三鷹事件

ここでは、「三鷹事件」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


 大島博光記念館御中

 親しくしている沢崎さんから「『三鷹事件の真相を究明し、語り継ぐ会』が大島さんの記念館を訪れた時のことが『記念館ニュース』にでているよ」という話を聞き、「いつか見せてください」とお願いしたら、この度直接『ニュース』が送られてきて、とても喜んでおります。本当にありがとうございました。
 早速 昨十日、丁度「語る会」の事務局会議がありましたので持参し、皆さんに披露しました。事務局の皆さん〈半数は記念館を訪れたメンバーです)とても喜んで見ていました。大切に会の資料として保存します。
 訪問した時にもお話しましたが、私はまだ二十才台の頃から久富さん(三鷹の共産党の草分けのような戦前からの活動家)の家に出入りし、そこで大島さんとも知り合いました。私のほうがお二人よりもはるかに年下ですが本当に親しくさせていただきました。
 私が三鷹市での活動を離れ、全国的な活動─共産党中央委の活動─に入ってからは大分疎遠になってしまいましたが、中央の仕事からまた地元に戻ってからは、時々お見舞いする程度でしたか、お顔を見る程度でのおつき合いになってしまいました。
 十四年前、私の妻が亡くなった時、大島さんが奥様を亡くされた時の詩「老いたるオルフェ」の中の詩が私の当時の気持ちにぴったりで、妻の思い出の文集に使わせていただきました。その了解を得るためにお逢いした時、本当に快よく承諾してくれ、とても嬉しい思いをしたのを思い出します。もうベッドに寝ておられましたが気持はお元気でした。
なつかしいです。今回は本当にありがとうございました。

 三鷹市下連雀   梁田政方

久富さん喜寿を祝う会
久富徳松さんの喜寿を祝う会

『三鷹事件の真相を究明し、語り継ぐ会』が見学

*本間みね子さんが「62年前に無人電車を暴走させたのは誰だ?〜「三鷹事件」の雪冤は果たせるか」という記事を教えて下さいました。
秋風に憶う
               竹内景助

娘には歌を教えてやりたかったよ
せめて小中学生の頃いっぱいは。
俺の声はバリトンかバスか
はなはだ あいまいだが
ともかく男親のたくましい声で
空いっぱい、大地一杯響く思いで
明るく 楽しく
人生の自然の心を
歌いあげてやりたかったよ。
すがすがしく頼もしい合唱の中で
かしこく寛やかな心をつくってやりたかった。 
秋風に吹かれて
そんなことを憶う囚獄の心だ
息子たちには
キャッチボールの相手をしてやりたかったよ
せめて小中学生の頃いっぱいは。
はじめは布ボールを作って
軽く投げあっていても
やがてグローブとミットで
硬い球をびゅんびゅん投げて
おやじの たのもしさを
植え付けてやりたかった。
カーブ、ナックル、シュート、シンカー、スライダー、さまざま教えて
人の世の変化に応ずる勇気と
自信を植え付けてやりたかった。
秋の陽を浴びて
そんなことを憶う 親の心だ。

   一九六六・一〇・二八
     於・東京拘置所

竹内景助


(「三鷹事件の真相を究明し、語り継ぐ会ニュース 12号」2015年5月30日)

*獄中に18年間繋がれ、家族との生活を奪われたまま獄死した竹内景助。娘、息子への思いが痛切で心を打たれます。

三鷹事件

「三鷹事件の真相を究明し、語り継ぐ会」の皆さんが12名で来館。
三鷹事件の犠牲者・竹内景助さんの墓参りの途中で寄って下さいました。竹内景助さんは松代出身で、松代のお寺に分骨してあるそうです。

三鷹事件

三鷹で活動してきた方が多くて、博光さんの思い出話も聞けました。一緒に選挙の応援演説をした(手塚さん)、久富さん(共産党三鷹市議)の息子さんの結婚式に親戚代わりに博光さんと列席した(梁田さん)、赤旗の集配所が置かれていたために、家を知っている人は多い、など。

三鷹事件

三鷹と松代のつながりは不思議なほど多いですね。

三鷹事件

梁田政方さんから「三鷹事件の真実にせまる」をいただきました。
会のニュースによれば、1967年1月に竹内さんが獄死してから再審請求をしないままでしたが、2011年になって初めて再審請求をし、現在闘っているそうです。

はなや

天気に恵まれてお墓参りに向かいました。松代に泊まり、明日は松代大本営地下壕を見学する予定です。