映画

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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


ドアノー

フランスの写真家ロベール・ドアノーの人生を描いたドキュメンタリー映画が公開されました。孫娘のクレモンティーヌが監督。
2012年の生誕100年記念写真展でドアノーのことを知りました。人々への優しい眼差しが印象的でした。

戦前、ルノー社にカメラマンとして入社。労働者の大闘争を空から撮りたいと思うが、立場上むつかしかった。
自宅アパートの浴室が暗室として使われたので、家族が入浴できるのは日曜だけだった。
アパートの管理人のババ(ポール・バルべ)はゲシュタポからレジスタンス活動家の住人を守った。(ドアノーも第2次大戦で招集されるが体調を崩して除隊、レジスタンス運動に参加した。)
「ポール・バルべは、戦時中から暗室やファイリングの助手、配達人、時にはモデルとして、父を助けていた人物で、私たちは、血のつながらない祖父のような存在であるバルベ氏が大好きだった。」(フランシーヌ・ドルディール「日常のロベール・ドアノー」=写真集『ロベール・ドアノー』)

詩人のプレヴェールは親友で、一緒に散歩し、彼の写真をたくさん撮った。昼の友人プレヴェールにたいして、夜の友人が作家のロベール・ジローだった。
女優のサビーヌ・アゼマも親友で、最初に握手した瞬間から心がつながったと語っている。
「写真家に必要なものは不服従、好奇心、忍耐力だ」とドアノーは語っています。好奇心と忍耐力はなるほどその通り、とわかりますが、不服従とはどういうことか、考えてしまいます。いろいろな圧力や干渉に屈しない独立の精神で物事を見るということでしょうか。
沢山の写真が登場しますが、彼の写真は人間が中心で、ユーモアに満ちた写真には子どもや大人の生きる歓びがあふれています。

ドアノー
ダンス
ドアノー

トロツキー


映画「フリーダ」とトロツキー

ロバート・キャパの写真「トロツキー」が掲載された新聞(2月12日、東京新聞)を見て、映画「フリーダ」を見た時に覚えた違和感の正体がわかった。

この映画は奔放な愛と芸術に生きたメキシコの女流画家フリーダ・カーロの生涯を、著名な壁画家だった夫ディエゴ・リベラとの愛憎を軸に描く。主演女優は美貌で情熱的なフリーダの生き写しのように魅力的だった。
彼女とトロツキーが情を交わす場面が一つの山だった。メキシコに亡命してきたトロツキーをフリーダは自宅にかくまうことになる。共産主義者だった夫リベラからの依頼によって。フリーダは一目見て彼に魅せられ、トロツキーもフリーダの愛を受け入れる。ところがトロツキー役は憂いをおびて物静かな大学教授風で精悍な革命家の魅力がまったく感じられない。なぜこんな男が??二人の恋に観客は納得するのだろうか?

ロバート・キャパの写真にはトロツキーの熱気が写し取られている。こういう彼にフリーダは惹かれたのであろう。

2003年 アメリカ映画 監督 ジュリー・テイモア 主演 サルマ・ハエック

ふりーだ

 第2次大戦中、空襲のロンドンで唯一上演を続けた劇場(実話)の映画化。

 ヘンダーソン夫人は富豪だった夫の死去によって莫大な遺産を相続する。その使い道を探していた夫人は、街で売りに出ているウィンドミル劇場を眼にして、これを買い取ってしまう。劇場の支配人として推薦されたのがヴァンダムというプロの男。面接の場でひと目で気に入った夫人は「あなたはユダヤ人でしょ」とズケズケ言うが、ヴァンダムは「遅刻したうえ、私に無礼な口をきいた」といって帰ろうとする。「私は劇場を持っている、それを自由に使っていい。あなたで失敗すれば、あなたを選んだ私の眼が節穴だったことになる。」との言葉にヴァンダムの気が変わる。「意見は言ってもいいが、最終的な決定権は私にある」というヴァンダムの主導で劇場経営が始まる。芸人のオーディションでも彼のシビアな選び方に不満をもつ夫人だったが、しぶしぶ従うほかなかった。

 当初はヴァンダムが提案したノンストップ公演が評判となり上々の滑り出しをしたものの、他の劇場が真似をしたために客足は落ち込み、経営は苦しくなっていく。そこで夫人は、女性の裸をステージで見せることを提案する。当時としては前代未聞、不可能と思われるアイデアだったが、夫人は幼なじみだった検閲官の長官トミーをご馳走して丸め込む。「美術館では裸の女性の絵が芸術として公開されている。ステージでも女性が動かなければ同じ芸術」と、女性が動かないことを条件に許可を取り付ける。

