ピカソを謳う Hymn to Picasso

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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。




美しいイタリア娘



 「イタリア娘」は1917年、ピカソのイタリア旅行中に想をえて描かれた。1919年の初め、アラゴンはラ・ボエシ街のピカソのアトリアを訪れて、この絵を見た。
(自筆原稿)


ひまわり


 組詩 ピカソ
               大島博光

きみはスペイン・アンダルシアの牡牛だ
角ふりたてて突進する野性の男だ
しかしきみの血のなかにはまた
ゴヤやヴェラスケスの光や影も流れている
そしてきみの鳥小屋には
白い鳩も棲んでいる
   *
描くにも 生きるにも
きみはどんな束縛も強制も知らない
きみにはどんなタブーも禁制もない
きみの愛した地中海の海のように
きみは自由だ 奔放だ
その海に吹く風のように
   *
熟練と野性と 洗練と素朴さと
複雑と率直さと 繊細と大胆さと
それらの奇妙な共存こそきみのものだ
そこから驚きが生まれ 衝撃が生まれ
美の奇跡が生まれる
そうしてきみは新しい扉をひらいた
『アヴィニョンの娘たち』によって
   *
一九三七年一月
夏のパリ世界博覧会のスペイン館を飾る壁画を
ときのスペイン共和国政府はきみに依頼する
きみは引きうけたが 何を描くか
主題をさがしあぐねている
あたかもその時 怖るべき悲報が
世界じゅうを駆けめぐる
─「ゲルニカの悲劇」だ
スペイン北部 ビスケー湾にほど近い
無防備の小さな町ゲルニカが
ナチス・ドイツ空軍の波状攻撃によって
全焼し 逃げまどう市民たちは
機銃掃射によって皆殺しにされた
悲報は世界を衝撃し震憾させる
スペイン人民のひとりであるきみの怒り
きみの憤怒のほどを
やがてわれわれは眼(ま)のあたりにするだろう

こうしてひとりの画家と歴史との出会いから
ひとりの画家の内部と外部世界との出会いから
『ゲルニカ』は生まれる

臓腑(はらわた)をさらけ出し 足を踏ん張って
死のいななきをあげている馬
地に横たわった兵士 堅く握られた折れた剣
死んだ子どもを抱いて泣き叫ぶ母親
平然として立っている牡牛
吹き出す火と煙の下で 両手をあげて叫ぶ女
これらすべての上にランプの手を長く伸ばして
すべてを照らし出そうとする若い女・・・

それら きみの内部を通して生まれてきたものたち
それら きみの意識・感情を通過してきたイメージ群
それらがキュヴィスム風に再構成されて
『ゲルニカ』を構築する

ここにゴヤの『五月四日の夜』とは
まったくちがった戦争が描かれる
画家が戦争のなかへ行ったのではなく
戦争が画家のなかへ入ってきたのだ

それらのイメージ群の再構成は
はじめ ひとびとにはわかりにくかった
ひろく人民に訴える芸術にはふさわしくないと言う者もいた

しかしだんだんひとびとにもわかってきたのだ
それが 自然主義をはるかうしろに超えて
キュビスムを通過して到達した
二〇世紀のレアリスムだということが

『ゲルニカ』は 内容において
「戦争の世紀」二〇世紀を象徴するものとなった
そうして 形式において
「意識と無意識の世紀」二〇世紀の
レアリスムを提示するものとなった

そうして『ゲルニカ』は ファシストの
虐殺と暴虐を永遠に告発しつづけるだろう
   *
一九四四年十月 きみはフランス共産党に入った
「わたしの入党は わたしの全生涯
わたしの全作品の当然の帰結である・・・
泉へ行くように わたしは共産党へ行った」と
きみは詩人のことばで語った

敵は 共産党員ピカソを消しさり
蔽いかくそうと躍起になった
きみの党員證は盗みとられた

しかしきみのほんとうの党員證は『ゲルニカ』なのだ
どうして『ゲルニカ』を消しさり
蔽いかくすことができよう
   *
きみはたくさんの女たちを愛した
あの迷宮のミノタウロスのように
女から女へと
チョボチョボときみが好んで描いた
「女のしるし」から「女のしるし」へと

