福田律郎

ここでは、「福田律郎」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


 抱 擁
                  福田律郎

男は灌木の道を通りすぎる僕を見た
男はおなじ道を通りすぎる君を見た

いま僕の腕に抱かれているのは愛されるための体
やや 上体を捻じまげているのは
木漏れ陽を気にして ちょっとよそみした君をその姿勢のままで抱きかかえたからだ
確認!
これが二人の最上の生き方
君の声を僕の歌にかえる
僕の声を君の歌にかえる
この樹の上の小鳥のような単純さ!

ここは二人が選んだ場所
あたりにパンジーが美しい
禁ぜられた沼
枯葉の先で解ける冬 濡れた土橋
樹々はわずかに合図して縦横すこしの乱れもなく斜面を下りてくる 二人の方へ
だが ふいに近づくのをためらう
君の手が 僕の肩から胸にすべったからだ
そのため 僕は君の目にそっと手を当てる
さあ おたがいのひかえめな息を数えあうために
ほんのしばらく そのかあいい目を閉じていなければいけない
さっきの男 二人のあいびきをきっと告げ口するだろう
でも それはそれでよろしい
僕は許すことができる!
だから この真昼 僕は無数の目を背中に受けとめながら
愛されるための体! その顔に僕の顔を重ねる
君の形のいい唇がひらいて 世界がその上に!

(福田律郎詩集『細胞の指』)

バラ


 門
        福田律郎

戸口に 彼女が立った。
 華やかな花嫁衣装が身体に巻きついて彼女はたしかに仙女のように美しかったし それにしみじみと愛情をこめた目で新郎を見上げたから 新郎ときたら人前でのたしなみも忘れて馳けよると 彼女の手をとろうとした。
 そこでわたしは二人のあいだに立ちふさがったのである。
 しげしげと彼女をみながら
 「ふぅむ、彼を愛しているね」と独り言のようにいった。「まえにもおまえとおなじような顔をして戸ロに立った女がいた……。」
 彼女が領いたので
 わたしはちょっといたわるように「いいのかね?」とたずねた
 「私には共産党員の妻として現在と将来しかありません。だからこの中に入りたいのです。」
 「このしきいを一歩またげば分ることだが、この中はがらんどうでなにもないのだ。だが、おまえを不幸にするものには事欠かないよ。つまり、過労、貧乏、焦繰感、不眠、忘れもの……。」
 彼女は歌うように「私はみんな楽しみととりかえることができます」といった。
 わたしは内心にやりとした。「彼が病人だということを知っていたはずだね。」
 「ええ、でも私にはあの人を治すことだってできます。」
 「いや、何事も望めば手にとれるようにおもえるのははじめだけで やってみると なかなか思いどおりにゆくものではないのだ。目的に達するまえに倒れてしまう。そこでおまえに注意しておきたいのは、病弱な彼がかならず先に死ぬとはかぎらないのだ。結婚するのは奪い合うためなのだよ。いいかね。愛情を持ちすぎた方が先に死んでしまうのだ。」
 「素晴らしいことですわ、誰が愛する人よりあとに残りたいと思うでしょうか?」
 美しい愛の閃めきにわたしは一瞬たじろいだ。彼女は馳けこんでいった。

 表で自動車のクラクションが鳴ったのは きっと 花嫁の付添人たちが帰っていったのだろう。
 二人きりになると新郎は彼女を抱いて百度も接吻するにちがいない。
 わたしは戸口に身を横たえるとぐっすりと眠りこんだ。千人の敵から新郎新婦を守るために。

(福田律郎詩集『細胞の指』)

バラ

 闘いの葉よ
                        福田律郎

初夏の空が明るいのは
古い葉に入れかわって
われわれ幾百万の若葉が太陽に眼をキラキラひからせているからだ
闘いの葉よ!

