世界の詩

ここでは、「世界の詩」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


 聖母マリア
            エドガア・ポオ 大島博光譯

聖母マリアさま、聖(きよ)き天なる御座(みくら)より
優しき御眼を垂れたまへ
ひざまづき、愛と熱き祈りとを
ささげまつる しもべのうへに垂れたまへ!

朝(あした)に──昼に──たそがれに──
マリアさま、御身は聴きたまひぬ、わが賛美歌を!
歓びにも悲しみにも、また幸(さち)の日も悩みのときも、
神の御母、われを見すてたまふことなかれ!

時間(とき)かろやかに翔びゆくときも、
天空に雲かげひとつなきときも、
わが魂の迷はざらむやう
御身は恵みもてわれを導きたまひぬ

いま 運命の嵐ふき来り、いと暗く、
わが「過去」と「現在」を蔽ふとき、
御身が恵みのあまき希望もて
わが「未来(ゆくさき)」を輝かに照らしたまへ!

聖母マリア


(『少女画報』現代詩選 1941.7)

※「少女画報」─現代詩選に連載された博光訳詩作品
1)聖母マリア エドガア・ポオ 1941.7
2)秋 デゥ・ラメエア 1941.8
3)夢 エドガア・ポオ 1941.9
4)歌 C・G・ロセツチイ 1941.10
5)黄昏 メイスフィールド 1941.11


 秋
              デゥ・ラメエア 大島博光譯

薔薇咲きし園に風は立ち
よき草茂りし野には冷雨(ひさめ)降る
 羊のごとき雲
 岸の上を流れ
雲雀うたひし空も今暗し

汝が黄金色の髪褪せて
汝が暖かき手も冷えはてぬ
 茨の下にうつろへる
 消えゆく幻よ
汝が面影もおぼろにて

汝が歌聲は悲風に消され
わが歓喜(よろこび)の胸には涙あふれぬ
 かつて我と共にありし児よ
 かつて我と共にありし児よ
憧れも今は黙しぬ

  Autumn

There is wind where the rose was;
Cold rain where sweet grass was;
 And clouds like sheep
 Stream o'er the steep
Grey skies where the lark was.

Nought gold where your hair was;
Nought warm where your hand was;
 But phantom, forlorn,
 Beneath the thorn,
Your ghost where your face was.

Sad winds where your voice was;
Tears, tears where my heart was:
 And ever with me,
 Child, ever with me,
Silence where hope was.

         Walter de La Mare
秋

(『少女画報』現代詩選 1941.8)



  歌
       C・G・ロセツチイ
       大島博光譯

われ死なば、わが愛しきものよ、
悲しみの歌、わがために歌ふなかれ。
わが墓べには薔薇たむくるなかれ。
また影おほき絲杉を植ふるなかれ。
わがうへには緑なる芝草生ひて、
露しげく露したたらせよ。
かくて汝(なれ)欲りせば、われを想へ、
また汝(な)がこころのままにわれを忘れよ。

わが眼にははや影も映らず
降る雨も知るによしなく、
また夜鶯のかなしむごとく、
鳴きつづくる歌も聴こえざらむ。
かくて暮るるなく明くるなき
薄明のうちに夢みつつ、
われも汝を想ふらむ、
また恐らくは忘るるらむ。


 Song
             C. G. Rossetti

When I am dead, my dearest,
  Sing no sad songs for me;
Plant thou no roses at my head,
  Nor shady cypress tree:
Be the green grass above me
  With showers and dew drops wet;
And if thou wilt , remember,
  And if thou wilt, forget.

I shall not see the shadows,
   I shall not feel the rain;
I shall not hear the nightingale
   Sing on, as if in pain;
And dreaming through the twilight
  That doth not rise nor set,
  Haply I may remmber,
  And haply may forget.

歌

    (『少女画報』1941.10)




  黄 昏
              メイスフィールド
                 大島博光譯

たそがれて、遥けき森も夕暗く、鴉しば啼き友を呼ぶ。
谷間の灯(ともしび)靄深く、みそらに高く星一つ
野邊とほく、穀打つ音も収まりぬ
たそがれてわれは路ゆくわが友と。

遠き昔に親みしいま亡き友の偲ばるる
死はかりそめのことなれど、麗しかりし亡き友よ
地に埋れたるわが友の美しかりきかの眸
幼きわれをいたわりし美(よ)き人々の偲ばるる。

カット

    (『少女画報』1941.11)



  夢
       エドガア・ポオ 大島博光譯

暗き夜の幻に、われは夢みぬ、
去りし日の幸(さち)とよろこび──
されどこの世の光に眼ざめては
わがこころ破れはてて痛みぬ。

ああ、追憶(おもひで)のまなざしもて
過ぎし日を喚びもどさむと
己が周囲を眺むるものに
何かま昼の夢にあらざらむ?

