シュルレアリスム

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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


 スウルレアリズムの精神
                      大島博光

 世界大戦は欧羅巴を文化的にも精神的にも破壊した、「戦争とは長い自転車の行列だ。」と云つたラディゲの同時代の青年たちは「欧羅巴の危機」を招いたまま過ぎ去つた大戦の大嵐の後に、信ずべき何ものもない、頼るべき何ものもない荒野のなかに残された。そこにはまさに不安と絶望と現實否定だけが残されたのである。既に大戦中にも大戦の文學的犠牲として、或は「虚無の犠牲」としてジャク・ヴァシェは鴉片を喫飲し、ピストルで自殺して行つた。「君はランボウがかつて存在したと信じられるか。──僕には信じられない。「アポリネエルなんかくたばれ。」「人生一切のこの芝居がかつた無用さ加減!」と絶望の西部戦線でわめきちらしたヴァシェはやがてロワァル港の荷揚人夫に変装して石炭運びをした。と思ふと午後はカフェーからカフェーヘと歩き廻はり、あるときは英国飛行将校の制服をつけてナントの街を歩いてゐるかと思ふと、こんどは騎兵の制服をつけ、或は軍医に化けたりして夜を過した。もはや、詩を書くことも考へることも無意味だつたのだ。絶望の極をたゞこんな神秘的なイロニイに託して、果ては鴉片を喫飲し、自殺して行つたのである。ヴァシェはまだダダイズムが発生しない前に、既にダダイストだつたのだ。──そしてこのヴァシェのエスプリはダダイズム、スウルレアリズムのひとつの究極的な共通精紳である。

 やがてダダがスウイスに誕生し、トリスタン・ツアラ、フランシス・ピカビア等が雑誌「ダダ」を発刊し、「ダダはダダでない。」といふあの破壊精神を以つて馬車馬の如く途上に横はる思想、言語、偶然、モラル、藝術、生命等の凡ゆるものに衝突し破壊して突進した。ダダは衝動的で示威的で、何ものをも信じなかつた。ひとつの終局に臨んだ人間の死にものぐるひな盲目的な抗議であるダダは、凡ゆる最後的手段をとつて、どこへ帰着するか知らうともしなかつた「ダダの帽子の中に見出された言葉」は混乱してゐたのだ。
 ダダがその絶頂にあつた一九一九年、アポリネエルが用ひ出した「スウルレアリズム」といふ言葉が、巴里のダダ・グループと考へられてゐたアラゴン、ブルトン、スウポオ等の間に通用し始めた。アポリネエルは初めかれの「ティレジアの乳房」に「スウルレアリズム」的戯曲といふ名称を付し、一種至高な詩的幻想を意味させようとした。一方、ブルトンやスウポオはスウルレアリズムといふ言葉によつて、ジエラルド・デウ・ネルヴァルが「超自然主義的」と形容した夢想状態に非常に近い実験的秩序の世界を指したのだ。既にその前より、ブルトンは医学研究とその詩的不安定によつて精神分析に到達してゐて、無意識の底から迸り出る聴覚的なイマアジュに驅られてゐたのだ。この無意識の底からのイマアジュは視覚的な影像を伴つて、理性の働かないエスプリの世界に現れて来た。ブルトンはやがてこの偶然的創造状態を表現し得ると言明し、それを「外部からの通路」、困難な最高段階への通牒」としてあの余儀ない文句のなかに披露したのだ。それは五年後に現れた「スウルレアリズム宣言」でブルトンが云つてゐるやうに、──「硝子に衝突した」文句、「窓によつて二つに割られた人間がゐる」である。これは一種催眠術的な、或は心霊現象的な世界の発見であつたのだ。故に、才能も理性も凡ゆる先入観念も除外して、たゞ「言葉とイマアジュの瀧」に身を委せ、凡ゆる論理的束縛からはなたれた自由な思考の中をこの「言葉とイマアジュの瀧」によつて引きづり廻はされることが必要であつた。表現方法としては、最も迅速に書くこと、即ち訂正することなく、繰り返へすことなく、「謄写すること」が必要であつた。かくて、スウルレアリズムは夢の状態に照應するエスプリの自動主義を指示し.表現法としても、自動的記述をとつたのである。

 ダダはスウルレアリズムの温床ではあつたが、一般に信じられてゐるやうに、スウルレアリズムはダダから出たといふより、ダダを利用したのである。たゞ侵掠的で錯乱せるダダに対して、スウルレアリズムはエスプリの価値の再検討に没頭し、ロオトレアモンとランボウによつて企てられた「人間解放」を詩的に続け、心理學と哲學とのなかにその道を探求し、生命に一つの意味を輿へようと熱中したのである。束縛なき行動によつて、凡ゆる俗悪な関係を破壊し、個我を本然の姿に還へさうと試みたのである。一九三二年のアメリカの前衛雑誌「ジス・クオタア」に掲げられた次のリストを見るなら.スウルレアリストが、如何なる意味を「スウルレアリスト」なる言葉によつて指示したか覗へるであらう。

