軽井沢日記

ここでは、「軽井沢日記」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


昭和19年12月29日
 遠き世界のひびき、神秘のひびきを獲得して、それを地上にもたらす、あの遥か転位しゆける精神ほど心そそるものはない。忘れ去られ、色褪せたる神の言葉を、新しき息吹もてよみがへらせ、もう一度、ひとびとの耳を奪ふものとしなければならぬ。

 恐らくわれわれの精神ほど渇いてゐるものはない。
 もしわれわれに悲哀が缺如してゐるとすれば、またあの古代のおほらかな歓喜も缺如してゐるのだ。われわれ祖先の古代はまことに太陽の時代であり、太陽の思想が悲哀などを寄せつけぬほどに、燦然と、また豪放に生きてゐた。しかし、中世とともに悲哀がわれわれのあひだに忍びこんできた。かっての太陽の子らは、悲哀にみちる月の民となった。その余映はわれわれのうちに今なほ多分に残ってゐる。
 かくて、われわれには神々もなく、仏陀もなく、悲劇もなく、数学もなく、殆んどわれわれは裸はのまま、日常の平均時間のなかに、或いは文化と呼ばれる薄明の中に投げ出されてゐる。もし、われわれのところに何らか思想らしきものがあるとすれば、それはほかならぬ無の思想である。この無の思想たるや、その対象としての存在をも有せず、したがって、無の深淵をさへも隠してゐない。いはば”無の無”といふべき黄昏である。
 いつか、われわれはそんな砂漠に馴れて、もう渇きを癒すことさへ忘れてしまった。それはもう渇かないことと変わりない。渇いたとて、うるほしてくれる清水とてはなく、もし、一瞬うるほしてくれたといふ幻覚を與へる一滴の幻の水があるとしても、それはますます癒しがたき渇きを深めるにすぎない。
 われわれの彷徨は必然だったといへよう。
 そして彷徨はまたその必然の帰還として、何れかに停止するか、自らを失ふほかはない。無限の彷徨は、もうここでは彷徨ではなくなるであらう。
 かくて、われわれは、或いは内心の叫びを沈黙せしめて、諦念の幸福に横たはり、或るものは韜晦のかげに隠れた。そして、かういふわれわれに共通の点といへば、何れも不毛の地に依然たる不毛の地にとどまってゐることである。

 かかる不毛を超えて、万能の神の豊穣にまで歩み登って行ったものは稀である。そして、この神の高みから、その神秘を可見に変えて、再びわれわれのところへ提示に帰還する者は更に稀である。
<ノート戦前-S19>

    ◇    ◇    ◇
*「五月七日 軽井沢沓掛の宿にて」から始まった昭和19年の日記の最後になります。11月19日の静江宛の手紙では「もう寒く、フィッシングにも行けず、久しぶりに家に閉じこめられていますと、もう何から手をつけてよいか分りません。あまり永いこと原始人の幸福に浸っていたので、思索することが、迷宮の道を辿るやうに、難事に見えて、一向に進みません。昨日は一日中、プルウストの小説を読み耽って、意識過剰、分析癖、神経の綾織、などに自己を移し入れてみました。しかし、それも倦怠に色どられています。早くマラルメかヴァレリイに戻って行かねばならないのですが、時に、このやうな高度な純粋さは恐怖を与へます。それは、大きな自己集中と努力を要求するからです。しかし、美しい秋を忘却のうちに過ごしたのですから、この冬は何か獲得しなければなりません。精神は何ものかを発見するでせう。」
*5日後の1月3日、長野駅頭にて静江と再会し、新しい物語が始まります。
 博光が尾池さんに語った言葉「雑誌の編集を手伝っていて戦争中、紙の配給が無くなって いよいよ出せなくなって こっちは失業だから軽井沢の女学校の先生の話があって 荷物も送って行ったら 校長はいいって言ったんだけど あいつは赤だからだめだって そこから二〜三時間だから松代に帰って でもそれが良かったんだね 結核の療養をして 半年くらいいたんだよ・・・(尾池和子『博光語録』──静江さんと出会って)

 これによると、昭和19年5月に軽井沢に逗留していたのは軽井沢啓明学園への就職が内定したためと考えられる。東京から荷物(書籍が中心)を軽井沢に送って待機していた。ところが長野県教育委員会から許可が下りなかった。啓明学園関係者の鮎沢露子と会ったのも偶然ではなかったようだ。そのまま松代に帰省して結核の療養生活に入った。このへんの経過は昭和19年の日記には書かれていない。