聖なる夢ぞ──聖なる夢ぞ、
世のすべての争ふまも、
われに歓びの光りもたらし、
また孤独なるよき魂のごとわれを慰む

この光り、嵐と夜をつらぬきて
はるか彼方より揺れきたる──
されど、眞理の太陽の下(もと)
何かさらに清く輝かむ?

夢

    (『少女画報』1941.9)

大島博光とフランスの文芸誌『ウーロップ』   大島朋光

■世界の革命詩人を翻訳
 大島博光が取り組んだ仕事に海外詩の翻訳・紹介がある。フランスの抵抗詩人を主な対象に詩作品を翻訳し、評伝を書いた。ランボオ、アラゴン、エリュアール、ギュビック、ゴーシュロンらである。スペイン語圏のネルーダ、マチャード、アルベルティらも同様に取り組んだ。
 一方、それ以外の国の詩人についても、革命運動に参加した詩人を中心に翻訳した。『ベトナム詩集』『フイ・カーン詩集』のように出版したもの、新聞や詩誌などに発表したものもあれば、原稿用紙に清書して残したものもある。国別に挙げると、トルコ(ヒクメット)、ギリシャ(リトソス)、ボスニア(シドラン)、ニカラグア(エドウィン・カストロ、クアドラ)、グァテマラ(ミゲル・アンヘル・アストゥリアス)キューバ(ニコラス・ギジェン)、ベトナム、モザンビーク、アンゴラなどである。これら世界の詩人に出会う最大の場所がフランスの文芸誌『ウーロップ』であった。

■世界を見渡すヒューマニズムの文芸誌『ウーロップ』
 『ウーロップ』(Europe:ヨーロッパ)は一九二三年にロマン・ロランらにより創刊された輝かしい歴史をもつフランスの月刊文芸誌(年八回刊)である。第二次大戦中に中断されたが一九四六年、アラゴンにより再刊された。エリュアールやエルザ・トリオレ、ゴーシュロンも編集委員をした。長くピエール・ガマラが編集長をつとめ、現在はドブジスキーが担当している。
 ヒューマニズムを基調に世界中の文学者を取りあげ、フランス語に翻訳して掲載している。フランス語が世界の文化の一種の共通語となっていることを感じる。例えばアフリカの詩はフランス語か英語で書かれることが多いという。また一九六〇年代にはベトナムの民族解放闘争の高まりを反映してベトナムの現代詩の特集が組まれるなど、時代の動向に敏感である。
 大きさは日本の一般的な文芸誌(A5版)より縦長で厚い。表紙はシンプルで、特集した文学者の写真や肖像イラストなどが多い。一九七四年一・二月号(ネルーダ プレゼント)表紙はネルーダの葬儀の写真で、マチルデ夫人と支持者たちが棺を囲んでいる。ヒクメットの特集号の表紙は鋭い眼差しの作家の肖像イラスト、ベトナム文学の特集では水牛の背でベトナムの少年が横笛を吹くのどかな写真だ。

■海外詩の情報源
 世界の抵抗詩人に関心を持ち、彼らを日本に紹介するのが自分の役割だと自負していた博光にとって、『ウーロップ』は重要な情報源だった。気に入った詩人や作品を見つけると書き写し、翻訳してノートや原稿用紙に書いた。原稿が挟み込まれていたり書き込みのある『ウーロップ』からは博光の〈勉強〉の跡をたどることができる。

■晩年の病床でも愛読
 最晩年の2年間、入院生活を送った間も『ウーロップ』は座右の友だった。フランス語の辞書とノート、万年筆を枕元に置き、フランス語の本を読んでいる老人患者に看護婦さんはびっくりしていた。
 山のようにたまった博光の『ウーロップ』は今、松代の博光記念館の書庫に他のフランス語の原書といっしょに眠っている。
  (二〇一四年十月)

