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詩誌『歌ごえ』 

ここでは、「詩誌『歌ごえ』 」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。




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(『歌ごえ』 4号 1948年7月)

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とんきち



(『歌ごえ』 4号 1948年7月)

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(『歌ごえ』 4号 1948年7月)

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詩誌『歌ごえ』について(三) (訂正版)   大島朋光

 『歌ごえ』三号(六月号)は昭和二十三年五月に長野市で発行されました。A4版四十一頁で、評論・散文を六篇、長詩一篇、詩作品二十一篇を収めています。

 冒頭に特集アンケート「詩とヒュマニズム」と題して三人の詩人・新島繁、岡本潤、淺井十三郎の文章を載せています。
 新島繁「豫言者の任務」では、〈エレミヤその他旧約の予言者たちの言葉には、屡々、彼等の発言が封ぜられ、圧殺される場合には「石なを叫ぶべし」とあるが、まさにそれほどのやみ難い力をもって、正義のため、社会公共のために戦う精神こそは、本当のヒューマニズムだと思う。そして、そこにこそ、本当の詩があり本当の詩人の面目がある〉。
 岡本潤「封建的抒情の駆逐」では、〈詩においては、新体詩、自由詩をつうじて、封建的抒情がぬぐいさることのできない浸透物としてのこっている。……日本の詩人がふたたびああいう醜態をくりかえさないためには、我々のなかにまだ残っている封建的抒情を駆逐することだ。正しい意義でのヒューマニズムをしっかり把握することだ〉。
 淺井十三郎「働く者のヒュマニズム」では、〈働く者のヒュマニズムはつねに自由と平和への悲願を捨てない行動の中にある。われわれはその中に自らをおくことだ。文学はそこから始まる〉〈今の詩を一歩進めるためには、どうしても叙事詩と劇の性格を、詩精神の内部から押しだすことが必要だ〉と論じています。

 評論の主軸に小野十三郎の「民衆の歌ごえ」を据えています。〈自分の言葉を発見するということは、自分のこの頭で物を考えることであり、自分で物をよく見、感じることの出来る習慣を身につけることである。……直接、「歌う」ということよりも、むしろ自分で物をよく見、考えること、「詠じる」のではなく「創る」ということ、そこからにじみ出る韻律にこそ現代詩の生命があると云ってよいだろう。……この「批評」の要素を、抒情の中に完全に融合させてゆく方向で、詩人としての自分たちの感性を鍛えてゆかないかぎり、現代詩は、その本質に於いて、短歌や俳句の詩性となんら選ぶところがないだろう〉。
 佐々木陽一郎の「絶望について」では、〈「絶望」をテーマとした小説や詩が、最近一つの流行である。……我々にとっては「絶望」を生ずる社会現象に探究の眼を向ける事、更に「絶望」の打開策を刻みつける事が問題の中心となろう〉〈青年詩人の「絶望」は日本ファシズムに強制されて歌った非人間的な戦争讃歌からの人間的な一歩解放の表現であり、更に我々はこの「絶望」の根源を根断やすために、「前途」へ向って逞しい人間解放の前進を続けなくてはならない〉と述べています。

 詩作品ではサカイ・トクゾウの長詩「とんきち二等兵」を二回にわたって連載。戦争中の中国を舞台に八路軍を相手にした日本軍の行状を軽妙なタッチで風刺しています。
 作品欄は、壺井繁治「断章」、佐川英三「桜」、曾根崎保太郎「土蜘蛛の歌」、壺田花子「小使さんの天國」、植村諦「種」、岡村民「カンパ」、田中敏子「メーデー」、平林敏彦「あの人たち」、長谷川尚「供出」、伊藤直彦「人夫の詩」、今井朝二「つかれ」を掲載、「作品コンクール」欄では、ひでなお・たかだ「手のひら」、及川知道「誰がために」、野上博「きずあと」、伊藤一「唯生きてゆくために」、高原村夫「巡幸の日に」、たに・こういち「早春」、福沢甲司「生活記」、原田義幸「苦痛」、山村雪夫「アホダラ供養」、多田春雄「麦畑は青いが」を掲載しています。
 小熊忠二の「欠伸と闘う」(『歌ごえ』四号)は日中の労働で疲れた自分が夜、詩作に向かう姿を歌っています。
欠伸を咬み殺し、咬みちぎり、
咬みつく姿勢で机に向う。
働いて食えぬ
この阿呆けたことを咬み殺してやるために
ひねもす
ハンマーを振ってきた疲労に連発する欠伸
なんの、欠伸に咬み殺されてなるものか
(中略)
十一時三十分
またしても俺は疲労にまけて欠伸が出る
こいつを咬み殺そうと一服吸う
一服吸う俺達の煙草は青臭い
今は こんなのしか吸われぬのだが
〃おい体臭まで青臭くなったら一大事だ
 すぐと奴等は青虫と感ちがいして
 仕事場からつまみ出そうとするんだ〃