われわれは奪われたものをとりかえしにきたのだ
なにを?
きまっているではないか 民主主義というわれわれがつくりあげたものを
悪い政府の手からとりかえしにきたのだ
われわれが国会を包囲したとき さすがこの
巨大な建物もまるで掌の上の洋菓子みたいに
小さくみえたではないか
 目をつむった窓
ところで張本人 岸信介は? とみれば
これはまた漫画そっくりの顔で隅の一室に閉じこもってきわめて孤独であった。安保が足もとにうずくまっている!
闘いの葉よ!
五月はわれわれを裏切らなかった
だが 最後のとどめをさすために
われわれは五月が果しえなかったものを 六月のあのたくましく黒く陽に焼けた腕にしっかりと委ねよう
六月は二千八百万の署名の月
六月はゼネストの月
六月は勝利の月

ごらん 顔を真直ぐにあげて
いまはつつじのまっさかりだ
日本列島のこのどこまでも明るい初夏の空の下で
北の果から南の果まで われわれがつなげたとてつもないでっかい一本のレール
いま行進は始まったのだ
その先頭にかつがれてゆくのは われわれがとりかえしてきたもの
勿論 それは民主主義だ

(詩集『細胞の指』1966年)

国会

 福田律郎の遺稿によせて
                          大島博光

 ここに、詩人福田律郎同志の遺稿がある。
 かれは、さる六月三十日、国立千葉療養所の一室で四十三歳の生涯をとじた。
 この遺稿は、題名の示すとおり、酸素吸入をうけながら、生と死のさかいで、死をみつめ、死とたたかいながら、この詩人がさいごの力をふりしぼって、口述したものである。それは、ひとりの共産主義的詩人が、死に直面して、死の問題に対決して書きのこした、まことにまれで、深遠な散文詩となり、遺言となっている……この遺稿は、ひとりの共産主義者がどのように死に対し、したがってまたどのように生に対したかを、その深いきびしさと美しさとでもの語っている。それは、読むひとに深い感動をあたえずにはおかない。死のおごそかさと同時に、しかし、生にたいする信頼と、未来にたいする希望とで、読むひとをはげまさずにはおかない……。
 「底なし穴のような」死をのぞきこみながら、かれは死の恐怖についてはふれずに、「献身的な同志の妻の看護」と、その背後の「祖国の党と人民の激励」を感謝の念をこめて思いうかべている……さらにかれは、つぎのようなすばらしい結論へとすすむ。
 「……死は一見抽象的な存在にみえるけれど死にも階級性は断じてあるのである。その死は人類の未来に必ず役立たされるものである。」
 そうだ、プロレタリア階級の集団的な階級性と、その党の革命的な党派性を身につけ、人民とともにたたかってきたものこそが、このように言うことができる。マルクス・レーニン主義思想で武装し、人類の未来を見とおし、希望をかかげつづけてきたものこそが、このような確信に到達することができる……これはもう、死にたいするひとつの勝利といっていい。
 こころみに、この遺稿と、反党修正主義者黒田喜夫の詩「除名」とを思いくらべてみるがよい。「除名」もまた「酸素ボンベを抱い」た状況で死をとりあつかった詩である。黒田はこう書いている。

 おれに残されたのは死を記録すること
 医師や白衣の女を憎むこと
 口のとがった容器でおれに水をのませるものから孤独になること。
 ……
 おれはきみたちから孤独になるが
 階級の底は深く死者の民衆はかぞえきれない
 一歩ふみこんでにせの連帯をはちきれば
 はじめておれの目に
 死と革命の影像が襲いかかってくる……

