ケン・サロ=ウィワ

ここでは、「ケン・サロ=ウィワ」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


緑のデルタ

以前見たナイジェリアの石油汚染を扱ったドキュメンタリーが「奪われた緑のデルタ〜ナイジェリア 少数民族の闘い〜」とわかり、その録画ビデオを見ることが出来ました。
映像を通して、ナイジェリアの軍事政権とシェル石油による住民抑圧と、これに対する住民の闘いがよくわかりました。
シェルの石油漏出事故により広い土地が無残に荒廃したままにされていた。解決を求める住民の運動は軍隊が出動して押さえつけられた。これに対してケン・サロ=ウィワが「オゴニ民族生存運動」を組織して、大衆的な運動をすすめた。1993年1月のオゴニ・デーを歌と踊りの空前の大デモンストレーションで成功させ、運動は大きく前進した。ところが軍事政権は何者か使って再三に渡りオゴニの村を焼き打ちにし、村民を虐殺させた。さらにオゴニの長老が殺される事件をでっち上げてケン・サロ=ウィワと8人の指導者を無実の罪で軍事裁判にかけた。1995.11月、国際的非難のなかで8人の活動家とともに彼を処刑してしまった。
ナイジェリアの

 軍事政権により1995年に殺されたケン・サロ=ウィワ著の『ナイジェリアの獄中から』が日本語訳で出版されていました。彼の作家としての特質を友人で作家のボイドが序文に書いています。
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 ケンは出版人だったばかりでなく、雑貨輸入を手がけるビジネスマンでもあった。さらに、著名な政治ジャーナリストであり、その歯に衣着せぬ辛辣な批判姿勢には定評があった。そして、やがて私が知ることになるように、小説、演劇、詩、児童文学などの多方面にわたる著作を生み出す多作な作家であり、そのほとんどを自分の出版社から刊行している出版人でもある。ケン・サロ=ウィワは作家としてめざましい成功を収めてもいる。ケン・サロ=ウィワ作およびプロデュースのテレビドラマ『バシとその仲間たち』は、一九八〇年代中ごろナイジェリアでもっとも人気を博したもので、一五〇回を数える長寿番組となった。アフリカでもっとも視聴率の高かったソープオペラで、三〇〇〇万人もの人々がテレビのまえにかじりついたと言われている。バシとその友人たちは首都レゴスの下町の気の小さいチンピラで、金もなくぶらぶらしているくせに、いつもバカげた儲け話に夢中になっている。観客を笑わせ、人物描写は辛辣でありながら、と同時にあからさまなほど教育的なドラマである。バシたちの欠点はそのままナイジェリアの欠点でもある。つまり、だれもがきちんと働いて自分の暮らしを支えることがいやで、世間に食べさせてもらって当然と考えている。正しいやり方でやっても生活できないのだから、きたない手を使ってもいっこうにかまわない。そういう意味で、このテレビドラマはソープオペラの形を借りた国民教育劇なのだ。

 ケンはおどろくほど多彩な書き手で、作品はあらゆるジャンルにわたっている。最初の小説『ソザボーイ』は一番の傑作だと私は思う。「崩れた英語で書かれた小説」という副題のついたこの作品では、かつての英領西アフリカのリンガ・フランカであるピジン英語が駆使されているかと思えば、そこここに見られる言い回しはびっくりするほど典雅で抒情豊かな英語である。この言語こそが強固な民衆文芸の世界を作り上げている。それは植民地支配者の言語である英語の良質のハイジャックであり、それゆえ語られる物語にもっともふさわしい言語となっている。ナイジェリアの内乱のさなか、何もわからない村の少年がただ誘われるままビアフラ軍に加わっていく物語である。主人公の少年はソザ兵士(ソザは「ソルジャー」の訛)になることにあこがれていた。だが、このナイジェリアの内戦の過酷な現実を目の当たりにして喪失と幻滅を感じる。それは少年の精神を幻惑し、分裂させてやまない深い絶望である。こうした意味で、『ソザボーイ』はただたんにすぐれたアフリカ文学の作品というばかりなく、反戦小説の傑作でもある。二〇世紀屈指の傑作だと断言していい。