なんで青臭くなるものかと
欠仲咬み殺し 咬みちぎり
咬みつく姿勢で
歌を書く、

 高原村夫の「巡幸の日に」は天皇に関わる、今日でも共感できる詩です。
駅前のひろばで
ざわめきが、万歳が、急にわきかえり、どよもした。
市民が、群衆が、ざわめいた、
磨かれた自動車を、天皇を見るんだと
当直も、庶務も、助役も、区長も、みんな出てゆき、
このひろい部屋に残ったのはおれだけだった。

─やがて、列車に乗りこんだのだろう
なおも見送ろうと
群衆が構内にながれこんできた。
若い娘、子どもをおぶった奥さん、年より、青年、
せのびをする者、肩をおしわける者
爪さきでつっ立つ者、首を思いきりのばす者、……
汽笛が鳴り、
あのカンカン帽を手にした天皇が
デッキに現われたのだろう
ひとしきりまた高まったざわめき、
どよめき、万歳。

おれはいつか、誰もいない室内を
大またに、荒々しくゆききしていた、
この万歳を、あのカンカン帽の人を
ばかの一つおぼえのように
後生大事に胸にたたきこんで
青春を、いのちを、
異郷の空に安っぽく吹きとばしてしまった
幾人かの戦友の
さけびが、ほのほが、
おれの胸のなかに燃えたっていた、
そのさけびが、にくしみが、怒りが、
おれをこの室内にたったひとり
ふみとどまらせていた。
 

 連載している上田進の「ソヴェートの詩」は三回目の今号で完結。社会主義建設の時代の詩人としてペズイミョンスキイ、バグリツキイらについて詳しく紹介しています。「ソヴェートの詩」は各号六頁、合計十八頁に及ぶ労作で、他に得難い貴重な内容です。上田進が前年二月に没したことが惜しまれます。   *
 今号の執筆者は新日本文学会に参加した詩人を中心として二十八名に及び、採用されなかった詩の投稿者として本庄重夫、藤秀一、土屋光男、山内光、竹田はつろ、佐々木恂一、南澤昭二、池本よしお、石田はじめ、飯村亀二の名が記載されています。
 大島博光は編集に徹して自分の作品は載せていません。この時期、住居を実家近くの長野市郊外・松代町代官町から長野駅に近い長野市吉田町に移しており、発行所(山川書店)に近いなど編集作業には便がよくなっています。詩友として生涯親交を結んだ小熊忠二が初めて博光を訪れたのもこの住まいでした。
(つづく)

*訂正について 
『狼煙』九十一号に掲載された文章で、作品コンクールの次の四作品は『歌ごえ』四号掲載でした。
・さとう・しん「高架作業」
・小熊忠二「欠伸と闘う」
・ふびと・かめだ「その檻をやぶれ」
・宮下今朝友「酔いなきのろれつ」
『歌ごえ』三号の作品コンクールには次の四作品がありましたので、入れ替えて訂正しました。
・ひでなお・たかだ「手のひら」 
・及川知道「誰がために」
・野上博「きずあと」
・伊藤一「唯生きてゆくために」
二〇二〇年三月一日
 
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 詩誌『歌ごえ』について(二)       大島朋光

 『歌ごえ』二号は昭和二十三年四月、創刊号の翌月に長野市で発行。巻頭詩、評論四篇、詩作品十五篇、訳詩一篇を載せています。
 巻頭詩「メーデーをむかえて─朗読のために─」で民衆の運動への連帯を表明しています。