 ヌード上演の公開初日、美しいショーが終わると、視察で観客席にいた検閲官のトミーが真っ先に拍手をした。成功に湧くオープニング・パーティーにヴァンダムは妻を同伴して現われ、ヘンダーソン夫人に紹介する。彼に妻がいることを知って夫人はたちまち不機嫌になり、嫉妬心から妻を無視する行動に出る。ヴァンダムは妻への侮辱は許せない、と怒って劇場への出入り禁止を通告する。変装して劇場に入る夫人と、これを見つけてお仕置きをするヴァンダム。

 戦争が始まり、ナチスのパリ占領が報じられると、劇場はフランスを励ますべくマルセイエーズを歌い、ロンドンへの爆撃が始まると戦意高揚の演し物を演じるのだった。
 客席は兵士たちで溢れるようになり、踊り子たちに魅せられた兵士たちが楽屋口に見送りに来る。少年のように初々しい若者に声をかけた夫人は、年令が21才と聞いて、何故かお気に入りの踊り子と引き合わせようと画策する。

 ついに劇場に閉鎖命令が下された。爆撃が続く中、人が集まりすぎて危険という理由だった。劇場の前に集まった兵士たちや検閲官、新聞記者を前に夫人は大演説をする。
 「私の息子は前の大戦でフランスで戦死しました。21才でした。遺品から女性のヌード写真が出てきました。生の女性の裸も見ないまま亡くなった息子は犬死にでした。私が劇場を始めたのは、戦場に赴く若者に贈り物をあげたい、喜びを送りたいと思ったからです」

 ショーが再開されて盛り上がる舞台、夫人がいないことに気づいたヴァンダムが屋上に上がると、夫人は遠い空を眺めていた。ヴァンダムの誘いでダンスを踊る二人のあいだに相変わらずの辛辣なやりとりが続く。「足を踏んだわね、ダンスが下手だとインドでは紳士になれないわ」「これでもダンスには自信がある。あなたは困った人だが、そこがいい」

 行動的で茶目っ気のあるヘンダーソン夫人と一流の演出家にして中年男の色気を漂わせるヴァンダムとの掛け合い、口論が面白く、「まるで長年連れ添った夫婦みたい」。主演二人の演技と存在感が抜群で、脇役陣も見事だった。歌と踊り、ヌード美も楽しめた。ストーリー展開も歯切れがよく、メセージ性もあり、共感できた。英国の映画のレベルの高さを感じさせる作品でした。

監督 スティーヴン・フリアーズ
脚本 マーティン・シャーマン
出演 ジュディ・デンチ、ボブ・ホスキンス
2005年イギリス

ヘンダーソン

1973年9月、アジェンデ政権が軍事クーデターで倒されるまでのチリ社会の動きを写したドキュメンタリー映画「チリの闘い」が公開されています。右翼勢力や軍部による様々な攻撃、アジェンデを支援する民衆の大衆行動などが多数記録されていて、生々しい影像に圧倒されます。
3部構成で、全部で4時間半のボリューム。

第1部「ブルジョワジーの叛乱」
 1973年3月の国会議員選挙の場面、野党が支持率を伸ばしたが、人民連合も前進し、アジェンデを罷免しようという反動派の思惑は潰え去る。ここから様々な妨害策動が始まる。CIAによって作られたファシスト組織のデモ、バス会社のスト、銅山のストライキ。そして6月末に軍の一部部隊によるモネダ宮への反乱行動が起きた。

第2部「クーデター」
 6月末の軍の反乱は人民連合側の連隊の出動やプラッツ将軍らの行動で挫折する。7月、アジェンデ側近の海軍副官アラヤ少佐が極右によって暗殺された。バルパライソの軍関係者が練っているクーデター計画をアジェンデに悟らせないためだった。8月、プラッツ将軍が将校夫人たちの抗議デモをうけて国防相と陸軍総司令官の職を辞任し、立憲派のふりをしていたピノチェトが陸軍総司令官となった。9月4日、アジェンデ政権成立3周年の集会には80万人が集まり、史上最大の集会となった。9月11日、不吉な戦闘機が姿を見せ、戦車が出動、モネダ宮に砲弾が浴びせられた。アジェンデ最後のラジオ演説が流される。「歴史は抑圧や犯罪をもってしては押しとどめることはできない。歴史は人民のものであり、労働者のものである。遅かれ早かれ、大きな道が切り開かれることだろう。みな自由に歩くことができ、より良い社会を建設するために通る道が」