貴族のように典雅に古典的に描かれた妻オルガ
『盲目のミノタウロスをみちびく小娘』は
十七歳の小娘マリ・テレーズだ
みちびかれる盲目のミノタウロスは
おのれの内なる暗い力におののきながら
大きな鼻づらとうつろな白い眼を空にむけて
その業の深さと罪をおらぶのだ
これはその時のきみの内面を描いた
きみじしんの自画像にほかならない
 
それからスペイン戦争を泣き
ゲルニカを泣く女ドラ・マール
(わたしは見た サン・ジェルマン・デ・プレの
小さなアポリネール名称辻公園に置かれた
きみの彫刻『ドラ・マールの頭部』を
それはなんという不意討ちだったろう)
 
つぎにフランソワ・ジローがやってくる
その細身の肉体は針金のようなひまわりの茎として描かれ
ひまわりの顔は太陽となり
その茎に二つの乳房が果実のように描かれる
やがて『たわむれる女と犬』が描かれる
ほんとうは女が犬をいじめているのだ
むろん女はジローで犬はきみ自身なのだ
 
こうして「歴史的記念物(モニュマン)」には飽きたと言って
フランソワ・ジローはきみから去ってゆく
二人の子どもを連れて
あとにひとり残されたのは七十二歳の老いたきみだ
 
そうして栗色の優しいジャックリーヌ・ロックが
きみの最後の伴侶となる
九十歳のきみは若者のように
恋びとを抱く男たちの愛を描く
大膽にずばりと描く
一九七〇年五月 南佛アヴィニヨンの法王庁宮殿の
その壁を飾った十五の接吻(くちづけ)
葡萄の葉っぱをとっぱらった十五の抱擁
きみは大膽にずばりと描く
愛に狂った男の狂った眼の光を
愛の無限を見た男のす頓狂な眼の光を
いままでだれがそんな妖しい眼の光を捉えたろう
きみのほかに
   *
一九七三年四月八日 きみは死んで
南佛サン・ヴィクトワール山の麓
ヴォヴナルグの古城の庭に葬られる
きみの墓は あのセザンヌの愛した
サン・ヴィクトワールを眺める
海べのアルプスからの
冷たいアルプスおろしに吹かれながら
 
きみは死んでも眠ることができない
世界じゅうで ひとびとがきみを呼びつづけ
きみに語りかけているから
わたしもまたきみを呼びさまし
きみをよみがえらせようとしているのだから
きみは死んでも眠ることができない
  
そうしてきみは死んでも
『ゲルニカ』から飛び立った
たくさんの白い鳩たちは
いまも世界じゅうを飛びまわっている

       一九九九年九月

(『民主文学』、”大島博光詩集1995-2003” )
ピカソの『抱擁』について
                 アラゴン
                 大島博光訳

一九〇五年 パブロ・ピカソは いくつだったろう
廿三か 廿四で
      青春のさなかだった
だが 人生の秋ともなれば 誰が知ろう
あの頃は 溢れるばかりの輝く若さだけでこと足りた
抱きあった恋びとたちの部屋には
ベッドのほか 何んにも要らぬのだ

それから十二年後だ わたしが
ブールバール・サン・ジェルマン街二〇二番地の
ギョーム・アポリネールの家に行ったのは
奥の方で ラ・ベルタの咳こむ声が聞こえた

いまではすべてが 他言するな と言っているみたいだ
階段をのぼってゆくわたしの上で
何階ものアパートの階層が ぐるぐる廻った
それは あのロビンソンの樹にも似ていた
扉の隠し窓のなかには
     片目が光っている そうして
地平線をまとった大きな鳥のような詩人は
素足で かれの巣の高みにわたしを通してくれた
眼のまえに「魔法使い」がいる
「七つの剣は どこにあるのだろう」

「クロロフォルムの匂いの中 傷ついた頭に
         開孔手術をうけて」
わたしはもう どんな言葉も何もおぼえていない
わたしの中であの若者の心臓が顫えていたというほかは
わたしは 薄い ちょびひげを生やし    
何んにでも心よい羽音をたてて飛びつく廿(はたち)だった
陽脚(ひあし)が 鎧戸のわなにひっかかっていた
わたしの中で 詩の猫がごろごろと言っていた