<『狼煙』76号より>
ウーロップ
ウーロップ


 サラエボ 憎悪を拒否する
                          スアダ・トゾ・ワルドマン 大島博光訳

 二千年来、ボスニアの地は、東西の諸文明がぶつかり合い、重なり合い、補い合ってきたところである。
 他の国ぐにの、しばしば覗き趣味の冷淡な眼からみれば、ボスニア・ヘルツェゴビナは、セルビヤのファシズムとクロアティアのファシズムのあいだにはさまれて、その二年来、懸命に生きのびてきた。そこの都市(まち)まちは包囲され爆撃されているが、幾人かの作家たちは執筆と出版をつづけている。しかし、紙の不足から、僅かな作家だけが自国での出版に漕ぎつけるだけで、多くの作家は国外で自分の作品を出版している。
 戦争はボスニアの作家詩人たちの書き方、表現手法を変えた。彼らの言葉、表現はより直接的なものとなり、よりジャーナリスティックなものになった。それは非常時の文学である。
 この極限状況では、ナルシシズムや芸術至上主義はもはや市民権をもたない。といっても、表現スタイルの問題が二義的になったというわけではない。反対に、この問題はいつにもまして決定的なものである。
 ものを書く者はもはや何らかの技巧によって自分を欺いたり、読者を欺いたりすることはできない。けれども、文学が極めて単純な表現に還元されることは、文学の貧困化ではない。逆説的にいえば文学が話し言葉に近づくために、それまでの遊離したジャンルとして消滅しようとするときこそ、文学は豊かになるのだ。要は、もっとも適格な、もっとも精確な仕方で事態を表現することである。
 ゴラン・シミックの『サラエボの悲しみ』のなかの言葉を聞こう。
 「わたしは相変らずサラエボで暮らしている。ここでは、いま生きている現在も、過去を生きていることを意味する。未来を語ることは、ここでは創造力をかきたてる。白い原稿用紙がわたしの唯一の祖国である。わたしのペンがわたしの宗教である。たとえ、わたしがしばしばペンの代りに銃を執ろうと思ったとしても。
 われわれは依然としてサラエボで暮らしている。爆弾による死が自然死と呼ばれ、自然死が異常とみなされる都市(まち)では、そこで暮らしていることもーつの特権なのだ。この本はこういう状況から生まれた。それは、わたしの素朴な欲求で書きこむことにした詩的情景でひとを不快にする。わたしは形式を探し求めなかった。形式がわたしを見いだした。この本は一つの報告である。」
 美学的領域で真実であるものは、また倫理的領域においても真実である。表現において粉飾を棄(す)てさることは、普遍を望む思想体系や言説を放棄することにも通じる。倫理的要求はいっそう厳しいのである。それは、自分の前で起きたことを述べる的確な言葉を見つけ出し、証言し、報告することである。
 それはまた、芸術のための芸術やイデオロギーを同じく否定する自由の文学を意味する。とりわけ、それは憎悪に奉仕することを拒否する。それは何より、描くよりはむしろ凝視し、創作するよりはむしろ報告しようとする文学である。
 ここに紹介する作家たちのテーマは本質的には都会的である。牧歌的光景からはほど遠い。民族的起源のための不健康な幻惑からはほど遠い。民族的審美主義の戦闘的な「リバイバル」や過去への礼讃からはほど遠い。
 ひとつの事件が、サラエポの住民、とりわけ作家たちにたいへんな衝撃を与えた。ボスニア・ヘルツェゴビナの国立大学図書館の火災焼失がそれである。国立図書館は、一九九二年八月、セルビア砲兵隊の砲撃によって焼失した。図書館が保有していたサラエボの「古書」、有名なVijecnicaを焼き棄てろという命令は、シェークスピアの研究家で「丘の野獣ども」に加担した、サラエボ大学の英文学教授によってくだされた。図書館はボスニア・ヘルツェゴビナのすべての共同体の集団的記憶の保管所であった。したがって、この野蛮な行為は戦争の本質であり、人間たちの狂気のきわめて確かな特徴であると言うことができる。
 ところで、ヨーロッパの(恐らく世界の)全歴史は、あらゆる種類の野蛮にたいする絶えざる闘争の歴史である。その意味で、ここに紹介されるボスニアの作家たちは、悪の宣伝家に抗する善の擁護者たちのひとりに数えられる。かれらのテックストは、文化、知性、寛容の精神にいらだつやからに抵抗するひとつの手段である。

(『民主文学』1996年7月号)
 サラエボのエッセイと詩…
                            大島博光

 『ウ一口プ』誌(一九九四年五月号)が、ボスニア文学について小特集を組んでいたので、エッセイ一篇と詩一篇を訳してみた。ボスニアの悲劇を伝えるボスニアの声を聞きたかったからである。
 批評家のスアダ・トゾ・ワルドマンは、『憎しみの拒否』のなかで、セルビアによる大量虐殺の非道を告発している。それとともに、セルビアが爆撃によって、ボスニア・ヘルツェゴビナの国立・大学図書館を、その貴重な文化財もろともに焼失破壊した文化的犯罪は、民族の共同の記憶を抹殺するものであり、戦争の本質をなす蛮行であり、人間狂気のあらわれであると論難している。
 詩の作者のアブダラ・シドランは一九四四年、サラエボに生まれ、詩、小説、シナリオなど、多方面で活動している。──この詩は、サラエボの悲劇が日常のなかで、いわば日常茶飯事として行われていた怖ろしさを描き出している。
 おなじような怖るべき掌篇、ゴラン・シミックの『恋物語』はつぎのようなものである。