第3部「民衆の力」
 1972年、アジェンデのパレードに支持者たちの熱狂的な声援が続く。「アジェンデ!アジェンデ!私たちはあなたを守る!」 政権発足から1年半しかたっていなかったが、鉱山や農地、銀行の国有化をし、アジェンデは国民から強い支持を得ていた。10月の運輸業者ストライキの経験から労働者の組織能力が高まり、「人民勢力」が育ってゆくことなった。「民衆の力を作り上げよう」のスローガンのもと「産業コルドン(地域労働者連絡会)」や学生・主婦・労働者・農民らの『地域部隊」が組織された。商店の多くが右派の策謀で商品を闇市場に流し、反政府的姿勢をとることに対して、人民勢力が作った直接配給制度「人民商店」が各地にできた。人民勢力の種子はチリ全土に拡がった。人民連合広報部長マルブランの熱弁が続く。「労働者の参画によって社会主義へ移行するための新たな組織を作り出す」「大衆運動が高まりを見せている今、彼らを階級闘争へ導く必要がある……」未来への希望を託すかのようにベンセレモスのメロディーが流れて、映画は終わる。

製作・監督・脚本: パトリシオ・グスマン PATRICIO GUZMAN
原題: LA BATALLA DE CHILELa Lucha de un Pueblo sin Armas
作年:1975、1976、1978
製作国:チリ=フランス=キューバ
本編尺:263分

チリの闘い

アジェンデ社会主義政権下、大規模な反米デモが繰り広げられているチリ・サンチャゴで、大衆運動を支援していたドイツ人写真家のダニエルに軍事クーデター発生の電話が入る。恋人と二人で街からの脱出を図るが、街頭を制圧している軍隊にたちまち捕まり、チリ国立競技場に監禁される。そしてダニエルだけが車に乗せられて運びだされてしまう。恋人のレナはダニエルが連れ去られた所がコロニア・ディグニダであることを知り、客室添乗員としてドイツへ向かう仕事をキャンセルしてコロニアに向かう。

コロニア・ディグニダは1961年、ドイツを追われた元ナチス軍曹のパウル・シェーファーがバプテストと反共主義を掲げてチリ南部に開設したドイツ系移民コミュニティ。シェーファーが教皇と称して君臨し、<理想郷>とは裏腹の住民への暴力が日常茶飯事だった。ピノチェト軍事政権の下では秘密警察と協力してナチス式拷問センターをつくり、多数の活動家を監禁し拷問した。

この9月17日に公開された新着映画。
軍隊が街頭で弾圧するシーン、チリ国立競技場に押し込まれ追及される場面、ナチス仕込みの拷問を受けて廃人にされそうになる場面等、「サンチャゴに雨が降る」や「ミッシング」で知った歴史を実体験するような迫力でした。
コロニア・ディグニダでの生活と脱出は<捕虜収容所からの脱走>ものですが、最後まで息をつかせぬスリリングな展開で、エンタテインメントとしても星5個。
最後にコロニア・ディグニダの人々の実際の写真が出ましたが、映画の1シーンのようで、見事に映画に再現されていると思いました。

映画パンフレットに高橋正明先生が解説を書いています。シェーファー自身が拷問を指揮し、ピノチェトや秘密警察の長官、ドイツ大使館員を歓待していたこと、ドイツ大使館とコロニアとの関係、今年7月、ドイツ代表団がチリを訪れ、このことに独大統領が謝罪を表明したことなど、<チリとドイツの暗黒史>がわかります。

監督・脚本 フローリアン・ガレンベルガー(ドイツ)
出演 エマ・ワトソン、ニエル・ブリュール、ミカエル・ニクヴィスト
2015年 ドイツ、フランス、ルクセンブルク