林にて
千曲川

9月8日 千曲川畔にて
 久しぶりに雨が降り、釣に行くことができない。夕方を釣りで過す習慣ができてしまったので、この夕方の時間を釣に行かないでゐると、どうして過ごしてよいか、とほうにくれてしまふ。日常生活の裡でも、いつのまにか一種の時間表ができてしまって、この時間表が少し狂ってくると、もう精神も彷徨を始めるのである。釣りに行けない夕方は、まるで大きな口を開いた時間で、精神はただ倦怠してゐるよりほかを知らないでゐる。しかたないので、林檎酒を搾ったり、雨のはれまを見て、果樹園へ出たり、まだ時間があるので、この日記を書いたりする。

 今日は Valery の『海辺の墓地』の次の章を訳す。

  して御身、巨大なる魂よ、御身は夢見るや、
  今ここに、波浪(なみ)と陽火(ひ)の、肉なる眼(まみ)に織り見する
  この空し 色彩(いろどり)の消え去りゆける日の夢を?
  また御身 朧にも、かき消ゆる時 歌ふらむ?
  循(めぐ)れかし! ものなべて移ろひ過ぐる! わが生も
  滴りて落ちゆきつ、聖き焦燥(あせり)もまた死ぬる!

 この「御身」とは太陽に呼びかけてゐるのだが、知性は太陽の消滅の時を予見してゐるのだ。飽くことを知らぬ明哲な知性は、認識の果に虚無を見出すのだ。知性は虚無に突き当たらざるを得ぬ。それが知性の宿命なのだ。知性には何らの救ひもない。認識は救済ではない。絢爛たる影像を駆って織り出されたものも、一瞬 魅惑によって眼を奪ふも、背後には無の深淵が口を開いてゐる。これはまた美の宿命なのだ。美の背後に手をさしこめば、無に突き当たるのだ。無の深淵を越えるものは、遂に信仰の飛躍のほかにないであらう。
 ヴァレリイの明哲な知性も、救いないこの無を凝視してゐるやうに思われる。しかも彼は、飽くまでも神を喚ぶことなく、人間知性なる偶像の下に、英雄的に凝視めつづけ、とどまってゐる。かくて、彼の知性はむしろ、虚無を神の手からあばくことによって、そこになにか悪魔的な歓喜──最高な知的歓喜を味わってゐるやうに思はれる。ヴァレリイに、世界嫌悪の影が漂ってゐるのも、故なきではない。
 しかし、こんな一節を読むと、無の寒寒とした空気にまるで全身の力の抜けてしまふのを感ずる。その向ふへ進む気力もなくなってしまふ。さうして、かういふヴァレリイの高さも偉大さも、私にはもう悪趣味に思はれる。
(『蛇の素描』ではこの傾向は更に鮮明に烈しくなってゐる)このことは、芸術においては、真よりは美が追求さるべきことを想はせる。真もまた必ずしも救ひではない。

 酔生夢死といふ東洋的倫理を背景にした言葉がある。もしこのやうな背景を奪って、字義通りに解するならば、この言葉は忽ち詩人の深い希望につながる言葉となる。ボオドレエルが『酩酊せよ!』と叫んだとき、彼はとりもなほさず酔生夢死を叫んでゐたのであり、夢想してゐたのだ。尤も、そこには彼の深い苦悩と人生嫌悪のひびきを伴ってゐるのだが。──
*神に酔ったスピノザもゐた・・・