 ここには、いわれもない人間への憎しみ、ことさらな孤独の強調と誇示がある。そうして党とのむすびつきを「にせの連帯」などと中傷するものに、どんな「革命の影像」が「襲いかかってくる」というのだろう?この詩にみられるのは、おさきまっくらな敗北と絶望のうめきでしかない……
 この「除名」にくらべ、対比してみるとき、福田律郎の遺稿──散文詩の美しさ、偉大さがいっそうあざやかに浮きあがってくる。
 「夜中に目がさめるとポンポンポンポンとコルベンを伝って酸素が送られてくる。それは少年の頃隅田川を上っていった一銭蒸気の音に似ている。僕は一体どこへ運ばれて行くというのだろう。」
 生と死のさかいめにおける、送られてくる酸素の音と、少年の日の一銭蒸気の音との連想・回想そこからの類推の美しさは全くまれなものだ。しかしかれは、あの「底なしの穴」の方へ運ばれてゆくことを拒否する。かれの共産主義的精神は、このときに及んで、はっきりとベトナム人民への連帯の方へ──人類の未来の方へ向かってゆく……「アメリカ帝国主義はすでに怪物である」と、その侵略的本質をあばきだすことへ向ってゆく……ベトナム人民の勝利を確信しながら、国道十九号線で倒れて死んでゆく民族解放戦線の同志の死に心を痛めることへ向ってゆく……そうしてそこで、かれ自身の口述──意識の流れをもぷつりととだえている……まるで、かれ自身の意識もここでたたかい倒れたかのように!

 一昨年の夏のある日、わたしは詩人の赤木三郎といっしょに、千葉市の郊外にある療養所の病室にかれを訪ねた。それが、わたしがかれと会った最初でまた最後であった。しかし、かれとわたしとはもう長年来の親友、同志のような感じをもちあっていたように思う。かれは、長年のあいだ病床にあったものに特有の、あの青白くやせた腕と手で、食欲のないのに、一生懸命に食物をかみくだいて、長い時間をかけて食事をとっていた……病気にうちかって生きるために……生きてたたかうために……そんな状態のなかで、いくつものすぐれた詩を書きつづけたとは、まったく驚くべきことである。

 同志をみるとき
 そして党とつながるとき ぼくはべッドからわずかに身をおこして 詩を書くことができる   
 ベッドは丸木舟
 ぼくは敏捷な櫂(かい)
           (「同志をみるとき」)

 これらの詩句は、かれが病床においてなお強烈な精神力をもっていたことを示している。そのかれの精神力、たたかいつづける精神力のみなもとは、党にあった。重い病床のかれをささえ、はげまし、かれをたくましく生きさせたのは、党──日本共産党であった。「泉はこう言った……」という詩のなかで、かれはこううたっている。

 私は泉です 私は共産党員です
 党と共に闘ってきた長い年月
 それはまた病気と闘った年月
 ふりかえれば激しいながれとなって谷をわたり
   まだ先へとつづきます
 党を知ったから!
 私は沼を泉にかえることができたのです
 たえまない水のひびき!
 だがもっと早く党を知ることができたら!
 その時期に私はきっと健康をとりもどしていたにちがいないのです
 そのとき 党は最良の医師
 私にこう詰問したはずです 人民大衆に奉仕しようとするものが
 身体を守らないでよいだろうか? と
 ……
 「を知ったから」──党のおかげで、「私は沼を泉にかえることができた……」「そのとき 党は最良の医師」とかれがうたうとき、そこには、党にたいするかれの深い信頼と感謝とがこめられている。党と党の思想とは、このように、ひとりの古い人間を新しい人間へと変え、生きさせる……

 詩人福田律郎は、戦後まもなく、純粋詩の方から党へやってきた……かれは誠実な実践のなかで、「沼を泉にかえる」自己変革の過程をへて、純粋詩と政治詩とを、純粋詩と党の詩とを、ひとつにむすびつけることのできたまれな詩人のひとりとなった……かれの自己変革の過程は、散文詩集「終と始」のなかに、みごとな結晶となって反映されている。一九五二年三月に、かれは「オルグ」という詩をかいている。

 おれは歩く
 おれは見る
 党よ 知っている おれは誰とどこへゆくべきかを
 党よ 風は高いところを過ぎてゆく
 あの塔の下で外国人が菜の花をふみちらす
 あの塔のとなりの工場では
 きのうから外国人が
 それに似た日本人が 人殺しの道具をつくっている
 おれは歩く
 ここはおれの千葉県西部地区委員会
 ここはおれの血と土
 ……
 党よ この日々はすばらしい!

