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Pablo Neruda "大いなる歌" Canto General

ここでは、「Pablo Neruda "大いなる歌" Canto General」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。




アルベルティ


(角川書店『ネルーダ詩集』)

海



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(角川書店『ネルーダ詩集』)

海


アルベルティへ


海


アルベルティへ


(角川書店『ネルーダ詩集』)

*ネルーダを歓迎したスペインの詩人たち「心のなかのスペイン

海


きこりよ
きこりよ2


(角川書店『ネルーダ詩集』1972年)

セコイア
1

2
3

4
5
8

7




8


(角川書店『ネルーダ詩集』1972年)

ネルーダ



エルナンデス

(『ネルーダ詩集』角川書店)

コスモス
   逃亡者 Ⅲ

  あるとき おれはやみ夜にまぎれて歩いていた
  アンデスの夜は 町をよぎってきて
  あたりにひろがり おれの服のうえに
  黒いばらを咲かせた
  「南部」は 冬のさなかだった
  雪がふかくつもり
  寒さは 凍った無数の針先ではだを刺した

  マポチョ川は 黒ぐろと雪の中を流れていた
  おれは 静まりかえった通りから通りへと
  圧制にいためつけられた町を歩いていった
  おれはまるで 沈黙そのもののようだったが
  愛情があとからあとから眼の前にあらわれ
  おれの眼をとおって 胸のなかにしたたり落ちた
  なぜなら この通りも あの通りも
  雪をかぶった夜の戸にも
  夜のなかの ひとびとの孤独な暮しも
  さびれはてた場末に追いこまれた
  みじめな人民も
  ほの暗いともしびをともした最後の窓も
  黒いさんご礁(しょう)のような家家も
  あたりを吹き荒れる風までも
  すべてがおれの味方だった
  すべてが 静けさのなかで おれの方に
  愛情にみちたくちびるを寄せてきたのだ

(『ネルーダ詩集』角川書店 S47)

雪
  逃亡者 Ⅰ

 はてしもない夜のなかを この世界のなかを
 あの暗い日日 わたしは 歩きつづけた
 涙を紙に書きつらねて 身をやつし姿を変えて──
 わたしは 警察に追われる お尋ね者だった
 透きとおった 夜ふけ
 孤独な星のまたたく 大空のしたを
 わたしは 町町をよぎり 森を抜け
 畠のなかを歩き 港町を通り
 戸口から 戸口へと
 ひとの手から 手へと 渡り歩いた
 夜は つらいものだ しかしひとびとは
 兄弟の合図を送ってくれた
 わたしは やみくもに
 道から道を通り くらやみを抜けて
 明りのともった戸口に たどりつき
 小さな星のようなともしびに迎えられ
 森のなかの狼に 食われずに残っていた
 ひとかけらのパンに ありついた

 あるとき 田舎の一軒の家に
 わたしは 深夜 たどり着いた
 わたしは その家のひとたちに一度も会ったことはなかったし
 かれらが 何をして生きているのか
 見当もつかなかった その時の.かれらは
 わたしの見知らぬ 新しいものであった
 わたしは家の中に入った 家族は五人だった
 まるで 火事の夜のように
 みんな 起きていた
 わたしは ひとりひとりの手を握った
 ひとりひとりの顔を見た
 それらの顔は なんにもわたしに話しかけなかった
 それは 街通りでも見かけたことのないような
 扉だった
 かれらの眼は わたしを知らなかった
 こうして 夜ふけに 着くやいなや
 わたしは ひどい疲れに くずおれてしまった
 ──「おやすみ わが苦しむ祖国よ」

 眠っているあいだも
 地上の もろもろのこだまや
 しゃがれた吠(ほ)え声や 孤独なもの音が
 夜どおし つづいていた
 そしてわたしは考えた 「おれはどこにいるのだろう?
 あのひとたちは 何ものなんだろう?──
 どうして きょう おれを泊めてくれたのだろう?
 いままで わたしに会ったこともないこの人たちが
 どうして扉をあけて迎えいれ おれの歌を守ってくれるのだろう?」
 誰も答えてはくれなかった
 ただ 木の葉の散る 夜の音がきこえ
 蟋蟀(こおろぎ)が うたを織っていた
 夜ぜんたいが
 木の葉の茂みの中で顛(ふる)えているように思われた
 夜の大地よ おまえは わたしの窓べに
 わたしの方へ そのくちびるを寄せてきた
 千の木の葉に迎えられつつまれたように
 わたしが やすらかに 眠れるように
 季節から季節へ ねぐらからねぐらへ
 枝から枝へと そしていつかいきなり
 おまえの根のなかに 死者として眠りこむのだ

