静江の日記

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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


六月十八日 レコード・コンサート久しぶりに行く。
「森の歌」第二楽章の序奏のオーケストレーションとても美しい。第三楽章は、スラヴ的ペシミズムに充ち溢れ、とうとう涙を出してしまう。ボロジン以来のロシヤ的、余りにもロシヤ的な心の響き、それに対する第四楽章のあの何と云うかろやかさ、清らかさ、ここのコントラストが全曲の中で一番美しい。第五楽章、第七楽章は第四楽章のテーマ、第六楽章はシンコペーションがとても多い。フィナーレは教会の音楽の様にひびきあう和声のうちにこの栄光が終る。
 
ショスタコーヴィッチ「ヴァイオリン・コンチェルト」第一楽章、実に太い力に充ち溢れた線でヴァイオリンがうたう。これほど力にみちたヴァイオリンをきいたことがない。第二楽章、シンフォニー五番に似た曲想、リズムの強烈さはすばらしい。シロホン、タンバリンの音の効果、第三楽章はクラシックな──ブラームスの様なヴァイオリン独奏部が殆んど。その後の、シャコンヌの様な独奏部はすばらしい。現代的で。フィナーレはショスタコーヴィッチ特有の機知にとんだシンフォニー、実に大きなヴァイオリン協奏曲だと思った。
(静江1956年の日記)

森
四月三十日
 快晴。子供達は学校へ行く。秋しょうの姿を見ると、もうこんなに大きくなって・・・とつくづく思う。朝選挙をすませてきてから働きはじめる。村越さんのけやきも随分茂ってきてしまった。午前三千、午後五千、働く。大島が二度運搬してくれた。売り終わると、クタクタになって坐り込んでしまう程だった。夜十二時半頃、文学学校から彼が帰る。珍らしく夜のお帰りを迎へてペッティングをしたら、とんだ結末になってしまった。夜半より雨になる。

五月十日 晴 遠足の日
 朋光は日野からのハイキングへ喜んで出かけていった。昨夜、大島と吉祥寺へ行って、すばらしいリュック(659円)を買って来、水筒の皮も私が買ってやったので。中身はおすしとゆで卵を早々作ったのと、クリームキャラメル、ソフトチョコレート、ドロップ、のしいか、バナナ。夜になって大島が買ってきた夏みかん等々・・・秋光も同じものを買って用意しておいたのに昨夜から熱を出し、アスピリンを呑ませたが直らず、休んで寝ている。大島と桃子と、お散歩がてら学校へおことわりに行った。よい五月の天気で、金魚が皆浮いている。太って鮮やかな色。
ここ疲れと忙しさでちっとも日記をつけなかった。昨夜はコンサート。ブラームスのVソナタ第三番─スターン、とメンデルスゾーンのV協、チャイコフスキーの第五をききに行った。
V協が、実によく入ったヴァイオリンがなまの様に美しかった。──スターンの技巧をきいた。ブラームスはやはりよい。終って店へ出ると坊やと主人がブランコのところへ居たので、まあ、遠足なのに、どうして早く寝ないの、と言って急いで自転車に乗せて帰った。
今年の五月節句は失敗した。二日に市場に行って、まだ』早い様な気がして紫しょうぶも全然買わず、アイリスも二円パ位の小さいのを二口位買い、あと並物で、四千円程買ってきた。三日になって考えると、四日の仕入れには間に合わないので、三日又市場に行き、主にさやものと紫しょうぶを買う。

兎に角、ミッちゃん式に、これからは買いすぎない事が大切。

四月二十八日
 今日も疲れてクタクタ。鏡を見つけようと思って彼の引き出しをあけると、山口さんのラヴレターが入っていて、ふと見てしまったので彼が帰ってきたらひやかしてやろうと思ってニヤニヤしている。彼氏は今、バターを買いに駅の方へお散歩中。『三十五才の乙女が東京までのランデヴーに来たら、貴方どうするつもり?』と言うつもり。
今日も時々絵への欲望をそそられる。つまり自分の絵を見ていると、もっと重厚にしたいとか、もっとこう表現したいとか意欲が湧いてきている処へ、新川方面へ自転車をとばしている時、村越の栗林が、とても美しいので、何とか物にしたいと意気込んでしまった。芽ののびないうちに描かなくてわ──。
朋しょうも秋しょうも、明日休日なので何となくうれしそう。朋しょうさんは深大寺へアトリエの子たちと描きに行く予定。桃子、かわいい。随分背も伸びてきた。

