詩人の恋文

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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


バカ、バカ、バカ、
Cisseの バカ、バカ!
プシの眼をこんなに迄してしまって・・・。
今度だけはヘルダアリンによって甦らせて下さったからかんべんしますけど、
もう、あんな意地悪繰り返したら、プシは独りで獏になっちゃふ。

でも、Cisse! スキイなんか又して いいのかしら?
風邪など、又ひかないでゐて下さいね。
Cisseの体はプシの体なんですから・・・。

Cisse! ほんとは今日、がっかりしてしまった!
あれ以来の憂鬱が、今日は又ひどく、昼頃には、苦しい程の悲しさに堪へかねて、防空頭巾のおふとんに、今迄のCisseのお手紙全部と、Cisseのご本とを、包み、しっかり胸に抱きかかへて、エトナの浮ぶ さびしい病院の裏の荒野の河岸ヘゆきました。
かれくさが さやさや息づいて、早春の陽のやわらかさがプシの背中を撫でてゆくと、もうプシは崖上の荒野のまん中に坐りこんで、萌黄色の視界の中に 又泣き出してしまふのでした。そしたら、プシの前に、春風の中からのエトナが うるみ乍ら滲みだし、あのCisseの子守歌をうたひはじめ、又、榛名の山も かげろふの中から泳ぎ出して、その山腹にしるされたプシたちの足あとを蒼く蒼く甦らせるのでした。
利根の水音も、もう春の水音でしたのに・・・。
ふと足下の崖の枯れ笹が 今日の陽光にゆらいだりすると、もうプシはさびしさと悲しさに一ぱいになってしまひ、かなしいことばがリトムに乗って流れはじめるのでした。・・・
──そうしたゆめみののち、しばらくしてプシは、夜、ペンでまとめて あなたに送りませうと、そのうたをくりかへし乍ら、Cisseのお手紙が待ち遠しくて 背中がいたむ──と言い乍らビューローに帰りました。
そうしたら、おお、何と Cisseのお手紙が待ってました!そしたら、それと同時にプシのペソスも プシのうたも忽ちに空中分解をしてしまひ、もう封筒にbaiserをくりかへすばかりで、時間がくると、大急ぎで 下駄をひっかけて眼医者さんへ飛んでいってしまひました。そうして、もう、Cisseのバカ、バカ、言ふきりで、外のことばはすっかり消えてしまひました。
ですから 今夜のお手紙が、詩にならず、とうとうCisseのバカ、バカ、のお手紙になってしまったの。
──Cisseはプシのポエジーを喰べされり──

共栄女学校からの返事は未だですけれど、明日あたり何とか言ってくると思ひます。明日が待たれます。周校長とは、聞くところによれば、シカゴ大学の出身だそうです。

Cisseよ! 今日は又 新らしいあなたの空気の中に生きた!
又、明日も、その次も、新しい空気を送って下さい。
ミューズのほほえみを送って下さい。
マラルメでも送って下さい。
毎日のどろ沼の人中からプシを救って下さい。
病気になってもいいから送って下さい。
あなたを喰べて生きてるプシのために。
──でも病気にならないで下さい。
今宵の細いアルテミスの、どのように輝に給ふた頃に、Cisseとお会ひ出来るかしら?
では 今日は仲直りのかへしに モリヂアニをお贈りします。
千のBaiserを送り返しつつ。Χaipe.
Cisse Cisse ψυχη

 もう一つ仲直りに、あなたのファーザーのために そぼくなプシの家族でも書きませうか。

 本人 鈴木静江 二十二才 群馬県立前橋高等女学校卒業

 父  鈴木静一 四十六歳
 母    さわ 四十四才
 弟    久男 十七才 群馬県立前橋中学校第三学年在学中
 弟    利二 十五才 同校 第二学年在学
 妹    房枝 十三才 国民学校六年生

    本籍 群馬県前橋市連雀町四九番地
    現住所 同右

大島博光様
二月十五日         鈴木静江
 
(註)
・Cisse・・・Nal Cisse(ナルシス)博光のこと。
・プシ・・・ψυχη(プシウケー)静江のこと。
・エトナ・・・浅間山
・ビューロー・・・群馬県農業会総務課、当時静江が勤めていた。
・共栄女学校・・・博光は就職するために履歴書を送っていた。
 ψυχη(プシウケー)よ
 いま両親と共に、 われらの《聖地》渋へきてゐます。君がいっしょでないのが残念です。徴用の方は九分通り解除になるやうです。またしても美神の恩寵といふほかありません。尤も、まだ確定したわけではありませんが。