風かおる五月の空のした、
子どもたちに春の祭りがまわってくるように、
きょう、おれたち人民に、はたらく者に、
おれたちの祭り日メーデーがめぐってきた。
(中略)
思え、きょうの日に、
パリー・コンミュンの英雄的戦士たちを、
ローザ・ルクセンブルグを、カール・リープクネヒトを、
われらがヤマ・センを、ワタ・マサを、
すべての人民解放の戦士たちを!
かがやかしいかれらの思い出は、
きょう、おれたちの胸のなかに、
おれたちの煮えたぎる血のなかに、
赤いホノホのように、燃えあがり、よみがえり、
おれたちをふるい立たせ、はげますのだ、
そうしておれたちは答える。
海鳴りのような歌ごえをもって──
──この人民の海は、生きた海のツナミは、
いつか、ブルジョアジィを呑むだろう!
やがて、新しい世界を生むだろう! (O・H)

     *
 大島博光「人間変革について」とサカイ・トクゾウ「職場における詩の在り方」の二篇の評論を主軸に配しています。「人間変革について」は民主革命の時代での自己変革について主張しています。『「ウ・ナロード!」──四十年のむかしに、タクボクが叫んだこのことばも、革命的実践へ身をもってふみいり、そこから歌いだせ、ということにほかならない。』
 「職場における詩の在り方」のサカイ・トクゾウは産別労組の機関誌『労働戦線』の「労働詩集」欄の選者。「労働詩集」欄には多くの投稿詩が掲載されて高い水準を保っているが課題もある、職場の詩人は書こうとするもの・感動を全身で味わい、詩に書きつけるとともに、仲間の批評や仲間の詩を読むこと、専門詩人の詩を検討することも大切だ、職場の人々の詩が全体として高まり広まること、そのなかの先進的な詩人が専門的なものをも身につけること、これらが職場における詩の運動の課題である、と論じています。
    *
 作品欄では、遠地輝武「言葉」、奈切哲夫「流るる日々」、鈴木初江「ガリ版を切りながら」、武内辰郎「雪にきく歌」、鈴木正志「葬列」、濱田初廣「思い出の人々」、小田英「入党」、北條さなえ「扉」、関口政男「どた靴の歌」、勝山勝三「人形芝居」、鶴見甚三郎「塩売り娘」、德永壽「引揚列車、濱田耕作「毒」、池田時雄「同志Kに」、仁木二郎「五月の風」を掲載しています。小田英はロシア文学者上田進によって発掘された信州上田の農民詩人。北條さなえは『角笛』同人に参加し、反核の詩を中心に書きつづけた女流詩人。「扉」では戦争が終わり新しい時代を迎えての希望を美しく歌っています。

くらい くらい くちた木の葉が
夜も昼もおゝいかゝる
窓の扉はかたく悲しく
いくたびか時はうてども
重い扉は開かれない
……
ついに
人々は狭い小さい窓をあけた
すると くらい混とんのかなたから
ひとすじの新しい激しい空気が
急流のようにおしよせてきた
なぜか その時から
心は香りたかい酒のように泡だちさわぎ
人々は互に何事かを語りつゝ
互のせまい窓べにひしとよりそったのだ
心おくした小鳥のむれのように

だが 見ればいつか古い毒沼のような
よどんだ重たい霧は吹きはらわれ
暗紫色の深い空のむこうには
めざめるばかり うるわしい
金いろの細い月と星がのぼってくる

外にはまだ
くらい雲があわただしげにゆきまどい
きびしい風がふきつづけているのだが
どこかに春は水のように流れはじめて
誰か たえまなく
胸うつような 春のうたをうたっている

その時
人々は互に一つのかたい古い扉をうちつづけた
そしてついに気むづかしい鐵の扉はひらかれたのだ
多くの人々は自由の翼をはばたきながら
大気のなかへ出ていった
新しいきびしい空気のなかへ
あふれる空気の早い流れのなかへ
……