「おれはつぶやいていたんだ ギョーム きみがやって
       くる頃ではないかなぁ」

と彼はわたしに言ったが 何を言おうとしたのだろう
そして何か言いわけを言いながら 案内してくれた
幾枚かのピカソの絵が 階段下の戸棚の中にあり
ただ一枚
  アポリネールの指さした壁の画の中で
愛がいとなまれている
ほかのすべてのもののかたわらで
おお くちづけ 永遠のくちづけよ
夜も昼も 昼も夜も 時計の停ったこの長い時
唇を唇におしあて 一つに溶けあった息吹き
「真に迫った描写」の下に息ずく生命
だがベッドは 画面に定着された瞬間ほどには真に迫らず
ながながく続く抱擁にとっては 冗漫にすぎぬ

茫大な人生は いつも映画めいている
ピアノの小曲が鳴りだすと
みんな黙りこんでしまう
すべての眼で観衆は きまり文句に耳傾ける
そして「彼女はすばらしい」と言うための あの指の花束

われわれはまだ 唖の時代にいるのではないか
半世紀後も おんなじ音楽
辻公園のベンチの上に 街角に
家家の暗い内部に
     おんなじ沈獣
かれら二人だけが 飽きることなく抱きあい
腕で締めい 腕でからみあって 身を顫わせている
一九〇五年の恋びとたち
  そのよろこびよ 永遠たれ

 訳註 ピカソが一九〇五年にアポリネールに贈った絵『抱擁』が、一九六八年六月に売りに出された。その機に、一九六八年六月一二日号の「レットル・フランセーズ」紙は、その一面にこの絵を掲載し、それについて書いたこのアラゴンの詩をかかげた。

<『詩人会議』1973.7>
道化役(サルタンバンク)──ピカソの「サルタンバンク」に寄せて
                             大島博光

木枯らしが吹く 場末の広場
おれは しがない 旅芸人
ただ 笑いと 憐みを売る
その日ぐらしの 道化役(サルタンバンク)

幟旗(のぼりばた)がはためく 場末の広場
おれは 口から 火を吹いた
とんぼ返えりを うってもみせた
帽子から 鳩を出してもみせた

夕焼けに映(は)える 場末の広場
色あでやかな 衣裳の下
おれの火は くすぶっていた
血にまみれた 手布(ハンカチ)のように

夕やみせまる 場末の広場
群衆(ひとびと)はみな 散りじりに
うろつくのは 犬と影ばかり
さて このおれは どこへ行く?

(自筆原稿)
ミノトール ─ピカソの素描「ミノトール」の一つに寄せて
                                  大島博光

老いぼれて 盲(めし)いた 牡牛男(ミノトール)よ
杖をついて きみは夜をよろめき歩く
盲いた眼を天に向けて 喚(おら)び呻く

きのうまで きみの手をとって
蝋燭をかざして みちびいてくれた
あのやさしい娘は もういない

やさしいあの娘が いないのは
きみが彼女を食ってしまったから
彼女のねがいには 耳をかさずに

彼女のこころには 眼もくれずに
おのれひとりの欲望に駆られて
きみが彼女を食ってしまったから

これからきみはひとりゆくのだ
暗い暗い地獄の責苦の道を
愛もない悔恨の夜のなかを

老いぼれて 盲いた 牡牛男(ミノトール)よ
声も涸れて咽喉(のど)で呻きおらぶがいい
おのれの闇の深さを 罪の深さを

失ったあの娘の愛の
春の海のような深さを
失ってしまったきみの無限を

              一九九七年

 (「稜線」)

<参考>新聞連載「私のピカソ」小娘にみちびかれる盲目のミノトール
永遠の若者-アラゴンのピカソ讃歌

 ピカソの人と作品をふりかえってみて、われわれがそこに見いだすのは、若くしてとてつもない才能を示し、たちまち古いアカデミックな絵画作法や規則を破り棄て、その天才的な才能を惜しげもなく濫費し、以来、その創造力、抑えがたい衝動、度外れの野望、相つぐ着想と発見を証明しつづけ、すべてを語った芸術家の姿である。それらすべてをとおして鳴りひびいているのは、ピカソの人間讃歌であり、人民への愛であり、不正への憎悪である。
 一九七一年十月、ピカソの生誕九十年を祝って、アラゴンは「パブロ・ピカソと呼ばれる若者の大いなる日のための演説」という長い詩を贈っている。この詩のなかでアラゴンは、ピカソの真の姿、その本質、その意義についてつぎのように書いている。