 かかる美神の微笑みの故に、九日金曜日、この間と同じく、前橋二時半頃着の汽車でゆきますから、もしできたら、その頃駅へ出てゐて下さい。駅に出られなかったら、お電話します。(渋から電話しようと思ひましたが、なかなか通じさうもないので、速達にしました。)

 これから、ひとり、スキイを担いで、上林の裏のゲレンデへゆきます。あの坂の下で、けふはひとりで林檎をたべることになりませう。紅のマアフラに髪を包んで、あの道を昇って行ったψυχηを想ひつつ。
★ここに八日までゐます。それから一度帰宅して、九日に行きます。

 温き泉にきたけれど、 春遠ければ
 わが愛(めぐ)しみずはめは いまだ生(あ)れず、
 われひとり泉に浸りて、
 ただひた恋ふるかな、呼ばるかな、
 わがいと遠き美(うま)しみずはめ!

 ψυχηよ、わが訪るる日まで、
 君が紅き頬を ボレアスに噛まるるなかれ、
 微笑み浮べて、すこやかに泳ぎてあれ!
 Baiserをはるかに送りつつ。

Ma chère, chère  ψυχη(わが親愛なるプシウケへ)     Nal Cisse(ナルシス)
       Le 6, fev. 1945(2月6日)

*渋温泉が二人の聖地になっていた。
お手紙有難うございました。
ひとり旅からかへった朝の思ひがけないお便り そして「冬の歌」、うれしいやら懐かしいやらで一杯です。なにか やまの中の釣のおくらしなど眼に見えるようで、そうした忘却のなかに静かに完全に沈み込められる純粋さをうらやましくおしのびし乍ら、そうした沈み切られた中の脈搏をしづかにかんじさせて頂いてをります。
このまま旅の足を秋の信濃へとつづけたく、しづかな釣の水際へふうわりと至り佇ち止りたく、しきりに誘はれてしまひます。
うつくしい「冬の歌」久しぶりに うれしくてうれしくて目つむり乍ら しづかにしづかに 読ませて想ひ描かせて頂きました。なにかなみだのあふれてきそうなおもひで。
今日あたり 利根川べりのアカシヤの森に分け入って、歩みつつ よみませうに思ひ乍ら、冷い雨にふりこめられて行きもせられず とぢこもってをります。
私はあれからずっとこの田舎で、さまざまなものにぶつかり乍ら生活してをります。
七月から八月にかけて湯沢の方に旅して以来、しづかな自分の流れもできてきたようで、ひたむきに描きつづけて参りましたが、ここ又行き詰って了って、今、根本的なことにぶつかってをります。旅にとび立ち、深い山に埋れて しづかに見つめてました。何か、そうした自然の中に入っても、眞から浸りきれず、従って、お腹のそこまで沁みわたる感動が出来ず、それゆえに、ほんとうに筆が動かせないで、今迄、頭で、というか、視覚をうろつく程度の美観念で描いてきた自分に、とても嫌悪をかんずるのです。すべてを無くして赤子になって、ほんとうの純粋な感受性をもった人間、原始人のようになって、本当の感動をすべてから受ける様になりたいと思ひます。そしてほんとの腹からの筆をぐーんと動かすのです。そうした明確な自分を持ちたいのです。
三国山脈の法師温泉の山々は、実に実にふしぎな山中で、かたちのない、色と気流だけの感じられるところでした。はかりしれないかずかずの色のうつりかわりには唯おどろくばかりで、空気の密度の細やかさと、いでゆのやわらかさとは、それを感ずることについてさへくるしむ私を、なぐさめてくれたり、勉強させてくれたりしました。実にすばらしい色から色へのふしぎさをもつ山でした。それから川を傳ひ山なみを傳って、水上の山を、清水峠の山を、中里、湯沢、石打へと下り、越後平野のはろばろしさにひらけゆくところに立って、深呼吸をしおわって、山なみづたひの旅を折り返して戻ったのでした。清水峠の山々はかたちからくるスケールの大きさと、荒々しい濃度をもつ色感とで、何かすがすがしいものを流しこんでくれました。いま、一息ついたところで山々への回想を、りんどうのにほひにうかべてゐると云ったところです。お会ひ出来たらいろいろお話し度いです。
十一月、十二月と、くらい冬が来る前に、信州をお訪ねしたくおもひます。
ではおからだにお気をつけ下さいます様お祈り致します。
楊先生も「母恋しくなり平壌へ旅立ちます」と葉書をよこして旅立たれた様子。みんながさびしいみたいです。
 山の中の御無事をお祈りしつつ。
  十一月三日
                      鈴木静江
大島博光様

