詩誌『稜線』

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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


詩誌『稜線』掲載の大島博光作品(1994年〜2002年)

愛の弁証法 51巻 1994. 07
五代格遺稿詩集に 51巻 1994. 07
きみとわたしは 52巻 1994.10
わが地獄の季節 53巻 1995.01
未来にも似た国で 54巻 1995.04
希望 55巻 1995.07
きみは 56巻 1995.10
空に浮かべたこっぱ舟にのる(書評) 56巻 1995.10
もうひとつのわたしの書斎 57巻 1995.12
ある塚のほとりに座って /フイ・カーン 57巻 1995.12
崖っぷちで 58巻 1996.01
リヨンの虐殺 A ・L氏へ /ヴァルモール 58巻 1996.01
わたしもきのうは若者だった 59巻 1996.07
娼婦 /マルスナック 59巻 1996.07
小さなひとつの恋物語 60巻 1996.10
アラゴン断章 /アラゴン 60巻 1996.10
ミノトール─ピカソの素描「ミノトール」の一つに寄せて 1997
詩と詩人について─詩のかたちによる詩論の試み 61巻 1997.2
アル・アンダルシアの哀歌(抄) /アラゴン 61巻 1997.2
木のうえの詩人たち 関敦子さんへの挽歌 1997.5?
犯罪はグラナダで行われた /マチャード 62巻 1997.5?
わたしもきのうは若者だった 1997.8
詩と詩人について─詩のかたちによる詩論の試み 1997.8
春の歌 愛と未来はおなじ闘いだ─アラゴン 1997.8?
ちぎれた歌 65巻 1998.02?
フランス人X 65巻 1998.02?
スラヴァにおくる歌(抄) /アラゴン 66巻 1998.08
私が飽かずに愛をうたうのは 66巻 1998.08
冬の日の日ぐれの歌──八十八歳の歌  1998.12
鼠考    1999.01
えにしだ(抄) /アラゴン 69巻 1999.07
それこそならず者ではないか 69巻 1999.07
わたしの選択 70巻 1999.11
姦淫の罪を犯した男   /アラゴン 71巻 2000.3
パリの街歩き(抄)  /ジャック・ゴーシュロン 72巻 2000.9
『不寝番』からの訳詩三つ  /ジャック・ゴーシュロン 73巻 2001.1
エピローグ エルザの狂人 /アラゴン 75巻 2001.7
灰の日々の燠火 /ゴーシュロン 77巻 2002?
詩人の勝利 詩人鈴木初江追悼 78巻 2002.9

(関連記事)
五月だより 博光の同人参加 /鈴木初江 51巻 1994. 07
大島博光さんの84才を祝う会 /岩井恵子 53巻 1995.01
「老いたるオルフェの歌」出版を祝う会 /古屋志づゑ 55巻 1995.07
稜線詩集1997 あとがき 1997.8
病室の大島博光さん /萩谷早苗 70巻 1999.11
◎増岡敏和さんが毎回批評を書いている

*詩誌『稜線』は鈴木初江が主宰した同人誌で、1982年10月に創刊、季刊・年4回を欠かさず発行した。2002年7月の鈴木初江死去により、第78号(鈴木初枝追悼特集)をもって終刊した。大島博光は1994年、第51号から同人に参加、毎回の様に詩を載せ、重要な作品発表の場になった。(詩誌『稜線』と鈴木初子

稜線
 詩と詩人について
           ──詩のかたちによる詩論の試み      大島博光

わたしは 蝶をとらえようとして
あてもなく夜のなかをさまよった

わたしは 蝶をとらえようとして
蝶のように蜘蛛の巣にひっかかった

わたしは 蝶をとらえようとして
林のなかの深い井戸に落っこちた

わたしは 蝶をとらえようとして
ようやく虫とり網に気がついた
いまだに 蝶はつかまらない
    *
わたしの意識のたたかいのひとつは
ペッシミスムを克服することだった
ペッシミスムではたたかえない
ペッシミスムでは歌えない

絶望した者こそが希望をみいだす
ペッシミストがオプティミストになる
    *
砂漠に砂金を探すような
詩人の孤独はもう終わった
    *
胸の底から こみあげてくるもの
口をついて 迸りでるもの

