長野詩人会議

ここでは、「長野詩人会議」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。



冨森

冨森



(『狼煙』82号 2017年3月)

味わう会
八町敏男さんの5冊目の詩集「水の抽斗」を味わう会が開かれました。

味わう会
最初に知人のお二人が美しい声で春の歌をうたってお祝い。

味わう会
 今回の刺繍『水の抽斗』には水に連関する作品を多く収録することになりました。水は生命体にとっては不可欠な源ですが、同時に傲慢な人間に対する諌言の矢となることもあります。詩集を通して地球上の様々な水の容態に触れるきっかけになってくれれば幸いです。(八町敏男)
「新詩人」の小出ふみ子との出会いから始まる八町さんの長い詩歴が紹介され、難しい言葉を使って詩を書く秘密が明らかになりました。

味わう会
参加者から詩集への感想やお祝いの言葉があり、朗読をしました。

味わう会
もっともっと詩を書いて下さい。

味わう会
気持ちのよい春の日、なごやかな会でした。

味わう会

総会

長野詩人会議総会が開かれました。
1年間の活動方針やもっと詩を作っていくことなどを話し合いました。

総会

田口

アトラクションで田口森男さんがミニコンサート
優しい声とギターの弾き語りをゆったりした雰囲気で楽しみました。
最後に「花が咲く」をみんなで歌いました。

東京例会

1991年7月、三鷹の博光宅で開かれた長野詩人会議東京例会。長谷川健さんと。

東京例会

小熊忠二さん、小林そのさん。

東京例会

色紙を書く。

東京例会

石関みち子さん。

東京例会
東京例会

東京・日野の御子柴さんも一緒にお店にくり出したようです。水槽に反射して写っている撮影者が依田七重さんのようです。
東京例会
東京例会
東京例会

(『狼煙』5号 1991年12月)

*2014年6月11日、依田七重さんご逝去。91歳。元長野詩人会議会員。小林がお別れに参列しました。

 タチアオイ
                 石関みち子

警戒警報解除 の声がゆきすぎて
母が防空壕の戸を押しあけた
ワァーと外へとび出す 炎天の八月
立葵が赤くもえる

祖父母は山の知り合いへ疎開
父は熱病が癒えて戦地から戻ったばかり
昭和二十年 四月に入学した国民学校は
入学式をおえるとすぐ兵舎として接収されていた

警戒警報発令
早く早くと 防空壕へせきたてる
あ、弟がいない
母は血相変えて通りへとび出していった
焼夷弾の煙の中 弟を呼ぶ母の声が聞こえた

隣組の人に危ないからと連れてこられた母は
半狂乱になって 名を呼んでいた
──きっと何処かの防空壕に入れて貰っているだろうから
父にいわれてやっと防空壕へおりていった
広くもないその奥の 家具の問に
弟はねむつていた
母は抱きかかえて 泣いた

解除になつて 弟の手を引いて外に出る
真直ぐにたつ立葵の花びらをわって
弟の小さな鼻のあたまにくっつけた
ニワトリのトサカのようだった

(石関みち子詩集『愛の讃歌』文藝出版 2013.9)
石関祝う会
石関みち子さんの詩集「愛の讃歌」出版を祝う会には大勢の友人の皆さんが集まってくれました。

石関祝う会
あいさつのあと、長野詩人会議メンバーによる詩の朗読。詩集から「タチアオイ」「父のこと」「マイ・ボーイフレンド」「三日月」「カレンダー」の5篇。家族への愛、仲間への愛をやさしく歌っていて心に響きました。

石関祝う会
友人の方々によるお祝いの言葉に続いて、田畑さんがお祝いの歌を独唱。

石関祝う会
たくさんのお祝いと花束に、石関さんがお礼のあいさつ。「これからも詩を書き続けたい、同好の方は長野詩人会議にお入り下さい」

石関祝う会
石関祝う会
石関祝う会
2部はレストランはなやに移動して昼食とうたごえ喫茶

石関祝う会
石関祝う会
石関祝う会
石関さんについて「優しいおばあさん」と言うお孫さんの言葉にジーンとなった息子さん。

石関祝う会
上尾市から元市議だった二人の女性が参加され、上尾での石関さんの活動を語りました。

石関祝う会
石関祝う会
輪になって
楽しいうたごえ喫茶はさいごに全員で手をつないで「愛の讃歌」を歌いました。

 マイボーイフレンド
                 石関みち子

20年も前のことである
本社がタイへ出張工場建設が決まり
研修旅行の名目で大阪空港から飛び立つ

タイ空港に到着 ぞろぞろと降りたった
税関にパスポートしめして一行に合流すると
「おたくの所長が見えないよ」
「えっ」
それまで自分のことだけで夢中だったから そんな
あわてて人の中に走りこむ 売店は トイレは
「いない」「いないよ」
「もしかして まだ中にいるんじゃない」
「そういえば だいぶ飲んでいたからね」
そうだそうだとあわてて税関の係員に事情を話すが
てんで通じない 日本語ノー 英語もノー
誰もタイのことば わからない
入替わり立替わり身振手振で訴えるが
「ノー」と太い声で拒否

