FC2ブログ

チリのアルピジェラ Chilean arpillera

ここでは、「チリのアルピジェラ Chilean arpillera」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


アルピジェラ

展示
展示
展示
展示
展示
手提げバッグ

竹松恵里さん(うたごえ喫茶の応援でピアノ伴奏)が珍しい布製の手提げバッグを見せて下さいました。

手提げバッグ

ペルーのお土産ですが、チリのアルピジェラとそっくりなのびっくり!

手提げ

太陽と山、家がよく似ています。草も似ていました。いつ誰が作ったのかは不明ですが、アルピジェラの影響をうけたものと考えられます。



信毎

午前中から「信毎を見ました」見学者があり、14名がきてくれました。新聞を見て初めて「アルピジェラ」を知った人が6割。大島博光、大島博光記念館を知らなかった人が6名いました。「驚いた、知らなかった、感動した、想像したものと違ってきれいだった、もっと多くの人に見てもらいたい」。
石関さんからも「見たよいいね、狼煙にも転載しよう」と電話。朝から夕方まで、記念館とアルピジェラの説明を繰り返したので疲れましたが、信毎「斜面」の威力におどろきました。

小林

信毎
信濃毎日新聞文化欄に、企画展「軍政下 チリの女性たちの暮らしと闘い」の詳しい紹介記事が掲載されました。


アルピジェラ講演会
仙台とさいたま市からお越しいただきました。
アルピジェラ講演会
酒井さんは「展覧会『記憶風景を縫うーアルピジェラと災禍の表現』をふりかえって」
と題してアルピジェラの歴史をくわしく解説。
アルピジェラ
昨年仙台、京都、長崎で行った展覧会の様子を紹介。
アルピジェラ
アルピジェラ講演会
アルピジェラ講演会
高橋さんは「3本の映画を通して見た今日のチリ」
アルピジェラ
「ナチュラル・ウーマン」「ザ・クラブ」「NO」3本の映画を紹介しながら
今のチリの状況をリアルに解説し、たいへん勉強になりました。
アルピジェラ講演会
アカデミー賞をとった「ナチュラル・ウーマン」はLGBTがテーマ、
チリでは運動も盛り上がり、大問題になっています。
ノー
ピノチェトを退陣に追い込んだNOの勝利、そこで使われた広告とマーケティングの手法
ノー
ノー

ペンギン
一方で大規模な大衆運動があり、若い人たちが大勢参加していることが注目される。
アルピジェラ講演会
会場からは講演に応えて熱い発言が。
アルピジェラ
労作「記憶風景を縫う」のカタログなどを販売、たくさん買っていただきました。
アルピジェラ講演会
アルピジェラ講演会
交流会では酒井さんが見学してきた松代地下壕が大きな話題となりました。
MCTSAのデモ
MCTSAのデモ:拷問を終わらせよう 作者不明 1990年頃

軍による拷問がひろく行われ、サンチアゴ市内には拷問の館が160ヶ所以上にのぼりました。
MCTSAとは Movimiento Contra la Tortura Sebastián Acevedo (セバスティアン・アセベド拷問反対運動)の略。1983年、セバスティアン・アセベドは二人の子どもが当局に連れ去られた数日後に聖堂の前で焼身自殺をはかります。その後、彼の名前をとって人権侵害反対の街頭運動組織が作られました。
MCTSAのデモは軍事政権による弾圧体制をかいくぐって行われた電撃デモだった、と高橋正明氏が書いています。<高橋正明氏facebbk

失業に立ち向かう
「失業に立ち向かう Protesting unemployment」作者不明 1990年ごろ

【カテゴリー】政治行動。工場(FABRICA)の赤い扉は閉鎖され、その前で人々がビラをまいて訴えています。
軍政下ピノチェトが導入した新自由主義経済により多くの工場が倒産し、失業が深刻な問題になりました。自治体の失業対策事業は月額2〜3,000円という低賃金で道路の補修や公園の整備などをしました。
失業問題はアルピジェラの一大テーマで、たくさんの作品が作られています。「ポブラシオンのPOJH(失業対策プログラム)」「車の窓ふき」「失業者対策プログラム(POJH)の道路工事


市民新聞


来る9月9日に行われる講演会について長野市民新聞で報じられました。

なお、酒井朋子さんの講演は<展覧会「記憶風景を縫うーアルピジェラと災禍の表現」をふりかえって>というタイトルで、昨年5月から9月にかけて仙台、京都、長崎で開催された展覧会についてです。
また、高橋正明さんの講演「最近のチリの政治的・文化的状況」の最終的なタイトルは「3本の映画を通して見た今日のチリ」となりました。この数年、チリの映画が次々と公開されて注目されていますが、どの映画でどんな問題なのか、興味がひかれます。


