老年の詩

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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


夜空

それは眠りなのか


(『現代の詩・1991』日本現代詩人会)
わたしの川も 
                   大島博光

わたしの川も 海に辿りつき
海へそそいで 海に溶けこむ
わたしも 眼に見えない塩となる

もう 夜ひる 流れることもない
レンゲ咲く野を せせらぎとなって
もうささやきうたうこともない

春の嵐に 奔流となって
岸べの風景も 眼に見えず
やみくもに駆けくだることもない

思えば 大いなる洪水(でみず)のとき
みんなと怒って蛇行して流れた
オオカミどもの城をめぐって

岸べのススキの 白い穂影も
風に揺れる赤いアザミも
飛ぶ鳥の影も もう映らない

ハシバミの木かげで よどんだり
クルミの木かげで まどろんだり
魚(さかな)とたわむれることもない

わたしの川も 海へ辿りつく
もう先にきて やはり塩となった
漂ってるきみを 探しあてよう

そうして泡立つ伊豆の海で
二人いっしょに泳いだように
またこの海に漂っていよう

ひろびろとした ひろがりのなかに

(自筆原稿)

海
 八十八歳 
                 大島博光

わたしもいつのまにか八十八歳になった
思えば遠い長い道のりをあえぎあえぎ歩いてきた

わたしの春の日には血なまぐさい嵐が吹いていた
だが黒雲のあいだから明るい陽も射していた

狂犬どもに美しい勇敢な若者たちが噛み殺され
こころ美しい娘たちが無残にもなぶり殺され

長靴をはいてサーベルをさげた狂人どもが
人びとを狂った戦争へ奈落へと駆りたてた

血と火と煙の地獄のなかをくぐり抜けてわたしは
四五年八月十五日の輝く太陽を仰ぎ見た

     *

思えば長い道のりをあえぎあえぎ歩いてきた
いつか道連れは消えてひとりよろよろよろめいてきた

ある時は雪の野に行き暮れてうづくまっていた
突風にあふられて地下の穴倉に閉じ込められた

アルカディアのようなポプラ林の黄色くなった
千曲川の岸辺で青い魚たちをわたしは待った

ランボオにならってわたしは反抗の道を歩いた
そうしてわたしの党を日本の党をみいだした

エリュアールは「平和のためならなんでもする」と言ったが
わたしは他者のために何もできなかった

     *

思えば長い道のりをあえぎあえぎ歩いてきた
道連れはいつか消えてひとりよろめいてきた

道連れのきみはさっさと先に行ってしまった
これから二人いっしょに老いようという矢先に

どんなにわたしは泣いたことか呻めいたことか
いまもオルフェの歌はわたしの唇(くち)からこぼれる

きみのおかげでわたしははじめて人間を生きた
きみのおかげではじめて愛を知り愛を歌った

     *

思えば長い道のりをあえぎあえぎ歩いてきた
道連れはいつか消えてひとりよろめいてきた

もう妻も友らもみんなほとんど行ってしまった
もうすべては影のように過ぎさってしまった

生と死のあわいでわたしはひとり待つばかり
この岸べから出かけてゆくある晴れた日を

そんな時の流れの自明を歌ってもなんにもならない
そんな自然主義的な涙はなんお役にも立たない

     *

そんな老いの苦しみくりごとにかかずらって
きみはみずからみいだした太陽を忘れたのか

あんなにきみの道を照らしてくれたひかりを
あんなにきみをはげまし生きさせてくれた泉を

あんなに夢みて歌った未来はどこに言ったのか
きみのまなざしにあけぼのの色はもうないのか

希望には終りがないまたすべてが始まるだろう
歌うたう明日の人たちがやってくるだろう

きみも行きたまえ微笑みながら歌いながら
あの遠い無限の国へ夢見ながら愛しながら

(1998年)
さよなら
                大島博光

わたしは九〇歳 ねたきり雀
最後のさよならを言ってもいいだろう

わたしはわがままで 愛に欠けて
他者(ひと)には何ひとつ 差し出せなかった

そればかりか たくさんのひとたちを
痛め傷つけてきたのではないか

なのに たくさんのひとたちの愛のおかげで
わたしは生きてくることができた

わたしの反抗の詩は売れなかった
そういうものしかわたしには書けなかった

もしも そのひとたちの愛がなかったら
わたしを生きさせてくれなかったら

生きるに不器用なわたしは飢えはてて
公園のベンチでのたれ死んでいたろう

ぶどうの添木のように わたしを支えて
生きさせてくれたひとたちに礼を言おう

その愛を抱いてわたしは遠く旅立とう
そして最後のさよならをのべよう

人間の愛をわたしは信じることができる
もしも信じないなら わたしは人でなしであろう

               〇〇・七・一〇

<自筆原稿>