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訪問記

ここでは、「訪問記」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


5月に記念館を訪れた畑田重夫さん(民主長野県人会会長)がこの旅行について『平和運動』に書かれましたので、紹介します。

民主長野県人会「ふるさと信州へのバス旅行」

連載エッセイ 私と平和委員会 (22) 畑田重夫

 「戦争する国」へとひたすら暴走を続ける安倍政権!「安倍9条改憲ノー!」の3000万署名やヒバクシャ国際署名運動が続くなか、そして安倍政権に退陣を迫る市民と野党の奮闘が日に日に勢いを増しつつあるいま、たたかいの合間の寸時を活用して、また次のたたかいへのエネルギーを蓄えるといえばあまりにも格好がよすぎるだろうか。まさにそんな形での旅─民主長野県人会恒例の「ふるさと信州へのバス旅行」(1泊2日)を楽しんだ。
 「民主長野県人会とは、長野県出身者で東京を中心とする首都圏に在住する民主主義を求める人々によって構成されている団体である。ちなみに、何れも故人だが、初代会長は東大教授でマルクス主義経済学者の横山正彦、二代目が弁護士・衆議院議員青柳盛雄、そして三代目の現在が不肖畑田重夫である。
 長野県といえば、戦前・戦中の農民闘争や「教員赤化事件」などに代表されるように民主的な諸運動がさかんだった県である。山宣こと山本宣治や高倉テル関係の記念碑、戦没者画学生たちの遺品を展示する無言館、いわさきちひろや平塚らいてうゆかりの施設、満蒙開拓団に関する記念館など、全国各地から観光バスで多くの人びとが訪れる施設が数多く存在する。海こそないが、山あり、川ありの魅力いっぱいの県である。
 県人会としては、毎年秋の紅葉の時季に1泊2日のバス旅行を楽しんでいる。今年に限っては、秋ではなくて春というか初夏の時季に実施したわけだが、実はこれも昨年安倍内閣がいわれもない衆院解散を断行して2月に総選挙があったためにやむなく延期を余儀なくされたためであった。しかし、考え方によっては、紅葉の時季もよいが、新緑の時季というか、初夏の信州もよいものだと思えるほど、好天にめぐまれた2日間の旅であった。

  まずは大島博光記念館へ

 朝8時15分に東京は新宿を出発。昼ごろ松代町にある大島博光記念館に到着。大島博光といっても、若い人たちにはほとんど知られていないのではないだろうか。ひろみつが正式な名称だが、はっこうという呼称で知られている有名な詩人であり、フランス文学者(1910~2006)である。
 同館は、大島博光関係の詩をはじめとするさまざまな遺品が展示されているが、それのみならず同館は地域の多面的な文化活動の拠点としても活用されている。   
 老生などのように戦後平和運動をはじめ民主的諸活動にたずさわった者にとっては、大島博光といえば何といってもフランスの抵抗詩人ルイ・アラゴンの「フランスの起床ラッパ』をはじめとするレジスタンスの詩の翻訳者・紹介者としての大島博光の名が浮かんでくる。
 なかでも忘れることができないのは、「ストラスブール大学の歌」のなかの一節、「教えるとは希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に刻むこと」である。老生も、往年、しばしば大衆的学習教育運動や平和運動のなかで、若い人たちにこのフレーズを紹介したものである。記念館の隣には、「はなや」というそばのおいしい食堂もあり、美しい花壇のある庭ともども訪れる者の心をいやしてくれる空間である。
 個人的なことだが、いまこの記念館の管理・運営の実務の中心に座っているのが、小林園子さんといって、若いころからみんなにそのちゃん、そのちゃんといって親しまれていた女性である。そのそのちゃんのみならず、長野市内外に居住している昔の青年活動家たち約10人が老生を歓迎してくれて、記念館の一室を借りてしばしの歓談を楽しむことができたのが、大きなよろこびであり、感動であった。
 アラゴンの詩ではないが、若いころによく学び、「誠実を胸に刻んだ」彼らが、安倍首相とは真逆に、いついつまでも節を曲げることなく誠実にたたかい続けている姿をみるのは、まさに教師冥利につきるといったところであった。

