『東京派』と早稲田第2高等学院

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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


松本城にて

松本城を背景に学生三人。中央が博光。
<一九三〇・九・九>とのウラ書きより、博光の早稲田第二高等学院2年(19歳)の時の写真と分る。
この年12月1日に田村泰次郎、河田誠一らと同人誌『東京派』創刊号を発行したので、写っているのは『東京派』同人の仲間かも知れない。

松本城にて  
  
      一九三〇・九・九
封建主義ノ化石ノナカデ、
オレハ歴史ニツイテ感傷デアッタラウカ。
ソコデ、タンナル、エトランヂェトシテ 封建主義ノ建築ヲ視覚シテキタニ過ギナイダロウカ。

白晝ノ不眠症ニ、オレハ、恐迫サレテイル。
オレハ毛髪ノ陰ニ逃避スル、憂鬱ナ黄色ヲ把握スル。

 一九二九年、第二早稲田高等学院に入学した大島博光は同級生の田村泰次郎、河田誠一らと知り合い、翌年十二月、同人誌『東京派』を創刊した。誌名の由来について田村泰次郎は<当時パリやニューヨークで新しい実験的文学を推進しているグループがあり、前衛雑誌をだしていたが、それに呼応する意気込みで、東京グループという意味で「東京派」を名乗った>と述べている。(『わが文壇青春期』)
 『東京派』は昭和五年から六年までの一年間で六冊出した。博光は小説「肥厚性鼻炎」「ヴァリエテ」「遂げず」「アキレス」、翻訳「巴里の農夫」「人間─アンドレ・ブルトン ポオル・エリュアル」「ロオトレアモン 虚無の犠牲─ピエェル・オオダル」を執筆している。『東京派』に詳しい紅野敏郎は<大島博光の「アキレス」は中学一年より五年に至るプロセスを、簡潔にしてスピード感のある、散文詩的文体で展開したものである。・・・これが高等学院に入りたての若者の文かと思うほどで、自然主義の伝統、その流れからは、完全に身を飛翔しているではないか。・・・>と評価している。《紅野敏郎<逍遥・文学誌7 「東京派」─田村泰次郎・大島博光・河田誠一ら>(国文学 解釈と教材の研究37 一九九二年)》
 博光の第二早稲田高等学院時代の活動を知る上でも、創作活動の出発点の作品に触れる上でも貴重な資料となります。
(資料提供 重田氏)
(5)
 トロイカは走るのだらうか、滑るのだらうか、それとも飛翔するのだらうか。
 カシハは御者に言つた。
 ──おぢさん。この附近の山で、スキーで死んだ人ありますか。
 ──ええ、毎年、二三人は少くも死にませうね。つい二三日前も.東京の大学生が三人、この奥の天狗の湯まで行く途中で死にましたよ。天気さへよければ、あんなこともなかつたでせうがね、何でも、正午までには天狗の湯に楽に行けるといふので、食物も用意しないで出られたさうですよ。それが、途中でひどい吹雪になりましてね、右も左も分つたものぢやありません。途方もない谷や、林の中で、三人が凍え死にしてしまつたんですよ。全く吹雪に逢つてはどうも仕様がありませんからね。昔から、雪倒れと云つて、よくあるんですがね。
 ──さうですか。なるほど──
 吹雪。雪の斜線。吹雪。アンナ・カレニナ。ヴロンスキー大尉の馬橇(トロイカ)は、吹雪の中を、鈴を鳴らしながら、ペトログラードヘ。ペトログラードヘ。
 銀幕の中のアンナ・カレニナの情熱を、カシハが、シカコに希望してゐた昨日。苦い。馬橇よ、滑れ、走れ、飛翔!カシハは背後に、迫ふものを感じた。追ふもの。それが肩に手を掛けやしないか。氷のやうに冷い手を。が、カシハは、むしろ、自分白身のはにかみの恥ぢらしい気持の具象を、キリコの人物のやうな異形なものに象(カタチド)り、白己脅迫をしたのだ。カシハは、白己反省の殻の中に閉ぢ籠り、その自分の手で造つた殻の厚さに、しばしば窒息を感ずる自分を知つていた。今、その蝸牛の自分を見たと思つた。不幸な蝸牛への憐愍が、墨汁のやうに擴がり、自分の感情を、灰のやうに噛んだ。
 シカコは、自分を、かつて、エゴイストだと言つた。自分は、エゴイストだつたらうか。いや、今、自分はエゴイストに成り得なかつた自分に憐愍を感じてゐるではないか。自己憐愍。敗北主義者。さうだ。自分は敗北主義者だつたんだ。自分は、シカコを虐殺するには余りに敗北主義者だつたのだ。
 夕闇のやうに憂愁が、カシハを包んで行つた。カシハは、自身に傾斜してゆくのを、鉛のやうに重い胸の重量を、感じた。蝸牛の殻の中の悲劇。暗黒な思想が頭脳に飽和した時、カシハは、苦笑を鼻の上に浮べた。それから.堪らなく、哄笑したい衝動を感じた。頭脳の中から、黒い蝶達を追ひ拂ふために。そして、カシハは、複数の自分を感じた。一人のカシハは都會のスポーツマンであつた。一人のカシハは、寒いアトリエの畫家であつた。一人のカシハは、黄色い彿教徒であつた。一人のカシハは、黒い香具師であつた。そして一人のカシハは、脊椎動物であつた。……複数のカシハが、何處か遠い所から、馬橇の上のカシハを眺めてゐる。
 馬橇は岡を登つた。登り切ると、なだらかなスロープが擴り、ホテルが彼方に、枯枝の森の中に見えた。ホテル。緑色の壁。カシハは、かつての年、ホテルで會つたバイブルを持つて、讃美歌を歌つてゐた青年の顔の色を思ひ出した。肺のために新鮮な山岳地方の空気を必要とした青年。聖書(バイブル)。カシハは、病弱に羨望を感じた。余りに健康すぎる……。そして一個の透視圖がカシハを脅迫し始めた。もし、27°の斜面の、雪渓の上のスキーの速度の中に、小石を噛むやうな倦怠(アンニユ)の顔を覗いたなら?その灰色の発見は、カシハを判決するだらう。
 馬橇(トロイカ)は滑るのだらうか。走るのだらうか。それとも飛翔するのだらうか。
(完)

