティアセンターの西沢さんがお礼の挨拶をしました。テレビでは分からない被災した人々の心情がよくわかった、ドキュメンタリー映画でなければ伝えられないものがある、など見てよかったという感想が多く出されました。

家族の軌跡

被災地への支援を続けている田中さんが下総からかけつけ、復興支援グッズ「おのくん」を連れてきて紹介しました。かわいいぬいぐるみの里親になって支援する運動です。
めんどくしぇ おのくん

おのくん



絶対戦争はだめって言うて 止めてくれる人がおったら

 こんな悲劇は起こらんやったろうに

8月13日(木)午後10時放映。
日中戦争と太平洋戦争で5万人の「従軍看護婦」が戦地に派遣されたそうです。
90歳を超える元看護婦たちが激戦地ビルマとフィリピンでの悲惨な体験を証言しました。

マラリヤで多くの兵士が倒れたが、特効薬のキニーネがほとんど備えてなくて、一般兵には使えなかった。重いマラリヤ脳症で意識朦朧となって亡くなっていった。

インパール作戦のおり、ビルマの兵站病院では後方病院に送るべき負傷兵、眼が見えなくて戦えない負傷兵も再び前線に送り出した。それほど兵力が不足していた。

死亡する兵が多くて埋葬できず、次から次へと川に流した。物を扱うような感覚で作業した。

逃げるときにコメ2升を配給され、現地で調達して永久抗戦せよと命令された。土人が作ったイモや稲を泥棒して食べた、食べ尽くした。怒るわけだね。

従軍看護婦従軍看護婦

ルソン島では、撤退の過程で重傷兵を殺すように命令され、空気を注射した。7転8倒の苦しみようだった。

従軍看護婦

戦争とは無駄な、馬鹿のする仕事。

従軍看護婦

黒瀬サツ子さん88歳
 戦争をした人は誰やろかと思ってね 腹が立つ時があるよ
 誰か10人でも20人でもね
 絶対戦争はだめって言うてね
 止めてくれる人がおったらね
 こんな悲劇は起こらんやったろうにと思うわね
 戦争好きな人は ビルマやインパールの方にいけばいい。

従軍看護婦
従軍看護婦
従軍看護婦

従軍看護婦

日本に引き上げるとき患者だった人にであい、「お世話になりました」と手を貸してくれたが、
恥ずかしくて返事ができなかった。きちんとした看護ができなかったので・・・

無謀で悲惨な、2度と繰り返してはならない戦争だと訴えていました。
8月21日(金)に再放送があります。