 ここで、かれはすでにすぐれた党の詩人として立ち現われている。それ以来苦しい状況、困難な条件のなかで、かれが書きつづけた多くの党の詩は、わたしたち党員詩人にとって、すぐれた模範となっている。実践のなかで、ひとびとと深くむすびつき、党の思想、党の感情 党派性を、ゆるぎない言己のものとすることなしには、このようなすぐれた党の詩を書くことはできない……
 戦後、かれと同じ頃に、党にはいった知識人のある部分は、あるいは、党をうらぎり、あるいは脱落して行ったが、かれは、酸素吸人の中でも、生の最後の瞬間まで、党とともにあったばかりでなく、党にたいする深い信頼と感謝をうたいあげている。そうしてベトナム人民の英雄的な闘争に連帯の思いをはせているのだ。かれは、日本共産党の党員詩人として、そのりっばな生涯をとじた。わたしはかれの霊に深く頭をたれる……

 福田同志よ、友よ、さようなら。
 きみがさいごの息をひきとったとき、わたしたちは、参議院の選挙闘争のさなかにいた。もう一週間生きのびていたなら、きみは、輝かしい党の躍進、党の勝利を見ることができただろうに……きみの夢、きみの志向、きみの怒り、きみの遺言を、わたしたちはうけつぎ、さらにいっそう大きなものにし、そうしてもっと眼に見えるものへと変えるだろう。
同志よ安らかに眠ってくれ……

      *

 酸素吸入の中から
                       福田律郎

 レオノフ中佐はハッチを開けると宇宙に遊ぎだした。人間がその手で宇宙に触れた最初の瞬間である。彼には宇宙は底なしの穴のように思われた。しかしその無際限な穴の中へ陥ちこんでいかなかったのは彼の宇宙服が一本の命綱によって衛星船にしっかりつながれていたからである。彼は遊ぎながら一回転すると地球をカメラで写し始めた。
 地上に帰還してから、そういう困難な任務を遂行しながら不安を感じなかったのはつねに母船に同僚のベリエフ大佐がいたからでありその背後に祖国の党と人民とがいたためであるといった。

 その頃僕もまた一本の命綱によって辛うじてこの世の中とつながっていた。傍らに巨大な酸素ボンベを置いてそこからカテーテルを鼻口に入れての酸素吸入である。僕はほとんど眠ってばかりいた。そして僕がみたものも底なしの穴のようなものであった。そこにはレオノフ中佐がみたようなきらめく星々はなかったし、偏平な地球もみえなかった。それでもその穴の中へ運び去られていかなかったのは献身的な同志の妻の看護があったからである。その背後に祖国の党と人民の激励があったからである。ガガーリン中佐は始めての宇宙飛行に成功して帰ってきた時「地球は青かった」という詩的な表現をした後でやっぱり祖国の党の名をあげて感謝をしたことがある。それをきいて始めての宇宙飛行士がなにも祖国の党をここで持出すことはあるまいといってからかった文章を書いたばか者がいる。
 宇宙飛行士になろうが僕のように死に直面しようが人間である限り彼の存在は階級性、党派性から離れることはできないのである。死は一見抽象的な存在にみえるけれど死にも階級性は断じてあるのである。その死は人類の未来に必ず役立たされるものである。
 夜中に目がさめるとポンポンポンポンとコルベンを伝って酸素が送られてくる。それは少年の頃隅田川を上っていった一銭蒸気の音に似ている。僕は一体どこへ運ばれて行くというのだろう。
 ポンポンポンポン コルベンから酸素の送られてくる音がする。そうだ、どこへ運ばれてゆくのだろうなどと感傷的なことを言ってはいられない。僕は南ベトナムから手紙をうけとっている。そして今日もそこではドンホアとプレークを結ぶ国道十九号線で民族解放戦線の同志が仰向けざまになって死んだ。
 アメリカ帝国主義はすでに怪物である。知性も理解も何もかも失っている。中国共産党は絶対にこの報復はすると声明した。ベトナム民主共和国もまた絶対に報復するといっている。僕は一銭蒸気にのって早くこの同志たちと手をとりあわねばならぬ。
 僕らが米帝を粉砕することは間違いないけれど それにしても十九号線で現在倒れてゆく同志の悲惨──。