  大本営跡の地下壕と上野誠版画館

 大島博光記念館をあとにして、次は松代大本営跡の見学。これも小林園子さんの案内をうけることができた。老生にとって、大本営跡の見学は3度目だが、地下壕が公開されてからは初めてなので、みんなと同じようにへルメットをかぶって地下壕へ入った。三つあるなかでもっとも大きな象山地下壕だが、全体で5000メートルあるなかの500メートルまでが公開されている。われわれ一行は、500メートルを歩き通したが、さすがに歩行ままならぬ老生は、400メートル地点の寸前で脱落、壕のなかの大きな岩石に腰をおろして休息。一行が帰ってくるのを待った。
 この地下壕を掘るうえで多数の朝鮮人が対り出され、多くの犠牲者を出したという史実も学んだ。天皇・皇后および大本営そのものを松代へ移すべく、短期間で突貫工事をおこなったわけだが、太平洋戦争末期の本土決戦に備えて、その時間かせぎに沖縄戦で多くの沖縄県民が犠牲にされたという悲劇も生々しく想起されたのであった。
 ちょうどわれわれ一行と入れ替わりに、大阪は寝屋川の中学3年生たちが、修学旅行ということでこの地下壕に到着した。あの若々しい生徒たちが、日本が行なった戦争について、加害、被害の両面から総合的にしっかり と学びとってくれて、核兵器も米軍の基地もなく、平和な日本を実現するうえで大きな力になってくれることを願わざるをえなかった。
 大本営跡の見学を終えてあとはホテルへと直行。夜は、夕食と交流・懇親会だが、そこでは地元の県議や市議や郷土史研究者なども交えて、歌あり、貴重な話ありで、楽しい一時を過ごした。

  上野誠版画館と姥捨山と

 2日目の目玉は、「人ミュージアム・上野誠版画館」の見学であった。大島博光と同じように、やはり若い平和運動の活動家には知られていないのだろうと思うが、上野誠といえば、かつて日本平和委員会からも版画集が刊行されたことがあって、戦後日本平和運動史上では忘れることのできない大先輩である。
 長野市川中島町出身で、東京美術学校(現東京芸大)在学中に学内民主化運動に参加して退学処分をうけた。反核・平和に関する数多くの作品(版画)を創作した国際的にも有名な芸術家であった。
 ある程度は上野誠に関する知識や情報は身につけていた老生も、今回あらためて彼の足跡や業績のすべてを知ることができたのであった。彼の版画の前に立って、しばし老生は「歴史に学び、現実を見つめ、未来を創る」という訓えの意義の深さと重みをかみしめたのであった。
 「われわれは、館長の田島隆さんから短時間ながら要領よくまとまった話を聴くことができた。同館は、ボランティアによって運営される特定非営利活動(NPO)法人という名目ではあるが、実態は田島さんご夫婦が私財も投じつつ館の維持・運営にあたっているのではないかとの話ももれ聴いている。平和運動というのは、形態こそさまざまであるが、志の高い人たちによって着実かつ持続的に行われているものであるということについても、しみじみとあらためて考えさせられたことであった。
 老生は、全国の平和運動の活動家の皆さんにも、もし運動の合間に時間が許せば、生きた平和学習のできる上野誠版画館をはじめ松代の大本営跡めぐりなどを試みたらどうかとおすすめしたいとしみじみ思ったことであった。

 最後の見学先として、周囲から疎外された老婆らを捨てるところという伝説でも知られる姥捨山近辺の史跡と棚田をふくむ日本でも珍しい自然の風景を満喫してバス旅行を終えたのであった。帰途、バスのなかで参加者たちは口ぐちに2日間の旅でたくわえたエネルギーを次なるたたかいで燃焼させるぞという決意を語っていた。
(はただしげお・日本平和委員会顧問)

(『平和運動』2018年7月号)

平和運動





杏色つるバラ

 ウワァー着いた!!
 バラの花がいっぱい。ピンクのバラの生垣が私たちを迎えてくれた。
 冷たいきゅうりの即席漬とお茶がふるまわれ、小林さんのお話しがあった。
 彼女のやわらかな詩の朗読は、博光の優しさとマッチして心に浸みた。
『春がきたら』千の若芽が水を吸いあげる音を聞いてみよう。大きなけやきに耳をあてて。

