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ランボオ「イルミナシオン」

ここでは、「ランボオ「イルミナシオン」」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。





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(ランボオ「イリュミナシオン」 自筆原稿)

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海


 (自筆ノート)

海


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都市


(ランボオ『イリュミナシオン』  自筆原稿)

家


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(ランボオ「イリュミナシオン」 自筆原稿)

街




献身


(ランボオ「イリュミナシオン」 自筆原稿)

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ボトム


(ランボオ「イリュミナシオン」自筆原稿)

空




橋



(ランボオ「イリュミナシオン」自筆原稿)

川
大島秋光「雪原」


古代



(ランボオ「イリュミナシオン」自筆原稿)

舞姫
近藤博重「舞姫トルソ」



小話



(ランボオ「イリュミナシオン」自筆原稿)

フィレンツェ
近藤博重「フィレンツェ」
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岬



(ランボオ「イリュミナシオン」自筆原稿)

モダン



メトロポリタン



(ランボオ「イリュミナシオン」自筆原稿)

夜景


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舞台



(ランボオ「イリュミナシオン」自筆原稿)

舞台





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(ランボオ「イリュミナシオン」自筆原稿)

彫像




妖精


(ランボオ「イリュミナシオン」自筆原稿)

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(2)
 ランボオはもうパリに嫌気がさしていた。ヴェルレーヌ夫妻の和解の試みのために一時シャルルヴィルに帰っていたランボオは、一八七二年五月にはまたパリに出てきてソルボンヌの近くに住んでいた。一八七二年六月の日付をもつドゥラエ宛の手紙は、その頃のランボオの暮らしぶりと仕事ぶりをよく物語っている。
 「ぼくは夏が嫌いだ。……壊疽(えそ)になりはせぬかと恐れるほどのどがかわく。アルデンヌやベルギーの河や洞穴がいまはなつかしい……いまぼくが仕事をするのは夜だ。夜中から朝の五時まで。先月いたムッシュ・プランス街のぼくの部屋は、サイ・ルイ高等中学の庭に面していた。小さな窓の下には鬱蒼と樹木が茂っていた。朝の三時には、蠟燭も蒼ざめ、小鳥たちが樹のなかで啼きだす。仕事はおしまいだ。朝まだきの、このえも言えぬひとときに浸った樹や空を、ぼくはよく見ることにしている。高等中学の寄宿舎を見ると、まだひっそりとしていた。……五時にぼくはパンを買いに降りてゆく。その時間なのだ。いたるところ労働者たちが歩いている。ぼくにとっては酒屋へ行って酔っぱらう時刻だ。それから帰って食べて、朝の七時に寝るのだ……」
 これでみると、ヴェルレーヌと連れだって、飲んだくれていたにもかかわらず、彼がきわめて勤勉に仕事をしていたことがわかる。噂にのぼっていた、二人のあいだの同性愛を思わせるような退廃の雰囲気はすこしも感じられない。この頃、「涙」「渇きの喜劇」「朝のよき想い」などが書かれている。この手紙はそのままこの「朝のよき想い」の解説ともなっている。この詩はまた、コミューヌの時代の、労働者をほめたたえた詩として、民主勢力の昂揚の象徴として、たとえばジャック・デュクロの『パリ・コミューン』(新日本出版)におけるように、しばしば引用されてもいる。

     朝のよき想い

  夏の 朝まだきの 四時
  愛の眠りは まだつづき
  夜明けの木かげにただよう
    祭りの夜の名残りの匂い

  だが向うの 広い工事場では
  ヘスペリデスの太陽にむかって
  腕まくりした 大工たちが
    もう 立ち働いている

  苔むした空地で 黙々として
  彼らは豪奢な羽目板をととのえる
  いまに都会(まち)の金持女が笑うのさ
    その偽の空の下で

  おお バビロン王の忠臣の
  この いとしい大工らのため
  心にも王冠を戴いたヴィナスよ
    しばし恋人たちから離れよ

  おお 羊飼いたちの女王よ
  労働者たちに 火酒(ロ・ド・ヴィ)をふるまえ
  彼らの力が 無事にあるように
  正午(ひる)の 海水浴を待ちながら
                     一八七二年五月

 こういう詩を読むと、「あらゆる感覚を錯乱させる」見者の詩学のため、「飲んだくれてみずから無頼の徒となる」S'encrapulerというパリでの生活が、退廃としてこの詩に反映するどころか、むしろこの詩が健康で力強いのに驚くほかはない。「ランボオの革命的モダニスムは、生ける現実から切り離された、型にはまった因襲的な詩の虚偽に根本的に対立している」というM・A・リュフの言葉は、まさにこの詩にこそふさわしいだろう。
(つづく)

新日本新書『ランボオ』

カモメ