長野営業所の一員として この所長の危機に
思いきってバクバクの心臓をおさえて声をかけた
おもむろに右手の小指を立てて
「マーイ・ボーイフレンド」が
飛行機を指さして両手合わせておねんねのポーズ

とたんに それが通じたらしい
「ゴー」といったかいわれたかとにかく
がんとして開かなかった戸があいた
わあーと私はかけ出した 一人だけで
一番奥に所長は いまだ白河夜船
たたき起し あぜんとして待つ一同の前へ
所長の名誉のために シーッと本社の一人から耳打ち

昨年暮 年賀状欠礼のはがきの中に 所長の名があった

(石関みち子詩集『愛の讃歌』文藝出版 2013.9)

愛の讃歌

愛知詩人会議
愛知詩人会議の皆さんがいらして、長野詩人会議と交流。愛知詩人会議は会員40名を擁し、詩誌「沃野」を月刊で発行していてとても活発なグループです。

愛知詩人会議
DSCF1070愛知
アルピジェラ展を見学し、「十年が過ぎた─パブロ・ネルーダとチリ人民に捧げる」を朗読。ドキュメンタリー「パッチワークに願いを込めて」を途中まで視聴しました。
アップ
愛知詩人会議
そのあと、まきばの湯にて食事会
愛知詩人会議
愛知詩人会議
高台にある露天風呂は自然と一体になれて気分最高!
祝う会
八町さんのお祝いに大先輩の詩人宮沢肇さん、滝沢忠義さん、和田攻さんはじめ詩の仲間たちが集いました。

祝う会
宮沢肇さんが詩集「木の声」について講評。高橋玄一郎から詩とは何かを教えられた話も。

滝沢
長野日仏協会会長の滝沢忠義さんがお祝いの言葉

祝う会
長野県詩人協会会長の和田攻さん

祝う会
長野詩人会議の石関みち子さん

祝う会
自著を語る八町さん

祝う会
お茶とケーキで懇談。詩について色々なお話が聞けて、とても良い会でした。

DSCF8827木の声


 一本の松
               八町敏男

断崖の岩の上に
唯一本立つ松よ
強風にあおられて幹は曲がり
一方向に枝は靡いて
なお懸命に立ち続ける松よ
幾歳月、汝は変転する今生のありさまを
胸底深く映し取ってきたか

私の歩んできた生も
汝に似たものがありはしなかったか
師として仰ぐ人を失い
慕うべき人を持たず
朋友は別れて遠く去り
私は一人、此の地に残り
己れのみを頼りに生きてきた

荒波は断崖の岩肌を洗い
オホーツクからの冷たい風に逆らい
渡り鳥は高く群れを成して
雲を貫いて翔けてゆく

松よ、
巡る季節を幾百となく越え
汝はなおじっと耐えて
異形の影を刻す
立ち続けることが
生存の証しででもあるかのように

降りかかる苦難を
苦しみと観ずることなく
ひたすらに生きること
そのときこそ生は充実し
漲ってくる
とでも云おうとするかのように

私には汝のような勁(つよ)さはない
人間として生かされ
運命に流され躓きながらも
汝の生きる姿に出遇うことで
弛まぬ精神の大切さを
教えられる

断崖の上に陽は傾き
秋の季節は去ろうとしている
打ち寄せる波音のなかに
私はかすかな冬の足音を聞き
踵をかえして歩み出す

(八町敏男詩集『木の声』砂子屋書房 2012年11月)

千曲川べりで、博光さんの詩を朗読
   ─横浜詩人会議と交流・・・長野詩人会議─

 10月15日、高速バスで到着の13人と車に分乗して大本営地下壕へ。小林さんの案内にヘルメットの一行は歴史の重さを改めて知る。色づき始めた松代の温泉・虫歌の湯に入り、心づくしの夕食。あと自己PRに自作の詩を読むほどに夜は更けて。泊まりは雨宮邸で修学旅行然とのこと。16日はむかごご飯の朝食後、すぐそこの千曲川へ。長いも畑と背高泡立草、真っ青な空に山々の稜線、白鷺のあそぶ川辺に蔦を踏んで朗読がはじまる。博光さんの詩、自作の詩、それはもう物語の世界。秋のいちばん美しい時を選んで、博光さんの研ぎ澄まされた言葉が胸にしみてゆく。車で武家屋敷や松代城址、山の上も一巡りしてから”はなや”自慢の杏おこわ膳を味わう。遠方から来てくださって喜んで頂けたのがなにより、長野からは10人の参加。