   恋物語

 ボスコとアミラの物語は、この春のビッグ・ニュースとなった。サラエボから脱出するために、ニ人は走って橋を渡ろうとした。(未来は向う岸にあると彼らは信じていたが、そのときそこはすでに血にまみれた過去となった。)橋の途中で彼らは死んだ。二人を射った男は制服を着ていたので、人殺しとはみなされなかった。
 せ界じゅうのすべての新聞がボスコとアミラの事件を報じた。イタリアの新聞は、これをボスニアの「ロメオとジュリエット」物語に仕立てた。フランスの新聞は、政治的国境を越えるロマンティックな恋物語と報じた。アメリカの新聞は、二人のなかに、分割された橋の上の二つの民族の象徴を見た。イギリスの新聞は、二人の死体を前にして戦争の不条理を論じた。ロシアは沈黙をまもっていた。若い恋人たちの写真は平和の春の方へ旅立って行った。
 橋の見張り番の兵士で、ボスニア人のわが友プルシックだけがひとり、ボスコとアミラのふくれた死体に、蛆虫や蝿や鴉たちが群がるのを、毎日のように見とどけなければならなかった。春風が橋の向うから死体の腐臭を運んでくる間、彼が毒マスクを着けてぶつくさぼやいているのが聞こえる。
 そのことは、どこの新聞も報じなかった。

(『民主文学』1996年7月号)
 サラエボの嘆き
               アブダラ・シドラン 大島博光訳


聞いてくだされ
惑星サラエボが
どのように息をしているか

聞いてくだされ、
若い娘がどう泣いているか
「死神よ わたしをつかまえないで!」

どれほど わたしたちは
泣きながら 捧げたことか
平和への熱い祈りを

若い娘たちの涙を 死神はとり合わない
人びとの祈りに 死神は知らん振り
聞いてくだされ
惑星サラエボが
どのように息をしているか

よく見てくだされ
惑星サラエボが
どのように花咲いているか!

聞いてくだされ
その身のなかを
無情に流れる血を!

そこで 男たちは歩いて
歯医者へゆく

人びとは そこで 歩いて
子どもたちを床屋へ連れてゆく

そこで 人びとは歩いて
新聞を買いにゆく

あちらの男は ご覧くだされ
鳩を飼っている!

あちらの男は 見られよ
パズルなしには生きられない

ご覧くだされ
人びとは 仕事に追われて
行ったり来たり

そのひとたちの
なんと一夜で 年老いたこと!

そのひとたちみんなを そんなに急に
美しくしたのは 何んだろう?

惑星サラエボで
わたしはひとりの男を見た
かれはパイプを吸って 急いていた

わたしは見た
惑星サラエボで
食べながら泣いているひとりの男を!

わたしはひとりの小さな娘を見た
惑星サラエボで
消えてない公園で 彼女は
消えてない花々を摘んでいる!

死神は大鎌をもった仕事熱心な草刈り人だ
若い娘たちの涙もむだだ
平和への祈りも
むなしい

──戦争でもどこにも花々がある
だが それは戦争ではなく
「原初の闘い」なのだ
闇の時代から「最後の審判」まで
敵対する二つの原理の闘いなのだ
善の原理と
悪の原理との!

善と悪との闘いは
けっして止むことがない!

この世界から
善は消えさるのか?

若い娘は
大鎌をもった死神の手に
くちづけするのか?

泣く彼女の声を聞かれよ
「死神よ わたしをつかまえないで!」

泣くな 若い娘よ
泣くな 美しいわが子よ

けっして けっして
善と悪との闘いが
止むことはないだろう

 訳注 アブダラ・シドランは一九四四年にサラエボに生まれた。詩人・作家・劇作家で多くの著書がある。
 以上のテクストは「Europe」誌一九九四年五月号に掲載されたものから訳出した。

(『民主文学』1996年7月号)




平和

平和


(『赤旗』1984年2月4日)

*ヤニス・リトソスは一九〇九年生まれのギリシアの詩人。フランスの文芸誌『ウーロップ』誌にときどき作品が出ていたり、アラゴンがリトソスに論及していたのを散見したことがある。(大島博光)

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 娼 婦
             ジャン・マルスナック/大島博光訳