 アラゴンの詩の一節。
『教えるとは希望を語ること
 学ぶとは 誠実を胸に刻むこと』
 教師として働いていた時、ズーンと心に残ったことば。

『友よわたしが死んだら』の詩のように千曲川のほとりに記念館がつくられ、多くのファンに守られている博光さんの幸せに心がなごんだ。
 淡いピンクのやさしいバラやガラスのように透明なみごとなバラ。多くの人の手で育まれたバラにかこまれた記念館は、大島博光さん、静江さんご夫妻を物語っているようだった。今度は秋にぜひいってみたい。

習志野 馬場

新婦人習志野


鳩の歌

あんずの里 やさしく強き 詩に出会う


 地下壕

壕に入り 九条の重さ語れり 松代の友

 地下壕 

十四で のみ持たされし 隣国の民

(習志野新婦人バスツアーで訪れた戸辺さんの句より)



大島博光記念館を訪れて       鈴木孝子

 ようやく博光氏にお逢いすることができました。新幹線をおりてバスに乗りましたら「ああ来た、来た」と胸がドキドキしました。神田橋で小林さんのおだやかな笑顔に会えました。記念館のお庭に立ちましたとき胸がつまりました。信州の山々を前にハッコウさんのお家は木の温かみをたたえて毅然ととして、やさしく訪れる人たちに両手をさし出していただいたように思いました。ハッコウさんの詩を前にして、四〇数年前に一気にもどりました。

 北海道の寒いさむい、マイナス二五〜三〇°がめずらしくない地で青年運動にめざめた私たちに勇気を与え、希望に導いてくれたのでした。指が寒さにかじかんでページをめくるのもたいへんな中で。やさしくも厳しい格調のあるひとつひとつの言葉と思いました。
 ある冬の二月、仲間たちと汽車のシュッシュッポッポの音とともに網走に行きました。流氷を少し削って紙コップに入れ、ワインをそそぎ、オホーツクの海にむかって「自由だァー」「愛だ愛だァー」と叫んでみたりしました。「自由と未来」を信んじて。私たち青年の日々に出会えたハッコウさんは私たちの宝でした。若者の心をふるわせ、決意させたのでした。

 松代の地をご案内いただき、ハッコウさんの生家につれて行っていただきました。大きな家、長くて広い縁側、土壁の蔵。まるで映画・小説の中に行ったようでした。庭や千曲川沿いを走り回り、土蔵の中でかくれんぼうをして、秘密の場所をつくったりしたに違いない、何かを見つけ、「宝もの」にし、机の中にしまったりもしたにちがいない、次からつぎと想像がふくらみました。そっと土蔵をさわってみました。あったかいナーと思いました。
 妻・静江さんにもお逢いし、知ることができましたのも幸せでした。朋光先生の「花屋のお母さん」の一文に接し、たくさんのことが一度に理解できるように思いました。「うーん」「そうかあ」「やっぱり」と、ひとりごとをつぶやきました。
 お庭には白樺がすっくりのび、美しいバラがいっぱい。白いバラに初めて出会いました。そーっとさわってみました。

「大島博光全詩集」最後の一冊と会い、胸に抱くことができました。感動しています。今、少しづつ読んで「あっ これ知ってる」「これも」と一人でさわいでいます。
 又、すぐ行きたくなっています。いつにしようかと考えたりしています。

 詩や資料を読みこみたいです。木に耳をあて水を吸いあげる音もききたいです。千曲川の水にハッコウさん、静江さん ありがとうと書きたいです。

鈴木孝子
日曜ジジ通信

横浜の山下徹さんが大島博光記念館を描いた風景画(水彩)を載せた「日曜ジジ通信2013.11.10」を発行し、送ってくださいました。こちらで直接見ることができます。

ふるさと松代のあたたかさに包まれて
                       岩井恵子

 博光記念館五周年の行事に楽しく参加。
 わたしが三鷹市に17年間くらしたご縁で、博光さんのふるさと松代にすてきな記念館ができたことはうれしいことでした。
 記念館は友の会の方々が育ててくださった色とりどりのばらの花やレストラン「はなや」に囲まれて、彫刻類もふえていました。
 メイン行事の松代文化ホールは満席。ヴァイオリン奏者お二人とピアニストの名演奏に涙して聴く人たち、演奏曲も童謡をたくさん生み出した長野・松代ならではのメドレー構成で、聴衆を魅了し、あたたかさなつかしさを肌で感じさせてくれる雰囲気でした。
 東京と千葉から参加した私たちは、友の会の家に宿泊。翌日館長さんの車で松代の城跡周辺を案内していただき歴史ある町にも好感。
 千曲川の風、流れる水に、愛と平和をうたう詩人博光さんの想いがきらめくよい旅でした。