コロニア
シャーロット・グレイ
第二次大戦下、フランスのレジスタンス運動に参加したイギリス女性の物語。

 ロンドンに住む看護婦のシャーロットは大のフランス好き。列車の中でフランス語の小説を読んでいると、同席の紳士からフランス・レジスタンスの連絡員にならないかと誘われる。恋仲になった英空軍パイロット・ピーターがフランス出撃中に行方不明になった。彼の消息を調べたい動機でフランスに行く気に。「信頼・希望・愛情。きみはどれを信じるか」と問われた答えは「希望」。
 厳しい訓練を受けた後、南フランスに送られ、パラシュートで降りたった。そこで地元レジスタンスの青年リーダー・ジュリアンと巡り合う。彼は共産党員だったが、レジスタンスを闘っているのは共産党しかないので彼らと協力するようにと上から指令された。軍や警察の支配下の活動で次々と試練に立たされるが、正義感と行動力で立ち向かう。レジスタンス女性連絡員との接触では、ピーターの事をひと言聞いたため、女性連絡員は逃げるタイミングを失い警察に捕まってしまった。映画「鉄路の闘い」さながら軍用列車襲撃に参加する。ドイツ軍の行進に向かって抗議の声を上げ続けるジュリアンに銃が向けられると、とっさに彼におおいかぶさってキスをし、彼を救った。ある晩、英空軍からの補給地点が敵に筒抜けになり、集合した仲間が皆殺しにあうが、情報を漏らしたのは戦後の共産党の力を恐れたイギリスからの司令とほのめかされ、権力の非情を知るのだった。
 ジュリアンの父親ルベードはユダヤ人の幼い兄弟をかくまっていた。シャーロットも面倒を見ていたが、彼らの父母はすでに収容所へ送られ、我が子への手紙も渡せなかったため、子どもは親への不信を抱いていた。ルベードは密告されて当局に連行されてしまう。そして別の家に匿われていた幼い兄弟も。シャーロットは警察の追及が迫る中、必死で手紙を書いた。自転車で走り、収容所へ向かう列車に間に合った。手渡された「母親から」の手紙、それは兄弟に希望を与える手紙だった。
 戦後、瓦礫の残るロンドン。死んだと思っていたピーターから手紙があり、再会する。しかし歴戦の彼女にとって彼は過去の人でしかなかった。ラスト、平和の戻った南フランスで再会した二人。満面の笑顔で「私の名はシャーロット・グレイよ」初めてジュリアンに自分の名を明かすと、ふたりは固く抱きあうのだった。
 ヒロインの大きな存在感と様々な表情変化が見応えがあり、最後にジュリアンと再開して見せる輝く笑顔は幸福感に包まれる。ストーリー展開もスッキリしてさわやかな読後感。

2001年 イギリス・オーストラリア
監督 ジリアン・アームストロング
原作 セバスチャン・フォークス
出演 ケイト・ブランシェット、ビリー・クラダップ

シャーロット

9月30日が近づくと、50年前に300万人もの共産主義者の人びとが殺されたと言われたインドネシア大量虐殺事件が思い出されます。
この事件を告発するドキュメンタリー映画「アクト・オブ・キリング」と「ルック・オブ・サイレンス」をNHKの朝のニュース(6月10日)で紹介していました。

インドネシア

インドネシア「埋もれた虐殺」

インドネシア

映画をきっかけに、沈黙を続けてきた被害者の遺族たちが今、静かに声をあげはじめています。

インドネシア

自分たちの家族に、いったい何が起きたのか知りたいのです。

インドネシア

今、二つの映画が世界で注目を集めています。
50年前、インドネシアで起きた虐殺をテーマにしたドキュメンタリーです。

インドネシア
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一作目は3年前に制作され、続編となる最新作は来月、日本で公開されます。
映画はこれまで声を上げられなかった人たちに大きな変化をもたらしています。

インドネシア

新作の公開に合わせて先週、日本を訪れたアメリカ人のジョシュア・オッペンハイマー監督。
9年にわたってインドネシアの虐殺について取材を重ねました。

インドネシア
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映画を作る者として、インドネシアに残る歴史の闇を伝えなければいけないと思ったのです。

インドネシア
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50年前、インドネシアで起きた共産主義の人たちに対する弾圧。

インドネシア
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犠牲者は50万人以上と言われていますが、その実態は闇に包まれています。

インドネシア

一石を投じたのは、3年前に製作された「アクト・オブ・キリング」です。

インドネシア

軍から命令を受けて虐殺を行ったというギャングや民兵組織の男たち。

インドネシア

今も罪に問われることなく暮らす様子が写し出されています。

多くの人が殺害された現場では、

インドネシア

自分がかかわった虐殺について悪びれもなく語っています。

インドネシア

来月公開される続編「ルック・オブ・サイレンス」

インドネシア

兄を殺された弟が、加害者を訪ね歩きます。直接問いただします。

インドネシア
インドネシア
インドネシア
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多くの民兵組織の幹部にたどり着きます。

インドネシア

主人公が住む地域で有力政治家として地方議会の議長となっているこの男、
恫喝めいた言葉を口にしました。

インドネシア
インドネシア
インドネシア

虐殺の加害者たちが今も権力を持ち、人々を恐怖に陥れています。

インドネシア

これは今の時代の話なのです。

インドネシア

映画はインドネシアでも上映された、大きな反響を呼びました。

インドネシア
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被害者や遺族の間で、真相を求める声が上がっています。

