田舎の詩

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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


とりいれの歌

               大島博光

麦をとりいれる季節が
まためぐってきた
村のしずけさをうちやぶって
朝はやくから
モーターがうなり
ダッコク機がまわる・・・

むかしの麦うちの歌のかわりに
トントン麦うつきねのかわりに
モーターがうなり
ダッコク機がまわる・・・

やけつくような夏の陽(ひ)の下
となり近所がよりあつまって
手をかしあっての麦のとりいれ
猫の手もほしい、いそがしさ

ダッコク機に麦たばをくれるもの
黄いろくうれた麦たばをはこぶもの
ダッコク機からあふれてくる麦つぶを
よせあつめるもの、俵につめるもの
また麦がらをたばねるもの・・・

年よりや若いもの
娘やよめや子供たち
みんな一団となって
みんな機械のリズムに調子をあわせて
ほこりまみれ、汗まみれ
戦争のようなとりいれだ
歌ひとつ でてこない
そのかわり モーターがうなり
ダッコク機がうたう
照りつける夏の陽(ひ)の下

飴(あめ)いろの小麦がなだれ出て 山になる
これだけが ながい苦労のあとの
はたらく農民のよろこびだ
おもえば 秋の麦まき 冬ざくり
春の麦ふみや土くれ 根よせ
そうして今ようやくのとりいれだ。

これで麦一俵 四百五十五円
肥料や農具がものすごいやみ値のとき
こんな安いねだんでわ やりきれない
肉ひとつ 魚ひとつ 食えやしない
若ものわ 一俵二千円でやみうりして
町え遊びにゆくかと じょうだんをいう

そうして 麦のとりいれが終われば
となり近所わ てんでばらばら
また めいめいの小さな畑えもどってゆく
くわやかま 手の農業えもどってゆく

ほんとうの共同化わ いつの日か
ダッコク機ばかりでなしに
トラクターやコンバインが
いきおいよく走るのわ いつの日か
それでも 機械化のめばえわ はじまったのだ
一日 手をかしあうだけでも
共同化のめばえも はじまったのだ

ふるい村のしずけさをうちやぶって
モーターがうなり、
ダッコク機がまわる・・・

(手書き原稿)