     *
 後半の評論では眞貝欽三「新鉄の詩人たち」と上田進「ソヴェートの詩(二)」を掲載。「新鉄の詩人たち」は詩誌『新鉄詩人』に参加する国鉄新潟の詩人たちを紹介しています。戦後、国鉄内で文学熱がたかまり、詩の活動が活発になった。新潟鉄道管内では戦前から国鉄の月刊雑誌を舞台に詩を書く仲間がいたが、戦後『新鉄詩人』を発行し、会員獲得に努めた結果、参加者が一七〇名に上った。詩話会の開催、詩展、詩朗読(放送局による放送)、新鉄詩人大会など活発に活動しているといいます。
 上田進「ソヴェートの詩(二)」ではマヤコフスキーの革命詩人としての活動について詳しく論じています。 
 最後にランボオ「長詩 ふたたび賑わいに返えるパリー」を掲載。「この詩は一八七一年、パリー・コンミュンが反革命軍におし殺されたその翌日のパリーを歌ったもので、チエールの反動政府に対するランボオの燃えるような怒りが見いだされる」(訳者註)。

パリーよ! おまえの足が怒りをもって踊り狂っていたとき、
おまえがからだじゆうにあいくち匕首できりつけられたとき、
おまえの明るいひとみのなかに、なお、
か鹿の子色の春の善良さをたたえて、横たわっていたとき、

おお、苦悩の都市、なかば死んだ都市、パリー、
その蒼ざめた身のうえに、無数の扉をひらきながら、
「未来」に向って投げられた二つの乳房と頭、
暗い「過去」が祝福をなげる都市、パリー

詩人はききとるだろう、民衆のうめき声を、
囚人たちの憎しみを、呪われた者たちの叫び声を、
詩人の愛の光りは女たちをむちうつだろう、
詩人の歌ははねおどる、そら、ならず者たち!

──社会は、すべては再びおさまり、酒神の酒宴が
むかしの娼家に、むかしどおり、どんちゃん、泣きさわぎ
熱にうかされたようなガス燈が、赤く焼けた城壁に、
気味わるく燃えている、蒼ざめた陰気な空にむかって!
(大島博光訳 抄)

(つづく)

『狼煙』90号 2019年11月)

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 詩誌『歌ごえ』について(一)         大島朋光

 『歌ごえ』は大島博光が戦後の昭和二十三年三月に創刊した詩誌で、四号(昭和二十三年七月)まで発行されています。戦争中の軍国主義による抑圧から解放され、新日本文学会の創立など新しい民主的文学運動の機運が高まる中で発刊されたものです。
 創刊号の巻頭詩は大島博光の「新しい朝の歌」です。

いまこそ おれたちが
おれたち自身の声で言葉でくちびるで
思いきり 歌いまくるときがきた
おれたち自身の愛と憎しみを 怒りと涙を
のどいっぱい 歌いかわすときがきた
ひらひらと旗のひるがえるところ
かなづちとハンマーの鳴るところ
くわと鎌の光るところ
飢えた子供のさまようところ
歌ごえよ 交響楽のようにわきあがれ
おれたちの詩は歌ごえは
もう どれいの歌やねむりの歌ではなく
もう まぼろしに酔ったうまずめの歌ではなく
ひとびとの耳から耳へ
人間の赤い血のひびきをつたえ
ひとびとの胸から胸へ
立ちあがった人間の熱いいぶきを吹きいれ
しあわせを生む たたかいの歌となれ
ふるい立たせる朝の歌となれ!

 編集後記では次のように呼びかけています

★いまや、われわれのところにも民主人民革命がすすめられている。それは、政治や経済や社会の面において進められているばかりでなく、ひろく文化革命として、文化の領域においても進められている。詩もまた、このような文化革命のひとつの分野である。
★いままで、詩人は時代の先頭に立ち、文化の先がけをする、といわれてきた。しかし、こんにち、われわれの詩人の多くは、この詩人の光栄を忘れはてている。革命にいちばんおくれているのは、ほかならね詩人だといわねばならぬ。
★いまこそ、傾いた象牙の塔から街に出て、生きた人間の歌ごえをうたうべきときだ。人間の深い自己解放という、詩本来の使命を、すべてのひとびととともに、すべてのひとびとのなかで、はたすべきときだ。
★新しい歌ごえは、しかし、職場に、村に、町に、高らかにわきあがりつつある。新しい詩と文化は、これら人民のなかの詩人たちにになわれる。これらの詩人たちこそ、民主人民革命のにない手であり、かくてまた文化革命の主体だからである。
★本誌発刊の意図も、このような真の民主主義的な詩文化の高揚に、微力をつくしたいというところにある。ひろく、進歩的な詩人の協力と支持をおねがいする。とくに、職場や農村にいる詩人たちの積極的な参加を希望する。(O)