 そして、究極に於いて酔生夢死などは実現されえぬ。なぜなら、そこから醒めないやうな如何なる酩酊もなく、消え去らないやうな如何なる夢もないからである。またこの故にこそ酔生夢死が夢想される償ひをもつのだ。私はいくら酔生夢死を讃美しても讃美しきれない。それこそ回復された地上楽園ではないか、地上楽園の回復を叫ぶことこそ詩人の使命ではなかったか!・・・
 しかし、詩人たちの聲は、地上の楽園を喚ぶには余りに暗いひびきにみちてゐる。いつでも苦悩に色どられ、絶望の嘆きさへまじってゐる。
<ノート戦前-S19>
 八月二十九日  千曲河畔にて
この頃は、詩人の見るべき二つの薄明──黎明と黄昏のそれを釣などによって過ごしてゐる。今朝も四時に起きて千曲川へ向ふ。東の空にオリオンが懸ってゐたが、蒼白く瞬きながら、薄っすらとやがて消えて行った。四囲の山々のうへに、空が紅に明けはなれて行くと、まるで巨大な薔薇の花びらの中に立ってゐるやうであった。かうして、素朴な期待にみちて糸を垂れてゐると、時の流れるのも忘れはててゐる。素朴な忘却に浸ってゐると、生も軽やかである。
 黄昏の微光が消えて、闇影が河面を這ひ始めると、今まで美しかった流れも急に恐怖を与へるやうに見える。繁った柳の蔭の暗さは深く、その蔭の流れの深みへ、このまま歩み入ってしまいはせぬか、屢々そんな誘惑の怖れを覚える。しかし、このやうにふと神経的に思惟する死は、柳の蔭のやうに暗く、深く、しかも甘美に見える。
<ノート戦前-S19>

絵
 八月十三日
今朝、浅間が爆発した。入道雲のやうな爆煙が、雲一つない麻の蒼穹にそそり立って、朝の太陽に、まるで薔薇のやうに輝いてゐた。やがてこの爆煙は風に流れて、沓掛一帯に灰となって降りつもった。緑の樹木も屋根も、時ならぬ白灰色の雪に覆はれて、陽光に鈍く光って、かへって暑さうに見えた。髪の毛に降りそそいだ灰を、白髪を払ふやうにして歩いて行く外国人もゐた。