やってくるものに マルセイユの港もわたしほどには開いていない
そう 戸口 わたしは海に開いた戸口だった

男どもの群が 羊の群れのように この入口を通って行った
男どもは わたしのからだの花束をまき散らした
男どもは わたしの牧場や窪地で草を喰(は)んだ
羊の口で わたしの乳房をしゃぶった
わたしの牧草は 男どもの飢えたよだれにまみれた

いまでは わたしはとしとってしまった
すっかり 夜に痛めつけられてしまった
わたしはもうぼろの暗礁だ 水夫も寄りつかない
もうだれも わたしのおなかの泉をあがめない
悪にひたった神も わたしの股のあいだで死んでしまった

港だったわたしも もう海には開いていない

(注 ジャン・マルスナックはアラゴンの次の世代にぞくする詩人。)

<『稜線』No.59 夏 1996.7>

村の太鼓 農民のギター
                            エルビス・ロメロ/大島博光訳

農民のギターは
血にまみれて 泣く
血にまみれて 苦しさに泣く
その胸は わななき震え
その弦は ふるえ高鳴り
そうして その胸は
灰に塗りこめられて
うつくしく悲しいくらやみに
くるまって眠る
鎖につながれた はるか遠い
田舎のギター

貧しい 貧しい
身の重いギター
粘り強い 硬(こわ)ばった胸
銅線のうえを蔽う
暗い くらい夜
その弦は 風に鳴り
葡萄の房の歌をたたえ
おれたちを その輝きの方へ導く
田舎のギター

田舎のギターが 血にまみれる時
ギターは 音高く 怒りに高鳴る
それは 土地ももたない 泣き言も言わぬ
大地に生きるもののE線だ
汗まみれの鋤の柄だ
自分の取り入れも見られぬ
百姓女の眼ざしだ
田舎のギターよ

村の衆が望むときは
ギターはまた旗だ
傷口を癒し 砂をはらいのける
乾杯だ
ギターが歌い 高鳴るとき
それは つかのまの まばゆい
種子だ種子蒔きだ
田舎のギターよ

パントマイム
              マルセル・マルソオ/大島博光訳

こうして風を身振りで演じながら
その重みと量を身につけながら
わたしのからだは 嵐になった
わたしのからだは 魚になった
海のなかへ飛び込んだ
山の方へ行ったのは
わたしではなく
山が わたしの方へやってきたのだ
目に見えない壁が
手でさわれる具象的な壁になった
空虚が 一定の点に住みついて
その定点で からだは場所と
空間をとりもどした
わたしは時間を停めた
わたしは 高みをより高く見せ
深みをより深く見せた
わたしは 視覚の新しい次元を
つくり出した

 女たち
                     ヤニス・リトソス
                     大島博光訳

女たちはとてもうつろだ
彼女たちの布団には 幸せな夜の匂いがしている
彼女たちはテーブルの上にパンを置く
ぼくらが彼女たちのうつろさを感じないようにと
そのときぼくらは 何か悪いことをしたことに気がつく
ぼくらは起きあがって言う
「きょう きみはとても疲れてるね」とか
「放っておいて ぼくがランプに火をつけるから」とか
ぼくらがマッチを擦ると 彼女は静かにぐるっと身を回わすと
不思議な力にうながされて台所へとむかう
彼女の背なかは たくさんの死者たちを背負った悲しい小さな山だ──
身うちの死者たち 彼女の死者たち そして彼らといっしょにきみを

彼女の足音が古い床板の上できしり鳴るのが聞こえる
棚のうえで皿たちが泣いているのが聞こえる
それから 兵隊たちを前線へ運んでゆく列車の音がきこえる

【解鋭】ヤニス・リトソスは一九〇九年生まれのギリシアの詩人。先頃、朝日新聞紙上にその訃報が出ていた。フランスの文芸誌『ウーロップ』誌にときどき作品が出ていたり、アラゴンがリトソスに論及していたのを散見したことがある。そのほか、リトソスについて知る資料は筆者の手もとにはない。この詩は『平和のための詩華集』(Temps Actuels版)から採ったものだが、そこには一行の解説も書かれてない。
 この詩は解説をくわえるまでもなく、戦争でたくさんの死者が出ている、いわゆる銃後における女たちの悲しみの深さを、きわめて日常的な暮らしのなかから描きだし、つかみとっているところに特徴があるように思う。戦争の悲惨は、しかし、ここではひとつの叫びもひとつの呪いもないのに、静かに、それだけいっそう深く浮きあがってくるようである。
             (大島博光)

「世界・詩の旅(5)ギリシャ」<掲載誌不詳>