 創刊号は壺井繁治と平林敏彦の重厚な主張が柱になっています。壺井繁治「詩の前進のために」では、「……民主主義的詩人は現実の変革の過程に鳴りひびいている律動をとらえてそれを詩の韻律としなければならない。それは現実社会の中で崩壊して行くものの響きと建設されて行くもの、新らしく生れ出るものの響きとを正しくとらえ、それを詩の構造の中に織りこんで行くことを意味する。そのような詩として、われわれは大きな構想と組立てをもった叙事詩の出現を期待する。……それが現われるまでには、民主主義的詩人は、現実生活の上でも詩の技術的錬磨の点からも、非常に苦しいたたかいをしなければならぬであろう。一行一行がすぐれた抒情であると同時に、全体が壮大な構想によって組み立てられたような叙事詩、それを私は期待するし、私自身としてもそういう詩を書きたいと思っている」と延べ、平林敏彦「転形期の詩人」では、
「……このことをきっかけとして人民大衆のあらゆる層の中から従来の詩とはかけ離れて幅広いうたごえが湧き起こらねばならなかった。いわば「詩でない詩」「詩人でない詩人」たちが現代詩そのものの無限の発展を推し進める機運に到達したのである。……民主主義陣営にある詩人はこぞって人民大衆への全人間的な接触と詩壇ジャーナリズムへのプロテストを繰り返さなければならない。……生活の変革を基盤とした新しい精神の芽生えを、文学的に成長せしめることによって詩人はそれらの新しい人間内容を自己のものとすることができる。現代詩の革命的モメントは民主主義革命を実質的に推し進めつつあるこれらの人間像の内側にあるのだ」と論じています。

 詩作品では、岡本潤「舊友」、高橋玄一郎「方向性」、高田新「一つの燈火は」、穂刈栄一「警察署長殿」、岡村民「子守唄」、佐藤さち子「牛車にゆられて」、岡田芳彦「おまえは」、長谷川尚「米をとられた女」、武内利栄「山羊」、藤田三郎「愛」、近藤東「ヨーカイ」を掲載、社会を批判的に歌った詩が中心となっています。

 方向性 
    ──擬古調──
                  高橋玄一郎
自由の旗が風に吹かれている
雨に叩かれたカンバスからピカソが追い出された。

風をぬいて疾せ去る美術家の頭から
芸術の党派性が汗をかきながら逃げ出して行く。

迷いこんで行った中世紀の森林は
すっぽりと、神学やカラリストの幕をかぶっている。

聖歌隊のコオラスがネックレエスのかげをつづり
輪ぬけをする猿の尻尾で知性の鈴がひびく

階級を筒抜けして、くぐり抜ける個性
栄養失調に漂白された白パンの破片

昨日ばっかりが、ひつっこくひらびついている声帯に
かすれて皺だらけのゲエテがバトンをふりたくっている

 鈴木茂正「国鉄にあがる歌ごえ」──二つの作品からの考察──では、「国鉄詩人」の発展と、そこから生まれた二人の新人の作品、星隆平「炭殻置き場」と島田紫郎「雪ばれ」を紹介しています。 大島博光はランボオ「長詩 鍛冶屋」の翻訳と「ランボオについてのノート(一)」を書いています。前年に『ランボオ詩集』(蒼樹社)を刊行するなど、ランボオに精力的に取り組んでいたことを反映しています。
 上田進「ソヴェートの詩」は革命前後から社会主義建設期までのソビエトの詩人たちについての論評(六頁)で、創刊号から三号まで合わせると十八頁に及ぶ労作。上田進は戦前、プロレタリア作家同盟で活躍し、精力的にソビエト文学を翻訳・紹介した詩人・ロシア文学者でした。昭和二十二年二月に三十九歳で亡くなったので、これは遺稿というべき貴重な著作です。(つづく)

