FC2ブログ

ランボオ Arthur Rimbaud

ここでは、「ランボオ Arthur Rimbaud」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


[ランボオ「大洪水の後」]の続きを読む
(3)「愛の砂漠」について

 「ドゥラエの証言によれば、一八七一年の春、ランボオはボードレールの詩を読んで、散文詩を書く気になった。「彼は『愛の砂漠』と題するシリーズの始めの部分を書いた……」
 ランボオはその「はしがき」に書く。

 「この手記は、ひとりの若者、ごく若い男のものだ。彼はところかまわず生活をくりひろげてきた。母親もなく故国(くに)もなく、ひとの重んずることは気にもかけず、道徳の力から逃れて生きてきた……」

 この散文詩が自叙伝的な性格をもっていることは明らかである。「母親もなく」というような胸を刺すような表現は、またつぎのような章句にもみられる。

「女たちを愛さずに──血の気は多かったのだが!──彼は自分の魂や心を、自分の力を、奇妙な悲しいあやまちのなかで育てた……」

 この「はしがき」の示すように、ここでは愛の夢と愛の苦悩とが描かれる。
 エリュアールはその『愛の力について』というエッセイの中で、ランボオを引用しながらその愛や女性観について書いている。

 「まったく子供のランボオ、気むずかしくて、期待を裏切られたランボオは、子供っぽい愛を断念する、あきらめる。
《そのとき、女は姿を消した。おれは、かつて神も求めることのできなかったほどの涙を流した......
《おれは理解した、彼女には彼女の毎日の生活があったのだと。そしてあの優しさがまためぐってくるには、ひとつの星があらわれるよりも長くかかるだろうと。彼女は二度とはやって来なかった。そして永遠にもう来ないだろう。おれはまったく考えてもみなかったのに、──おれのところを訪ねてくれた「可愛いい女」よ! ほんとにこんどは、この世のどんな子供よりも激しく、おれはさめざめと泣いた》

 彼は「愛の砂漠」へ入ってゆく。彼は地獄へ落ちる。しかし……

《女の置かれている、際限のない奴隷状態がうち破られる時、女が自分のために自分によって生きるだろう時、男は──その時まで憎むべきものだった男は、彼女に返すべきものを返し、彼女もまた詩人になるだろう! 女も未知を見いだすだろう! 彼女の思想(イデー)の世界はわれわれのと違うだろうか。──彼女は、風変りなもの、はかり知れないもの、ぞっとするようなもの、甘美なものを見つけだすだろう。われわれはそれをうけとり、理解するだろう》

 彼はその後もっとも逞しい女を歌うことになる。彼から離れ、「男」から離れ、しかし、反抗において、戦闘において、人びとと団結した、逞しい女を。

  ジャンヌ・マリーは 逞しい手をもつ
  夏がなめした かぐろい手を
  死者の手のような 蒼ざめた手を……
            (ジャンヌ・マリーの手)」

(完)

(『流域』30号 1991年7月)

ランボオ


(2)愛の砂漠

 それは、たしか、おんなじ田舎だった。おれの両親のおんなじ田舎家。扉の上に、武器や獅子を描いた、焦茶色になった田園風景画がかかっている、おんなじ部屋だ。夕食には、客間(サロン)があって、蝋燭の灯と葡萄酒があり、田舎風な板張りがある。食卓はとても大きい。女中たち!女中はおれのおぼえているだけでも数人いた。──その田舎には、おれのむかしの若い友達がひとり、いまは牧師になって、牧師の服を着ていた。それはいっそう自由になるためだった。おれは思い出す、窓硝子に黄色い紙を貼った、緋色の彼の部屋を。そうして海の水に漬けて隠した彼の本を!
 おれは、このはてしもない田舎の家のなかに見捨てられていた。台所で本を読んだり、客間でおしゃべりをする客たちの前で服の泥を乾かしたり、前世紀風な朝晩のミルクの煮えたつ音に死ぬほど苛立ったりして。
 おれはひどく暗い部屋に住んでいた。おれは何をしていたのだろう? ひとりの女中がおれのそばへやってきた。彼女はまるで小犬のようだった、と言ってもいい。彼女は美しかったのに、母親のような言いようのない気高さをもち、清純で、評判がよく、可愛らしかった! 彼女はおれの腕をつねった。
 おれはもう彼女の顔かたちすらよく思い出せないが、彼女の腕は思い出せなくはない。その腕の肌を、おれは二本の指で撫でまわしたものだ。また彼女の口を、おれの口は絶望した小さな波のように捉えて、何かを限りもなく蝕んだ。おれは、部屋の暗い隅で、座布団(クッション)や帆布の籠のなかに、彼女を仰向けに倒した。だがもう、彼女の白いレースのついた下ズボンしか思い出せぬ。
 ──それから、おお悲しいことに、壁がぼんやりと木木の影になった。おれは夜の愛の悲しみの下に崩折れた。