 五月以来の信州の御様子、楊さんがお便りを見せて下さったりして、いつもおしのびしてました。春の阿佐ヶ谷の夜をなつかしみつつ おみちびきをおねがひ致します。
いろいろお話できませうと存じます。

   ◇   ◇   ◇   ◇
博光最初の手紙への返事。平壌出身の楊先生が二人の共通の友人で、お互いの様子を伝えてくれていたのでした。
徴用出頭は、いよいよウエディング・マーチへのアフロディーテのお導きではないかしら・・・或いはわたしたちの春の流れへのプレリュードではないかしら・・・

おお しかし、願はくば、わたしのナルシスさまの傷つかぬようなお仕事でありますよう。
かよわい わたしの おこどもさんの堪え得るようなお仕事でありますよう。
あなたよ、けれど どのような事になりませうとも、お力落しになられないで・・・
あなたになる わたしが居ります故。居ります故。
参りますわ。十一日に。
又、一時半 長野駅着で。

 ──万一、都合よければ十日に参りたいものですが、もし、そうなるなら、その節 電報で おしらせ致しませうね。──

あなたよ、あなたよ、
おお・・・ 又すぐ あなたのお傍へ参れますのね。
そしていろいろ新らしい事について お話出来ますのね。

大島博光様
二月四日(昭和二十年)    鈴木静江
 溺れずして、イストロスのほとりに帰りきたれるレアンデルの歌へる

ヘロオよ、 わがへロオよ、
われはしも溺れずして、ただひとり
再びイストロスのほとりに
帰りきたれるをうらむかな!
ああ、イオニアの海に溺れたらむには、
われむしろ幸にみちてありしものを!

ああ、君が海に溺れはてなば、へロオよ、
はやわがリラのかくも君を呼ばひて、
G線から金線へと顫へ鳴らざりしものを!
われの溺れてもなほ、 海底に、
君と相抱きて眠りたらむに!

されどいつの日か心焦(い)られて、
再び君が岸べへ泳ぎゆかむ。
祈るらくは ポセイドンの嵐を呼びて、
われをその深き胸に沈めたまはむことを!

君が蠱惑(まじ)みてるアカシアの林より、
遠くひとり離れて生きるははや死のごとし。
生きながらに死してあらむよりは、むしろ、
君が毒みてる美酒に酔いて、死にて生きむ!

おお、イオニアなるわがへロオよ、
その繊細過敏を誇りしわが知性も、矜持も、はた論理〈ロゴス)も、鏡も、翼も、竪琴も、
君ゆえに今はただ眠り閉ざし、
君のみわが王国、わが宗教、わが芸術とはなりぬ。

ヘロオよ、君がオオロラの微笑に触れなば、わが深く病みにし心も癒えむと思ひしに、
ああ、はからざりき、病ひのいよいよ募り、
血はわが頭蓋にのぼりて蒼ざめむとは!

近時、恋病みに死したるがごとき、
「愛の神(アフロディテ)」の忠実なる信徒絶えてなければ、
せめてわれこそ、アフロディテに
いと熱き崇拝を捧げむかな!
いつの日か溺るるもよし、息絶ゆるもよし。
Le 1 Fevrier

P.S. いよいよ怠惰な詩人にも国民徴用出頭令なるものが、今日参りました。二月五日に出頭、徴用決定までには少なくも廿日位の余猶はありませう。ただ希はくばイオニアの岸に近きところに徴用されたきものです。さらに希はくば、この徴用がウエディング・マーチによって伴奏さるる機会とならむことを!
 六日から私も二、三日、思い出の渋へスキイを担いで行ってきます。できたら十日ごろ来て下さい。来られるプランができたら、できるだけ早く知らせて下さい。出頭の模様もその頃には判明するでありませう。