(『文化評論』1965年10月号)

福田律郎
療養中の福田律郎


詩人の鈴木比佐雄さんが「戦後詩を切り拓いた市川の詩人たち~福田律郎・鳴海英吉・宗左近の鎮魂詩の歴史」と題して9月16日(水)に市川文学プラザで講演します。
博光は福田律郎への挽歌を書いています。

党の詩人 福田律郎
                       大島博光

  ・・・・・僕が見たものは底なしの穴のようなものであった。そこに
  はレオノフ中佐がみたようなきらめく星々はなかったし偏平な地
  球も見えなかった。それでもその穴の中へ運び去られていかなか
  ったのは献身的な同志の妻の看護があったからである。その背後
  に祖国の党と人民の激励があったからである。・・・・・・
               福田律郎『酸素吸入の中で』

一九六五年六月三十日
きみは 共産主義的詩人として りっぱに生き たたかい 倒れた
きみは 意識のうすれてゆくさいごまで
日本の党と 人民と ともにいた

生と死のさかいめで 死をのぞき見ながら
『酸素吸入の中で』をかいたきみのように
死とのたたかいを書きとめた詩人はまれだ
しかも そのときに
「その死も人類の未来に役立たされる・・・」と
自分の死をも 人民の勝利の確信にむすびつけ
人類の未来にたいする ゆるぎない希望をかかげることのできたのは
  さらにまれだ

きみは 純粋詩の方から
党へやってきた
人民の無残な焼死体が
積み上げられた
あの戦争の廃墟のなかをとおって
きみは 党へやってきた

党のなかで
ひとびとの生活に根深くはいりこむなかで
きみは きみの「沼を泉にかえ」
純粋詩と党の詩とをむすびつけることができた
ゆたかな党の感情で肉づけした詩を
きみは党にさし出した

重症ベッドにしばりつけられながら
きみはうたった
「同志をみるとき
そして
党とつながるとき ぼくはベッドからわずかに身をおこして
  詩をかくことができる
ベッドは丸木舟
ぼくは敏捷な櫂」
下町っ子の機智と ひとなつっこさに色どられた
きみのたたかいの詩 党の詩は
わたしたちをはげました

それらのすべてで きみはあかしだてた
党が どのように ひとりの古い人間を新しい人間に変えたかを
党が どのように ひとりの純粋詩人を 党の詩人に変えたかを

党の詩人
共産主義的詩人にとって この称号ほどに名誉なものはない
党の詩人
この称号ほどにきみにふさわしいものはない

酸素吸入のなかで
ふと きみはつぶやいた
「わたしはどこへ運ばれて行くというのだろう」
きみは どこへも運ばれて行きはしない
きみは いつもわたしたちのあいだにとどまっているだろう
すでに党のものとなったきみの精神 きみの感情 きみの詩は
いつまでも 党とともにあり
日本の人民とともにあるだろう
きみの夢 きみの志向 きみの怒り─きみの模範を
わたしたちはうけついで前進するだろう
それをもっともっと大きなものに変え
もっと眼に見えるものに変えるだろう
やすらかに眠ってくれ

福田律郎同志よ

                 (一九六五年七月十七日「アカハタ」)