インドネシア

中部ジャワ州のパティ県、
当時、最も弾圧の激しかった地域のひとつです。

インドネシア

郊外の村に住むニャミニさんです。

インドネシア

夫と父親は共産主義者の疑いをかけられ、殺害されました。

インドネシア

これまで子どもたちにも虐殺のことを話してこなかったといいます。
当時のことを初めて語ります。

インドネシア

夫はひどく殴られて 車に乗せられて 連れて行かれたんです。

インドネシア

遺体すら 戻ってきませんでした。

インドネシア

ニャミニさんは今、同じ地域でくらすほかの遺族たちと当時の体験を共有しはじめています。

インドネシア
インドネシア

連行された夫に食事を届けようとしましたが、看守に踏みつけられました。
本当に恐ろしかったです。

インドネシア

これまでは自分だけの秘密にしてきました。
話せばどんな危害があるか分からなかったからです。

インドネシア

でも、ほかの遺族と会って ようやく声をあげられるようになりました。

インドネシア

しかし、インドネシア政府は虐殺について
治安維持するためだったとして
詳しい事実関係を一切明らかにしてきませんでした。

インドネシア

埋もれた虐殺の実態を明らかにしようと、調査を始めた人がいます。
被害者団体の代表をつとめるブジョ・ウントンさんです。

インドネシア

虐殺の遺族や激しい拷問を受けた人に、直接話を聞き取ります。

インドネシア
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撃たれた傷ですね。
ほかにもありましたよね。

インドネシア

胸の上の黒い部分が撃たれたアトです。

インドネシア

今年2月、およそ200人の遺族たちを集め、聞き取り調査をしようとした時のことです。

インドネシア

突然、警察や軍が現れ、調査は中止に追い込まれました。

インドネシア

ブジョさんは、いまだに妨げられていると感じます。

インドネシア

軍の担当者は「集会は危険だ。許可しない」と言いました。

インドネシア

50年たった今も、軍などの一部は私たちを脅しているんです。

インドネシア
インドネシア

半世紀を経てようやく歴史の闇に光を当てようと声を上げ始めた人たち。
その声にどう向き合っていくのかが問われています。

インドネシア

オッペンハイマー監督は、国が負の歴史に向き合うためには国際社会からの関心も欠かせないと語っていました。


(「NHKニュース」2015/6/10 7AM) 



「ルック・オブ・サイレンス」は各地で順次上映されています。
東京では下高井戸シネマで10月に上映されます。
10/3(土)〜10/9(金) 19:00〜(終20:47)
10/10(土)〜10/16(金) 21:10〜(終22:57)


 ドレスデンの病院で働く看護婦のアンナは、次々と運び込まれてくる負傷兵の看護に献身的に働いている。地下室に隠れている負傷兵ロバートを見つけ、介抱するうちに激しい恋に落ちた。彼はドイツ爆撃に参加して撃墜された英空軍パイロットだった。
 イギリス空軍省はソ連軍のドイツ進軍を空から援助する名目でドレスデン爆撃を命じた。エルベ川のほとりにたつ美しい古都は1945年2月13日、連合軍の大空爆を受け、廃墟と化した。爆撃と火災旋風の中を逃げ惑うアンナとロバート。防空壕で窒息死や集団自殺する人びと。2万5千人とも15万人とも言われる一般市民が死亡し、残虐な無差別爆撃にイギリス国内からも批判の声が起きた。
 映画の最後は2005年に再建された聖母教会で平和の式典を行う人々の映像にアンナの顔も。

 正義感が強く情熱的なアンナにたいして、婚約者は優等生タイプでおとなしい医師、だがロバートはむっつりしているだけ。恋は盲目と言うが、婚約者がいながらなぜ戦時下、敵国の兵を恋したのか?観客を納得させるのは英国兵の魅力、存在感であろうが、ロバート役にはこれが希薄だった。ロバート・レッドフォードみたいな伊達男なら良かったのに。ドレスデンとイギリスとの和解というミッションのための恋愛ストーリーなのか?
 今でも2月13日はドレスデンの追悼の日で、ミサ曲が演奏されるという。ドイツがはじめて自国の空襲被害を映画化した作品というから、今まで声を上げるのを自重していたのだろうか?廃墟の映像は「戦場のピアニスト」を思い出させ、戦争の残虐性を厳しく告発している。2006年ドイツ、監督ローラント・ズゾ・リヒター。

アンナ

再建され、平和と和解の象徴となった聖母教会を見るアンナ

「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」を観て   矢向忠雄

 1987年(昭和62年)香港。返還十年前に作られた。レスリー・チェーン(私は、彼がジャッキー・チェーンだと思いましたが、別人でした)主演の、カンフーの殺陣と、「おとぼけ」が面白い映画で、後に、日本で流行ったカンフー映画の、初期の作品だと思います。