それが 詩となるとは限らない
いつも 歌となるとは限らない

だが それなしには 詩の核はない
それなしには 詩の力はない
    *
意識と無意識のあわいから
眠りと目覚めのあわいから
湧きでるものを書きとめよう

したたる水が谷川となって
いつか 谷間を流れるように
せせらぎとなって歌うように

ことばはことばを紡ぎだして
詩の糸となり しらべとなる
つぶやきは声となり 歌となる
    *
詩人にとっても大事なのは
形式にもこころくばること

砂や水のうえに書くよりは
花崗岩にきざみこむこと
    *
詩人の仕事もまた もろもろの
矛盾を解決することにある

美と真実を 春と冬を
夢と現実を 絶望と希望を

愛とたたかいを ひとつの詩に
とけあわせ うたいあげること
    *
世界が血を流しているとき
世界が涙しているとき

詩もひとり笑ってはいられない
ただ手をこまねいてはいられない
    *
この世には したたり落ちる血で
書かれたような 血まみれの詩がある

インキで書くより おのれの血で
書かねばならないような時がある
                 一九九六年十一月

(『稜線』1997年2月)

千曲川
 わたしもきのうは若者だった
                                    大島博光

わたしもきのうは 若者だった
暗い暗い 夜の時代だった
暗い酒場で わたしはうたった
  酔いがなければ 生きられない
  夢なしには 生きられない

わたしもきのうは 若者だった
侵略があった 戦争があった
明日もない闇のなかでつぶやいた
  火の下では 生きられない
  鉄の下では 生きられない

わたしもきのうは 若者だった
眼に眼かくし 口に猿ぐつわ
燈火管制の闇に口ごもった
  重石の下では 生きられない
  自由がなければ 生きられない

わたしもきのうは 若者だった
ヒロシマに 原爆が落された
キャラバンのなかで わたしも歌った
 青空がなければ 生きられない
 平和がなければ 生きられない

わたしもきのうは 若者だった
なんの目的(あて)もなく ぶらついた
暗い眼をして わたしは 呻いた
  生き甲斐なしには 生きられない
  希望なしには 生きられない

わたしもきのうは 若者だった
わたしも 恋びとにめぐり会った
そしてきみに そっと告げた
  愛なしには 生きられない
  きみなしには 生きられない

わたしもきのうは 若者だった
夜をぬけでて 光をもとめた
みんなと腕を組んで 歌った
  太陽がなければ 生きられない
  明日がなければ 生きられない

(『稜線』59号 1996年2月、『稜線詩集』1997年)

稜線詩集




希望



希望


(『稜線』55号 1995年夏号)

詩誌『稜線』と鈴木初枝

詩誌『稜線』は鈴木初江が主宰した同人誌で、1982年10月に創刊、季刊・年4回を欠かさず発行した。2002年6月の鈴木初江死去により、第78号(鈴木初枝追悼特集)をもって終刊した。
1997年8月に同人によるアンソロジー『稜線詩集』を発行している。

【同人】
岡村民・中野区
岩田幸枝・川崎市
小熊忠二・長野市
長田三郎・上田市
くにさだ きみ・総社市
佐藤三平・世田谷区
鈴木初江・狛江市
関敦子・杉並区
千川あゆ子・板橋区
高橋たか子・埼玉県北本市
高崎謹平・江東区
成田武夫・川崎市
長谷川七郎・渋谷区
萩谷早苗・江戸川区
槍山三郎・千葉市
古屋志づゑ・横浜市
穂刈栄一・長野市
細田伊佐夫・長野県上伊那郡宮田村
前沢宏子・狛江市
松浦郁・川崎市
三井為友・世田谷区
山城百合・渋谷区
安在孝夫・福島市
大島博光・三鷹市
林光則・東京都西多摩郡
山越敏生・上田市
吉原つぎお・長野市
・増岡敏和が毎回講評を書いている。

稜線


大島博光は1994年、第51号から同人に参加、毎回の様に詩を載せ、重要な作品発表の場になった。(ぜんぶで35篇ほど
鈴木初江は戦時中に長野に疎開して以来の博光の詩友で、『稜線』のほかに反戦の活動に熱心だった。「戦争に反対する詩人の会」を組織し、集会開催や詩集「反戦のこえ」を発行するなど活発に活動した。2002年9月発行の『稜線』鈴木初江追悼号に博光は追悼詩「詩人の勝利」を書いてその活動を讃えた。

