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詩誌『歌ごえ』 

ここでは、「詩誌『歌ごえ』 」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


詩誌『歌ごえ』について(四) 
                                     大島朋光

 『歌ごえ』四号(七月号)は昭和二十三年(一九四八年)七月に長野市で発行されました。評論・散文六篇、詩十篇、長詩二篇、投稿作品十篇などが収められ、執筆者の大半は新日本文学会会員となっています。
一、評論・散文
・ プロレタリア詩にふれて……佐藤さち子*
・ 朗読詩をとりあげよ………近藤東*
・ 詩の分業……竹中久七
・ 江森盛彌詩集『わたしは風に向って歌う』を読め!……新島繁*
・ 大鉄の詩人たち……乾宏
・ すべてのものと歌はねばならぬ……岡田芳彦*
二、長詩
・ とんきち二等兵……サカイ・トクゾウ*
・ 農奴の死─ものがたり詩「赤鼻のマロース」の中から……ネクラーソフ 谷耕平訳
三、詩
・ 食後の歌……エモリ・モリヤ*  
・ 偶作……金子光晴*
・ 断想……大江満雄*
・ 夜きこえてくるのは……北條さなえ*
・ 火花……藤田三郎
・ アルバイト……野田昭三
・ 友よねむれ……武內辰郎*
・ 風の中の道標……眞貝欽三
・ 帽子……関淳二郎
・ 窓……松島忠
四、投稿詩(作品コンクール)
「高架作業」さとう・しん、「欠伸と闘う」小熊忠二、「その檻をやぶれ」ふびと・かめだ、「酔いなきのろれつ」宮下今朝友、「果実 矢野千代子に送る」眞弓亮、「繋がれた牛 自らに」山寺辰巳。「鋼鉄の杭」おさむ・よしむら、「柱について」ムラカミ・マサユキ、「老工のうた」小林昴、「赤旗をにぎりしめて」ムトウ・タケヲ
(*印は新日本文学会会員)
     *
 冒頭の「食後の歌」(エモリ・モリヤ)は過激な言葉をまじえながらも、どこかユーモラスな詩です。
六冊のボロ詩集が/やみ市の、やきたての/十個のパンにかわったが/バタもない晩めしだ。
うまいのか、これが?/よろこんで食う子供らよ!
もうお前らはしっている──/たゝかわねばならぬことを/もうお前らはしっている/早く工場え/いくように  なれ!/細胞の集会えも/いくようになれ!/いいとも、ことによったら/牢屋えも行くがいい/そうして、あいかわらずの/やせっぽちでも/ともかくスジガネの入った男となれ!
八路軍の兵士たちとも/スタハノフ主義者たちとも/りっぱに握手のできる男となれ!
さア、今晩はお前たちに/チフリスの靴屋の男の子が/えらい革命家になった話を、しよう。

 エモリ・モリヤ(江森盛彌)の詩集について新島繁が詩集評「『わたしは風に向って歌う』を読め!」で書いています。
 內にたゝえられた烈しいプロレタリア魂を、東西南北自由自在にかけめぐる微風、烈風、暴風に託して、国じゅうの人民に、なおも出来れば世界の果ての人民にまで伝えようとするこの詩集──江森盛彌の処女詩集、「わたしは風に向って歌う」──を、読め! 読め! 読め! ……三人の、今は亡き同志又は僚友にささげられた哀悼の詩は、いずれも溢れるばかりの熱い友情の一字一句に、深い感動を催されずにはいられないものである。……だが、これほどの溢れる熱い友愛をもつが故に、他面、この詩人の憎しみの対象に対する攻撃は猛烈であり、勇敢であり、奇抜でもある。それがこの詩集の大部分を占める諷刺詩を一貫している。
      *
 「夜きこえてくるのは」(北條さなえ)は群像劇を観るような印象的な詩です。
夜はくらい/私は風の悲しい唄をきく/樹々のはげしいなげきの唄をきく
……
ドドム ドドム ドドム/ドドム ドドム ドドム/やみにとどろくたいこの音
ドドム ドドム ドドム/夜をつらぬくラッパのひびき/そして多くの人のあし音が
ドドム ドドム ドドム/空をおおうやみのうた 呪いのうた/胸えぐるそのうたごえ
みよ そこには多くの人々が/嵐のなかをすすんでゆく/いかりの涙をながしつつ
……
行手には憲兵たちが銃剣で/民衆の胸をつきやぶり/血汐は街に流れている
だが人々は進んでゆく/さばきと呪いのうたをうたいつつ/男も女も子供もそして老人たちも
……
そとには兵士のくつ音が/重たく悲しげにすぎて行く/ほろびと死の軍歌をうたいつつ
私はじっとすわっていた/おののく唇をかみしめて/ふかいくらい嵐の夜
(一九四一年、中日事変中の作)