四月二十九日
 午前に小熊さん、◯嬢ら角笛同人が来る。市場へ行くのでそそくさとあいさつして出かけてしまう。やはり大島にいい背広を作っておいてよかったなあと思う。帰ってから雨降りになり、体の具合がわるいのでベッドで寝る。夕方、多羅尾さんへおけいこ花をとどける。朋しょうは深大寺に写生に行ったが、雨にずぶぬれになって帰る。疲れたらしい。絵は描いてこない。
 一週間の短いパリ滞在でしたが、その間、数ヶ所の美術館や、中世のゴチックの寺院を見てまわりました。その間、一番感じた事は、婦人達が年令に関係なく、誇らかに働いていたことです。コンコルド広場のオランジェリー美術館に行きますと、切符売り場も貴重品預り所も各室の守衛も紺の背広を美しく着こなした五十才前後の婦人達で、堂々とした態度で任務についており、イヤリングなどして身をかざったこれも六十過ぎの婦人達が二人連れで絵を鑑賞しているその人達と、人間的に何の差もなく堂堂と立派でした。
 また、ベルサイユの駅の近くの小さなレストランに友達と寄ると、若い娘さんが目も回る程忙しい給仕の仕事に(一テーブルに五皿も運ばなければならないフランスの昼食)ふと見るとバーテンは六十才位の母親らしい人で、ビフテキもオムレツもポテトチップもこの人の手で作られ出てきます。こちらは落ち着いたもので、娘の上がっている分も落ち着いて私達の難解のフランス語を解ってくれて暖かくサービスしてくれました。
 シャンパーニュ地方のシャルルビルと云う街のレストランに寄った時も、レジも給仕も五十才位の婦人で、私達の目的のアルチュール・ランボオの生家、パリ・コミューンを歌った詩のことなどよく理解しており、博物館への行き方など親切に教えてくれました。
 シャルトルの聖堂の前では、レースの高帽をかぶったおばさん達が、その場でレース編みをしながら、手袋や花瓶敷などを売っていましたが、いかにも農家の主婦らしい赤ら顔のおばさん達で、これは又元気なものでした。こうした人達が、広大な土地に重い木靴に重い木の車や鋤をつかって耕し、収穫し、札を買って、その集積が、このシャルトルの聖堂となり、ステンドグラスの一つ一つに、教会の高いドームの石の一つ一つに先程からの血と労働が積み上げられたかの様に思えました。
 ベルサイユとフォンテンブローの宮殿を見た時、十七世紀から十八世紀へかけての王朝最盛期とその末期のらん熟しきったロココの芸術を見ると、感嘆の反面、あまりのけんらんさにかえって憎悪を感じ、中庭の石畳の石一つ一つに、搾取され、命をすりへらしていった農民達の遺恨の目を見る思いで、その上を遊ぶ雀たちがその頃と変わらず
 一方、ルーヴルを出て、チュールリー公園に行くと色鮮やかな花は美しいフランス庭園の花壇と噴水を囲むベンチに、老人達が新聞を読みふけり、或いは本に読みふけり、或いは二人つれだって語り合い、精神生活の豊かさを感じました。
 今迄娘によく「お母さんは120%も労働をしつづけてきたのだから五十を過ぎたら静かな生活に入って読書と創作の生活をしたら」と言われてきましたが、フランスに行った一番のお土産は、年齢に関りなく、何才までもその能力に応じた生産の場に加わり、労働し、勉強してゆこうと云う果しない希望でした。
<ノート下書き>

静江パリ
バルビゾン村で 1974年8月
四月二十六日「こんな絵を描いてゆきたい」
 今日はクタクタ。昨夜の疲れと今日の奮闘とで。朝、大島の背広が出来て来た。案外きれい。すぐに五千五百円払う。建具代の為、それから奮闘*、夕方三千五百円を払う。大島は夕方からお出かけ。明日稲玉君が行くのでせわしい。七時からグリーグのピアノ協奏曲をきく。書斎の大掃除が出来上がり、見違える様。大島と二人で、初めて住居らしくなって来たと言って笑い合う。三年前の春の私の絵*を書斎にかけて、いいなあと彼が言う。上の方はいいが下の方が稚拙で・・・と私が言う。
又、こんな絵を描いてゆきたい。二十九日に描きたいとも思う。今更、ひたすら芸術の中のみの純粋の追求も出来ないし、彼の書斎にかかげて、彼が楽しんでくれる絵が描けたら、それで私はいいとも思う。その方が、野心的な展覧会絵画より、どんなにいいかしれないとも思う。
オコちゃん食よく旺盛。