 八月十四日 沓掛にて
あまり永い孤独のなかで、独白ばかり続けてゐると、無人島の闇に語りかけてゐるやうな不安を覚え、その不安が昂まると、自己を自ら無の深淵へと導いて、深淵を覗きみてしまふ。深淵には何もみえない。深淵はわれらの思索を吸ひ尽して、ただわれわれの無力さのみを還へしてよこす。こんな袋路に突き当たったが最後、そこから引返すのは容易ではない。もう忘却よりほかに救ひがない。ところが、かういう深淵は まるで 時間の中に口を開いてゐるかのやうに、容易に忘却さへもできない。それもその筈で、実はわれわれの内部に口を開いている深淵であってみれば、さう簡単に、石を投げるやうに、投げ捨てるわけにはゆかないのだ。これも「肉体の棘」なのだ。
 こんな時に思ふのは、やはりわれわれは信仰も信念(コンヴィクション)さへももってゐないといふことだ。せめて神にでももってゐたなら、こんな深淵ももっと精神を深めてくれるにちがいない。神をもたない故に、われわれは袋路のまま、それを突き破って飛躍することもできず、また希薄な道へ引返へすしかない。そこで悲劇が──救済の悲劇が演じられる筈の劇場の入り口を覗いて、もうそこから身を退(ひ)いてしまふのだ。戦慄が悪しき諦念を喚ぶ。これが深淵へ身を躍りこませる勇気と追求力とを奪ってしまふのだ。躍りこんで、無の深淵の向側へ突き抜けなければならぬ。たとへ、そこに真珠を見出すどころか、溺れることなく戻ってくるのが困難であるにしても、身を持って奪ひとった「空虚」はなほ燦然と輝いてゐるであらう。
 われわれはいつも空虚から出発して空虚へ帰ってくる。空虚から空虚への遍歴の途上、ふと未知や永遠にめぐり会ふこともあるが、それらは稲妻のやうに閃き去ってしまふ。後にはまた永い空虚の夜が続いてゐる。しかし、かういふ醒めた睡眠が、一瞬の充実の夢を夢みるのだ。昼と夜が、覚醒と睡眠が、われわれの外部と内部とに、交互に訪れる・・・
<ノート戦前-S19>
 八月十二日  沓掛にて
 眼に見えざるものと語るために,宛名のない手紙でも書くよりしかたのないやうな時間が、流れるといふより、むしろ私を包んで漂ってゐる・・・私は私の内部で声なく語りかける・・・ 見えざる私の対話者も 私の中にゐる・・・
 私は私にだけ見え、親しい一つの姿、微笑み、──現前に向って語りかけるのだ・・・あらゆる対話も通信も一つの措定のうへに成立つのだ。それは、措定されたもう一つの自己に語ることである・・・ それは夜と昼とがわかち難く交錯してゐる黄昏の顫へる薄明を想はせる・・・
 夕映えのオレンジ色の雲を浮かべた空には──もうどこか秋の色が漂ひそめてゐる──無数の燕が群れて、優雅な線を描いては舞ひ翔んでゐる。恐らく、南へ再び飛び去りゆく、その訣別の円舞を踊ってゐるのであらう。巣立ったばかりの若い燕は飛翔の訓練をしてゐるのにちがいない。彼らもまた、夏の終わりを告げてゐるのだ・・・
 さういへば、今朝、落葉松林の散歩道で、そんな若い燕の一羽が斃れてゐた。空高く翔(か)けた翼は痛々しく傷んでゐて、チチと啼いた嘴はかたく閉ぢてゐた。ほかの燕たちが、南へ飛びさりゆくのに、彼女のみここに斃れて、もう海を見ることもなく、朽ち果てるのだ。私はそっと野菊の草むらの中に葬むってやった。・・・さうだ、雉子の羽根や燕の屍が、──こんなはかないものたちが、何故か私の脳裡から離れず、まるで私の内側に落ちたままとどまってゐる。さうして、私の中で、何か未知を揺り覚してくれるやうな、そんな予感を与へる・・・
<ノート戦前-S19>
・八月十日 沓掛にて
頭脳を整理するため、沓掛に来て、高原の清涼を吸ふ。白い野菊や淡黄紅色の豆の花などには、もう初秋の色が漂ひそめてゐる。落葉松林のなかを散歩してゐたら、野菊の草叢のなかに、雉子の羽根が一本おちてゐた。羽根ペンにもなりさうな色美しい雉子の羽根を拾って手にしてゐると、落葉松の木漏れ陽が、緑に羽根を染めるやうであった。するとまた何故か、ふと或る知られざる詩人の死を想ひだした。・・・この知られざる詩人は、どこかの区役所に務めてゐた多人風変りな吏員で、もう四十才を越したのにまだ独身で、脳溢血で死んだ。死後、彼の机のひきだしの奥からは、誰にも見せなかった詩稿が見出された・・・「知られざる詩人は神の傍最も近くにゐる、といはれるが、隠れて生きる者はいつも美しい。知られざる詩人も、美しい羽根を路傍に遺して、どこか遠い、深い林の中に深く隠れてゐる雉子に似てゐるではないか、或ひは雉子も、その死を深く秘める前に、ふとこんな羽根を一片、地上に落して行ったのかも知れぬ。さうして、孤独な散索者の眼に、色美しく、ふと留まったのであらう・・・この羽根も、かっては軽やかに羽搏き、林の静けさを、いっさう深めるために、そっと空気を揺すったのだ・・・
 やがて秋が思索の時間を運んできてくれよう。私は恋人を待つやうに秋を待ってゐるのだ。女性名にして「秋子」を待ってゐると言った方がふさはしいかも知れない。さうだ、秋子が来たら、私の孤独も賑やかに、豊穣に、色彩られるだらう。静かな、澄んだ秋子は、私の重い独白を風のやうに解き放ってくれるだろう。さうして、失ってゐた神や秘密を、私はまた見出すことが出来よう・・・そんな秋子との出会ひのために、今は夏子にむかって訣別の挨拶をしなければならぬ。すべてのものを熟れしむるやうな過剰な光りと熱で夜を奪ってしまふ夏子・・・生を太陽の下へ駆りたてて、生の内なる影をも吸ひつくしてしまひ、──さうしてまた新しい、より深い影を生に与へてくれるのだが──かうして白熱の忘我に生をいざなふ夏子・・・半裸で、蕾のやうに膨らみはじめた乳房を、小さな堅い乳房を両手で隠しながら、水の中に躍り込む乙女たち・・・小麦色の乙女たち・・・太陽の下で、他愛なく、白い歯を見せて笑ひさざめく彼女たちも、今はまるで光りそのもののやうに明るく透明であるにちがひない。これこそほんたうの青春の夏でなければならぬ。しかし、その溌剌とした明るい眸のなかにも、闇が隠されてゐるのだ。この闇がいつも彼女たちを輝かせ、微笑ませてゐるのだ・・・
 夏子の白熱する沈黙の中に、ふと死を見出し、感ずることは、何んといふ魅惑であらう。過剰な光りが、ひとを盲目にするやうに、それはまたすぐ死と隣り合ってゐるのかも知れぬ。激しいものの中にはいつも対立が隠されてゐる。
<ノート戦前-S19>
七月六日 
 田舎の静けさの中には 時間といふよりは持続がある。詩人の凝視と夢想を包んでくれる持続と薄明がある。その持続の中でのみ、詩は果実のやうに静かに熟してゆくのだ・・・
 雨が庭木を緑に煙らせながら、木の葉を叩くやうに降っている。そんな雨の庭をぼんやり眺め、雨の音を聞いていると、少年時代の怠惰な、─遊びを奪はれた少年の退屈な雨の日の静けさと憩ひとが、そのまま心に蘇ってくる・・・ つれづれなる倦怠は、年齢には関りなく、いつも静かな一種もの憂い虚しさと、しかも多少甘美な郷愁のやうな感情とを漂はしている。こんなひとときはまた未来の中に横たはっているにちがいなひ。こんな瞬間こそ、精神の睡眠であって、その故に醒めた夢なのだ・・・
 田舎の静けさを今度の隠栖ほど深く味はひ、その静かな時間を瞑想をもって埋めたことはない。空しい都会での彷徨を、今は空しく追想するばかりである。私の彷徨の時代も終わったらしい。いやもう終わらさねばならぬ。それにもう二度と都会へ出ない方が、私にはよいことにちがひない。ピレネエの山の中に引きこもったまま、殆んど巴里に出なかったフランシス・ジャムの聡明さを学ばねばならぬ。プルウストも、社交界より退いて後に、「失ひし時」を求め得たのであった。
東京での青春の浪費と彷徨を──失ひし時を、私も今こそ回復し、とりもどさねばならぬ。田舎で朽ち果てるなら、それは田舎のゆえではなく、自分の想像力の弱さにかかっている。自己を試みるにもかへって田舎はよき荒野であらう。空しい時間の浪費と、神経の消耗と──自己の分散よりは、どんなに倦怠の方が好ましく、自己の集中への道となることだらう。
 