救急診療所
「救急診療所」 作者不明 1990年ごろ

「ポブラシオンの日常」を描いた作品。ポブラシオンの人々にとってなくてはならない救急診療所。地域の医師や医学生がボランティアで運営していたのでしょう。アンデスの山並みの上に太陽が輝いているのが普通なのですが、この作品ではなぜかありません。電線も柵もありません。

ナタリア
カナダのクイーンズ大学でアルピジェラを研究しているナタリアさん(Nathalia S. Ocasio)が見学に見えました。

ナタリア
当記念館にアルピジェラが所蔵されている経緯や、見学者がどのくらいの数か、どんな感想を述べているか、などを聞かれました。水糸さんが英語の通訳をされました。

ナタリア
すべての作品に熱心に目を通して、「きれいに保存されていますね」

ナタリア
ナタリア
ナタリア
最後にレストランはなやで博光の詩を聞いていただきました。

[カナダから見に来ました Nathalia came to see arpilleras from Canada]の続きを読む
共同ナベ
「共同なべ」'Soup Kitchen'  作者不明 1990年ころ'

このアルピジェーラには太陽がありません。コレクションの中で、太陽が描かれていない作品はどれほどの比率なのでしょうか。また、この作品には電線が見えません。これもどれほど特徴的なのか。しっかり描かれているのが、家を囲む板塀(柵)です。これもポブラシオンにお馴染みの光景です。ポブラシオンの人々は自分の地所を獲得すると塀で囲みます。最初は粗末な板きれですが、資力がついていくと鉄柵に代えていきます。(解説 高橋正明氏 )

*コレクションを調べましたら、アンデス山脈が描いてある76点のうち、20点26%に太陽がありませんでした。また、ポブラシオンの家を描いているのが63点で、うち電線がある(盗電)が18点29%、柵があるのが26点41%でした。盗電を描いているのは意外とが少なく、柵がかなり多いことがわかりました。

共同なべ2
「共同なべ」'Soup Kitchen'  作者不明 1990年ころ

軍政末期ということで、明るい雰囲気が感じられます。
共同なべはポブラシオンの地域で仕事も食料もない人びとの互助組織として始まり、広がりました。ハルディ氏の調査では組織数201、活動家4,191名、受益者24,131名に上るとされています。(高橋正明著『チリ 嵐にざわめく民衆の木よ』大月書店)
共同なべのグループは軍政が終わるとともに消えていきます。

窓の外を見つめる

「窓の外を見つめる女性」(チェックのカーテン)Desde la ventana 作者不明(AFDD)  1990年


強い意志を秘めた表情の女性。何を見、何を言おうとしているのでしょうか?
胸につけているのは行方不明になった家族の写真ですから、家族を奪った者への怒りと告発をこめているのは間違いありません。

展示会

企画展「アルピジェラ─軍政下、チリの女性たちの暮らしと闘い」が始まりました。

展示会
展示会
展示

酒井朋子先生からのメッセージ

展示

Conflict Textiles(Roberta Bacicさん)から寄贈された2作品:
「路上販売業者に対する抑圧」(1985年)(上)と「反テロリズム法に反対」(2015年)

展示会
展示会
展示会

松本協立病院の皆さんが熱心に見て下さいました。

展示会

ロンケン
「ロンケンの死者たち」Paula Torre 1990年ごろ

ロンケンという町で石灰焼成炉の中に生き埋めにされた15人の遺体が見つかり、ブランカ・ペレスさんは遺体全部を見てアルピジェラ「ロンケン 死者たちはここに眠る」を制作しました。この「ロンケンの死者たち」では人々がお供え物でしょうか、箱をかかえてお参りしています。

*ロンケンの焼成炉について
一人の小作農が連帯ビカリアに駆け込んだことがきっかけとなり、サンティアゴから南南西に約30km、ロンケンの石灰鉱山跡地にのこる焼成炉の中から、1978年11月30日に遺骸が見つかった。1973年10月7日にイスラ・デ・マイポの町で逮捕された17歳から51歳の15名の行方不明者たちだった。15名のうち最後の遺体が家族に引き渡されたのは、実に逮捕から43年後の2016年1月のことである。(図録『記憶風景を縫う―チリのアルピジェラと災禍の表現』)