(『ネルーダ詩集』角川書店 S47)

*上院議員だったネルーダが1948年1月、大統領ヴィデラの裏切りを上院で弾劾すると、ヴィデラは逮捕令状と投獄をもってネルーダに答える。2月5日、最高裁判所はネルーダの上院議員特権を剥奪し、翌日には逮捕令状が出された。ネルーダは地下生活に入らざるを得ない。一年二ヶ月のあいだ、かれは絶えず住居を変えて身をかくし、そのあいだに『大いなる歌』を書きつづける。

ネルーダ
馬に乗ってアンデスを越えるネルーダ


 きこりよ めざめよ

   カペナウムよ どうしておまえが天に上げられることがありえよう
   おまえは地獄にまで落とされるのだ ルカ伝十章十五節

     Ⅰ

コロラド河の西に おれの愛する土地がある
そこに おれは駆けつけるのだ
おれの身ぬちを 脈うちながら流れるもの
おれの過去と現在と おれの背負っているすべてをもって
あそこには 荒い野の風が千の手でつくりあげた
赤い岩山が 高い足場のようにそそり立ち
奈落の底からほとばしり出た真っ赤なものが
岩山のなかで鋼となり火となり力となった
水牛の皮のようにひろがったアメリカよ
かなた 星の降る高地めざして 駆けてゆく
かろやかな 澄んだ夜
おれはおまえの緑の露のさかずきを飲む
そうだ 荒あらしいアリゾナとごつごつしたヴィスコンシンをとおり
風と雪にたち向うミルウォーキーまで
あるいは ウェスト・パルムの灼(や)けつく沼地を
また タコマの松林のほとり
濃いはがねの匂いのする おまえの森のなか
母なる大地をぬって おれは歩いて行った
青い茂みをぬけ 滝にうたれる岩をわたり
音楽のように鳴りどよもす嵐をきき
修道院の祈りのような 川のせせらぎを耳にし
あひると林檎(りんご)と 土と水とのほとり
小麦をそだてる はてしない静けさのなかを
おれは歩いた

さて おれは中央の岩山から
眼と 耳と 手を大空にさしのばし
耳をそばだてて聞いた
書物 機関車 雪 たたかいを
工場 墓地 野菜畑 足音を

マンハッタンからは 船のうえの月を眺め
糸をつむぐ紡績機(ぼうせきき)の歌をきき
土をくらいこむ巨大な鉄のスプーンや
禿鷹のような頸をした掘削機(くつさくき)や
切断し 圧搾し 回転し 縫いあわす機械のひびきをきき
くりかえし生産する人びとと車輪の音をきいた

わたしは 小さな百姓家が好きだ
産後の女たちが漬けたタマリンドのような
甘酸っばい匂いをただよわせて眠っている
敷布にはアイロンがかかっている
玉ねぎ畑のなかの家家では火が燃えている
(川のそばでうたう男たちは
川底をころがる石のように しゃがれた声をしている
かれらは広い葉っぱから自分でつくった煙草に
かまどのまわりで 火をつけた)
ミズーリ州へ行って 見るがいい
チーズと小麦粉を
黒びかりのするテーブルは よい香りをたてている
男が 麦畑で働いている
馴らされたばかりの若駒は
パンとうまごやしの匂いをふりまいている        
鐘楼があり ひなげしがあり 鍛冶屋(かじや)がある
そうして鬱蒼と茂った森のなかでは
愛が そのあごをひらいている
大地から生れた夢のなかで