     *
 長詩「とんきち二等兵」(サカイ・トクゾウ)は前号の続編。逃げ遅れて八路軍につかまったとんきち二等兵は新しい村に迎えられた。そこでは働く者同士が助け合い話し合う、明るい村の政治をしていた。とんきちは世界や日本のこと、民主主義のことを学び、戦争が終わると元気な体で日本に帰ることができた。故郷の村の人たちは彼が戦死したと思っていたので大喜び、彼は民主的な村づくりを誓うのでした。中国で過ごしたサカイ・トクゾウの体験から生まれた作品でしょう。
     *
 ネクラーソフ「農奴の死(その一節)」(谷耕平訳)では農奴の寡婦ダーリャを、外見的には弱々しくとも、心の底には圧迫にも苦しみにも負けない強さをもったスラヴ女の美しい典型として描いています。
生れながら負わされた 三つのふしあわせ
だい一は――農奴の妻となるべきこと
だい二は――農奴の子の母となるべきこと
だい三は――死ぬまで農奴の妻であるということ
しかも このつらい運命《さだめ》は
なべてロシヤの女の上にのしかかったもの

ロシヤの農村《むら》には女がいる
しとやかで きりりとした顔かたち
たおやかで 力づよいものごし
步きぶりも 眼《まな》ざしも 女王のような――

かの女らは行く おなじこの道
人民の 歩くこの道
ああしかし みじめな人の世のけがれも
かの女にはまといつかぬよう 花咲いたよう。

餓えにも 寒さにもたえ
いつも こころひろく 平らかに
わたしは知っている 草かりぶりを
一とふりの鎌に 築く たちまちに草の山!
……

 本当の人民解放を願う精神がネクラーソフにこの詩を書かせていると訳者は言います。谷耕平は早稲田大学教授を務めたロシア文学者で、「デカブリストの妻」(ネクラーソフ作・谷耕平訳 新星社 昭和二十二年)を刊行しています。当時書籍の訪問販売をしていた大島静江(博光の妻)がこの本を扱い、博光が手にしたことが谷耕平への執筆依頼につながったと思われます。
     *
 佐藤さち子の「プロレタリア詩にふれて」が評論の主軸に据えられています。六ページ七千字の力作で、戦前のプロレタリア詩運動に参加した詩人たちの活動にふれながら、民主主義文学運動を担う詩人の課題について論じています。
 ある文学講演会で、日本のプロレタリア文学運動は小林多喜二をもって終止符を打ち、その後戦争の進展と共に手を挙げて降参した─ということを話したので、わたしは非常にびっくりしたが、すべての作家、詩人が降服したわけではない。公然と組織を持つことは出來なかったが、個々の作家、詩人たちはおのおのの在るべき場所で抵抗をつづけてきた。戦争に反対する作品の発展はできなかったが、戦争を讃えることを拒否することで抵抗してきた。そのような潜められた力があったからこそ、敗戦後、急激に民主々義文化運動がまきおこされたので、なんにもないところから忽然と、入道雲のようにあらわれたのではない……
 機械的に理解された「政治と文学」の問題を、詩人の立場から血肉的なものとして身につけるために、若々しい情熱をもって実践運動に参加した詩人たちもいる。……現在の若い人たちには想像もできないような困難な非合法生活の中で、それら無名の詩人たちは、絶えず詩をかくことをねがいながらかけずにすごした。その中の一人である今野大力が、死に近い床の中で、花についてうたったリリカルなうつくしい詩があった……
     *
 「大鉄の詩人たち」は大阪方面の国鉄で活動している多くの詩人たちについて紹介しています。
況して組織労働者たる我々がうたいあげる詩は昨日までの様に精神の空漠な、或はまた夢の様な世界を追った少女的感傷趣味であるべきでなく、今日から我々労働する者がつくる正しい世界観の世界、我々の暖かい血、あかい血の流れる人間的世界への詩、こうしたものに対するこの汚濁と混乱の泥濘の世の中、悪が栄えて善が害われる愚かな世の中に対する怒りの詩、そうしたものへ逞しい足取を見せているのが大鉄の詩人たちの方向とも言い得るであろう。