コンサート
岩井
岩井
「千葉勤だより」12月号1面コラムに、診療所友の会の旅行で見学したときの感想が書かれています。
コラム
AALA

(「アジア・アフリカ・ラテンアメリカ 千葉県AALA版」2010年10月号)
新聞

(しんぶん赤旗 2009/12/13)

<ブログ記事>
白根山
朝5時集合で俳句の会の白根山吟行
頂上に近づくに従い、霧がまいて2メートル先しか見えない状況。
白根葡萄などを味わいながら初秋の山をぬれながらあるきました。
山ノ内町までおりて林芙美子文学館を見学。
館長さん(もと数学の高校の先生。館長になる経過の中で、初めて林芙美子の作品を読んだという)
私たちが熱心なので詳しく案内してくれました。
[林芙美子文学館(山ノ内町)]の続きを読む
あんず
 7月4日~5日と好天にも恵まれ、長野方面に食・温泉・文化を求め女性5人旅をしました。長野の自然もさることながら、人の懐の温かさに触れた旅でした。長野の大島記念館の小林さん、はなやのあがたさん、果樹園の新村さん大変お世話になりました。つたない文面ではありますが感想などを書かせていただきます。
[長野5人旅]の続きを読む
(市川市の杉の木会・橋本紀代子さんが訪問記を書いて下さいました)

誰もが詩人になれる場所、大島博光記念館とはそんなところです。

一度聴いたら、耳から離れない美しい言葉。

「教えるとは 希望を語ること
学ぶとは 誠実を胸にきざむこと」

「春がきたら 耳をあててごらん
大きな けやきの樹の幹に」

「ひとを愛するものは無限をもつ
無限の悦びと無限の寂寥をもつ」

「きみがやってくると そこに泉が湧いた
冷たい水が わたしののどに沁みた」

それを語る小林園子さんの詠うような声が、聴く人の心をつかんで離しません。

「はなや」で特注の昼食をいただいた後、象山地下壕と松代大本営、山寺常山邸を、小林さんにご案内いただきました。
そういうものがあることは知っていました。けれども実際に見、歩いてみて、驚きました。
 3つの山の下に碁盤の目のような10kmを超える地下壕。今、見られるのは500mくらいですが、削岩用のロットが岩につきささったままさびついていました。昭和19年11月11日11時から、翌年の8月15日まで、よくぞこれだけ掘ったものです。住民や大勢の朝鮮の方々が強制的に動員され、1日三交替徹夜で働かされました。大勢の方々が亡くなられたようです。
 地下壕の見学の最後に、小林さんは、日本国憲法第9条を添えられました。心にしみる9条でした。

 松代城跡を見学し、松代温泉 国民宿舎「松代荘」のお湯につかりました。上田に住んでいる知人が「松代温泉に入ると、一日で手あれが治る」と話していましたが、実感しました。

 翌日は、無言館、オリーブ館を見学し、戦没画学生の絵や彫刻、遺品などを心に刻みました。何時間でも見ていたい。何度も見たいと思いました。
 近くの前山寺のケヤキの木、三重塔、フジの花の前で記念撮影。名物の「くるみおはぎ」に大満足。
 別所温泉北向観音参拝のあと、山宣の碑へ。いつかは行きたいと思っていた場所です。40年も前、小説で「山宣」を知りました。1929年、上田の上小農民組合の大会で演説した4日後に山宣は暗殺されました。治安維持法改悪反対の演説を予定していた1日前でした。1930年、山宣の1周忌に上小無産団体協議会は山宣の追悼演説会と記念碑の除幕式を行いました。この記念碑は大弾圧の中、庭に埋め、守られて、1971年に再建されました。

 国宝八角三重塔のある安楽寺のあとは、おいしいお蕎麦を食べ、常楽寺へ。
 最後に、不落城と呼ばれる真田幸村の上田城を見学し、新幹線で東京へ戻りました。

 杉の木会理事会の研修旅行。平和の大切さをしみじみと感じた2日間でした。

 たまたま朴慶南さんの本を読んでいたら、小林さんのお話の中に出てきた崔小岩さんのことが書いてあるではありませんか。何という偶然。
いろんなことがつながってきました。