*建具代の為、それから奮闘・・・お得意さん回りをして花を売り、建具代を稼いだ。
「クヌギ林と家」だと思われる。

四月二十七日 「ゴロスケホーコー」
 入浴して気持よい。カーネーションのホルダーを巻く。サンサーンスのV協、いいなあと思った。朝、稲玉君がたつので、亀屋の餅菓子を買ってきてお茶にし、送り出してやる。ゴロスケホーコーだ、ゴロスケホーコーだ、と、大島がつぶやいている。(こんな時に、彼のペシミズムが首をもたげる。)三宅さんに稽古花持っていってから市場へ行く。ヒゲ(なでしこ)、デジー等安いがピーター、しょうぶは高い。みっちゃん*とも一緒になる。帰ってくると彼氏えらいご機げんがいい。おひるねして三時半から魚つる*のところへ行く。
朋みつは、お弁当を持って行って、学級委員だけの児童会があったとか。それから新川さんと二人だけで絵を描いて、又、帰りにこどものアトリエに寄ってきたので疲れたらしく、ピアノはごまかすったらしい。七時半頃私が帰ると眠いお眠い疲れた、と云うので一寸心配になってしまう。あと三月で満三年*になるから、丈夫で過ごせる様にと本当に祈ってやまない。
秋しょうと桃子はお父ちゃんとドンブに入った。

*みっちゃん・・・西荻窪在住の前橋高女同窓の加藤さん。静江から教わりながら花屋を始めた。朋光が神明中学に越境入学する時に便宜をはかってもらった。
*魚つる・・・静江は魚鶴という大きな鮮魚店の店先の一角を借りて花屋をしていた。
*あと三月で満三年・・・朋光が結核性脳膜炎で入院したのが昭和27年なので、この日記は昭和30年のものとわかる。
四月二十五日
午後建具が入り、玄関がきれいになる。夜、コンサートへ行く。風があるので主人は行かない。ショスタコービッチの第十番、第一楽章は、荘重で、夜明け前の重苦しさとものうさを感ずる主題。第二楽章は戦争のリズム、第三楽章はすばらしい。スケールの大きなアブストレの絵の中に居る様なうちに、社会主義建設の中へグイグイ引き込まれて行く感じ。実にすばらしい。すばらしいスケールだと思う。第四楽章は前半、管楽器が実に美しい。フォルテの部分も、力強い平和の足音、闘い、勝ちとった平和への歩みの一歩一歩と言った感じで、実にすばらしく聴けた。東響の時きいた耳ざわりの不協和音がちっとも感じられず、初めて総体的に聴いた感じ。
桃子はいくらか元気。秋しょう夕食後、一寸元気がない。昨夜のつかれが少々。
そのうそ ホント?
自己紹介特集 鷹の巣合宿より

❀ 推定 大島静江
求む声うるわしく才たけて みめうるわしく情あり──ここ迄はうわごと、ここからが自己紹介 家あり、ババなし、カーなし、ステレオあり、心身ともにがん強、人後におちない情熱家、れんあいけいけんなし?
追記 年 ねずみ 生地 上州前橋、利根の清流の彼方、エトナ(浅間山)のその又彼方、千曲川に釣り糸垂れしフォーヌ(牧獣)に恋をした為、虚弱の獏(夢を喰う獣)を背負う結果となり、生活の先頭にたって天衣無縫に生きている。今夢中になっていることは──
*りべるてがすばらしいハーモニーを創り出すことが出来る様に希うこと切なり 毎週の火曜日が楽しみやらハラハラやら。でも此頃は毎週期待以上の結果。仲間達と興奮した喜びの中、帰途につく。
*野鳥と高山植物を求めて二千米前後の山に登ること。
*スキー 春でも夏でも夢にまで見るウェーデルン
*音楽が聴きたくなって、ブラームスのP協NO1をかける。心をえぐるロマン─華麗さとペーソス。でもあまりに完全な十九世紀のエスプリにどこか飽き足らず、すぐバルトークやプロコフィエフなど聴きたくなる。
さて私はだれでしょう。

