チリ連帯詩集 Poem of Solidarity with Chilean People

ここでは、「チリ連帯詩集 Poem of Solidarity with Chilean People」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


チリ連帯詩集 もくじ

1.われら声をあわせて歌おう(パブロ・ネルーダ『チリ革命への讃歌』1973年1月)
2.ビクトル・ハラ最後の日ーチリ競技場/ビクトル・ハラ(1973年9月)
3.ネルーダは生きている /アストゥリアス(1973年)
4.ビクトル・ハラの死/大島博光(赤旗」1974.3.24)
5.ネルーダへの悲歌/大島博光(1974年5月『大島博光全詩集』)
6.ヴィクトル・ハラに捧げる 死と希望の歌/オスバルド・ロドリゲス<「赤旗」1977.9.10>
7.われわれはピノチェトを歓迎しない/大島博光(1979年9月)
8.マドリード 一九七八年十一月──チリ連帯国際会議で/大島博光(『大島博光全詩集』1980.8)
9.十年が過ぎた パブロ・ネルーダとチリ人民にささげる/大島博光(1984年7月)
10.ミゲル・リティン監督は語る/大島博光(1987年9月)
11.間島三樹夫さんへの弔詩/チリ連ニュース35号 1989.7.1
12.チリ支援世界会議の思い出/大島博光(「チリ連ニュース39号」1991.4)

*アルピジェラ展の際に「チリ連帯詩集」を簡単な冊子で作り、配布しました。これを補充した目次です。

マドリード 一九七八年十一月
   ──チリ連帯国際会議で              大島博光

むかしのコンキスタドールたちの略奪の夢がまだ
王宮やレティロ公園にただよっている市(まち)マドリード

四十年のむかし スペイン人民が血の海に漬かり
世界じゅうからきた 義勇兵たちが骨を埋めた市マドリード

ゴヤの光と闇が いまも生きている市マドリード
ネルーダが 最初の血の叫びをあげた市マドリード

パッショナリヤの孫娘たちが 赤い薔薇を胸に
プェルト・デル・ソルで踊っている市マドリード

きょう にせあかしあの街路樹と石だたみの街に
セゴビヤのギターのような ぬか雨の降るなか

ふたたび 世界じゅうから人びとがやってくる
どんな距離をも越える 熱い連帯を抱いて

人びとはやってきて ここ オドンネル街の
ホテル・コンヴェンションの大ホールを埋める

そこに コルバランがいる アジェンデ夫人がいる
ピカソ未亡人がいる ビクトル・ハラ未亡人がいる

詩人アルベルティがいる エフトシェンコがいる
ニカラグアの婦人代表がいる ベトナムがいる……

血塗られたチリ人民への 連帯とあいさつと
ファシズムへの怒りが 場内に熱くみなぎる

エフトシェンコが ネルーダ追悼の詩を朗読する
ベトナムの代表が チェ・ラン・ビヤンの詩を代読する

スペイン代表がさいごに叫ぶ──「わたしたちは
自由のために四十年待った チリは待たぬように……」

だが この大会を 黒い影がおびやかしている
亡霊どもが くらやみのなかをうごめいている

ここマドリードでは 過去と現在と未来とが
ごっちゃになってせめぎあい たたかっている

だが カスティリヤの野にあの黒豚どもも
もう羊の群れを 喰いちらすことはないであろう

きょう 郊外の体育館から湧きあがる歌ごえに
マドリード市民は唱和する──「ベンセレーモス!*」

*チリ連帯国際会議の最終日、マドリード郊外の体育館で、チリの亡命中の音楽家集団キラパジュンとスペインの音楽家との合同演奏会がひらかれた。超満員のマドリード市民が、じっさいに「ベンセレーモス」を唱和したのである。

