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アルベルティ

ここでは、「アルベルティ」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。




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<『マチャード/アルベルティ詩集』1997.12>

海








グラナダへ



<『マチャード/アルベルティ詩集』1997.12>

アルハンブラ






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(「世界政治──論評と資料」 1982年1月下旬号)



スペインの岸べ

(『マチャード/アルベルティ詩集』)


海
新たに現われた愛の歌     ラファエル・アルベルティ

きみが現われたとき
わたしはもがき苦しんでいた
風も入らない 出口もない洞穴の奥で
眼に見えない 鳥の翼の羽ばたくような
喘ぎの音を聞きながら 夜のなかで
わたしは のたうちまわっていた
そのときだ きみがわたしのうえに
きみの髪を振りほどいてくれたのは

わたしは太陽の方へ身を起こして見た
それは海を蔽うあけぼのだった
わたしは南部(ミディ)の美しい港に
錨をおろしたように思った
眼の覚めるような風景がきみのなかに隠されていた
バラ色の雪をいただいた明るく尖った山々や
ほの暗い森かげに隠された泉など

わたしはきみの肩に安らぎを見いだし
流れや斜面にそってくだり
のびた木の枝にからみ合い
この上なく甘美な死者の眠りを眠った
きみはわたしに門をひらいてくれた
そしてわたしの花咲いた歳月は
濃くて深い きみの愛の影のもとに横たわった
心を風の中へ連れ出し
きみの心の緑のリズムを与えてくれた
わたしは眠りこみ 目覚めて知った
自分はもう暗い洞穴で苦しんではいないのだと
自分はもう風も入らない出口もないところで
もがきたたかってはいないのだと

それはきみが現われたからだ
                   (一九五〇年)

<『マチャード/アルベルティ詩集』1997.12>

赤バラ
 一九一七年     ラファエル・アルベルティ
            
わたしはそのとき一五歳だった
青くて白い ふるさとの海
小さな入江のカディスからやってきて
わたしは遠い内陸の都市(まち)に着いた
一九一七年だった

手のなかの緑の木の葉よ
画家のパレットが
すべての色彩で 明るい夢を
わたしの心にひらいていた
人生は 暑い風景のように
わたしのなかに入っていた
わたしは何も知らなかった
薄紫色で影をあらわし
白で水を輝かせ
太陽で火のひまわりを描くというほかは
何もわたしは知らなかった
しかし とつぜん ひとつの名前を
「十月革命」のあけぼのが照し出した
地球の夜のなかに 新しい赤い光を
レーニンを

<『マチャード/アルベルティ詩集』1997年>

アルベルティ

 創り出そう
                    ラファエル・アルベルティ

創り出そう 新しい人間を
歌いながら
     
スペインの 新しい人間を
歌いながら
     
世界の 新しい人間を
歌いながら

星の降る夜 孤独な亡命の身で
わたしは歌う

しかし ひとは地上で歌声をあげる時
だれも 孤独ではない

木は 木の葉といっしょだ
ひからびた木は 木ではない

鳥は 風や雲といっしょだ
黙りこんだ鳥は 鳥ではない

海は 波といっしょだ
船は 波の歓びの歌だ

火は 焔や火花をもつ
高く燃えあがると 影をもつ

地上では 何ものもひとりではない
創り出そう 新しい人間よ 歌おう!

<『マチャード/アルベルティ詩集』土曜美術社出版販売 1997.12>


*ラファエル・アルベルティ1999年10月28日没。(「ラファエル・アルベルティ追悼」)

 エルネスト・チェ・ゲバラに
                        ラファエル・アルベルティ

わたしは子供のきみを知っていた
遠い向こうのアルゼンチンのコルドバの野で
きみはポプラ林やトウモロコシ畑で遊んでいた
古い農場の牡牛や貧乏な農夫たちのなかで…
それからわたしはきみには出会わなかった
ある日きみが血まみれの光となり
北の空のあの星となったと知るときまで
自分たちがどこにいるかを知るためには
絶えず見守っていなければならない
あの北の空の星を

             一九七〇年一〇月 ローマにて

(『マチャード/アルベルティ詩集』)

 わたしは歌いたい
                        ラファエル・アルベルティ

わたしは歌いたい わが人民の
花となるように

わが人民の牝牛が
わたしの草をたべてくれるように

わが人民の農夫が
わたしの歌に耳をかしてくれるように

わが人民の月が
わたしの歌を聞いてくれるように

わが人民の海と河に
わたしが身を浸すように

わが人民の娘が
わたしの髪を刈ってくれるように

わが人民のこころの大地が
わたしを埋めてくれるように

なぜなら わが人民がいなければ
わたしは ひとりぼっちなのだから
(わが人民がいなければ わたしもいないのだ)


 歌いつづけねばならぬ
                        ラファエル・アルベルティ

わたしは 知っている
飢えは 夢を奪いさることを
しかし わたしは歌いつづけねばならぬ

わたしは 知っている
牢獄は 夢を曇らせることを
しかし わたしは歌いつづけねばならぬ

わたしは 知っている
死は 夢を消しさることを
しかし わたしは歌いつづけねばならぬ

(『マチャード/アルベルティ詩集』)

 きょう流れる雲は
                 ラファエル・アルベルティ

きょう流れる雲は わたしに
スペインの地図を 運んできた
雲の地図が 落とす影は
河の上では とても小さく
牧場の上では とても大きい

雲の地図が 落とす影には
馬たちが いっぱい群れている
わたしは馬に乗って 影の中に
故国の 村や家を探して歩いた

わたしは なつかしい中庭(パティオ)に入った
そこに 泉はもうなかったが
泉は ぶつぶつつぶやいていた
流れていなかった水が戻ってきて
わたしに水を飲ませてくれた