 こんど、おれが都市(まち)で出会ったのは「女」だ。おれは彼女に話しかけた。すると彼女がおれに話しかける。
 おれは明りのない部屋にいた。彼女がおれのところにいると、ひとが来て知らせた。見ると、彼女はおれのベッドの中にいた。おれのもののように、明りもなく! おれはひどく、すっかり動転した。そこはふつうの家族の住んでいる家だったからだ。それにまた、おれはやり切れぬ悲しみにとらわれた!おれの服はぼろぼろだったし、彼女はだれにでも身をまかせる社交界の女で、いずれここから出て行かねばならなかったのだ! 言いようもない悲しみのあまり、おれは彼女をつかまえると、ほとんど裸かのままベッドのそとに放り出した。そしておれの言うに言われぬ弱さから、おれは彼女のうえにのしかかり、明りのない暗いじゅうたんの上を、彼女といっしょにころげまわった。家族の見廻るランプが、隣りの部屋を次から次へと赤く照らした。そのとき、女は姿を消した。おれは、かって神も求めることのできなかったほどの涙を流した。
 おれは果てしない町のなかに出た。おお、ひどい抜れ! 音もない夜のなかに、幸福の逃げうせたうつろさのなかに溺れて。冬の夜らしく、雪があたりをすっぽり包んでいた。おれは友だちに会うと、彼女はどこにいるんだ、と叫んだが、友だちはいい加減な返事をした。おれは彼女が毎晩そこから出てゆく硝子戸の前へも行った。隠れた公園のなかを駈けまわった。だれかがおれをこづいた。それらすべてにおれはひどく泣いた。ついにおれは埃りだらけの場所へ降りて行って、木組のうえに坐り、この夜といっしょに、おれのからだからすべての涙が流れつきるにまかせた。──するとやはり、例のおれの困惑がまたやってきた。
 おれは理解した、彼女には彼女の毎日の生活があったのだと。そしてあの優しさがまたやってくるには、ひとつの星があらわれるよりも長くかかるだろうと。彼女は二度とはやって来なかった。そして永遠にもう来ないだろう。おれはまったく考えてもみなかったのに、おれのところを訪ねてくれた「可愛いい女」よ! ほんとにこんどは、この世のどんな子供よりも激しく、おれはさめざめと泣いた。

*ここで語られている夢も失恋のそれである。「社交界の女」を前にして、「ぼろぼろの服」を着た若者の劣等意識がここに描かれている。ランボオはパリで自分の不器用さ、不作法で苦労した。この場面はパリのヴェルレーヌ夫人のモーテ邸に着いた時の、彼のむっつりとした無愛想で粗野な態度を思い出させる。
(解説<「愛の砂漠」について>につづく)

(『流域』30号 1991年7月)

裸婦

 愛の砂漠
                A・ランボオ 大島博光訳

(1) はしがき
 この手記は、ひとりの若者、ごく若い男のものだ。彼はところかまわず生活をくりひろげてきた。母親もなく故国(くに)もなく、ひとの重んずることには気にもかけず、道徳の力から逃れて生きてきた。すでにいくたりかの哀れな若者がそうだったように。だが彼は、ひどく苛立って心乱れていたので、怖るべき宿命的な羞恥心へ向かうように、死へ辿ってゆくほかなかった。女たちを愛さずに──血の気は多かったのだが!──彼は自分の魂や心を、自分の力を、奇妙な悲しいあやまちのなかで育てた。つぎのいくつかの夢──彼の恋物語!──はベッドの中や街なかで起きたのだが、この恋物語は、その成りゆきや終りからは、甘い宗教的な考慮からは自由なのである。恐らくひとは思い出すだろう、伝説的なマホメット教徒たち、──勇敢で割礼を受けた!──マホメット教徒たちの長く続く眠りを。しかし、この風変りな苦悩が気がかりな力をもつからには、おれたちみんなのなかで迷って錯乱し、死をねがうように見えるこの「魂」が、いまこの瞬間(とき)、真の慰めに出会うことを、それに価することを、ほんとうに希わねばならぬ!
(つづく)

(『流域』30号 1991年7月)

バラ




眠れぬ夜


(『ランボオ詩集』蒼樹社 昭和23年)

キリスト




眠れぬ夜3



(『ランボオ詩集』蒼樹社 昭和23年)

夜



眠れぬ夜2


(『ランボオ詩集』蒼樹社 昭和23年)

星の



眠れぬ夜


(『ランボオ詩集』蒼樹社 昭和23年)