横浜詩人会議と交流
横浜詩人会議と交流
横浜詩人会議と交流
横浜詩人会議と交流
横浜詩人会議と交流
横浜詩人会議と交流
横浜詩人会議と交流
横浜詩人会議と交流
 ドイツの一主婦の想いから
                           宮沢栄一

チェルノブイリ原発事故から26年
未だ完全収拾はしていない
チェルノブイリから千七百キロ離れた南ドイツ
シェーナウ市に住むウースラ・スラーデクさん
原発の怖ろしさや危険性を感じて
子供たちのためにも原発のない国をつくりたい
一九八六年「原発のない未来のための親の会」発足
どうしたら原発をやめられるか
エネルギーについて猛勉強
まず原発やめるための節電競争をしよう
一番の人にはイタリア旅行プレゼント
・・・一年で町の10%の節電に成功
こんな活動を電力会社から営業妨害と非難され嫌われる
ウースラ・スラーデクさん
めげずに活動はさらに高まる
太陽光パネル電力をもっと高く買ってほしい
いっそ自分たちの電力会社をつくっちゃうか
しかし、問題はあった
電気を送る送電線は他の電力会社のもの
送電線売却には二億円かかるという
使用する段階に入ると四億円だといわれた
それでもスラーデクさんはがんばった
ドイツ全国から出資金を募り
ついに一九九七年シェーナウ電力を設立する
自然エネルギー専門の電力会社である
今、13万軒に電気を送っている
平均電力料金九千七百円のうち二百円を処出してもらい
次の新しい自然エネルギーをつくる為の出資にあてる
13万軒のお客様は
信頼する仲間たちだと誇るスラーデクさん
小さな川には小さな水力発電所をつくり
川に住むさかなたちや植物のことも考えて
自然に、環境にやさしい発電所をつくつている
未来の子供たちのためにと立ち上がり26年
一主婦、ウースラ・スラーデクさんの活動がきっかけで
ドイツ政府は2022年までに
全ての原子力発電を停止する

<『狼煙』69号>
和田攻

昨年12月、日本現代詩文庫「 和田攻詩集」を刊行し、労働者の思いを表現して注目されている和田攻さんが自分の詩作について講演。国労・JRの運転士として働きながら詩を書いてきましたが、退職後は戸隠で始めた農業や自然をテーマにユーモアを交えて書いています。

「弾薬列車」
レールは冷たく伸びる
ベトナムへ
弾薬列車の動輪がひびく
確かに乗務しているのは
この おれだが
前方に血の臭いは感じとれない
・・・
巨大な機構に呑みこまれた
おれの あがきを横目に
忠実なロボットは基準作業を守る
ノンストップの弾薬列車
死の重みが ぐっと肩にくいこむ
・・・

「春はローカル線にのって」
あの
長い ながーい冬がおわりかけると
春の暦は希望の水車を回しながら
真新しい水引をローカル線にむすび
嬉しい便りを信濃の人たちに
送りとどけてくれる
・・・
ほのかに飯田線から梅の香りが聞こえると
飯山線のふきのとうは残雪をもちあげ
八ヶ岳は小海線にりんと富士を見下ろし
安曇野を走る大糸線にはレンゲ草が
みんな ぴったりのふる里に描こうと
歴史の絵筆をかさねあってきた

いつか狂い咲きの始まったこの国
故郷の家々に抜け殻さえも残さず
流れ出ていった人々に
見送りの青空と緑の大地は不思議にも
ふれあいと個性の輝きで満ちみちていた
・・・
おれたちは
おれたちの春をローカル線にのせて
ずっと配りつづけて行かなければならない
春はローカル線に乗ってやってくるものだと
子供たちにメルヘンの汽笛を鳴りひびかせ──

「弾薬列車」・・・アメリカのベトナム侵略戦争の前進基地にされていた日本の実態と、ベトナム戦争に反対しながら弾薬列車を走らせざるを得ない運転士の苦悩のうめきがせまる。
「春はローカル線にのって」・・・”戦争行進曲が鳴りわたっている”この国で、ローカル線にのせて春を配り続けたいと願う運転士に共感。

和田攻
詩人会議

2月26日、長野詩人会議総会が開かれました。
小林そのさんの代表挨拶、石関みち子さんの経過報告のあと今年度の取り組みについて話し合い、詩作について学んでいくこと、会員に詩を多く書いてもらい、狼煙を充実させていくことなどを確認しました。総会の後、狼煙合評会にうつり、八町敏男さんが各作品についてポイントをついて論評しました。