アラゴンを歌う島本弘子さん
大島博光
たしか去年の5月、高田馬場のBIG・BOXのホールで、わたしは初めて島本弘子さんのリサイタルを聴いた。そこで島本さんはアラゴンのシャンソンをも幾つか歌ってくれた。
「もしも、貴方に逢えずにいたら」「幸せな愛はない」・・・等である。アラゴンの愛好者のひとりとして、わたしは感動もし、アラゴンのシャンソンを歌うユニークさに感服もした。それまでわたしは、イザベル・オーブレやオ・フェレの歌うアラゴンを好んで聴いてきた。それを今、島本さんのおかげで、日本語で歌われるアラゴンを聴いたのだ。非常にわかり易く訳された日本語歌詞によるアラゴンのシャンソンが、島本さんのよく透る、迫力にみちたアルトによって、みごとに歌いあげられた。それによってアラゴンの詩の美しさとメッセージがよくわたしに伝わってきたのである。
アラゴンの詩のメッセージについていえば、「もしも、貴方に逢えずにいたら」は、アラゴンが愛妻エルザに逢わなかったら、男は眠り続け、人間らしくはなれなかったろうという想いを歌ったもので、愛が人間の存在と形成に深く係る大事なものだということ、愛のもつ意味の重さというものを、おのれの体験を通して詩の言葉で訴えている。
また、「いつかある日」という詩は、スペインの大詩人ガルシア・ロルカがファシストに虐殺された状況を歌い込みながら、しかしいつか、平和は暴力と戦争に打ち勝ち、人々が武器を肩からおろして愛しあう日がくるだろう、という不屈の希望を美しいイメージと高い調子で歌ったもので、核戦争の危険が現実のものとなっている今日、この高い希望ほどにわたしたちを励ましてくれるものはないであろう。
このような詩人のメッセージを、島本さんのリサイタルは、そのひびき透る、豊かな声によって、今度も伝えてくれる違いない。(リサイタル'84のパンフレットから)
大島博光
たしか去年の5月、高田馬場のBIG・BOXのホールで、わたしは初めて島本弘子さんのリサイタルを聴いた。そこで島本さんはアラゴンのシャンソンをも幾つか歌ってくれた。
「もしも、貴方に逢えずにいたら」「幸せな愛はない」・・・等である。アラゴンの愛好者のひとりとして、わたしは感動もし、アラゴンのシャンソンを歌うユニークさに感服もした。それまでわたしは、イザベル・オーブレやオ・フェレの歌うアラゴンを好んで聴いてきた。それを今、島本さんのおかげで、日本語で歌われるアラゴンを聴いたのだ。非常にわかり易く訳された日本語歌詞によるアラゴンのシャンソンが、島本さんのよく透る、迫力にみちたアルトによって、みごとに歌いあげられた。それによってアラゴンの詩の美しさとメッセージがよくわたしに伝わってきたのである。
アラゴンの詩のメッセージについていえば、「もしも、貴方に逢えずにいたら」は、アラゴンが愛妻エルザに逢わなかったら、男は眠り続け、人間らしくはなれなかったろうという想いを歌ったもので、愛が人間の存在と形成に深く係る大事なものだということ、愛のもつ意味の重さというものを、おのれの体験を通して詩の言葉で訴えている。
また、「いつかある日」という詩は、スペインの大詩人ガルシア・ロルカがファシストに虐殺された状況を歌い込みながら、しかしいつか、平和は暴力と戦争に打ち勝ち、人々が武器を肩からおろして愛しあう日がくるだろう、という不屈の希望を美しいイメージと高い調子で歌ったもので、核戦争の危険が現実のものとなっている今日、この高い希望ほどにわたしたちを励ましてくれるものはないであろう。
このような詩人のメッセージを、島本さんのリサイタルは、そのひびき透る、豊かな声によって、今度も伝えてくれる違いない。(リサイタル'84のパンフレットから)