 凝視の意味を教えてくれたのも倦怠であった。倦怠はいつか対象を捉へ、いつか見ることによって、「眼」によって怠惰ながらも推理を始め、見開いたまま、眼は白日の中で夢みはじめる。目前の対象はいつかそこに存在しない他の多くのものを隠しているやうに、眼に訴へかける。或ひは眼がそれら在らざるものを見るのだ。かうして倦怠は怠惰に創造をめぐらし始める・・・実際に視覚に映るものと、内部視覚ともいふべき映像とは、どのやうな関りにあるのであらうか。

<ノート戦前-S19>
六月七日(つづき)

夕方、再び野に出てみたら、今は太陽を背にして白い巻層雲の霞んでいる空に、アルプスがのびのびと憩ふているやうに見えた。朝の耀やかな偉容に比べると、今はまどろんでいるやうで、矛い光線の中に優しく横たはって見えた。
 夕ぐれの微風がさはやかに吹き、全身をゆあみするやうに、立っていると、殆んど恍惚を覚える。そよぐ麦の穂波の音、草葉の微かな音・・・しばらく陶然として微風に聴き、ゆあみしている・・・ あの伊太利の落日の中で、「生はよきかな!」と晩年の偉大な肯定の幸福に歓喜の声を挙げたニイチエを想はないではいられぬ。緑の風とこの酩酊!このやうな詩を書きたい。苦悩も絶望も忘却せしめ、大地の涯なさを夢みさせ、まるで「不可見」を皮膚の感覚に囁いてくれるやうな微風を創造しなければならぬ。しかし詩では、また苦悩や絶望が深く秘められていなければならぬ。詩では、爽快それ自体といふやうなもののみでは決して深い感動を喚起することができぬ。さはやかな微風でさへ、その対照をもたねば、詩の中を吹くわけにはゆかない。してみれば、この自然の微風のこの魅惑(?)──むしろ心地よさは、如何なる秘密の故に、かくもわれわれを感激させるのであらう・・・