 ケンの倫理的潔癖さは、とりわけ彼の筆になる痛烈な政治批判を読めばわかる(彼は長年にわたって『パンチ』、『ヴアンガード』、『デイリー・タイムズ』といったレゴスの日刊紙にコラムを書いていた)。その大半はまるでスウィフトばりの非難をナイジェリアの生活全般に見られる根絶しがたい悪弊にぶつけたものである。民族間の対立、少数民族の基本的人権の無視、社会に蔓延する物質至上主義、国民に奉仕することなど考えもせず、ひたすら賄賂を要求する役人たち。『バシとその仲間たち』とはべつの意味で、こうしたジャーナリスティックな文章によってケンはナイジェリア国民大衆の尊敬を集めていた。
(『ナイジェリアの獄中から』─「序文─作家ケン・サロ=ウィワの死を悼む」ウイリアム・ボイド)
 竹田茂夫氏が東京新聞「本音のコラム」で、東電の原発を論じながら、巨大企業による構造的暴力の例として「ニジェール河デルタ地帯で原油生産への抵抗を排除するために軍事政権に残虐な住民抑圧をやらせたシェル石油」を挙げていた(2012.4.19 朝刊)。これを読んで、20年以上前に放映された英BBC制作のドキュメンタリー「緑の三角地帯」(NHK深夜番組)を思い出した。ナイジェリアの美しいデルタ地帯をシェル石油による環境汚染から守り、住民の自治と権利を獲得するために先頭に立って闘った指導者をとりあげたもので、運動の発展を追いながら、詩人・作家でもあった彼の「緑の三角地帯」の春をねがう美しい詩を流していた。ところが軍事政権は殺人教唆の罪をでっちあげて彼を逮捕し、国際的な非難の中で8人の指導者とともに処刑してしまった。

 彼のことを知りたい、ドキュメンタリー「緑の三角地帯」を見たいと思っていたが、昔の番組なので手がかりは得られなかった。今回ネットで調べたら、ケン・サロ=ウィワという人で、成功した実業家、著名な小説家、テレビプロデューサーで、リバーズ州政府の教育長にもなったという。処刑される前にだされた「ケン・サロ=ウィワの最後の声明」が日本語訳でウイキソースに掲載されていた。シェルと軍事政権を断罪し、人々に立ち上がるように格調たかく呼びかけている。

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ケン・サロ=ウィワの最後の声明

主よ、
私は我々が歴史の前に立っていると宣言する。私は平和と思想の人である。豊かに資産を贈与された土地に住みながら、政治的な周辺化と経済的絞殺によって苦しめられ、究極的な我らの遺産である、土地の荒廃に怒り、生命と尊厳のある生活の権利を護ることを願う、我が民族の屈辱的な貧困に愕然として、この国全体に誰でもあらゆる民族集団を保護して、我々に人間の文明に対するすべての有効な要求をする、公正な民主主義制度を案内する決心で、私は私の知識と物質的な資産、まさに私の人生を、恐喝や脅迫を受けることのない全幅の信頼を置く目標に注ぎ込んだ。私は私と私と信念を同じくする者が我らの旅路で苦難の連続に見舞われようと、全てにおいて私の目標の究極的な成就に疑いを持たない。投獄や死も我らの究極の勝利を止めることはできない。
私は我々が歴史の前に立っていると繰り返す。私と私の仲間だけが法廷に立つ者ではない。法律顧問により警戒依頼を出していたと言われるシェルはここで裁かれる。実際にはこの企業はこの特別法廷を回避しているが、その日は必ず来てここでの教訓が生かされることだろう。この企業がデルタで行った生態への戦争が、この後すぐさま尋問を受け、その戦争の犯罪が正しく罰されることに私の心において疑念が全くない。また、オゴニの人々へのこの企業による汚い戦争の犯罪も罰せられるだろう。
ナイジェリアの国家とこれまでの支配者及びそれを支えた者もここで裁かれる。私は不正に抗議することや軍事政権に期待する者と議論をすることから逃げ隠れる者ではない。軍は単独で行動した訳ではない。軍は、男であれ女であれ皆自分の尿で汚れた彼らのズボンを洗うことができないくらい恐れながら、ただ自らの義務を果たしただけという主張に隠れている政治家、弁護士、裁判官、学者、実業家の群れに支持されている。
おお主よ、私たちが私たちの行為で我が国を中傷して、私たちの子供の未来を危難にさらしたので、我々は皆法廷に立つだろう。不正に加わり、ダブルスタンダードを受け入れ、横たわってあからさまに不正行為をし、不公平と圧迫を保護するならば、我々は、我々の教室を空にし、病院を堕落させ、自分達を、真理を追求し、正義、自由、きつい仕事を名誉とするより高い基準に加わる人々の奴隷にするだろう。私は、この光景がまだ生まれていない世代によって繰り返されると予言する。ある者は既に悪役を自身に割り当てており、またある者は悲劇の犠牲者であり、ある者にはまだ自身を購う機会がある。選択は各々の個人のためである。
私は、ニジェールデルタの難題の大詰めがすぐに来る、と予言する。課題はこの裁判で設定されている。私が望んだ平和的な方法が普及するかどうかは、待っている公衆へと合図を送る、抑圧者の判断に依存している。
私がここで直面している偽りの告訴について私は知らず、全信念をもって、オゴニの人々、ニジェールデルタの民族たち、ナイジェリアの全ての抑圧された少数民族に畏れなく平和的に彼らの権利のために今立ち上がるように呼びかける。歴史は彼らの側にある。神は彼らの側にいる。聖クルアーンの42章相談の41節に「抑圧されて戦う者に罪はないが、アッラーは抑圧者を罰せられる。」とある。その日がくる。
(ウイキソース「ケン・サロ=ウィワの最後の声明」