(『東京派』四月號 1931年)
(4)
 緑の雨を聞きながら、カシハは複製音楽家の奏する、セバスチン・バッハのAir for g. string に煙りの帯を感じた。その煙りの帯の中に感情のチンダル現象があつた。カシハの一時の石のやうな唯物論が、プロレタリア・イデオロギーが、涙で濡れて行つた。──カフェー・シャリオの空気は.煙草の煙りで疲勞してゐた。カシハは装飾硝子を凝視しながら、精神の放浪の、灰色の倦怠(アンユイ)に征服されてゐた。倦怠が私を倦怠にしない。さう断言した人間を西半球に感じた。
──バッハの空気に飽和されて、緑の雨の中を、帰る。雨に濡れた街燈の生活力。水素。青春。そして倦怠。
 カシハは帰る。雨の夜の郊外。暗闇。濡れた棕梠。カシハは玄関のドーアをノックする。
──マダム、マダム、僕です。
 マダムの絹擦れのかすかな音。スリッパの音。鍵手(ノブ)の廻轉する音。ペテーコートのマダム。
──カフエー遊びばかりしちや駄目よ。
 マダムは、眼のトルコ玉を半迴轉させながら言ふ。トルコ玉の異様な光度。ペテーコートの下のマダム。(ムッシューはマダムから29°の緯度を距離して椰子の果實を享楽してゐた。マダムは、ムッシューに毎週一束のジャーナルを発送する以外の役割を持たなかつた。マダムは.黒猫を愛撫しながら.高湿度の柑子と日光浴を共にした。ムッシューからは何の発音もない。マダムの隣室で、カシハは、日光を遮断し、タングステン光線を愛撫し、毛髪の成長率を計算しながら、骨灰色の螺旋筒を上下してゐた。カシハは日光浴を必要としなかつたらうか。)
──アンタ、太陽さんと絶縁することは、地球と絶縁することよ。
──でも、ぼく、暗い處が好きなんです。
──それはさうと、昨日は、何処で泊つたの? だめよ、悪い處で泊まつちや──
 カシハは、電燈の光線に光る、マダムの美しい犬歯を見る。犬歯が、飛ぶ。
──ぢや、おやすみ。
──おやすみなさい。
 ベッドの中で、カシハは空気と格闘する。トルコ玉、犬歯。眞珠。ペテーコート。が、カシハは、マダムを決して紫に印象しなかつた。そして、骨灰色の螺旋筒の中に、カシハは自らを見出す。螺旋筒。シャンツェ、7.50n.
(つづく)