『狼煙』89号 2019年8月)

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(『歌ごえ』3号 1948年6月)

森



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(『歌ごえ』3号 1948年6月)

山





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(『歌ごえ』3号 1948年6月)

くぬぎ




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『歌ごえ』3号 1948年6月号)

木々

封建的抒情の駆逐
                     岡本潤

 戦争は人間性を抹殺した。人間ということばさえが禁圧された。日本人は人間でなくて、臣民でなければならなかった。日本は神国で、臣民は神の子で、神の子は人間性などみとめられず、牛馬のように戦争や徴用にかりたてられた。戦争にかりたてられた神の子らは、中国や南方で、殺人、放火、強盗をはたらいた。人間性を剥奪されていた神の子らは、相手の人間性をみとめることができなかった。国内で徴用されていた神の子らは、軍服に監視されながら、がむしゃらに殺人機械を製造させられた。一言の異議をさしはさむことも許されなかった。すこしでも不平をいえば非国民であった。日本国民は人間であってはならず、すべて忠良なる臣民でなければならなかった。
 そういう日本の戦争を、日本の詩人は「聖戦」としてうたった。自発的にせよ他発的にせよ、とにかくうたった。「草莽」という奇怪なことばで自分と国民とをいいあらわした詩人や文学者もいた。そういう奇怪なことばをつかうことが日本の浪漫主義であった。詩人が人間性抹殺の一役をかった、あるいはかわされたということ、詩人にとってこれ以上の罪はなく、これ以上の恥辱もない。
 詩人がなぜ、なんの抵抗もしめさずに、そういう役をかってでたか。戦争前まではヒューマニストとみなされていた詩人までが、人間性抹殺の戦争を「聖戦」とうたったという事実を考えるとき、日本の詩のなかにふかくしみこんでいる封建性、抒情の天皇制におもいいたらずにはいられない。

 ヒューマニズムは、周知のごとく、近代社会の成立期における近代思想の先鞭であり、中世の封建的抑圧にたいする人間性の尊重、神権にたいする人権の確立、個性解放の思想である。近代社会の生んだ近代詩は、当然、そういう歴史的意議をもつヒューマニズムを内包しているはずだ。ところが日本のばあい、明治維新革命の中途ハンパのために根をのこした封建制は、明治以後に発達した日本の近代文学思想の上に封建的残存物の影響をいつまでもおしつけずにはおかなかった。詩においては、新体詩、自由詩をつうじて、封建的抒情がぬぐいさることのできない浸透物としてのこっている。そのためにヒューマニストといわれたが詩人までが、宣戦のミコトノリをきいてカンプンコウキするという事態が生じたのだ。
 日本の詩人がふたたびああいう醜態をくりかえさないためには、われわれのなかにまだ残っている封建的抒情を駆逐することだ。正しい意議でのヒューマニズムをしっかり把握することだ。そしてあの最大の恥辱をぬぐうためにも、風説におびえず、日本人民とともにあくまでも平和をまもることだ。(一九四八、四、一○)
『歌ごえ』3号 アンケート 詩とヒュマニズム 1948年6月号)