夜



 酔いどれの朝
                         アルチュール・ランボオ

 おお、おれの『善』よ、おれの『美』よ!ひどい楽隊のどんちゃん騒ぎだ、おお、おれはよろめくまい!夢幻劇につかうような拷問臺!前代未聞の作品のために、すばらしい肉體のために、初演のために、萬歳だ!それは子供たちの笑い聲につれてはじまったが、またその笑い聲で幕をとじるだろう。だが、この毒はおれたちのからだのなかに残っていよう。たとえ、樂隊がやんで、おれたちがもとのしらじらしい不協和音にもどるときにも。おお、今こそ、おれには、こんな拷問がぴったり似合うのだ!神につくられたというおれたちの肉體と魂に、與えられたこの超人的な約束を一生けんめい果してやろう、この約束、このご亂行!お上品、科學、強迫、くそくらえ!
 おれたちには、善と悪の本はもう闇に葬りさられたと、約束されたはずではないか。あの暴君の禮儀作法なんか追放だと、約束されたはずではないか。おれたちが世にも清らかな愛情をもつために。それは或るひとびとの嫌悪のため、いやいやながらはじめられ、そうして終ったのだ──おれたちがあの永遠をすぐにはとらえられずにいるうち──ただ匂いを嗅がされただけで、終ってしまったのだ。
 子供たちの笑い、奴隷の遠慮深さ、處女のきびしさ、こん夜の事物と模様のおそろしさ、おまえたちは今夜のこの徹夜の思い出によってきよめられよう。それはまったく田舎風にはじまり、いや、焰や氷の天使たちによって、幕をとじるのだ。
 可憐な徹夜の醉いどれだ、聖女よ!だがこれは、ただおまえさんが授けてくれた假面をかなぐり捨てるためなのさ。おれたちはおまえさんに断言する、これが手なのだと。おまえさんは、きのう、おれたち同じ年頃の者どもに祝福を垂れてくれたが、おれたちはそれを忘れるまい。おれたちはこの毒を信じているのだ。おれたちは毎日でも、おれたちの命ぐるみを、この毒にささげてやる。
 今こそ、『暗殺者*』たちの時刻だ。

 譯註
* フランス語の『暗殺者』assassinはhaschi schinsより轉じてできた言葉。haschi schinsとは中世のアジアでひじように恐れられたイスラムの異教の信者たちでかれらはhaschisch、すなわちインド麻からとった酒で酔わされ、その酔いの苦しさと興奮から、かれらは拷問や死を覚悟に、敵の首領たちを殺しにゆく役をひきうけたのであった。

(『ランボオ詩集』)

彫像


わだち



(『ランボオ詩集』)

公園






四行詩


(『ランボオ詩集』蒼樹社昭和23年)

[ランボオ「四行詩」]の続きを読む




からす



(『ランボオ詩集』蒼樹社 昭和23年)


からす

[ランボオ「鴉」]の続きを読む
 ここで、大島博光訳と他者の訳を取り上げてみましょう。わたしのお気に入りの「谷間に眠る者」の中のフレーズ。三連目のラストの一行。大島訳「谷間に眠る者」
a「自然よ、彼を温かく揺すれ、彼は寒いのだ!」
他者の訳「谷間に眠るもの」
b「やさしい自然よ。やつは寒いんだから、あっためてやっておくれ。」
     *
まずタイトルの訳が異なります。
「者」と「もの」
者、なら、一目で人だとわかります。
もの、生き物だか物体だかわかりません。
a リズム、迫力あり。感情もこもっている。
b やさしいという形容詞が最初に来ているので、迫力に欠ける。
口語体が砕けすぎているので、懇願調で、品位が削がれる。
さてbの訳者は誰でしょうか。金子光晴です。
訳者によって、このように雰囲気が異なります。もし、わたしが金子光晴訳を最初に読んでいたら、いまほど、ランボーを敬愛したか否かはわかりません。出海渓也氏は大島博光氏と面識があったのだろうか。出海渓也氏は、一九五二年、詩誌「列島」を関根弘等と創刊しているので、大島博光氏と面識があったかもしれませんね。出海氏はランボーに心酔していたので、ランボーを訳した大島博光氏をも心酔していたのかもしれません。嶋岡晨氏が大島博光氏の翻訳家としての力量を高く評価していることは、大変に喜ばしいと思います。大島博光記念館のますますの発展を期待しています。

<『狼煙』80号>

*堀内みちこさんは現在個人詩誌「空想カフェ」を発行されており、詩、エッセイ、童話など精力的に活動されています。2015年11月発行の第20号には「ランボー その詩の中の色」という瑞々しいエッセイも見られます。詩人としての経歴もすでに長く、主な詩集に『花びらを噛む』(1966年思潮社)、『黄金の矢を射る』(1999年詩画工房)、『小鳥さえ止まりに来ない』(2006年思潮社)、『夜の魔術師』(2012年思潮社)などがあります。また詩誌「東国」の同人でもあられます。今回のような貴重なご寄稿をいただけましたのは、ひとえに堀内さんの気さくなお人柄によるものであることを言い添えておきたいと思います。(重田暁輝)