     *
 大島博光は編集に徹して自分の作品を掲載せず、わずかに編集後記で発言しています。
★われわれ人民の歌ごえも、もはや、苦しい、暗い生活をつぶやくように歌ったり、みじめさのなかにアグラをかいて歌ったりしてはいられない。この苦しい生活、みじめさを、もっと批会的な場面でとらえ、あるいは闘争のなかから歌いださねばならぬ。支配階級による大衆收奪は、社会のいたるところに非人間的な悲劇的な場面を、かず限りなく、つくりだしている。それらの場面は、詩人のヒュマニズムをつよくわき立たせずにはおかない。われわれはこのような場面をもっともっととらえ、歌わねばならね。これこそ、民主民族戦線の時代における、詩人の役割りである。(O)

 それでは『歌ごえ』は五号以降は発行されたのでしょうか?
(つづく)

【訂正】 
 『狼煙』九十一号に掲載された「『歌ごえ』について(三)」 で作品コンクールの次の四作品は『歌ごえ』四号掲載でした。さとう・しん「高架作業」、小熊忠二「欠伸と闘う」、ふびと・かめだ「その檻をやぶれ」、宮下今朝友「酔いなきのろれつ」。
 また『歌ごえ』三号の作品コンクールには次の四作品が抜けていましたので、追加して訂正します。ひでなお・たかだ「手のひら」、及川知道「誰がために」、野上博「きずあと」、伊藤一「唯生きてゆくために」
二〇二〇年五月 

(長野詩人会議『狼煙』92号)

歌ごえ




1


(『歌ごえ』4号 1948年7月)

2





1

2



(『歌ごえ』4号 1948年7月)

桃




1



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(『歌ごえ』4号 1948年7月)

3




1
2


(『歌ごえ』4号 1948年7月)

*近藤東 一九〇四年六月東京京橋に生る。少年期を岐阜でおくる。明大英法学部卒。ホッケーと水泳を得意とす。一九二八年季刊誌「詩と詩論」をおこし、純粋詩の確立のため健闘。雑誌改造で懸賞に應じ一等に当選したこともある。その後次第に積極的な立場をとり、戦時中、戰後を通じて勤労詩の育成につとめ、国鉄詩人を育てる。現在、新日本文学会員。詩集「抒情詩娘」「国際港ノ雨天」その他の著書が多數。(日本解放詩集 執筆者錄 遠地輝武 1950年)

花



1
2


(『歌ごえ』4号 1948年7月)

3






1


2


(『歌ごえ』4号 1948年7月)

夜




1

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(『歌ごえ』4号 1948年7月)

デモ


[江森盛彌詩集 『わたしは風に向って歌う』を読め!]の続きを読む


1


(『歌ごえ』4号 1948年7月)

2




2

メーデー




9


(『歌ごえ』 4号 1948年7月)

々



とんきち



(『歌ごえ』 4号 1948年7月)

ぶた




1
2


(『歌ごえ』 4号 1948年7月)

リス


詩誌『歌ごえ』について(三) (訂正版)   大島朋光

 『歌ごえ』三号(六月号)は昭和二十三年五月に長野市で発行されました。A4版四十一頁で、評論・散文を六篇、長詩一篇、詩作品二十一篇を収めています。

 冒頭に特集アンケート「詩とヒュマニズム」と題して三人の詩人・新島繁、岡本潤、淺井十三郎の文章を載せています。
 新島繁「豫言者の任務」では、〈エレミヤその他旧約の予言者たちの言葉には、屡々、彼等の発言が封ぜられ、圧殺される場合には「石なを叫ぶべし」とあるが、まさにそれほどのやみ難い力をもって、正義のため、社会公共のために戦う精神こそは、本当のヒューマニズムだと思う。そして、そこにこそ、本当の詩があり本当の詩人の面目がある〉。
 岡本潤「封建的抒情の駆逐」では、〈詩においては、新体詩、自由詩をつうじて、封建的抒情がぬぐいさることのできない浸透物としてのこっている。……日本の詩人がふたたびああいう醜態をくりかえさないためには、我々のなかにまだ残っている封建的抒情を駆逐することだ。正しい意義でのヒューマニズムをしっかり把握することだ〉。
 淺井十三郎「働く者のヒュマニズム」では、〈働く者のヒュマニズムはつねに自由と平和への悲願を捨てない行動の中にある。われわれはその中に自らをおくことだ。文学はそこから始まる〉〈今の詩を一歩進めるためには、どうしても叙事詩と劇の性格を、詩精神の内部から押しだすことが必要だ〉と論じています。

