書評

ここでは、「書評」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


人間味がにじむ

真木嘉徳訳 ゲバラ 革命の回想

 チェ・ゲバラの名には、すでに伝説のひびきがある。こんど、彼の『革命の回想』をよんで、チェが伝説の人とならずにはいない宿命のようなものを、わたしは感じた・・・。
 この本は、一九五六年十二月の『グランマ号』による上陸から、一九五九年一月のハバナ奪取にいたる間の、キューバ革命戦争の回想録であり、その英雄叙事詩である。メルルも言うように、それは『単純率直さと、あらゆる文学的主張と無縁であることによって、読者に強い印象を与える』そこには革命家ゲバラの謙虚で人間味にみちた個性がにじみ出ている。そしてそこには観念的なところがない。すべてが具体的な実践・闘争をとおして語られている。大衆路線、ゲリラ隊における規律、裏切者の処置の問題など、山の中の飢えと渇(かわ)きにも耐える困難な生活のなかで、そして銃火の闘争のなかで、一歩一歩、貴重な犠牲をはらいながら克服されてゆく。その過程の描写は叙事詩のように感動的である。
 『ゲリラと農民大衆とは、次第次第に同質化した。この融合が長い期間の、いつ、いかなる瞬間に生じたものか、われわれの宣言がいつ、いかなる瞬間に身近な事実になったのか、われわれは、いつ、いかなる瞬間に農民と一体になったか、はわからない』現実の中で運動が血肉化されてゆく過程の微妙さがここに捉(とら)えられている。また婦人ゲリラ隊員リディアのいかにもラテン・アメリカ的な明るさと大胆さにみちた肖像画も印象的である。
 この本を貫いているのは、ゲバラのとりつかれたような革命精神である。わたしはそれを宿命のようなものと感じたのであって、あるいは『革命の詩人』とでも呼ぶ方がふさわしいかも知れない。フィデルにあてた『別れの手紙』をよめば、そう呼ぶのが不当でないことがわかるだろう。また、本書に収められているメルルの『カストロとゲバラ』は、多くのデマや憶測を生んだチェの『失踪(しっそう)』について、ゆきとどいた解説となっている。
 中国革命の延安には、カナダ人の医者べチューンがいた。そしてキューバ革命のシェラ・マエストラには、アルゼンチン人の医者チェ・ゲバラがいた。このことを、本書は読者の記憶にきざみつけるだろう。
  (大島博光・詩人)=筑摩書房 六五〇円=

<北海道新聞 46年>
小説から挙げて考察

中平解著 「風流鳥譚 言語とヒバリ、その他

 本書の副題に「言語とヒバリ、その他」とあるとおり、著者は「仏和辞典」の編者であり、多くのフランス語関係の著書をもつ言語学者である。この本をひらくと、いきなり「ヒバリを食う話」というきわめて刺激的な話がでてくる。ヒバリは、フランス詩の方では春を告げる鳥、希望の象徴としてよく歌われているが、それを食べるなどという話はわたしには初めてで、読み始めたらやめられないようなところがある。
 フランスではヒバリを焼き肉にしたり、バタ焼きにしたり、パテにして食べ、それも美味だという。食べるからには捕らえねばならない。その方法がいくつか書かれている。馬のたてがみやしっぽの毛で作ったワナで捕らえたり、「ヒバリを呼ぶ鏡」でおびき寄せて鉄砲で撃つのである。──これらのことどもを書きしるした文例を、著者はひろくフランス小説群のなかから探し出してきて列挙し、考察を加える。
 たとえば、ジョルジュ・サンド、フロベール、モパッサン、ゾラなどの小説からその文例が挙げられていて、読者はそれらの作家にふれると同時に、フランス人の食生活の一側面にふれることもできるし、それを通してその背後の現実生活をかいまみることもできる。
 そのために、著者はひろく小説を読みあさってカードをつくり、執拗に文例を追求している。その態度はレアリストのものであり、きわめて実証的である。だから読者はおもしろいヒバリの話をよみながら、こういう勉強の仕方、研究態度をも学ぶことができる。むろん、語の語原からの成立、由来の話も随所にあって興昧ぶかい。
 その他、ウグイス、ロスィニョル、カラス、ウソなどの話がある。ウグイスが日本にだけ住む鳥だということを、わたしはこの本で初めて知った。腐肉をあさって食うカラスの肉はうまいという、ぞっとするような話もある。
      (大島博光・詩人)
 (未来社 四六判 一五〇〇円)

<一九八三年十二月、新聞掲載>