鈴木静江様
二月一日(昭和20年)    大島博光
 光のなかで制作の歓びに浸っているあなたが見えるやうです。あなたの「若き芸術家の肖像」が完成されるやう祈ります。さうしてそのクロッキイの一つを送って下さい。(さういふあなたのポーズが、私の著作を私に思い出させましたので、それを同封します。)
 もう寒くなって、釣もできないとおもっていましたら、今度は冬の釣を教へられて、また水のほとりへ通っています。これではまた
 輝かに、いと澄める芸術(たくみ)の季節、冬の日を・・・(マラルメ)
空しく釣りに捧げてしまひさうです。 暗い冬籠りの中から生れてくる内なる光は、空しく外光の中に放散されてしまひませう。
 今は、こんな図のやうな釣です。錨のやうな三叉の釣針で、橋の上から下に群れている魚を見つけて、引き上げるのです。見えざる訪れを待つのではなく、可見のものを能動的に捕捉するので、もう釣といふより、スポーツに近いものです。昨日は二百匁大のもの、二尾釣りました。
 しかし、釣れなくとも、竿を肩にして、枯葦の生ひしげっている河ばたを歩いていると、もうそれだけ救はれます。何の思考の努力も必要とせず、私自身もただ動く一本の樹木となってしまひます。
 音楽に飢えて、来月の日響を聴きに上京しようと思っていましたが、帝都ボムビングで、もう出かける勇気を失ひさうです。それに、プログラムも、余り魅力あるといふほどでもありませんから。
 御健筆を祈ります。

                       大島博光
鈴木静江様
       十一月二十八日(昭和十九年)

手紙

<詩「黎明」を同封>
 
 お手紙とクロッキイありがたう存じました。久しぶりに線の魅惑に接しました。線がそこに描かれていない触感をさへ抱きかかえていることに驚きました。あなたのクロッキイは、私にマイヨオルの或る彫刻を連想させました。今度はあなたの自画像のそれを見せて下さい。
 あなたが、豊富な色彩感とプラスティクに対する感覚をもちながら、さらにあの利根川の風景描写の中には音楽的律動を捉えていることは、驚異を私に与へます。ヴァレリイは、コロオの風景画を批評して、たしか「歌っている」と言っていました。あなたの風景画も歌っているに相違ない。あなたはそれをムウヴマンと言っているやうですが。──実を言へば、いつも私に想ひ浮んでくるのは、貴方の声なのです。それは、もう美しいソナタの小楽節、それもピアニッシモでつづくアンダンテのやうに、私の耳に残っているのです。ソプラノには堪えられない私の耳が、どんなにあなたの静かなアルトに憩ふたか、私は今も阿佐ヶ谷の夜を想ひうかべることができます。このやうな音調(タンブル)、音色(トオン)は、またあなたの画面に現れているかも知れない。それはジョン系の色彩と、ブルウ・グレエなどに対するあなたの偏愛が物語っているやうにおもはれます。しかし詩には、かういふ微妙な色彩や音感を盛ることは至難であるのみか、殆ど不可能なのです。ただコレスポンダンスによって、類推によって、近似値を創造するよりほかないのです。しかし、詩もそこまで行けばもう傑作たらざるを得ませんが、とてもいきがたいところです。
 もう寒く、フィッシングにも行けず、久しぶりに家に閉じこめられていますと、もう何から手をつけてよいか分りません。あまり永いこと原始人の幸福に浸っていたので、思索することが、迷宮の道を辿るやうに、難事に見えて、一向に進みません。昨日は一日中、プルウストの小説を読み耽って、意識過剰、分析癖、神経の綾織、などに自己を移し入れてみました。しかし、それも倦怠に色どられています。早くマラルメかヴァレリイに戻って行かねばならないのですが、時に、このやうな高度な純粋さは恐怖を与へます。それは、大きな自己集中と努力を要求するからです。しかし、美しい秋を忘却のうちに過ごしたのですから、この冬は何か獲得しなければなりません。精神は何ものかを発見するでせう。
 御精進を祈ります。

十一月十九日
                       大島博光
鈴木静江様

*昭和十九年十月に初めて静江に手紙を書いたが、それに続く手紙。
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前橋市曲輪町九四
群馬県農業会総務課 
鈴木静江様