 評論の主軸に小野十三郎の「民衆の歌ごえ」を据えています。〈自分の言葉を発見するということは、自分のこの頭で物を考えることであり、自分で物をよく見、感じることの出来る習慣を身につけることである。……直接、「歌う」ということよりも、むしろ自分で物をよく見、考えること、「詠じる」のではなく「創る」ということ、そこからにじみ出る韻律にこそ現代詩の生命があると云ってよいだろう。……この「批評」の要素を、抒情の中に完全に融合させてゆく方向で、詩人としての自分たちの感性を鍛えてゆかないかぎり、現代詩は、その本質に於いて、短歌や俳句の詩性となんら選ぶところがないだろう〉。
 佐々木陽一郎の「絶望について」では、〈「絶望」をテーマとした小説や詩が、最近一つの流行である。……我々にとっては「絶望」を生ずる社会現象に探究の眼を向ける事、更に「絶望」の打開策を刻みつける事が問題の中心となろう〉〈青年詩人の「絶望」は日本ファシズムに強制されて歌った非人間的な戦争讃歌からの人間的な一歩解放の表現であり、更に我々はこの「絶望」の根源を根断やすために、「前途」へ向って逞しい人間解放の前進を続けなくてはならない〉と述べています。

 詩作品ではサカイ・トクゾウの長詩「とんきち二等兵」を二回にわたって連載。戦争中の中国を舞台に八路軍を相手にした日本軍の行状を軽妙なタッチで風刺しています。
 作品欄は、壺井繁治「断章」、佐川英三「桜」、曾根崎保太郎「土蜘蛛の歌」、壺田花子「小使さんの天國」、植村諦「種」、岡村民「カンパ」、田中敏子「メーデー」、平林敏彦「あの人たち」、長谷川尚「供出」、伊藤直彦「人夫の詩」、今井朝二「つかれ」を掲載、「作品コンクール」欄では、ひでなお・たかだ「手のひら」、及川知道「誰がために」、野上博「きずあと」、伊藤一「唯生きてゆくために」、高原村夫「巡幸の日に」、たに・こういち「早春」、福沢甲司「生活記」、原田義幸「苦痛」、山村雪夫「アホダラ供養」、多田春雄「麦畑は青いが」を掲載しています。
 小熊忠二の「欠伸と闘う」(『歌ごえ』四号)は日中の労働で疲れた自分が夜、詩作に向かう姿を歌っています。
欠伸を咬み殺し、咬みちぎり、
咬みつく姿勢で机に向う。
働いて食えぬ
この阿呆けたことを咬み殺してやるために
ひねもす
ハンマーを振ってきた疲労に連発する欠伸
なんの、欠伸に咬み殺されてなるものか
(中略)
十一時三十分
またしても俺は疲労にまけて欠伸が出る
こいつを咬み殺そうと一服吸う
一服吸う俺達の煙草は青臭い
今は こんなのしか吸われぬのだが
〃おい体臭まで青臭くなったら一大事だ
 すぐと奴等は青虫と感ちがいして
 仕事場からつまみ出そうとするんだ〃

なんで青臭くなるものかと
欠仲咬み殺し 咬みちぎり
咬みつく姿勢で
歌を書く、

 高原村夫の「巡幸の日に」は天皇に関わる、今日でも共感できる詩です。
駅前のひろばで
ざわめきが、万歳が、急にわきかえり、どよもした。
市民が、群衆が、ざわめいた、
磨かれた自動車を、天皇を見るんだと
当直も、庶務も、助役も、区長も、みんな出てゆき、
このひろい部屋に残ったのはおれだけだった。

─やがて、列車に乗りこんだのだろう
なおも見送ろうと
群衆が構内にながれこんできた。
若い娘、子どもをおぶった奥さん、年より、青年、
せのびをする者、肩をおしわける者
爪さきでつっ立つ者、首を思いきりのばす者、……
汽笛が鳴り、
あのカンカン帽を手にした天皇が
デッキに現われたのだろう
ひとしきりまた高まったざわめき、
どよめき、万歳。