<『大島博光全詩集』──ヨーロッパ詩集>

 
ミゲル・リティン監督は語る

ミゲル・リティンが 日本へやってきた
頬ひげを生やして ノー・ネクタイで
血ぬられた サンティアゴの映像をかかえて
不屈な チリ人民の雄叫びをたずさえて

彼は語る いのちがけで くぐってきた
鉄と火の 闘いのなかからの熱い言葉で
彼は語る わたしは 映画監督だから
フィルムで チリ人民に奉仕したかった

亡命の身のわたしは ひげをそり落として
まゆを削り 花模様のネクタイを結んで
ウルグワイの ブルジョア紳士に化けて
自分の生まれた祖国チリに もぐりこんだ

いま わたしの祖国は 微笑みのない国
街の子供たちさえ 笑いを忘れてしまった
人間らしい暮らしを──と叫んだだけで
とつぜん ひとびとが行方不明になる国

川に投げこまれ 海に捨てられた死者たち
墓も花束もとむらいもない 死者たちの国
愛する息子 夫 恋人を 奪いとられた
女たちが 堂々と 兵隊たちに詰めよる国

アジェンデの時代は 自由で幸せだった
畑は分配され 子供たちにはミルクが流れた
いま 銅も硝石も外国の手に牛耳られて
大地の富が 人民を貧困につき落とすのだ

彼は語る 今にも倒れんばかりの独裁者を
うしろから支えているのは だれなのか
アタカマ砂漠の豹が 兎たちを食いちぎり
アナコンダが 羊たちを丸呑みにするのだ

だが 風のそよぎにも ゆらぐ影にさえも
おびえおののくのは ピノチェットなのだ
死んだはずのアジェンデやネルーダの影が
いまも いたるところを徘徊しているのだ

いくら モネダ宮の白壁を塗りかえようと
あのアジェンデの偉大な声は こだまする
「わたしは人民の委託を守ってここにいる
歴史をつくるのは人民だ チリ人民万歳!」

まるで 死んだネルーダを縛るかのように
イスラ・ネグラの詩人の家を柵で囲んでも
若者たちはやってきて その胸に刻んでゆく
詩人のメッセージを あの愛と自由の歌を

そしてチリ人民は闘うすべを知っている
苔は岩にかみつき 錆は鉄をもくらうのだ
きくがいい あたらしい春を迎えようと
サンティアゴの広場を埋めた 人民の雄叫びを

 注* アナコンダ──この南米産の大蛇の名前を社名とした、アメリカの多国籍企業「アナコンダ社」はチリの銅山を支離している。

(『冬の歌』、『赤旗』一九八七年九月三〇日)
ネルーダは生きている
                アストゥリアス

ネルーダは歌ってるだろう
はてしない時間を越えて
泡の鴎たちを 世界に放ちながら

たたかいはつづく
チリの血のなかに
きみの運命は 光をかかげる
与えつづけてくれ きみの火を
きみの 炎の詩を

だれもきみが死んだとは言わぬだろう
きみは生きていると わたしは言おう
きみは生きていると 重ねて言おう
呼びもとめるチリの声に きみは答える
おれはここにいるぞ!

(「愛と革命の詩人ネルーダ」)
われわれはピノチェトを歓迎しない
                            大島博光

ピノチェト─チリ人民の血にまみれた男
いまもなおチリ人民の血が その手から
やすみなくしたたり落ちている男
われわれは この男のことを忘れていない
この男の悪どさを忘れることはできない

なぜなら あの一九七三年九月十一日
ニューヨークの狼どもにけしかけられて
チリ人民連合政府に おそいかかり
チリ人民を血の海に投げこんだのは
ほかならぬ この男なのだから

この男が こんど日本にやってくるという
それも日本政府の招きでやってくるという
しかも日本の大臣は 黒を白と言いくるめ
羊たちを食い殺した狼の仕業を民主化と言い
その狼を鳩だと 言いふらしているのだ

われわれはこの男の悪どさをよく知っている
この男は 子供たちからミルクをうばいとり
愛し合う恋びとたちをひきはなし
神かくしのように人びとをひっとらえ
死体を海に投げこんでいるのだ

この男はネルーダの家を土足で踏み荒し
その詩集を焼き捨てその死を早めさせた
この男はヴィクトル・ハラの手をうち砕いて
二度と 自由のこぶしを高くあげることも
ギターを弾くことも できないようにした

夢を殺したこの男を われわれは歓迎しない
人類の宝であるところの書物を焼き払い
たくさんの人びとを殺したり 追い出したり
詩や絵画や音楽を抹殺する男を歓迎しない
こんな死刑執行人を歓迎することはできない