北アメリカよ おれたちが愛するのは
おまえの仮面ではなく おまえの平和だ
おまえは美しくて ひろびろとしている
戦うおまえの顔は うつくしくはない
おまえは おまえの川岸で洗濯をする
白人の女のように 貧しい生れなのだ
おまえのやさしさ おまえの蜜のような平和は
いつともわからぬ遠い時代につくられた
おれたちが愛するのは オレゴンの泥で
手を赤く汚した男だ
象牙の国の音楽を
おまえの処へはこんできた黒人の少年だ
おれたちが愛するのは おまえの町だ
おまえの富 おまえのひかりだ
西部の開拓精神だ
蜂蜜のとれる平和な村だ
トラクターの上のたくましい若者だ
おまえがジェファソンからうけついだ
からす麦の畑だ
海のようにひろいおまえの大地を
地ひびきをたてて つっ走る列車の車輪だ
煙をはく工場と 新しい開拓地での
千番目のくちづけだ
おれたちが愛するのは おまえの労働者の血と
油だらけの人民の手だ

もう遠いむかしから 大草原の夜空の下
静まり返った水牛の皮の上には
おれたちの生れる前にいたひとたちの
言葉や歌が鳴りひびいていた
メルゲィルは 海べの松だ その枝から
龍骨と腕木といっそうの舟が生れた
穀物のように数かぎりもないホイットマン
暗い数学にとじこもったポオ
ドライサー ウルフ
かれらは おれたちの生れる前のなまなましい傷口だ
また近くはロックリッジが 土の奥に葬られ
そのはか どんなに多くのものが
くらやみのなかで眠っていることか
かれらの上にも 半球のおんなじあけぼのが赤く燃えている
かれらこそ いまあるおれたちをつくったのだ
権勢をほこった王子たちや
眼さきのきかぬ愚かな指導者たちも
さまざまな出来事や うつろう季節のあいだで
あるときは恐怖におののき
あるときはよろこびにふるえ
また死の悲しみにうちひしがれ
いまは 隊商のいきかう草原の下に眠っている
その頃は ほとんど足を踏みいれるものもなかった
暁野のなかにも
罪もないのに迫害されたひとたちや
汗みずたらして草原をきりひらいた先駆者など
どんなに多くの死者たちが眠っていることか

フランスから 沖縄から レイテ環礁から
吹き狂う風のなかを 海を越えて
ほとんどすべての若者たちが帰ってきた
ほとんどすべての………この泥と汗の物語は
なんとも つらくにがにがしいものだった
(ノーマン・メーラーはそれを書きとめた)
若者たちは 岩にくだける波の音も
ろくすっぽ聞かなかった
花の咲きこぼれた明るい島島に辿りついたものも
ただ そこで死ぬためだった
血と汚物が 垢(あか)と鼠が
いつもかれらにつきまとい
すさんで疲れきった心が戦っていた
それでもかれらは帰ってきた
おまえは ひろびろとした大地に迎えいれた
そしてかれら(帰ってきたものたち)は
名もない無数の花びらの閉じるように
おのれの家にとじこもった
戦争の傷ぐちを忘れて よみがえるために

(角川書店『ネルーダ詩集』1972年)

基地

 きこりよ めざめよ Ⅵ (平和の歌)
                          パブロ・ネルーダ

日ごとに訪れる 夕ぐれに 平和あれ
橋のうえに 平和あれ 洒に 平和あれ
わたしの使う言葉に 平和あれ
そしてわたしの胸にのぼってきて
土の匂(にお)いと愛にみちた 古いむかしの歌を
くりひろげてくれる 言葉に 平和あれ
パンの匂いで眼がさめる
朝がたの都会(まち)に 平和あれ
たくさんの川を集めた
ミシシッピー河のうえに 平和あれ
わたしの弟の シャツに平和あれ
風が書いて行ったような本に 平和あれ
キエフの 大コルホーズに 平和あれ
ここかしこで仆れた 死者たちの灰のうえに 平和あれ
ブルックリンの 黒い吊り橋のうえに 平和あれ
陽ざしのように 家から家へとまわる
郵便配達のうえに 平和あれ
ひるがおのような バレーの舞台で
叫んでいる振りつけ師のうえに 平和あれ
ロザリオのことばかり書きたがる
わたしの右手に 平和あれ
錫(すず)鉱のように ひそんでいる
ボリヴィア人に 平和あれ
きみがおよめに行けるように 平和あれ
ビオビオのすべての製材所に 平和あれ
スペイン・ゲリラの
ひき裂かれた心臓に 平和あれ
そこでは ハートの刺繍(ししゅう)のある座布団が
いちばん なつかしい
ワイオミングの小さな博物館に 平和あれ
パン屋と かれの愛に 平和あれ
小麦粉のうえに 平和あれ
やがて芽を出してくる麦に 平和あれ
茂みを探す 恋びとのうえに 平和あれ
生きとし生けるものに 平和あれ
すべての大地と 水のうえに 平和あれ