おれはいつか、誰もいない室内を
大またに、荒々しくゆききしていた、
この万歳を、あのカンカン帽の人を
ばかの一つおぼえのように
後生大事に胸にたたきこんで
青春を、いのちを、
異郷の空に安っぽく吹きとばしてしまった
幾人かの戦友の
さけびが、ほのほが、
おれの胸のなかに燃えたっていた、
そのさけびが、にくしみが、怒りが、
おれをこの室内にたったひとり
ふみとどまらせていた。
 

 連載している上田進の「ソヴェートの詩」は三回目の今号で完結。社会主義建設の時代の詩人としてペズイミョンスキイ、バグリツキイらについて詳しく紹介しています。「ソヴェートの詩」は各号六頁、合計十八頁に及ぶ労作で、他に得難い貴重な内容です。上田進が前年二月に没したことが惜しまれます。   *
 今号の執筆者は新日本文学会に参加した詩人を中心として二十八名に及び、採用されなかった詩の投稿者として本庄重夫、藤秀一、土屋光男、山内光、竹田はつろ、佐々木恂一、南澤昭二、池本よしお、石田はじめ、飯村亀二の名が記載されています。
 大島博光は編集に徹して自分の作品は載せていません。この時期、住居を実家近くの長野市郊外・松代町代官町から長野駅に近い長野市吉田町に移しており、発行所(山川書店)に近いなど編集作業には便がよくなっています。詩友として生涯親交を結んだ小熊忠二が初めて博光を訪れたのもこの住まいでした。
(つづく)

*訂正について 
『狼煙』九十一号に掲載された文章で、作品コンクールの次の四作品は『歌ごえ』四号掲載でした。
・さとう・しん「高架作業」
・小熊忠二「欠伸と闘う」
・ふびと・かめだ「その檻をやぶれ」
・宮下今朝友「酔いなきのろれつ」
『歌ごえ』三号の作品コンクールには次の四作品がありましたので、入れ替えて訂正しました。
・ひでなお・たかだ「手のひら」 
・及川知道「誰がために」
・野上博「きずあと」
・伊藤一「唯生きてゆくために」
二〇二〇年三月一日
 
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 詩誌『歌ごえ』について(二)       大島朋光

 『歌ごえ』二号は昭和二十三年四月、創刊号の翌月に長野市で発行。巻頭詩、評論四篇、詩作品十五篇、訳詩一篇を載せています。
 巻頭詩「メーデーをむかえて─朗読のために─」で民衆の運動への連帯を表明しています。

風かおる五月の空のした、
子どもたちに春の祭りがまわってくるように、
きょう、おれたち人民に、はたらく者に、
おれたちの祭り日メーデーがめぐってきた。
(中略)
思え、きょうの日に、
パリー・コンミュンの英雄的戦士たちを、
ローザ・ルクセンブルグを、カール・リープクネヒトを、
われらがヤマ・センを、ワタ・マサを、
すべての人民解放の戦士たちを!
かがやかしいかれらの思い出は、
きょう、おれたちの胸のなかに、
おれたちの煮えたぎる血のなかに、
赤いホノホのように、燃えあがり、よみがえり、
おれたちをふるい立たせ、はげますのだ、
そうしておれたちは答える。
海鳴りのような歌ごえをもって──
──この人民の海は、生きた海のツナミは、
いつか、ブルジョアジィを呑むだろう!
やがて、新しい世界を生むだろう! (O・H)