長野県更級郡西寺尾村 大島博光
(消印 昭和20年2月)
その後どうしています?
いつか、ヴァレリイの拙訳を読んで下さったあなたの声を ときどき想い出してゐます。(過日楊○が突然訪ねてきてくれ、その節あなたのことを話しあひ、あなたのアドレスを教へてもらったのです。)
五月、私はこの信州の田舎へ帰ってきましたが、田舎の単調にはやりきれません。七月頃までは、勉強もできましたが、九月・十月は、もう釣ばかりしてゐて、読書もせず、筆ももたないやうな日々です。ゴオガンがタヒチへ逃れたやうに、私は釣の中へ逃れてゐるのです。しかし、釣などには如何なる芸術的収穫もないやうです。完全な忘却─素朴な期待による時間の意識の喪失があるばかりです。詩の方へ戻って行かねばなりませんが、その詩が私にはもう袋路のやうに行きつまってしまってゐるのです。尤も、この袋路を突き破って進むことが、いつでも芸術の道なのですが、今はその情熱も湧いてきません。癒しがたい倦怠が、どうしても払えないで、釣に走るといふわけです。七月頃作った詩を一篇同封します。一度あなたに朗読してもらひたいと希っています。都合よろしかったら、遊びにきて下さい。電報下されば長野駅まで出てゐます。
美神の思寵、あなたのうへに厚からむことを。
十月二十日
                        大島博光
鈴木靜江様

(昭和十九年五月に信州に帰っていた博光が靜江に出した最初の手紙。宛先は前橋市曲輪町九四 群馬県農業会総務課 鈴木静江。たまたま博光を訪ねて来た楊○?さんが靜江の勤務先のアドレスを教えてくれたおかげで手紙を出した。このあと、頻繁に詩のような、ギリシャ神話調のラブレターを書く。そして一月三日、雪の長野駅で再会することになる。
嘆かひのアルカイオスの歌える
 ──風よ、葦よ、希はくばわが嘆かひをエコオに伝へ、エコオが耳を灼きつくしてよ!

ああ、シレェネェにもまさるうるはしの声(ポーネー)もて、
嘆かひを軽やかに送り返へすわがエコオ!
汝が歌に耳傾けしより、わが竪琴は破(や)れはてぬ!
ああ、 昨日、 アポルロオンをば讃え、
ナルキサスをばいつくしみしわが竪琴も!
汝が身を秘めし(林檎)μηλον(メロオン)の枝に懸けしより、
わが誇りゐしハルモニアの澄みし音(ね)も曇りはてぬ、
おお、汝がやはき絹の梢に囚はれて・・・

破(や)れはてし竪琴(こと)抱き、ボレアス荒ぶ野をゆけば、
いづこともなく、汝が木魂(こだま)、    吹く
風の運びきて、わが盲(めし)ひし耳をひたうちぬ!
ああ、その昔、タンタロスをば撃(う)ちしゼェウスが稲妻も、
汝がポーネーのこだまほどには撃(う)たざりき!
この幻の音(ね)に、われはまた聴く、
緑なす葉蔭より、汝が微笑みの木洩れ陽の、
聾(ろう)せしわれが眼(まみ)をうつをば!
ああ、ヘルペラスしろしめすかのエトナなる
その赤き焔さへ、汝が木洩れ陽に如かざりき!
幻追へばいつしかに、東の空にスコルピオンぞ
昇りきて、はやオオロラの紅に囁く、
  ψυχη(プシウケー) αρχη(アルケー), τινοs(チノス); ζωηs(ゾーエース)
  プシウケーはアルケー(根源)ぞ。何ものの? 生の!

ほどなくヒュペリオーンがうからの
ヘリオス来れど、われははや疲れはて
岩穴にそを避けてまどろむに、
今はまた岩屋の壁に、プラトオンがイデエにも似て、
汝が影ぞ揺れてはよぎる・・・
おお、イオニアのをとめの姿に・・・

ああ、いつの日ぞ、われのエコオを捉ふるは?
おお、Echo Echo Echo! 遠きEcho!
ただ声のみ、捉へがたきわがEcho!
                一・一六 スコルピオンの下にて


前橋市曲輪町九四
群馬県農業会総務課 
鈴木静江様

一月十六日
長野県更級郡西寺尾村 大島博光

静江の本棚に文箱があり、二人の手紙(ラブレター)がぎっしり入っていました。博光のは詩の恋文もありました。これはギリシャ神話の素養がなければよく理解できないもの。静江のことをプシウケーと呼び、静江もこたえて「プシは、プシは」と書いています。

文箱
文箱