(『東京派』四月號 1931年)
(3)
 白。氷山。オロラ。一秒一秒、色調を變へてゆくぼう大な天よりのプリズムの色階美を持つたカーテン。そのカーテンの色階の縦縞。この極光(オロラ)を背景として、紫色の透明なシカコの影を見る。カシハがその紫色のシカコの姿を、影を把ヘようとすればする程、シカコの紫色の姿は、影は極光(オロラ)の中に吸ひ込まれてゆく……シカコの顔にはあのモナ・リザの微笑がある……と思つた時、シカコの紫色の姿は、モナ・リザの微笑と共に、極光のカーテンの中にすつかり吸ひ込まれて、カシハは、何時の間にか極光を遥か下方に夜光虫のやうに眺める。……カシハは落下傘(パラシュート)にぶら下つてゐる。青い青い平面感が、落下しつつあるカシハを把へる。と極光(オロラ)は消えて、カシハの落下傘は青空と、涯しない碧海との空間を下降しつつある一個の汚点。だんだんカシハの足の下に擴がつて見える碧海は、カシハにべツドの感触を思はせる。この碧いビロードの弾力を、カシハは近親者との抱擁のやうに安心に、心よく思ふ。がやがて海水の感觸を女の肉體に感じた時、カシハはぐんぐん流れて行くのを見出し、海面にポプラの林が薄く靄のやうに現はれて来るのを見る。カシハはポプラの葉つぱのざはめきを聞く……そのポプラの林は少年の時遊んだT河の岸に沿うてあつたのを思ひ出す。霞んだ緑色の両岸が両方から迫つて、両岸から平野が延びてゐる。紫色が視覚を蔽ふ。カシハは、郊外の文明に取り残されたやうな林で、女流畫家が使つてゐたカンバスの上の紫色を見た。その紫色、暗紫色は、モローか、モネーかが、落ち付いた風景畫によく使つてゐた色彩だと思ふ。そして、その女流畫家と紫色で、知り合つた。カシハは女流畫家と、ボンチェリーのダンス・レコードをかけながら、テウ・ステップを踏んでゐる。郊外のささやかな赤瓦の家。そして失戀。シカコ。……
 カシハが、スキー靴の中の足の裏に蜥蜴の皮膚を感じたと思つた時、カシハの視覚の中をブルーセルリユムの空が落下した。そして顔に大理石の触感を持ちながら、頭の中を縦横に走るスキーの抛物線と、雪粉の抛物線とを見た。カシハは身體が、一瞬、石のやうに重いと思ふ。……カシハは断崖の下の雪の沼の中に、カシハ自身が崖の上から落した雪の下に、白い白い物質の中に、白由を持たない四肢を感ずる。