     *
 大島博光「人間変革について」とサカイ・トクゾウ「職場における詩の在り方」の二篇の評論を主軸に配しています。「人間変革について」は民主革命の時代での自己変革について主張しています。『「ウ・ナロード!」──四十年のむかしに、タクボクが叫んだこのことばも、革命的実践へ身をもってふみいり、そこから歌いだせ、ということにほかならない。』
 「職場における詩の在り方」のサカイ・トクゾウは産別労組の機関誌『労働戦線』の「労働詩集」欄の選者。「労働詩集」欄には多くの投稿詩が掲載されて高い水準を保っているが課題もある、職場の詩人は書こうとするもの・感動を全身で味わい、詩に書きつけるとともに、仲間の批評や仲間の詩を読むこと、専門詩人の詩を検討することも大切だ、職場の人々の詩が全体として高まり広まること、そのなかの先進的な詩人が専門的なものをも身につけること、これらが職場における詩の運動の課題である、と論じています。
    *
 作品欄では、遠地輝武「言葉」、奈切哲夫「流るる日々」、鈴木初江「ガリ版を切りながら」、武内辰郎「雪にきく歌」、鈴木正志「葬列」、濱田初廣「思い出の人々」、小田英「入党」、北條さなえ「扉」、関口政男「どた靴の歌」、勝山勝三「人形芝居」、鶴見甚三郎「塩売り娘」、德永壽「引揚列車、濱田耕作「毒」、池田時雄「同志Kに」、仁木二郎「五月の風」を掲載しています。小田英はロシア文学者上田進によって発掘された信州上田の農民詩人。北條さなえは『角笛』同人に参加し、反核の詩を中心に書きつづけた女流詩人。「扉」では戦争が終わり新しい時代を迎えての希望を美しく歌っています。

くらい くらい くちた木の葉が
夜も昼もおゝいかゝる
窓の扉はかたく悲しく
いくたびか時はうてども
重い扉は開かれない
……
ついに
人々は狭い小さい窓をあけた
すると くらい混とんのかなたから
ひとすじの新しい激しい空気が
急流のようにおしよせてきた
なぜか その時から
心は香りたかい酒のように泡だちさわぎ
人々は互に何事かを語りつゝ
互のせまい窓べにひしとよりそったのだ
心おくした小鳥のむれのように

だが 見ればいつか古い毒沼のような
よどんだ重たい霧は吹きはらわれ
暗紫色の深い空のむこうには
めざめるばかり うるわしい
金いろの細い月と星がのぼってくる

外にはまだ
くらい雲があわただしげにゆきまどい
きびしい風がふきつづけているのだが
どこかに春は水のように流れはじめて
誰か たえまなく
胸うつような 春のうたをうたっている

その時
人々は互に一つのかたい古い扉をうちつづけた
そしてついに気むづかしい鐵の扉はひらかれたのだ
多くの人々は自由の翼をはばたきながら
大気のなかへ出ていった
新しいきびしい空気のなかへ
あふれる空気の早い流れのなかへ
……

     *
 後半の評論では眞貝欽三「新鉄の詩人たち」と上田進「ソヴェートの詩(二)」を掲載。「新鉄の詩人たち」は詩誌『新鉄詩人』に参加する国鉄新潟の詩人たちを紹介しています。戦後、国鉄内で文学熱がたかまり、詩の活動が活発になった。新潟鉄道管内では戦前から国鉄の月刊雑誌を舞台に詩を書く仲間がいたが、戦後『新鉄詩人』を発行し、会員獲得に努めた結果、参加者が一七〇名に上った。詩話会の開催、詩展、詩朗読(放送局による放送)、新鉄詩人大会など活発に活動しているといいます。
 上田進「ソヴェートの詩(二)」ではマヤコフスキーの革命詩人としての活動について詳しく論じています。 
 最後にランボオ「長詩 ふたたび賑わいに返えるパリー」を掲載。「この詩は一八七一年、パリー・コンミュンが反革命軍におし殺されたその翌日のパリーを歌ったもので、チエールの反動政府に対するランボオの燃えるような怒りが見いだされる」(訳者註)。

パリーよ! おまえの足が怒りをもって踊り狂っていたとき、
おまえがからだじゆうにあいくち匕首できりつけられたとき、
おまえの明るいひとみのなかに、なお、
か鹿の子色の春の善良さをたたえて、横たわっていたとき、

おお、苦悩の都市、なかば死んだ都市、パリー、
その蒼ざめた身のうえに、無数の扉をひらきながら、
「未来」に向って投げられた二つの乳房と頭、
暗い「過去」が祝福をなげる都市、パリー

詩人はききとるだろう、民衆のうめき声を、
囚人たちの憎しみを、呪われた者たちの叫び声を、
詩人の愛の光りは女たちをむちうつだろう、
詩人の歌ははねおどる、そら、ならず者たち!

──社会は、すべては再びおさまり、酒神の酒宴が
むかしの娼家に、むかしどおり、どんちゃん、泣きさわぎ
熱にうかされたようなガス燈が、赤く焼けた城壁に、
気味わるく燃えている、蒼ざめた陰気な空にむかって!
(大島博光訳 抄)

(つづく)

『狼煙』90号 2019年11月)

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