女神


豫言者の任務
                     新島繁

 野間宏の小説「暗い繪」で一層ポピュラーになった観のあるピエテル・ブリューゲルと同じくオランダの画家で、而も彼よりは少し先輩にあたるヒエロニムス・ボッシュの絵に「十字架を負う基督」というのがある。これは平凡社版「世界美術全集」の第十八巻に載っているので、それを持っている人は今直ぐにでも開いて見ていただくとよい。
 この絵について嘗つて私はこんな風に書いたことがある、──「それは十字架を負うてゴルゴタの丘へ向う彼と、彼を取り巻いて蠢めいている群集とを描いたものであるが、その群集たるや、正に文字通りに百鬼夜行の感を與える醜怪な面構えの者共ばかりで、謂わば、あらん限りの「獣性」を現わしているのである。そこで、手巾を持つヴェロニカと、イエス彼自身とにだけ現われている「人間性」が、對照の妙によって、いじらしく、氣高く、また麗しいものに感じられるのである。若しもこの絵を、このように「人格の尊厳」を主張する立場から描かれた諷刺画と解して誤りないものならば、その限りでこれは仲々興味深い作品である。……」と。(拙著「社會運動思想史」新版五五頁)
 私は「ヒューマニズム」を消極的には人権の擁護、積極的には人間的品位の確立にあるものと解する。そして現に我々の当面しているその現代的課題を要約すれば「人民解放」の一語に尽きるが、前記の如き基本的な「ヒューマニズム」の特質はちょうど大樹の年輪のように、長い人類史のなかに、血の滲む苦闘の跡として刻まれている。そこで、古典的古代や封建制度の歴史の中にも、屡々私共の共感を誘うヒューニスチックな伝説や物語が見出されるわけである。イエスという伝説的人物の物語に取材したボッシュの右の絵なども、その中にそうした基本的な年輪的なヒューマニズムの要素が色濃く含まれているので、興味が深いのだと思われる。
 だが、「ヒューマニズム」は単に人の良い、泣きべその、甘ったれた気持とは違う。むしろそれは、最も烈しい戦いの精神である。エレミヤその他旧約の予言者たちの言葉には、屡々、彼等の発言が封ぜられ、圧殺される場合には「石なを叫ぶべし」とあるが、まさにそれほどのやみ難い力をもって、正義のため、社會公共のために戦う精神こそは、本当のヒューマニズムだと思う。そして、そこにこそ、本当の詩があり本当の詩人の面目があると思う。その意味で、今なお詩人は予言者の任務を帯びているといってよい。
 ところで、今私共はそういう詩人をもっているか。透谷以来プロレタリア詩人に至るまで、幾人かのそういえる詩人を算え得ることは我々日本人の名誉に値するが、ごく最近に処女詩集「わたしは風に向って歌う」を世に問うた詩人江森盛彌は、現に我々の有するそうした誇るに足る詩人の一人だと私は断言する。装幀はあいにくと貧弱だし、内容にも収めらるべくして収まらなかったものが相当あるようだが、これは今「人民解放」のために、一人でも多くの人民の耳もとへ、風と共に呼びかけられてよい本当の歌声である。
(『歌ごえ』3号 アンケート 詩とヒュマニズム 1948年6月号)

*『歌ごえ』3号の冒頭に特集「アンケート 詩とヒュマニズム」として、新島繁「豫言者の任務」、岡本潤「封建的抒情の駆逐」、浅井十三郎「働く者のヒュマニズム」を掲載しています。

坐像



扉

(『歌ごえ』2号 昭和23年4月)

1


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(『歌ごえ』2号 昭和23年4月)

浜辺






[鈴木初江「ガリ版を切りながら」]の続きを読む
    *

 こんにち、ニッポンの帝國主義的侵略戦争の結果である、人民のみじめさ、不安、絶望、虚無を、なにか人間ほんらいの本質であるかにすりかえ、そこに実存主義などというものをうちたて、そこからぬけ出ようとする努力をこころみるどころか、むしろ、この不安、絶望、虚無のなかに酔っばらい、ねそべり、その傷ぐちをケントウちがいにほじくることによって、ヒュマニズムを主張するひとびとがある。あるいはまた、傷ついた精神をとりだし、精神が救いなく虚無のなかになげだされていることをなげき、ただ観念的に精神の危機をさけんでいる純粋詩人というひとびともいる。これらのひとびとは、虚無と絶望と、傷ぐちの深さを語るが、それらがほかならぬ侵略吸争の結果であること、天皇制資本主義のもとにおける当然な帰結であることには、ほとんどふれようともしないし、見きわめようともしない。そうしてこれらの古い精神主義者たちは、個性主義者、観念論者たちは、現実をおそれ、現実を見つめようとせず、現実にそっぽを向け、いぜんとして観念のなかをさまよい、うしろ向きの夢想や、やぶれはてた孤独や、まぼろしの世界をうたっている。