「ヘラクリトスは弁証法に於けるスウルレアリストである。
 スウイフトは邪意に於けるスウルレアリストである。
 サデウはサディズムに於けるスウルレアリストである。
 ボオドレエルはモラルに於けるスウルレアリストである。
 ランボウは生命の實踐その他に於てスウルレアリストである。
 ユイスマンスはペツシミズムに於けるスウルレアリストである。
 ピカソはキウビズムに於けるスウルレアトストである。
 ヴァシェは自我に於けるスウルレアリストである。」

 この国で一般に理解されてゐるやうに、スウルレアリズムは決して現実からの逃避でも超越でもなく、現実の隠された深奥を探り、解放するのである。マルキ・デウ・サデウを再発見し.そこにセックスの解放を試み、ロオトレアモン、ランボウを再発見することによつて個我の解放を試み、後年に至つて、ルィ・アラゴンの如きは唯物論者スウルレアリストの名によつてコムニストとまでなつたのだ。スウルレアリズムの歴史から云へば、一九二二年以降「睡眠の時代」には入つたスウルレアリズムは、一九二四年に「スウルレアリスト革命」には入り、一九二七年には「革命に奉仕するスウルレアリズム」の時代には入り、政治的見解の対立によつてやがて分裂するに至つたほどである。この外観的なすい移でも分るやうに、戦後の激しい不安と絶望のひとつの文學現象としてスウルレアリズムは強烈な探求と破壊との精神に燃えて新しき季節の表現と建設に向つたのである。その出発に、「われれれは反逆に於て如何なる先人にも劣るものではない。」といふ近代の反逆精神はまたスウルレアリストたちの旗であつた。かれらの苛烈なエスプリと行動性とを物語る次のやうなアネクドオトがある。

 どこかモンパルナスのあたりに「マルドロオルの歌」と名付けた酒場があつた。「マルドロオルの歌」とはロオトレアモン──スウルレアリストたちの怖るべき先人ロオトレアモンの作品の名前である。酒場の経営者はその上「マルドロオルの歌」を象徴する鉄の鎖にしばられた腕を酒場の狭い入口の上に掲げたのである。スウルレアリストたちは、ロオトレアモンを冒涜するも余りあるとて、その撒廃を忠言したのである。しかし、経営者は依然として名前も「鎖につながれた腕」も撤廃しなかつた。と一夜、酒場に仮装舞踏会が催されることになつた。それを聞き及んだブルトン、エリュアル等のスウルレアリストたちは「マルドロオルの歌」に乗り込んで椅子を投げとばしたり凡ゆる乱暴を働いて舞踏会をぶちこはした。勿論、彼等も傷ついて、血だらけになつて狭い「マルドロオルの歌」の入口から出て来た。外には警官が集つてゐたが.入口が狭いし、中では大勢入り乱れて椅子を振り廻してゐるのでは入れなかつたのだ。スウルレアリストたちは警察に引つ張られたが、彼等の「怖るべき先人」に対する崇敬を解した警察はすぐ彼等を釈放し、酒場「マルドロオルの歌」も消えたといふのである。このほかにも、コクトオの「ひとの聲」の上演をぶちこはすために、エリュアルは劇場のなかに数匹の蛇を放つたりした。或は、ランボウの記念像が再建される時にも、スウルレアリストたちは、ランボウの反逆精神のためにその再建に抗議したりしたのだ。
 かういふスウルレアリストの爆発、反逆は戦後モダニズム文學の精神としてもつと評価されていいであらう。この国一般に於けるモダニズム文學、その精神の誤解と認識不足は、結局戦後の若き世代の不安と絶望と、それからの反逆の精神を理解しないところにあると云はねばならぬ。
 新しき季節は、新しき季節の精神と表現とを必然とす。
(『蝋人形』昭和10年6月)

顔
『フランス近代詩の方向』(山雅房 昭和十六年三月発行)

<目次>
エスプリ・ヌウボオの道
プレ・ダダイスト
ダダ地方
ダダの終焉とその足跡
シュルレアリスムの四つ角へ
シュルレアリスムの地下道
詩の摂理
影像について
詩人の使命
詩人とその時代
言葉について
霊感について
詩と詩人について
幸福の思想
ロオトレアモン
ラムボオに就いて

<冒頭部分抜粋>
エスプリ・ヌウボオの道
 エスプリ・ヌウボオという言葉も、今日ではもう時間の浸食作用を受けて多少季節はづれに聞える。第一次世界大戦が破壊したモラルの廃墟と、その後の混乱の中に、当時の青年たちが絶望的に放火したエスプリ・ヌウボオは、もはや文学史の中に後退してゐるのだらうか?・・・

プレ・ダダイスト
 サルモン、ジャコブ、アポリネエル等がその幻想的なもの、滑稽なものを豊かに汲みとった涸れざる泉がある──その名はアルフレッド・ジャリイと呼ばれる。このジャリイの泉はジャック・ヴァシエ、マルセル・デュシャンと共にやがてシュウルレアリスムの根を浸してゐる。・・・