パプロ・ピカソと呼ばれる若者の大いなる日のための演説
                                        アラゴン
  絵画を変えるとは人間を変えることだ
  洞窟の壁に黒い野牛が描かれてこのかた
  同じものは一度も描かれなかった
  人間はまた壷のうえに裸体で描かれた
  愛する姿で たたかう姿で
  あまり神が描く力を手にしたので
  ときどきここかしこに恐怖(パニック)が起きた

  絵画を変えるのは いままで見えなかったものを
  見えるようにするためだ
  見えるものをちがった風に結びあわせる
  ひとつの流儀をつくるためだ
  反逆天使(リュシフェール)が事物のうえに投げた
  禁じられたまなざしをつくりだすためだ
  絵画を変えるのは ひとつの天国をしつらえ
  人間の地獄への扉をひらくためだ

  絵画を変えるという
  この絶えざる冒険にくらべられる
  どんな冒険があろう
  こうして汚らわしい見せびらかしのために
  絵画を占有する者から
  絵画を奪い返すことだ
  王侯に仕える野間どもから黄金の絵筆を取りあげ
  滅びやすいものに永遠の命を与えることだ
  最初の人間と同様に
  最初の林檎を
  最初の煙草箱を描くことだ
  一つの世界をつくるには つまらぬもので事足りる
  すべては過ぎさるものとしてモデルになる
  一皿のアスパラガスも
  いったい誰がアルティショの季節(*l)を永続させえよう
  ひとはひとが何を描くかを描かない
  見ることは考えることだ
  描くことはものを言うことだ
  眼は夢みる ああ あらゆる部分がわたしに襲いかかる
  未来にすべり込む 絵画の暗喩(メタフォール)とその光
  仮説の庭園をつくりだす
  この現在の奇妙な魔術に
  わたしは没頭する。

  それはパブロと呼ばれる
  ひとりの若者とともに始まる
  最初の自動車の現われる前
  わたしが眼をひらいたこの世界の初めに
  かれの額は現われる
  ひとはまだ シャツを変えるように
  世紀を変えるのだと信じていた
  おお こんにち「大きな輪」を思い出すパリよ
  思い出せば ちょっと後 わたしが子供だった頃
  ピカソと呼ばれる若者のおかげで
  テーブルや椅子をまったくちがった風に見た
  びっこをひきながら 肩を振りながら
  わたしは彼から学んだ

  それらをあの観念の図式で見るのでなく
  それらが使われるときのままに見ることを
  さらにいま立って行った肉体の重みや愛撫を
  それらの上に見いだすことを
  瓶 コップ それら
  ごく自然に雑然としてあるもの それら
  すばらしく従順なもの
  彼はわたしに教えた そしてピカソはたくさんの人たちのために
  一つ一つの物のなかに人間のならわしを感じるふりをし
  ギターのまわりの大気のなかで
  灰色や薄茶色や白が顫えて
  ギターの音が聞えるような振りをした
  ・・・
  突然 あのわれらの人生の中頃
  ドラクロワがシオの虐殺を描いた
  その頃にも似た 何かが起った
  想ってもみたまえ「ゲルニカ」という絵を
  人びとがこの世で初めて見た日のことを
  そのために今この瞬間(とき)まで絵画の空気は震えているのだ
  それゆえにそれゆえに
  くちびるは眩暈(めまい)を云々するのをためらうのだ

  一再ならずスペインの風はわれらの方へ吹いてくる
  一再ならずヴェラスケスはマネの呼び声に駆けつける
  一再ならずゴヤとその黒い光が射してきて
  自然のなかに色彩はないと彼は云う                                     
  一再ならず「アングルシアのジプシーの歌(*2)」が山々を越えてやってくる
  その詩人(*3)の身は爪先から頑まで引き裂かれる
  永遠にピカソと呼ばれる若者がすでに存在を始め
  悲惨と愛の青い歌とともに彼自身となってすでに久しい

  いくつの時だったか
  わたしが見たこの画家の最初の絵は
  ウェルタ・デ・ヴァランスの風景画で
  そのためにわたしは永いあいだ
  絵と実際とを較(くら)べようとつとめる
  わたしは鏡と対象とのかかわりあいを理解する
  それには「歴史」と「共和国」と戦争(*4)とが必要だった