さて わたしはここで いとま乞いをして
夢にまで見たわが家に 帰っていこう
荒い風が 牛小屋を叩きつけ
流氷が 海にながれ ただよう
パタゴニアに 帰っていこう
わたしは 一介の詩人だ あなたがたみんなが好きだ
わたしは 愛する世界(くに)を さまよって行こう
わが祖国では 坑夫たちが 牢獄にぶちこまれ
軍人どもが 裁判官をあごで使っている
しかしわたしは この寒くて 小さい
わが国を 根っこまで 愛しているのだ
もしも 千回 死ねるとしても
わたしはやはり そこで死にたい
もしも 千回 生まれ変われるとしても
わたしはやはり そこに生まれたい
あの未開のアラウコ族のそばに
南極の風が 猛り狂うところ
教会の鐘楼が 新しく建てられたばかりのところに
だれもわたしのことは気にかけないでほしい
愛のこぶしで テーブルを叩きながら
この地上のことを考えようではないか
わたしは ふたたびパンが血まみれになり
いんげん豆が赤く血に染まり
音楽が血を浴びることを ねがわない
わたしのねがいは
坑夫も 娘さんも
弁護士も 舟乗りも
人形作りも みんな
わたしといっしょに来てくれることだ
われわれはみんなで映画館にはいろう
そして映画がはねたら
赤い葡萄酒を 飲もうではないか

わたしは何も問題を解決しにきたのではない
わたしはここに 歌うために きたのだ
きみたちといっしょに歌うために──

 『きこりよ めざめよ』の最後の章は、平和の歌によってしめくくられている。戦争によってぼろ儲けを企む、ひとにぎりの死の商人とは逆に、働くすべての人民は、平和をこころから願っている。詩人は「わたしの信条は 平和と希望なのだ」とも語っている。
(大月書店『愛と革命の詩人ネルーダ』─「きこりよ めざめよ」)

ネルーダ


「きこりよ めざめよ」について
ネルーダ「大いなる歌」目次
エィブラハム・イエズス・ブリトオ(人民の詩人)
                            パブロ・ネルーダ/大島博光訳

かれの名はイエズス・ブリトオといい イエズス・パロンといい
かれの名は 人民と呼ばれる
かれの眼は 川となり
かれの手は 根となり
いま かれのいた同じ場所に
生れる前 土から躍り出る前に
貧しい石ころたちのあいだに
かれは植え変えられるのだ

かれは 坑夫と漁師とを結びつける
結びの鳥であり
怖るべき祖国の 優しい樹皮を編む
素朴な 馬具製造人であった
祖国が 寒ければ寒いほど
祖国は かれに青く見えた
土地が 荒れていればいるほど
かれには 幻想的に見えた
かれは 飢えれば飢えるほど 歌った

かれは 葡萄(ぶどう)の蔓(つる)の竪琴と 鍵で
鉄道の世界をひらき
かれは歩いた 祖国の泡をよぎって
星ちりばめた 小さな荷物をもって
銅の木であったかれは
すべての新しい 小さなつめくさを水でうるおした
かれは敵にとって 怖るべき罪悪であり 騒乱であり
人民を守る流れの前進であった

かれの声は 犯罪の夜のなかに消えた
しゃがれた 叫び声にも似ていた
かれは 谷川のようにひびく鐘を
夜 帽子のなかに拾い集めた
ぼろぼろの袋のなかには
溢れこぼれた人民の涙を すくい集めた
かれは歩いた 水たまりのある砂利道を通って
茫茫(ぼうぼう)とした硝石の原をよぎり
沿岸地方の波うつ丘を越え
愛の歌を一節また一節とつくり
一句一句 念入りに手を入れ
自分の手の汚点(しみ)や
まちがった綴りを取りのぞいた