<「赤旗」1979.9.9>
ヴィクトル・ハラに捧げる
 死と希望の歌
                   オスバルド・ロドリゲス
                         大島博光訳

死が弔鐘(かね)を鳴らして きみを覗い
道できみを見つけると 眼くばせをした
生の街角では 小さな娘が
きみの歌を うたっていたのに
同志よ おれたちに何ができよう
貧民街の子供たちは どうするだろう
その戸口で だれが歌ってやるのか
「南」では 人民はカをとりもどし
きみの歌を もうひそかに歌っている

いまは きみの頭脳も眠るとき
ぐっすりと 眠りこむのではなく
だれも閉じ込められぬ光が 朝には
射してくるのを知ってる人の眠りを
アマンダがきみを探し おそらく
どこかの工場で 見つけだすだろう
生きる権利を 行使しているきみを
きみは おれの知らない同志たちと
どんな風の吹くクラブで 歌っているのか

硝煙のたちのぼる街街(まちまち)を
ひとつの歌が 飛びまわる
機織(はたおり)機のほとり 仕事場のなか
きみの声の亡霊が 語りかける
「南」の森も きみの声を聞くだろう
きみの歌は あの森のものだから
かれらが きみを育てたのだから
街が 花が 窓が 叫んでいる
もどってくる権利が きみにあると
追放された風を 大気はゆさぶり
海は暗くかげって 思い出すのだ
穴だらけにされた 石炭の鉱脈が
きみが見えないと 泣いているのを
だが きみは行っちまったのではなく
四方八方に まき散らされて
探しにゆくおれたちを 待っている
そこで こんどこそ おれたちは
団結して闘うために 手を握りあう

こうしてある朝 おれたちはきみに会う
きみは ささやきを身にまとい
霧のボンチョにくるまって 立っている
だが 人殺しどもには見えないだろう
そこで ある連中は考えるのだ
風をとっつかまえることもできると
沈黙がきみの声を呑みこんでしまったと
だが おれは知っているのだ
きみが歌いながら やってくるのを
同志たちのなかにいるきみが見える
同志たちのなかにいるきみが見える

<「赤旗」1977.9.10>
ビクトル・ハラ

ビクトル・ハラ
 十年が過ぎた パブロ・ネルーダとチリ人民にささげる

パブロ・ネルーダよ
アロウカニアの石つぶてとひなげしの詩人よ
あなたが死んでから 十年が過ぎた
大いなるチリの希望がついえさってから
十年の歳月が流れた
機関銃を持った野獣どもが
勇敢な人びとの肉体を穴だらけにし
チリ人民の春を血まみれにし
ネルーダよ あなたの夢にみちた家と詩集を
やつらが土足でふみにじってから
十年の歳月が流れた

やつらは あなたの遺体を
チリ人民の屍体置き場に投げこんだ
暗殺され虐殺された人たちのなかに
蛆虫が這いまわるところに
そこで あなたは待っていた
ふたたび人間の誇りが立ち上ってくるのを
そこで あなたは歌っていた
「わたしは 生ける人びととともに生き
死んでゆく人びととともに死ぬ
わたしが生きてきたのは この日のためだ
わたしはいつもチリ人民とともにいたのだから」

あなたは チリ人民の中から希望を汲みとった
だから あなたのはてしない声は
チリ人民の胸の奥ぶかいところにひびき
いまも 今日の日について語り
明日の日のために語り
やさしい友だちのことばで呼びかける
「さあ おれといっしょに行こう」

それから十年の歳月が流れた
そしていま わたしたちは聞く
サンティアゴに湧きおこる
あらたな叫びと歌ごえを
ふたたび統一をかちとった人民の
恐れを知らぬ雄叫びを

おおチリの兄弟 同志たち
十年の長い苦しみと流した涙と血を
あなた方は むだにしなかった
あなた方は ふたたび
パブロ・ネルーダといっしょに前進しようと
立ち上った
わたしは 尊敬と連帯の挨拶を送る
あなた方の闘争と勝利は
そのまま またわたしたちのそれだから

ベンセレーモス
あなた方は 勝利するだろう

           一九八四年七月