(『マチャード/アルベルティ詩集』)


ポール・エリュアールの帰還
                  ラファエル・アルベルティ/大島博光訳

南アメリカの この春の昼さがり
きみは 遠くからわたしの方へやってくる
褪せることのない光に額を輝かせて
きみは毎日少しづつ その輝く額をつくりあげ
そしていま きみの死とともにそれを不動のものにした

おお フランスの美しい穂よ
十月の とある夜 わたしは君に会ったが
そのとき 「自由」はまだ廃墟の瓦礫の下に
倒されて 横たわってはいなかった
そして きみの愛の詩集のなかで
きみの夢の 単純な言葉のなかで
平和は その白い顔を
黒い喪のヴェールで 覆うてはいなかった

きょう きみはまたわたしの方へやってくる
立って はるばる 海を越えて
君が死んだ きょう
わたしはいまもあの友情を追いもとめたい
あんなに悦びを歌った あの友情を
そしてきみがよく知っていた多くの悲しい理由で
あの友情だけがわれらの指のぬくみを知っていたのだ
さあ 亡命者の小さな庭に坐ってくれたまえ

これらの花花──ダリアや
ギリシャの蘭や アマリリス
ひるがおや──藤(ふじ)
壁を這うつる草──
連邦の星や ライラック
木蓮や──これらの樹々──

わたしをとり巻く この仲のいい緑は
もうずっと わたしといっしょだ
わたしはそれをきみの生ける心にささげよう
                    
きみはついにやってきた
きみの生はいま始まる
さあ 話してくれたまえ
 話し合おう


    訳注 ポ-ル・エリュアールは一九五二年十一月十八日に死んだ。
   この詩はエリュアールの死の報せを知って書かれたものと思われる。

<「マチャード/アルベルティ詩集」>


老い知らず高鳴る詩精神 アルベルティのこと
                                大島博光
アルベルティ

ボタンを押す将軍の手を・・・


 ひとりの大統領が、原爆や中性子爆弾をふりかざして、なんなら限定核戦争をやるぞと、世界の人民におどしをかけて以来、反核・平和運動は世界じゅうに燃えひろがっている。それは、かつてない高まりとうねりをもって、全世界をまきこんでいる。ヨーロッパの諸都市での反核行動が、いずれも数十万人の規模でひらかれ、5・23東京行動には四十万人、6・12ニューヨーク行動には百万人が参加したという。この世界人民の反核のうねりは、核戦争屋をますます孤立化させ、人類に希望を与えずにはおかない。
 そのなかで、あらゆる分野の人びとが核兵器反対と平和の声をあげている。過日、詩人会議の呼びかけで、労音会館においてひらかれた「世界から核兵器廃絶をめざす詩の集い」でも、多くの詩人たちが、世界唯一の被爆国の詩人として、きわめてリアルな原爆反対の詩やメッセージを朗読して、参集者に深い感銘を与えた。
 さて、ここに訳出したラファエル・アルベルティの詩は、この四月、イタリーのミラノでひらかれた平和集会で、作者自身によって朗読されたもので、四月十九日付「ウニタ」紙(イタリア共産党機関紙)に掲裁された。テキストは『世界政治』編集部のイニシアチブによって提供されたものである。なお、『世界政治』誌八二年一月下旬号には、おなじくアルベルティが、一九八一年十一月十五日のマドリード平和集会で朗読した詩、「平和と軍縮と自由のための歌」が掲載されている。そこで詩人は「中性子爆弾で地球を支配しようと/そんな妄想に駆られているのは/いったい ぜんたい だれなのだ?」と戦争屋の悪党どもを指弾し、「さわやかな 風のなかを/生きいきと 鳩たちが/大空を 飛び交うように」と平和をねがい、平和をたたえている。
 「これなる将軍」においては、原爆による廃墟の世界を、戦争屋たる将軍そのひとに対置させることによって、原爆による徹底的な破壊の怖ろしさを、風刺的に鋭く描き出している。原爆戦争になれば、原爆のボタンを押した将軍自身も、「犬のようにでさえもなく」死に、──つまり犬死さえもできないということになり、そんな将軍なしに、破壊された世界がまた始まるのであろう。ボタンを押そうとする将軍の手を、わたしたちはなんとしても押さえつけねばならない。


80歳のいまも平和を熱烈に

 アルベルティは、一九〇二年スペインのカジスに生まれたのだから、ちょうど八十歳の高齢になる。彼はガルシア・ロルカ、ミゲル・エルナンデス、パブロ・ネルーダらの友人であって、スペイン市民戦争に際しては、多くのマドリード防衛の詩を書いてたたかった。なかでも、「国際義勇旅団の歌」は有名なものである。共和国側の敗北後は、アルゼンチン、イタリーなどに亡命し、その苦境のなかでも祖国スペインヘの望郷の歌や、ロルカの追憶によってフランコを撃つ、といったような詩を書きつづける。一九六五年にはレーニン平和賞を授与された。一九七七年、三十八年間にわたる亡命生活を終えて祖国スペインに帰り、民衆の熱烈な歓迎をうける。そしてその詩精神は老いを知らずに、いまも平和と自由と人民のために高鳴っているのである。
 (おおしま ひろみつ 詩人)

<「赤旗」1982.7.14>