 (わたしはここで、告白するが、わたしじしんも、ながいこと、そのような観念の雲のなかをさまよっていた。わたしじしんも、ながいこと、なにか、空中にただよう美を追いもとめ、ことさらに異常をつくりだそうとこころみ、まぼろしのとりことなっていた。そうしてわたしじしんも、死んだうぐいすのむくろを歌ったり、出ぐちのない暗い夜の歌など、うたっていたのであった。そんななかから、わたしをひきだしてくれたのは、敗戦後の人民革命の波の高まりであり、信州の美しい革命的な青年たちが、わたしをニッポン共産党の組織のなかに、みちびきいれてくれ、人民の日常闘争のなかにむすびつけてくれたおかげである。そうして、わたしもようやく自己変革の、自己の再教育の第一歩をふみだしたばかりだ。わたしも、いま、観念論者からマテリアリストへ、リアリストへうつりかわる、その苦しい努力をはじめたばかりだ。)

 くちにヒュマニズムをとなえながら、そのヒュマニズムそのものの名によって、人民解放の政治的闘争をおそれ、こばみ、革命にせなかを向け、革命に悪口をあびせかけるものは、究極において真のヒュマニズムをねがわないものである。これらのひとびとは、そうすることによって、むしろ、人民の解放をおしとどめようとする支配階級に奉仕しているのであり、ヒュマニズムそのものをふみにじっているのである。なぜそうなるのか。これらの小市民的ヒュマニストたちは、すすんで自己を変革しようとはねがわない。社会を変革しようとはねがわない。かれらは、古いサルのしっぽを残した人間でとどまり、その古い人間を、──その飢えやせた「精神」を後生大事にまもろうとしている。
 そこから、かれらの受け身の、うしろ向きのヒュマニズムがでてくる。そこから、かれらの革命にたいする恐怖と嫌悪がでてくる。そこから、政治への不信やあなどりがでてくる。
 しかし、このような古い人間が、「精神」が、受け身のヒュマニズムが、こんどの戦争をとおして、どんなにみじめな姿をさらし、いかに暴力にふみにじられるままにまかせられてきたかを、われわれは身をもって、血をもって、思い知らされてきたはずだ。あの暴力のまえで、あわれな「精神」はいつかドレイ精神にまでなりさがっていたのではなかったか。わたしたちは今こそ、この暴力の正体をみきわめ、ふたたび精神を肉体を、ドレイにしてはならない。この暴力の正体とは、天皇制資本主義にほかならない。しかも、それは今なお、人民解放をくいとめようと、必死にもがいているのである。そうして、この暴力の根もとをなくなさないかぎり、ほんとうの人間精神の解放もありえない。
 じつに、人間解放のためにこそ、わたしたちを古い人間におしとどめておこうとする支配階級をなくなすためにたたかい、ブルジョア社会にゆがめられた自己の古い人間性を、みずから進んで変革しようとする、自発的な熱意だけが、革命をおそれるどころか、革命を自己のものとして、わたしたちを革命のなかへ駆りたて、参加せしめるのである。そうして、このような革命的なヒュマニズムこそこんにち、真のヒュマニズムの名にあたいする。

 「ウ・ナロード!」──四十年のむかしに、タクボクが叫んだこのことばも、革命的実践へ身をもってふみいり、そこから歌いだせ、ということにほかならない。人民の生活のなかへ、根ぶかくふみいり、人民のかなしみを、よろこびを、愛情を、にくしみを、希望を、人民のことばとひびきで歌いだせ、ということにほかならない。そうしてこのことは、すぐまた、このような人足の詩が、どうしても人民的なリアリズムのうえに立つ、ということをもふくんでいる。また、人民だけが何ものをも、おういかくす必要もなく、見せかけの飾りで自分をごまかしたり、むなしいまぼろしのなかに逃げこんだりする必要もなく、だいたんに、卒直に、現実へせまり、現実をえぐりだし、現実のほんとうのすがたを歌いだすことができる。また、人民だけがするどく生産をうたい、新しく、自分の集団をうたい、ほんとうに生きいきとした、未來へつながる人間の美しさを歌うことができるのだ。

 「ウ・ナロード!」──四十年のむかしに、タクボクが叫んだこのことばは、こんにち、いっそう切実なひびきと、ふかい現実的な内容とをふくんで、わたしたちの胸をたたき、わたしたちのこころの底をゆすぶるのである。
(完)

(『歌ごえ』2号 昭和23年4月)

浜