ブリトオよ きみは首都の城壁をくぐり
騒がしいカフェーのあいだを抜けて
まるで巡礼する木のように
きみの深い足を置く土地をもとめて歩き
ついにきみは みずから根っこになった
石ころとなり 土くれとなり ほの暗い鉱石となった

ブリトオよ きみの偉大さは
誇り高い太鼓のように
手荒に うち叩かれた
並木道と人民から成る きみの領土は
ひろびろとした 野外の王国であった

さまよう木よ きみの根は
きょうも大地の下で 声なく 歌っている
きみは きょうも さらに深く根をはり
きょうも きみは 大地と時代を抱きしめている

<『ネルーダ詩集』──大いなる歌 第二巻>
どのようにして旗は生れたか

おれたちの旗はいつもこんな風にして生れた
人民が やさしい心で縫いとりをし
ぼろぼろに破れた旗を
苦しみで 縫い合わせた

人民は 燃える手で しっかりと星をちりばめた

人民は シャツや空の青を切りとって
祖国の星を 仕たてあげた

赤旗は 一滴また一滴と
血をしたたらせて 生れたのだ

(パブロ・ネルーダ『大いなる歌』第二巻)
虐 殺


しかし 血はそのとき隠された
(根っこの背後で 血は洗い流され
血は流れなかったと言いふらされた
それは そんなにむかしのことだった)
「南部」の雨が 大地から血をおし流し
(それは そんなにむかしのことだった)
草原の硝石が 血を飲みほしてしまった
そして人民の死は いつもどおりのものだった
まるで 死んだものはだれも ひとりもいないようであり
まるで 大地に仆れたのは あの石ころどもであり
水が 水のうえに流れ落ちたようなものだった

「北部」から「南部」にいたるまで
かれらは 死者たちを おしつぶし
死者たちを 焼いて 闇のなかに葬り

夜にまぎれて そっとかたづけ
炭坑の穴のなかに 投げ込み
骨は 海に投げ捨て
こんにち あの死者たちはどこにいるのか
だれも知らない
あの人たちには 墓もなく
あの人たちは 祖国の根っこに散らばっている
指は拷問(ごうもん)でひんまがり
心臓は鉄砲弾丸(だま)で穴があき
チリ人の微笑を浮べている
草原の勇者たち
いまは声もない指導者たち

人殺しどもがどこに死体を埋めたか だれも知らない
だが 死者たちは大地から出てきて
流した血を とりもどすだろう
人民の復活において

犯罪はラ・プラサのどまんなかで行われた
人民の清らかな血を 茂みは隠さなかった
草原の砂も 吸わなかった
だれも この犯罪を 隠さなかった

犯罪は 祖国のまんなかで行われたのだ


(パブロ・ネルーダ『大いなる歌』第二巻)

 ラ・プラサの死者たち
   (一九四六年一月二十八日 チリのサンチアゴ)

かれらが仆(たお)れたところへ
おれは 泣きにやって来たのではない
おれは きみたちのところへやって来たのだ
生きてる人たちのところへ 駆けつけたのだ
きみのところ おれのところへ駆けつけて  
きみの胸倉(むなぐら)をたたくのだ

あの人たちは ずっと前に仆れてしまった
きみは思い出さないか そうだ 思い出すだろう

あの人たちは おんなじ姓名をもち
おんなじ名まえをもっていた

サン・グレゴリオで 雨の降るロンキメエで
風に吹き倒された ランキルで
砂に埋まった イキケで
海と砂漠のほとりで
群島の草原の
煙りと雨の下で

あの人たちは 虐殺(ぎゃくさつ)された
あの人たちは きみのように アントニオと呼び
きみのように 漁師であり 鍛冶屋(かじや)であった
あの人たちは チリの肉であり
その顔は 風で皺(しわ)だらけになり
草原に痛めつけられ
苦痛にゆがんでいた

おれは出会った 祖国のいたる処の壁のうえで
雪とその水晶のそばで
みどりの流れのかなたで
硝石の下 穂麦の下で
わが人民の流した血の滴(したた)りに
そうして滴(したた)りはみな 火のように燃えていた


『大いなる歌』第二巻)