 と、杉林の梢から、雪粉が、ギラギラと輝きながら、降る。馬橇(トロイカ)は銀粉を浴びて滑るのだらうか、走るのだらうか.それとも飛翔するのだらうか。
 カシハは急がなくてはならない。カナンヘ。カナンヘ。スキー大會會場カナン。
 シャンツェ。斜面に於けるスキーの物理作用と、カシハの心理作用。油。蠟。絶えざる脳髄の移行。振動。ジャンプ・カシハは胸のNo.31のゼツグを感ずる。が、レフリは、メガホンで報告した。──No.31. 7.50m。
 ──カシハは骨灰色の螺旋筒を登つて行つたのだ。が登つても、登つても螺旋筒、シャンツェは盡きない。骨灰色の螺旋筒。音波のない暴風雨──気流の旋轉の中に逆立してゐる螺旋筒。カシハは螺旋筒の中で登行への意志が傾斜してゆくのを感ずる。その時カシハははつきり、伝書鳩の翼を持つてゐないカシハ自身を感ずる。そして限りなく骨灰色の螺旋筒を憎悪し、伝書鳩の翼を持つことなしに、空間を歩行することを意慾した。……と加速度的に傾斜を急にして行つたカシハの意志は、螺旋筒の空間を切つて墜落して行つた。カシハは墜落しつつ、螺旋筒の空間に、ファインカットの煙りが充満してゐのを嗅いだ。そしてそこには.ニュトンの物理學も、アインシュタインの物理學もない。カシハの墜落は白灰色の沙漠の中に終結した。白灰色の沙漠。いや、それは、沙漠でも、何の存在でもない白灰色の色彩ばかりだつた。カシハは空間の體積を感じながら、自身の體重を意識しない。そこに、石器時代的な笑、笑、笑。脅迫する哄笑。カシハ、地球上の生物に──ロボットに羨望を感じる。ロボット。銅鐵製の頭蓋骨と足と、赤血球の保温性と。……カシハは白灰色の色彩の中で、人工的なグロキシニアの花を愛し始めた。緑の雨を聞きながら……
(つづく)

(『東京派』四月號 1931年)
(2)
 カシハは雪渓にきざまれたジグザツグのスキーの跡を振り返りざまに雪の上に横になる。雪のクッションは雪渓を登って来た運動に燃えてゐる身體に、スキーヂヤケツを透して心地よい冷熱器を兼ねる。ポケットから蜜柑を出して皮ぐるみにかぢりつく。汗ばんでゐる身體中に、口の中の蜜柑の針のやうな冷たさと酸が走る。そしてだんだんニコチンのにがさに似た蜜柑の皮のにがさが口の中に擴がつてゆく、顔の上を悪魔の微笑が走る……
 ──もう600秒後……
 カシハの身體の下を、スキーの下を雪渓はプラチナの平板のやうに走り下つてゐる。雪に蔽はれた岩。巨大な白象。松、白樺の白衣、太陽が雪の世界を銀光の世界にしてゐる。太陽の光線に反射する雪のまぶしさが、視覚の中に赤い縞を、渦を巻いてゐる赤い縞を感じさせる。──カシハの視覚の中で、瞳孔一杯に殺到して来る雪の純白な反射光線の中に、赤線が交錯する。ぐるぐる廻る。雪渓の面を光りのリグレーチユウインガムの高標(マーク)の小鬼達が無数に踊つてゐる。光りの粒子達、光りの小鬼達。デモクリタスの分子論を思ひながら、だんだんと雪渓の面に眼を、眼を、視線を、視線を見出す。無数の眼と視線……シカコの眼、(出帆前の甲板上の眼。)春野俊吉の眼。(友情から、微笑してくれる眼、同志約鞭たつを輿へる眼。)自殺した叔父の眼、(この眼の誘惑。)牧師の眼。弟の眼。父の眼。母の眼。(涙の陰で微笑してゐる母性の眼。)そして過去二十数年間の眼の視線の群……
 ──もう500秒後……
 再び悪魔の微笑が顔の上を走る。
 カシハは、スキーの締具を、しめかへる。厚い防水手袋の下で手が震へてゐる。杖を握つて、雪渓にスキーを直角に立つ。
 急に青藍色(ブルセリクユーム)が視覚に殺到した。
 白い世界(ル・モンド・ブラン)の上の空。あのハアキリユズ達のアーゴオ號が航海してゐる海。雪花石膏(アルバスター)の触手をもつたブルーセルリユーム。カシハはブルーセルリユームを脳髄に拡げながら十字形スタートを切つた。──死。滑降。雪の沼。凍死。