<ノート戦前-S19>
六月七日 千曲河畔にて

今朝は、日本アルプスが西の空に、まるで一畝(ひとうね)の白百合と菫との群生のやうに、蒼穹高く、朝の太陽に耀いていた・・・ 不眠の朝の熱い眼に、それはそのまま天啓のやうに耀いていた。ふとギリシャの神殿を想ひ浮べた。天空高く聳えた山脈の厳粛さと壮麗とが、この地上の、人間の手に成った偉大な壮麗を連想させたのにちがひない。それにしても、人間の偉大な創造は美しく、脆うく、涯ないが、この神々の殆んど怠惰な建造物は不朽で、厳然と、時に霞んでは優しく聳えている。時には、この山脈も天空を憧憬れて、震えるやうなその峯々の指を空に伸ばしているやうに見える・・・ 雪の融けた紺碧の山膚はもう蒼穹の中に溶けこんで、白い雪のみが浮いて輝いている・・・
  知者楽水、 仁者楽山
野に摘んだ三色菫を手にしながら、河原でしばし山を楽み 水を楽む。
河畔には もう濃緑の白楊が「影の蝋燭」のやうに陽光の中に樹っている・・・

<ノート戦前-S19>
昭和十九年
五月七日 軽井沢沓掛の宿にて
永遠と時間、人間の偉大さと惨めさ、有限と無限・・・
これら両極のあひだを動揺することによって、わが日日は流れ去る。このやうなイデエたちが友のごとくわれに語りかける。不可見が可視的に身近かに感じられる。光りと闇がだんだん溶けてくる・・・しかしわれ自ら、わが内なる深淵に溺れはせぬか、それが怖ろしい。しかしまたその時には、翼が役立たう。そのやうな時には、わが深淵を天空に投げかへさう。

五月十一日
夜、暗たんとして強き風あり。宿を出でて、追分への道を彷徨す。嵐の夜の底より天空に叫べど、叫び声はただ風に運び去られ、死せる暗黒の天体(ほし)にひとり佇み立てるもののごとし。パスカルの「永遠の沈黙」を想へり。知性の疲れはて、黙する時、心臓が不安に戦くならむ。これは一個の心理学的問題たるべし。──暗黒の夜の天空の彼方になほ永遠の光彩を描き見るは精神の操作のみ。

*  *  *
昭和19年4月、『蝋人形』が解散したため、博光は信州に疎開して療養生活を始めた。この日記によって5月と8月に軽井沢に逗留していたことがわかった。清沢洌の「暗黒日記」に──昭和19年5月13日(土)鮎沢つゆ子さんの友人の詩人大島博光という人尋ね来たる。つゆ子さんが駅で逢ったのだという。詩の雑誌をやっていたが統合されて無職である。──と書いてある。博光が鮎沢露子と逢った理由が軽井沢啓明学園への就職に関わったことかと推測していたが、啓明学園とは関係ないようだ。軽井沢を逍遥していた博光が鮎沢露子と偶然会ったのか、別の理由があったのかは不明。
ちなみに、この日記には5月14日の記載が2回あるのに、5月13日の記載はない。清沢洌や鮎沢露子も出てこない。

・五月十四日
朝食後、宿を出でて、追分に向ひ散歩の道を辿る・・・

・五月十四日 快晴なれど風強し
浅間の全貌を望むべく、沓掛南部の野を逍遥す・・・

・六月七日 千曲河畔にて

・六月十日 若葉に漂ふ緑がかった黄昏の明るみの中に・・・

・七月六日 田舎の静けさの中には・・・

・八月十日 沓掛にて

・八月十二日 沓掛にて

・八月十三日 今朝、浅間が爆発した・・・

・八月十四日 沓掛にて

・八月二十九日 千曲河畔にて

・9月8日 千曲川畔にて

・9月9日 ヴァレリイの『海辺の墓場』を訳したり、キエルケゴールの『饗宴』を訳していながら、絶えずわが脳裏に去来するのは詩と詩人の場所の問題である。

・12月29日 遠き世界のひびき、神秘のひびきを獲得して・・・

・(ノート後部 日付なし)またすこし熱がでると共に、不吉な幻影に襲はれ・・・(友人だった画家酒井正と山鹿正純の死について)

・(ノート後部 日付なし)リルケに就いて

・(ノート前部 日付なし)今朝は風もないしづかな春の朝であった・・・

・(ノート前部 日付なし)春はまづ音からはじまる

・(ノート前部 訳詩)海べの墓地

<ノート戦前-S19>