 物語は、彼が古寺で出会い、好きになった女性(実は幽霊)を助けるため、ある道士と力を合わせ、魔王と戦い、彼を倒し、女性を成仏させると言う話です。空中を飛びまわるカンフーアクション、憂いを帯びた歌声(歌っているのは、テレサ・テンだと思うが、不明)が印象的です。では何故この映画がヒットしたのか、考えて見たいと思います。理由はいくつかあると思いますが、一つはこの映画の背景思想が、日本人の思想の根源である、仏教だからだと思います。例えば力を合わせる道士は、道教の指導者でしょう。でも彼の持っている刀は、不動明王の持っているものと同じ形です。中国人なら青竜刀でしょうに。道士は掌に「呪」と書き、「般若波羅蜜」と叫んで投げ、敵に打撃を与えます。「呪」は「しゅ」と読み、これを長く文章化したものを「真言」と言い、要するに呪文です。「摩詞般若波羅蜜多心経」の最期に出てくる 「ギャーテー・ギャーテー・ハーラーギャーテー・ハーラソーギャーテー・ボージーソワカー」 が、真言つまり呪文に当たります。「般若」とは、仏の知恵を言います。「波羅蜜」とは「六波羅蜜」とも言い、理想を実現させるための六つの修行布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧を言います。道士が彼に、自分を守るために持っているように言うのは、仏教のお経の一部です。それが力を発揮します。女性を成仏させるため、彼女のお骨を埋葬します。舎利信仰は、仏教の根元思想です。以上は全て仏教思想から来たものです。だから観ていて、何の違和感も感じないのです。私も敬けんとは言わないが、仏教徒ですから。

 面白いのは、化け物が出て来るのですが、日の光に当たると溶けてしまいます。これってドラキュラと同じですね。唯一仏教的でない点です。でも、死して土に帰ると言うのは、仏教的と言えると思います。

 最後に、この映画は、「幽霊との愛を成就する」がテーマです。つまり異種間結婚です。日本にはこの手の話は枚挙に暇がありません。例えば、遠野には、愛馬と結婚する娘の話があります。雪女と結婚して、子供を作った話。羽衣を隠して、天女を嫁にした話。助けた鶴が作った布を売る亭主。阿部晴明の父は人間、母は狐。父を助けた犬と結婚した姫の話は、里見八犬伝でしたね。これ等の思想は、仏教の六道輪廻から来ていると思います。人間は死ぬと、六つの世界を、生き変わり死に変わりしながら、虫になったり動物になったりすると言うのが、その思想の中心です。江戸時代、白隠禅師の話に、自分を刺している蚊をつぶしながら、「亡くなった父は今どこにどうしているのか」と聞いた侍に、「今つぶした蚊が、お前の父の生まれ変わりだ」と答えています。生まれた子を、「亡くなったおじいさんの生まれ変わりだ」など言ったりもします。つまりこの世に生きている者(動物も含めて、衆生と言います)は、皆平等で、区別差別はないのです。だから人間が、それ以外の物と結婚するのは、決して不自然でも、間違いでもないのです。これも仏教思想から来ていると思います。
 映画を、製作の背景思想から考えるのも、楽しむ方法として、面白いと思います。いい勉強ができました。館長さんに感謝します

チャイニーズ

グレート・ワルツ 

─ ウイーンの街にヨハン・シュトラウスのワルツが溢れ、ひとびとが踊る ─

<ひとこと?で言うと>
・フランスの名匠・デュヴィヴィエ監督がハリウッドで作った娯楽音楽映画
・音楽と踊りが満載の最高に楽しい映画
・ヨハン・シュトラウスの成功物語プラス恋愛模様
・甘美で少しほろ苦い恋愛映画
・音楽の都ウイーンが好きになる映画

<見どころ>
・ヨハン・シュトラウスの名曲と美しいソプラノの歌声が盛りだくさん
・ワルツの群舞が華麗
・歌姫カーラを演じるミリザ・コルジャスの美貌と素晴らしい美声と圧倒的な存在感(アカデミー助演女優賞)
・陽気で人の良いウイーンの人びと
・妻ボルディと歌姫カーラの間で悩むシュトラウス、勝利者は妻?カーラ?