 白白白白白 白がカシハの前に殺到し、両側を走る。カシハはスキーの上の極度に不安定な重心感を感じながら、山岳地方の空気の抵抗に感覚的な白を感ずる程の速度の中にゐる。カシハの視覚を線と面になつて走る走る雪の白と共にカシハの過去二十数年間が白の線と面とになつて走る。
(つづく)

(『東京派』四月號 1931年)
遂げず (1)
                   大島博光

 馬橇(トロイカ)は滑るのだらうか、走るのだらうか.それとも飛翔するのだらうか。
 カシハを載せた素朴な馬橇(トロイカ)は、雪の高原を滑る、走る、翔行する。スキー帽の隙間から冬季の山岳地方の空気がメスのやうに刺さる。カシハは都会の空気に昨日と淡い勝利感とを感じた。黄色い塵埃。人間と人間との磨擦。シカコは東京市外雑司ケ谷一四七七に天國を夢見てゐる。第七天國。シカコへの憎悪に近い恋愛に、カシハは咋日を感じた。カシハの足の下で、横たはつたスキーの締具が軌る。馬の雪を踏む音が、丸い煙の輪になって続く。高原。雪の高原には鐡道線が延びてゐるが、まだ一度も汽車は走つた事がない。またこの雪の高原を飛翔した一つの飛行機もない。と誰かが話した。誰だつたらう。何の必要でそんなことを話したのだらう。太陽の光線で高原は銀板である。糸杉の林が走つてゆく。カシハは地圖を買はせた。地圖にはバイカル湖があつたやうに記憶してゐるが、その他はただ、糸杉の林に似てゐると思つた地圖の等位線、山岳の陰影法。カシハはこの草原の彼方にカナンの都を感じてゐた。併し、カシハの概念の中のカナンの都は、雪の高原の中に点描された地圖の都邑記号に過ぎなかつた。遠い高原の彼方のカナンの都。都邑記号。糸杉の林と林の間に輝く雪膚。カシハはシカコの肉體を考へて居たのだ。シカコの肉體をまだ汽車は走らなかつた。飛行機も飛翔しなかつた。併し、シカコの顔を、枯れた青葉を憶ひ浮べた時、苦い青葉の汗だけがカシハの頭の中に残つた。
 馬橇(トロイカ)は滑るのだらうか、走るのだらうか.それても飛翔するのだらうか。
 低い山が、御者の肩越しに、白くぼやけた青灰色に見えた。その色彩と感触とがカシハに白骨を聯想させた。

 カシハは雪野を母と歩いてゐる。暗灰色に曇った雪曇りの低い空の下の雪野を。ふと、雪に折られた枯草の蔭に彼は白骨の一塊を見た。彼は母のショールにすがつた。母のショールは青灰色であつた。母は蜜柑を食ふことが出来なかつた。母は雪の日に死んで行つた。……雪の曠原を、長靴が、生物のやうに、大股に動いて行く……長靴が、足をもたない長靴が!歩く、雪の曠野を。カシハはロシヤの或る作家の見たという長靴が独りで歩く夢の恐怖を、胸の上にまで感ずる。(カシハの成長は雪から始まつた。)カシハはだんだん白いべールに包まれながら、べールを透かして、反射鏡の群を、雪膚を眺める。雪の反射光線の白の影の中に、クリーム・デ・マンテの匂ひを漂してゐるカフェー・シャリオの蜃気楼が浮ぶ。グロキシニアの花鉢。外光派の煙る風景畫。べ一トーべエンのムービングソナタ。紫の煙草の煙りの渦の中でカシハは友人春野俊吉と、雪或ひは氷山に於ける死體の保存状態を論じてゐる。その時、カシハは春野俊吉にステッキのやうな厭迫を感じてゐた。が春野俊吉よ、さよなら、永久に──僕は、自殺するならば、氷山へ行くだらう。氷山へ。凍結。ミイラ ──僕はスキーで自殺するだらう。
(つづく)

<『東京派』四月号(1931年)>