ダダ地方
 輝かしきユモリスト、アルフレッド・ジャリイの自転車の輪の跡をたどり、ダダがまだ存在しなかったときに、既にダダであったヴァシエの否定の鴉片パイプを見たわれわれは、二十世紀初頭のもった偉大なスキャンダルの前にゐる──ダダは世界大戦の中に生まれ、その翌日に腕白な少年になった。・・・

ダダの終焉とその足跡
 ガボオ館に開かれたダダ演奏会(フェスティヴァル)はダダイストたちの間に不吉な印象を残した。それは民衆の憤激によるよりも、ダダイストたちが宿命的に辿ってゐた終焉の暗鬱な意識がみんなの間にひろがったからである。・・・

シュルレアリスムの四つ角へ
 ダダの嵐と怒涛のなかを通過したわれわれは、多くの流れの合流点であるシュルレアリスムの四つ角へむかって行く──われわれは、「風を穿いた足」でその四つ角へ通ずる多くの道を夢遊病者のごとくさ迷ひ、その多くの流れを下り、或ひは遡らなければならない。・・・

シュルレアリスムの地下道
 われわれは、何らかの領域においてシュルレアリストであった過去の多くの偉大な名前を列挙したが、──そして列挙することによって「シュルレアリスト」といふ限定づけの意味を暗示したが、それはすべての時代と場所における人間意識──あるひは人間精神の暗い共通性と共同性に与へられた一系列の同名であった。・・・

詩の摂理
 シュルレアリスムの機関誌 La Revolution Surrealiste は一九三〇年までつづけられたが、それは初期の重要な役割りを果した。もしシュルレアリスムが多少の失敗と多少の矛盾にも拘らず、なほ詩に長足の進歩をしるしたと考へるならば、シュルレアリスムが言葉と影像を解放し、詩の領域と形式を開放したといふだけではまだ充分ではない。・・・

影像について
 「シュルレアリスムと呼ばれる悪徳は、驚かせるやうな影像(イマアジュ)を不規則に情熱的に使用することである。あるひはむしろ影像を影像それ自体として何らの制限なしに喚びおこすことである」とかってルイ・アラゴンは「巴里の農夫」のなかに書いている。・・・

詩人の使命
 ノヴァリスは「詩人は牧師であり、牧師は詩人でなければならぬ」と語り、また「詩人は見者であり、預言者でなければならぬ」ラムボオは語っている。これらの言葉はマラルメが次のやうに語った意味においていっさう意味ぶかいのである。・・・

詩人とその時代
 いつの時代でも、社会の大きな動きが現はれると、街頭にたってゐる詩人も、象牙の塔に籠ってゐる詩人も、何らかの態度をとるやうに考へさせられるのである。あるときは、既に詩人がその社会の動きに先駆してゐる場合もあるだらうし、また動きの外に立ってゐる場合もあるだらう。・・・

言葉について
 天の火を盗んだ詩人の精神活動は世界を捉えようとし、ひそかに世界創造を企てるのはいふまでもなく言葉によるのである・・・と私は前に書いたことがある。ここではこの言葉といふものをとほして詩の本質を探ってみよう。・・・

霊感について
 詩人がその精神活動において、一つの対象に形態を与へ、一つの世界を創造する方法、或るひは態度の内部状態を、ここでは霊感と名づけて、霊感についての考察を進めてみよう。したがって、それは人間の詩的能力について問ふことであり、詩人の発声法に触れることである。・・・

詩と詩人について 
 詩人は生の頂点に立ちまた深淵に立ってゐる。そこは他のあらゆる生物の場所と同じやうに何らか出来事の流れのなかにある。ただそこでは外部と内部はあの嫉妬ぶかい国境をはさんで相剋し、やがてはその国境は失はれるだらう。・・・

幸福の思想
 もう久しいあひだ、われわれの世代は幸福の思想を見失ひ、幸福の概念と幸福の状態とその位置とについて殆んど忘却と無関心を示してゐる。さらに幸福への無意識的な願望さへも歪曲され、窒息させられてゐる。・・・

ロオトレアモン
 ロオトレアモンはラムボオと並んで十九世紀の最も反逆的な「恐るべき子供(アンファン・テリブル)」の一人である。詩の状態は保存された少年時代に相通ずるものであり、偉大な詩人とは年老へる子供である。・・・

ラムボオに就いて
 ヴェルレエヌも「地獄の季節」を「神秘的な自叙伝」と言ってゐるやうにラムボオのあらゆる詩、あらゆる散文はメカニイクな告白であり、彼の生活の変形である──といふよりむしろ、ラムボオの行動、思想、感情の延長であり、完成であり、環境やひとびとに対するラムボオの知性と感性とあの不屈な意志とやむにやまれぬ本能との反作用から生れた宿命的所産である。・・・