鈴木初枝

反戦・詩人と市民のつどい」(1987年、松本)のおり。博光(中央)の右が鈴木初枝、左が長谷川健氏。

 ☆五月だより☆

 関さんが″大島さんの詩よ″と届けてくれたのが2頁掲載のもの(「愛の弁証法」)、まもなく当の大島博光氏より「八十三才で同人に入れてもらいます」のおたより、私はブラボーと叫んだ。が抱きつく人も手を握る人もいない、早速小熊さんにしらせた。その返事「『稜線』に博光先生が参加なさる!まことにもって楽しいニュース、先生まだ泣きごとから抜けでられないと思いますが、それはその詩でよいのです……三鷹で同人会、いや博光宅で催せばいかが、ごちゃごちゃした居間で集まるのも楽しいのでは云々」
 同人諸氏はご存知と思うが、先年最愛の夫人に先だたれてからは、涙の詩ばかりをかいている大島さん、慰めようもないけれど、五代格の詩集「詩人の運命」によって、対象を少し移しえたかもしれない、時間と対象は愛の弁証法を生みだしたのだろうか。稜線の仲間入りによって同人仲間にも生みだすであろう″愛の弁証法″の進展を、私は深く願っている。多分大島さん、呆けている暇はないように思うけれど、喜びと歓迎の口づけを!(鈴木初江)
<『稜線』No.51 夏 1994年7月刊>

 大島博光さんの84才を祝う会
                     岩井恵子(狛江詩の会会員)

 群青の秋晴れ、十一月十九日PM2時〜武蔵野市吉祥寺コミュニティセンターで稜線の会、むさしの三鷹文化の会など五つの組織と地元三鷹、武蔵野の代表者などの実行委員会によって開かれ、楽しいひとときを過しました。(司会は岩井が担当。)
 東京音楽教育の会十一名の「春がきたら」(大島博光詩)アラゴンの「われはその人を知らず」を野口定男氏、「きみとわたしは」(稜線52号)を関敦子氏が朗読。開会の辞を鈴木初江氏「愛する人をなくし、哀しみと淋しさの極みから、ようやく辿りつこうとする岸がみえてきたようで、大島さんを励ますとともにその長い詩業によって私たちが慰められ、勇気づけられてきたことを謝し、今後も平和と自由の詩を高らかにうたって下さい」と感動的に話され、次に増岡敏和氏のお話「大島博光先生とアラゴン」、戦後広島で峠三吉氏らと同人誌を作った時、初めてアラゴンの名をしった。訳詩者が大島さんとしったのはずっと後のこと、ユーモアたっぷりの話しぶり。乾杯の音頭を斎藤氏「四行詩の叙情詩人・情熱の青年詩人大島博光氏のますますのご活躍を!」と。長野からの小熊忠二氏は「博光氏の昔ばなし」、千曲川での〝釣りキチ″ぶりと詩作について厳しさを語りました。
 スピーチのトップバッター土井大助氏がそのなかで「大島さんが『わたしの生はすばらしかった』の過去形は残念」というと斎藤氏が「いや大島さんの確認の表現」と反論、ことば論議は会場をわかせました。岡亮太郎氏のスピーチ、山本隆子氏「絵はがき」の朗読、前山長子氏ら音楽教育の方たちの「ふるさとのうた」「自由」(エリュアール詩)「ぼくはパルファン川の歌ごえをきく」(以上大島訳)で会場はもり上りとび入りも岡、高崎謹平、斎藤哲三、佐藤一志氏と続き、三鷹市の市議会議員岩田康男氏「二階から釣糸をたらし 花屋で花束をつくる大島氏が大詩人とはしらず、〝赤旗配達員のうた″が発表されて、配達員がふえて驚いた」と。長男朋光さんはビデオ操作、次男秋光さんは「生活の上で自立している博光さん」を紹介、会場は感動の渦でした。
 中正敏、わたうちちふみ氏の祝電、欠席者のメッセージ紹介のあと、大島氏は〝愉快なとき″と感謝され「孤独な闇に泣くのはもうたくさんだ…/みんなといっしょに飲んで歌うためだ/みんなといっしょに春を呼ぶためだ」と朗誦、大きな拍手に包まれ、その後贈りものが手渡され、大津留喬久氏から「わたしも今日から詩人になろうと思った」と閉会の辞。出席四四名中詩人の参加は以上の他山岡和範、安達双葉、山城百合、佐藤敦子、皆川晴絵、古屋志づゑ、古田島あい子氏らです。受付・会場整理にご協力下さった方々に感謝を捧げて。
(『稜線』No.53 1995年1月刊)

祝う会