山


 大島博光氏は、ランボオに関しての考察を『ランボオ』(新日本出版社)という一冊にまとめている。これが素敵に面白い。翻訳はただ詩を訳せば良いというのではなく、当時の社会情勢、ランボーが詩作した当時のフランスは普仏戦争やらパリコミューンやらで揺れ動いている。そこをも丁寧に記述している。この姿勢がきちっとしている。ランボーを書くときに、若いままに亡くなっただけではなく、詩作したのが二十歳前後ということで、可愛い若者に対するかのようなランボー論もあるが、わたしは、ランボーの天才と言われる所以の詩作をきちんと、正確に捉えている大島博光氏のセンスが好きだ。
 ランボーの呼吸と大島博光氏の呼吸のリズムが共鳴するのだろう。大島氏もランボーを好きなのだろう。なにはともあれ、わたしがしっかりとランボーを読んだのは大島博光訳の『ランボオ詩集』であり、この訳書が、その時から始まるランボー詩への足がかりになったのは確かなことです。骨格のしっかりした訳は、詩の特色をつかみ、我らにランボー詩への石段を登る助けとなっている。
(つづく)
 
<『狼煙』80号>

新日本新書『ランボオ』目次

ランボオ
 大島博光氏とランボー詩
                         堀内みちこ

 今から十数年前、わたしが、詩誌「新現代詩」の同人だったとき、ランボー詩に関してエッセイを書くことになった。その雑誌の主催者、出海渓也氏は、もう亡くなられたが、わたしが同人だった頃はすこぶる元気で、色々と教えていただいた。出海氏の発行スタイルは、斬新さを会得し、それを表現することだった。常にテーマを掲げ、問題提起をする人だった。いわゆる詩人のタイプではないかもしれない。前衛を好んだ。だが、同人たちの作品を、親切丁寧に扱い、彼らが成長するのを楽しみにしていた、と思う。そういう雑誌だったので、何を言っても何を書いても良いという自由さがあった。
 さて、ランボー詩に関して書いたらどうかと、提案された。わたしは食わず嫌いで、そのときまで、ランボーの詩を全部読んでもいないのに、読んだ気分でいた。有名な名は、常に、目に触れる。ゆえに、読んだかのような錯覚ですごしていたのだ。それを出海氏に看破されていたのだろうか。「何読んだらいい?ランボー詩集の訳で」「大島博光がいい」ということで、わたしはネットで、大島博光訳ランボー詩集を探して、購入した。それが手元にある、『世界詩人叢書 5 ランボオ詩集 蒼樹社』である。
 ご縁なのだろう。ランボー詩の翻訳書は沢山ある。その中から、大島博光訳を購入したのは。まず出海氏の推薦がある。このときに縁が生まれたのだろう。昭和二三年十月十五日発行 160円 蒼樹社の1冊だ。この本は装丁が和本のようだ。紙箱に入っている。ページを繰ると、手触りが和紙のようだ。フランス詩を和装本におさめるという大胆さ。装丁は大島氏が指定したのだろうか。ああ、していないと思う。なぜなら、これは叢書でランボオ詩集は5番目のようだ。大島氏は何も言わなかったと思う。縦16cm 横14.5cmの、手に収まりやすい大きさだ。
 あろうことか、わたしはこの詩集の全ページ、199ページを手書きで模写した。後にも先にも、一冊の詩集を模写したのはこのときだけだ。なぜ模写したのだろうか。手にした古本の詩集はあまりにも古びている。もし、わたしが詩を書いていなくて、古書を買うことをしなければ、一冊まるまる模写しただろうか。今になれば、模写したことは、とても良いことをしたと思える。もちろんランボーの詩を模写したのだが、日本語とフランス語の詩には大きな違いがある。フランス語を模写したら、ランボー詩の真髄に近づけたかもしれない。しかし、大島氏の非常にうまい訳で、わたしは一冊を模写できたのだ。ここで、わたしは気づく。ランボーの息継ぎと同時に大島氏の息継ぎを模写していたのだと。ということは、大島氏の資質にはランボーなどのフランス詩に共通するセンスがあるのだろうと思う。全く異質で、共感できない詩人の詩を訳せるだろうか。それから模写したのには、もう一つ大きな理由がある。このランボオ詩集は印刷も薄めで儚げだ。消えるかもしれないと慌てたのだ。書店に行けば、ランボオ詩集の翻訳書は簡単に手に入るのに、なぜ、本屋に行かなかったのだろう。
 わたしは紙の本を愛する者だ。こうして大島博光訳の詩集を読める幸せをありがとう。
(つづく)

<『狼煙』80号>

ランボオ
[大島博光氏とランボー詩(上)]の続きを読む