<印象的なシーン>
序盤、シュトラウスが仲間を集めて作った楽団が初めてカフェで演奏会、不入りで中止しかけたところにオペラ劇場の歌姫カーラと歌手シラーが現われて再開させた。窓から流れる軽快なワルツにひかれて町の人々が続々と集まり、満員の店内で、店の外で、楽しく踊り乱れるのだった。
革命運動に共鳴して行進曲を作曲、デモに参加して捕まりかけるヨハン・シュトラウス。カーラと共に逃げ出して、馬車の上で過ごしたウイーンの森の一夜。そこから「ウイーンの森の物語」が生れる。曲を演奏し、歌い、喜びにあふれて踊る二人。
ドナウ川のほとりで聞いた人びとの歌声と美しい光景から「美しく青きドナウ」が生れて・・・
クライマックス、二人が最後の演奏をする劇場。シュトラウスとカーラがその夜一緒に旅に出ると分かった妻ボルディは劇場へ向った。旅立とうとする二人に投げかけたのはお祝いの言葉だった。
最終場面、年老いたシュトラウスが宮殿に招かれ、窓から見下ろすと広場を埋め尽くす大群衆の歓呼の声、連れ添った妻の笑顔。そして空には美しいカーラの面影が浮かんで見えるのだった。

グレートワルツ


 ユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの体験記をもとにした映画。1939年9月1日のナチスドイツによるポーランド侵攻(第2次世界大戦勃発)から、ユダヤ人のワルシャワ・ゲットーへの強制移住、ワルシャワ・ゲットー蜂起(1943年4月)、1944年8月のワルシャワ蜂起、ポーランド解放までの悲惨な体験を描く。収容所(ガス室)へ送られる家族との別れ、理由もなく殺されるユダヤの仲間。しかしシュピルマンは多くの友人や地下組織の人びとの支援のおかげで奇跡的に生き延びた。
 ゲットー蜂起が鎮圧され、銃殺されるユダヤ人たちを隠れ家から見ていて「無駄だった」というシュピルマンにたいして、「なんていうことを言うの、彼らは誇り高く死んだ。だからこそ、次は私たちポーランド人が立ち上がる、ドイツ軍と戦うの」と、支援に来た身重のドロタは確信をもって語るのだった。

戦場のピアニスト

監督 ロマン・ポランスキー
2002年 ポーランド・フランス合作
『レジスタンスと詩人たち』にでてくる「シャトーブリアンの大量処刑」の映画化。
フランスでは、17歳の少年ギィ・モケが犠牲になったことで有名。

シャトーブリアン郡のショワゼル収容所。占領批判のビラを配って逮捕されたギィ・モケは女子収容所にいる少女オデットに恋をしていた。杭の隙間からキスを求めるモケの唇に少女はたばこをさすのだった。
大学生のクロード・ラレは22日に釈放ときまり、会いに来た若い妻と熱い抱擁。
ところが10月20日、近くの街ナントで1人のドイツ将校が暗殺される。ヒトラーは報復として、人質のフランス人150名の命を要求した。
10月21日出来上がった27名のリストには、収容所で最も若いギィ、明日には釈放されるはずのクロード、リーダー格のタンボーらの名前があった。

10月22日、収容所では突然昼食が中止になり、名前を読み上げられた27人が6号棟に集められた。「君たちは1時間後に銃殺される、家族への手紙を預かる」と副知事に通告され、手紙を書く時間をあたえられた。
ギィ・モケはのちに有名になった手紙を書く。
大切なお母さん、大好きな弟、愛するお父さん、
僕はもうすぐ死にます!お母さん、気を確かにもって。僕は大丈夫、僕の前に殺された皆と同じように毅然としていたいと思っています。
……
17歳半、短い人生だけれど、何も後悔していない。皆ともう会えなくなることだけを除いてはね。
僕は、タンタンやミッシェルとも一緒に逝くんだよ。だから、ママン、僕が願っているのは、約束してほしいのは、頑張ってこの悲しみを乗り越えて、立ち直ってほしいということだよ。

最後に、生きていく皆には、いい世の中をつくって欲しい。死を迎える僕ら27人に恥ずかしくない生き方をしてほしい。


クロードは妻とも面会を10分だけ許された。ギィ・モケはトラックに乗る間際にオデットへ短い手紙を書いた。
2台のトラックに乗せられて出発する17人をラ・マルセイエーズを歌って送る仲間たち。泣きながらトラックを追うクロードの妻。
広い砂採り場には丸太の棒杭が9本立てられ、処刑は3つのグループに分けて行われた。
受刑者は眼かくしを拒否して堂々と最後をむかえた。インターナショナルを歌い、叫んだ。『プロレタリア万歳!共産党万歳!』そしてタンボーは『ドイツ共産党万歳!』兵隊たちの心に思い出として残らずにはいない途方もない叫びだった。
最後は静かな海辺にオデットの声。私の大切なギィ。皆の死は無駄じゃない。夜明けの海は眠っている。でもきっと、変わる時がくる。