<「りべるて」第2号 (昭和48年7月)>
随想日記
四月二十四日
 結婚以来、日記をつけようつけよう思いながら、十年もつけずに過ごしてしまった。過去をとどめないわびしさを感じる。今日から、自分をとりもどしたつもりで、自分をしっかりつかんで行くつもりで、書いていこう。
昨日、4畳半にこたつが完成*したので、夜自分の時間が持てる様になった。さて、何をしようかしらとまどう。一つの方向を決めて、勉強して行きたい。とにかく今、ヴァイオリンもしたいが、柳田国男全集を読んで行こう。昨日、朋光にかけざんの表を作ってやった。「つまらない」と言って見つめられると、母と子の対決と言った感じで、心の中では貴い少年時代を最も楽しく過ごさせてやりたいと思いながら、時を急いて仕事に行ってしまわねばならず、一緒に過ごせる日曜日も持てないのを考えさせられてしまう。風が雨に変わって、魚つるの軒の下*でひまな時を、西の農家の大けやきのそよぎを見て過ごす。新緑のいぶきかけたおおけやき! 十七、八の頃、前橋公園の新緑に涙したものだったが、コローのモチーヴを思わせるような、プーサンの風物を思わせるような、雄大な、わかやぎかけたおおけやき。もろもろの新緑の樹々の上にそびえて。斜め向かいの選挙事務所を見てるとは現実がいやになり、けやきを見ては、もう暇だから、たまには早く引き上げて子供達と一緒の時を過ごしてやろうか、など思うのだが、ついお客が来ては六時近くまでとどまってしまった。稲玉君*の手伝いで大島の書斎が、すっかりきれいになった。早く建具が来てくれば、と話し合う。
午後出かける前、玄関ですきをみて、ペッティングをしたら、桃子が、見ていてお父ちゃんにとびつくのでおかしくなってしまった。
夕飯頃から、桃子も秋光も風邪気味で、元気なく、秋光はビスケットを抱いて寝てしまい桃子は何回と目をさまして泣く。この分では今晩私が熟睡出来そうもない。朋光と二人で机をかこんでこれを書いている。
じゅうしまつ*が、雄だけになってピイピイ鳴いている。二度目の奥さんも亡くしたじゅうしまつ。ここのところ不景気だけど、今のところ、大島の服仕立てと建具の目標で、かせぐつもり。五日は潮干狩りの予定。房州の岩崎海岸がよいと、大島が夕刊を見ながら言う。

*4畳半にこたつ・・・居間に堀こたつがあったが、できたのはこの日だとわかった。
*魚つるの軒の下・・・静江は下連雀の「魚鶴」という大きな魚屋の一角に場所を借りて花を売っていた。その後、向かい側に生花店を開いた。この昭和30年頃はまだ店を持っていなかったようだ。
*稲玉君・・・松代の親戚の人で、後に大島生花園で働く。
*ジュウシマツ・・・子供達が飼っていた。

二月二十六日
 今日は子供達の学芸会。朝ハチャトリアンの「ガイーヌ」をきく。大変らくな音楽、民族舞踊的要素が多く楽しいが、それ程音楽的に高いものと思へない。ヒンデミットの画家マチス」もあったが序をきいて、牛乳をとりにいき、学校へ届ける。九時に主人が出かけ、それから桃子の支度をし、秋しょうとお婆ちゃんは後から来る様に言って、桃子と行く。朋しょう、合奏で大太鼓を叩く。とても可愛いい。五年生の劇「イワンの馬鹿」では、女の子の群のスラヴ風の踊り。カチーフをかぶり長靴をはいて踊る。それがとても楽しかった。四年の歌の絵本も仲々よかった。お昼、秋しょうの室へ行く。秋しょうの絵も詩があるし、神保くんのすばらしいのに驚く。井上さんのも美しい。一体にのびのびしていて美しい。他の級へ行くと、空色一様の室、茶色の色調の組、細かい人形ばかり描いた組等あって、佐々木先生の指導の良さを今更認識する。おすしを食べて、午後の部を見る。秋しょうの「どんぐりと落葉」は仲々よかった。秋しょうもしっかりしているので今更驚いた。遊戯もうまいし、言葉もしっかりしていた。三年生の劇、滝沢君の女の子が傑作だった。いなばの白うさぎの稲岡君もなかなかよかった。女の子の朗読はすばらしかった。四年の舞踊「昭和の子ども」も美しく、初めて子供を つた学芸会を楽しんでしまった。夜、榊をつくりながら、プロコフィエフのヴァイオリン協一番をきく。余りいいので二度かけてしまった。とてもすきだ。大島はグーグーねていた。

<静江の日記>

秋光
近くの麦畑で油絵を描く豆画伯 秋光と見いる博光