  おお突然 とある美しい夕ぐれ            
  賃借りした貨物自動車(*5)から
  友軍か敵兵か 死者たちの散らばった街道の上を
  照らすあの夏の終りの光を見ようとは
  だが 馬ではそんなに速く行かれはしない
  口から泡を吹いていた時代よ
  ・・・
  いまだかつて絵画において 愛することについて
  人間であることについて 人間をはっきりと認め
  人間を眼で見えるように示すことについて
  これほど気高く粘り強い宣言はなかった
  欲望と悦楽の名を これほど大胆に
  声高く叫んだ声はなかった
  ・・・
  そして官能の太陽のもとの この力強い大いなる叫びを
  何ものも年齢も弱めることはできなかった
  この叫び この断言をゆがめたり
  骨抜きにしたり 偽善者の法律に従わせたり
  前例によって煙に巻いたり
  だらだらした長談義の宮殿に閉じこめたり
  そんなことはもうだれにもできないだろう
  ・・・
  花束の下にピカソを息づまらせることはできない
  何ものも彼の沈黙の高らかな声
  彼がみなぎらせる大きな風の音は
  これからもずっと聞える いつまでも聞えるだろう

  おお 画家よ おお 後の世の父よ
  おお 限界を乗り越えてゆくひとよ
  きみに挨拶をおくる
  想像された天国ではなく 地上にいるきみに
  パブロよ きみに挨拶をおくる
  きみのおかげで われらは
  きのうから永遠の方へと歩いてゆく

  パブロよ わたしはここで永遠にきみを「若者」と呼ぶ

*1 アルティショちしゃの季節-第二次大戦中、ピカソが描いた「アルティショをもつ女」を指し、レジスタンスの時代を意味する。アルティショはサラダ用の野菜。ちしゃの類。
*2・3  「アングルシアのジプシーの歌」は、ガルシーア・ロルカの詩で、ロルカはフランコ派によって銃殺された。
*4 「共和国」と戦争 - スペイン市民戦争を指す。
*5 貨物自動車-スペイン戦争の折、アラゴンは「賃借りした貨物自動車」に、スペイン人民戦線への救援物資を積んで、スペインへ駈けつけた。

 この詩には、一貫してアラゴンの実践的なレアリストの立場がつらぬかれている。

  絵画を変えることは人間を変えることだ

 この一行には、彼じしんが苦悩にみちて体験した自己変革の重みがある。彼じしんその自己変革をふくめての実践をとおして、自己の詩を新しい人間の歌、新しい世界の歌へと変えたのであった。絶えずおのれの限界を乗り越えて。そしてアラゴンは、

  おお 限界を乗り越えてゆくひとよ

 とピカソに呼びかける。まさしく二十世紀の二人の偉大な画家と詩人は、いずれも自己の限界を越えて、つねに新しい芸術に挑戦し、新しい芸術を創造しっづけたのである。

  いまだかつて絵画において愛することについて 
  人間であることについて…
  これほど気高く粘り強い宣言はなかった
  欲望と悦楽の名を これほど大胆に
  声高く叫んだ声はなかった

 ピカソの絵画の本質とその意義を語った、これほど直哉明快なことばはない。愛がないがしろにされ、愛することがむつかしい時代、人間が忘れさられ、人間が矮小化される時代にあって、ピカソの絵画はまさに力強い愛の讃歌であり、楽天主義的な人間讃歌である。したがって、この人間的な叫びを、実存主義的な、あるいは形而上学的な「だらだらした長談義の宮殿」に閉じこめてはならないし、また「煙に巻いて」神秘化してはならない。
 この詩で、アラゴンは九十歳のピカソを「若者」と呼んだが、それからまもない、一九七二年四月、ピカソは「若い画家」を描いている。これは恐らくピカソ最後の自画像であろう。それは、あらゆる複雑を通過した後の、きわめて単純な線で描かれている。イチジクの葉っぱをとっぱらった、生まなまとした「接吻」、あるいは「パイプをくゆらす男」「闘牛士」などのはてに、それは描かれた。「百歳になったらわたしも、あの北斎の言ったように、さっとふるったひと筆で、思いのままのものが描けるようになるだろう」そう言ったピカソの至芸の境地を、その枯淡飄逸の線のなかに見ることができよう。
 (新日本新書『ピカソ』より「永遠の若者-アラゴンのピカソ讃歌」)

(参照)新聞連載「私のピカソ」若い画家