実際、この事件をきっかけに、ドイツが恐れていたフランス人民の抵抗運動=レジスタンスが広がることとなる。
処刑場の様子は『殉難者たちの証言』(アラゴン編)によってフランス中に伝わり、人びとの憤激を高めた。

(映画取材でオデットに会ったフォルカー・シュレンドルフ監督のインタビュー)
彼女は87歳になっていましたが、記憶もしっかりしていて当時のことを生き生きと語ってくれました。そして、ギィ・モケが彼女に渡した手紙も持っていたのです。彼女は今も活動的な共産党員で世界革命を信じていました。今でも学校を訪門しては、若い人たちを前にしてドイツ占領期におけるフランスの状況について語る歴史の証人として活躍しています。(映画パンフレット)

2012年 フランス・ドイツ合作 原題 LA MER À L'AUBE(夜明けの海)
監督: フォルカー・シュレンドルフ(ドイツ)

シャトーブリアン
シャトーブリアン

*渋谷の「イメージフォーラム」で12月12日まで上映中
会議は踊る

愉しさ、嬉しさがあふれるドイツ・オペレッタ映画の最高傑作

─会議は踊る、されど進まず─
ナポレオン失脚後の1814年、ヨーロッパの秩序を話しあうために開かれたウィーン会議は来る日も来る日も舞踏会、その舞台裏で政治的駆け引きが行われた。
会議のためにウィーンにやってきたロシア皇帝と手袋屋のウイーン娘との間に甘美な恋が芽生える。ロシア皇帝の別荘に馬車で向かう娘がはじけるよろこびを歌い、道行く人々も歌い踊って祝福、映画全体にあふれる高揚感……。無声映画からトーキーへと移った時期に製作された記念的作品。
1931年、ドイツ
監督:エリック・シャレル
音楽:ウェルナー・リヒャルト・ハイマン
アレクサンドル一世:ヴィリー・フリッチ
手袋屋の娘クリステル:リリアン・ハーヴェイ
宰相メッテルニヒ:コンラート・ファイト

会議は踊る

音楽が楽しく、素晴らしい。
主題歌 “ただ一度だけ” 聞いたことあるね。映画は初めてなのに。──そう、聞いたことありますね。
映像もストーリーも楽しい。椅子まで踊ってしまって。
インド映画のよう、踊りだして楽しさはじける映画。
舞踏会の様子や衣装がすごい。
ヒロインの乙女心の演技、ロシア皇帝やメッテルニヒの男前も魅せた。
1931年といえば日本では満洲事変が起きた年。よくこれだけのものが作れたね。
2年後、ヒットラーが政権を握ると、この映画は上映禁止になり、映画人たちもドイツを去った。そのご、ドイツではこれほどの映画が作られることはなかった。
映画「ノートルダムのせむし男」(1939年アメリカ)を見て

・ドラマチックで面白かった。群集シーンが迫力。白黒映画の美しさを感じた。
・キリスト教の教会が反動的な姿。民衆の啓蒙に使われると言って印刷機を敵視して破壊しようとしたり、魔女裁判や拷問をしたり。対して国王が印刷機の使用や貴族に対する民衆の反抗を支持したり、地動説を支持したりと開明的だった。
・正義を実現するために言論に依るか、暴力によるか、もテーマ。言論により民衆が立ち上がることが勝利につながるとユゴーは強調したかった。
・エスメラルダに対するせむし男の愛が切ないが、ラストが原作と違ってハッピーエンドになっているのがアメリカ映画。エスメラルダが助けられて恋人と去ってゆくのをカジモドが「俺も石になりたい」と石像に模しておどけるのがオチ。
・処刑されたエスメラルダを追って死ぬカジモド、二人の骨が粉になって一つになるユゴーの真の物語を味わえる映画を見たい。

映画会ノートルダムの
シベリヤ物語

 「シベリヤ物語」は1948年に日本初公開のソビエト映画。主人公の音楽家や周りの人の生き方とともに「バイカル湖のほとり」「シベリヤ大地の歌」「流刑人の歌」などの歌が受け入れられて広まり、うたごえ喫茶のルーツとなったそうです。
 雄大なシベリヤの大地、そこで社会主義建設に生きる人びとの息吹が伝わってきます。

 小川さんが「バイカル湖のほとり」を豊かな声で歌い、太田さんがソビエト滞在中に触れた様子をロシア語も交えながら語ってくれました。「ロシアの人も同じ人間で、普通に付き合えます」