2009年7月、島本弘子さんがアラゴンの詩によるシャンソンを歌いました。
「もしも、貴方に逢えずにいたら」は、アラゴンが愛妻エルザに逢わなかったら、男は眠り続け、人間らしくはなれなかったろうという想いを歌ったもので、愛が人間の存在と形成に深く係る大事なものだということ、愛のもつ意味の重さというものを、おのれの体験を通して詩の言葉で訴えている。
「もしも、貴方に逢えずにいたら」は、アラゴンが愛妻エルザに逢わなかったら、男は眠り続け、人間らしくはなれなかったろうという想いを歌ったもので、愛が人間の存在と形成に深く係る大事なものだということ、愛のもつ意味の重さというものを、おのれの体験を通して詩の言葉で訴えている。

島本弘子さんの武蔵野市民文化会館での最後のリサイタル。
1部は赤いワンピースで登場、はじまりは<美しい5月のパリをシャンソンでお届けします>、「5月のパリが好き」「私のパリ」「モンマルトルの丘」「街角」美しいメロディで憧れのパリの雰囲気を味わえて、これぞシャンソンの醍醐味。
「8月のパリ」「悲しみのヴェニス」「カミニート」「メランコリー」はあまりなじみのない曲で新鮮。変わらない澄んだ声と迫力あるバック演奏、見事な照明と演出で弘子シャンソンを堪能できた。
2部では純白の生地にキラキラ光るガラスが無数に縫いこまれた豪華な衣裳。冒頭がクレマンの「さくらんぼの実る頃」、ピアノの伴奏でしみじみと歌い秀逸。ついでアラゴンの「もしもあなたに逢えずにいたら」はおなじみのレパートリー。「リリー・マルレーン」「ドイツから」「マイジョレーヌ」「鶴」・・・と続き、反戦のメッセージを歌った。「愛しかない時」「逝きし魂」に続き、最後に自分の人生を歌っている歌「おお我が人生」「出発─たびだち─」。「ケサラ」を客席と一緒に歌うと会場が一体感で包まれ、感動的なエンディングとなった。


読売ホールは満席、島本さんは大勢のファンを前に熱演しました。
曲目は<1部>サントワマミー 夢の中に君がいる~恋心 誰もいない海 イカルスの星 ラ・ボエーム 帰り来ぬ青春 群衆 時は過ぎてゆく 今、今、今 希望に満ちて
<2部>生きること マリア 友は戦場から戻らなかった リリー・マルレーン ドイツから 子供の頃 涙 愛しかない時 水に流して 愛の讃歌 すばらしい時 (アンコール)桜んぼの実る頃
歌とあわせて舞台照明も美しく、目で見ても楽しめるのですが、今回はピアノやサックスなどの演奏も素晴らしいと感じました。
島本さんのシャンソンはフランスの雰囲気を楽しむという趣向ではなく、歌を通して愛と人生をふり返る、戦争と平和を考えるという姿勢が一貫しています。
愛の歌としては、「サントワマミー」と「ラ・ボエーム」、アンコールの「桜んぼの実る頃」、いずれも過ぎ去った恋の思い出を歌う珠玉の曲が美しくて印象的でした。
島本さんが大事にしている「硬派」の歌、今回は「友は戦場から戻らなかった」と「ドイツから」が戦争の悲惨さを力をこめて訴えて迫力がありました。さいごの「すばらしい時」では、歌手生活40周年を迎えられたことへの感謝の気持ちを「皆さんの前で歌っている今の自分は最高に幸福」と歌であいさつ。
おわりに「70歳になったけれど、これからも悔いのないように続けますから、最後まで見届けて下さい、来年5月の武蔵野市民文化会館でのリサイタルは、無理をしないで小ホールですると言っていましたが、小ホールではモチベーションがわかないので大ホールですることにしました」と意欲的な発表をしてファンを喜ばせました。