フィ・カーン

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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


 夏の終わりの浜べ
                       フイ・カーン 大島博光訳

夏の終わり 浜べは日ごとに淋しくなる
そんなことに無頓着に 海は美しく輝く
いつか わたしはもうそこにいないだろう
だが 生活がなくなることはないだろう
そして平然たる宇宙は その美しさを守っているだろう

うねる白い波は たて髪をなびかせて駈ける  
あけぼのの風にいななく
波は潮騒いをあげて跳ね 雲は水平線へ流れる
ありあまる力に溢れた宇宙は
遊びまわる子供のように飛び跳ねたりしないのか

                  一九七四年夏
(『フイ・カーン詩集 東海の潮

砂浜

<老いの高さをうたう>

 わたしは宇宙を歌う 人間を歌う
        (「年の始めの詩」)
 フイ・カーンは、小宇宙から大宇宙まで、日常から歴史までを、素朴にしかし知性をもって歌っている。そのことによって、かれは宇宙的(コスミック)な大きさを獲得すると同時に、普遍を手にしている。
 ここには、この詩人が到達した老いの高みの清澄(セレンテ)がある。

 友らよ わたしの糸はすでに伸びた
 軽やかに 細く 強く
 もう どんな虫にも悔恨にも蝕まれない
 もう どんな裏切りにも脅かされない
            (「蚕は死ぬまで」)

 詩人は老いのおとろえを嘆くどころか、反対に、老いの強さ・高さをうたいあげている。そこから、意味ぶかく美しい一行が紡ぎだされる。

 あけぼのの糸で わたしは目覚めを織ろう

 これは、詩の奇跡と言っていいような一行である。これは、未来を見据えた詩人の精神の高さ、信条の美しさそのものにほかならない。

    *

 フイ・カーンの積極的で晴れやかな老年の詩はわたしを深く感動させた。ともすれば、おのれひとりの老いの苦しみにかかずらい、我を見うしないがちになるわたしを、それは力強くはげましてくれた。この詩集をわたしに訳出させたのは、この感動であり、そこからわたしははげましをうけとった。わたしは訳出に没入した、おのれの老いを忘れ、死を忘れて……

 一九九七年八月
                         大島博光

(フイ・カーン詩集『東海の潮』)
<祖国愛をうたう>

 「わが少年時代のドン・バ街」では、近い過去、遠い過去を喚起し、路上の芸人たちのきわめて魅力的な姿を描いている。

 日曜日の夕ぐれ 街はずれの木の根もとで
 二人の子どもを連れた 盲目の歌手が
 身ぶりも豊かに 「砦の占領」を物語る
 ひとの心をひき裂くような調子で語り歌う

 盲目の歌手がうたう「砦の占領」は、おそらく侵略してきた外国軍の砦を奪取した英雄たちの叙事詩であろう。だからそれは、聞く人びとの心を「ひき裂くように」ひびき、祖国愛をよび起すのである。
 中世ベトナムの大詩人グエン・チャイは祖国愛についてこう歌った

 わたしの心には あの古い祖国愛がある
 それは夜も昼も 東海の潮のようにとどろいている

 フイ・カーンもまた祖国愛をうたう。「年の始めの詩」のなかでは、祖国愛は、母国語であるベトナム語とむすびつけて歌われている。

 わたしの祖先はわたしに言葉を与えてくれた
 奇跡的なべトナム語を
 その抑揚が自然の扉を叩くとき
 自然はその秘密をすべてわたしに明かしてくれる
 それが人間のこころの扉を叩くとき
 人間のこころは内奥の秘密をわたしに打ち明けてくれる
 ベトナム語はなつかしいわたしの住み家だ
                 (「年の始めの詩」)

 子どもの時からやさしく包まれてきた母国語──うつくしい抑揚に富み、豊かな表情をもったベトナム語の魅力を賛えた後、詩人は祖国愛をつぎのようにユーモアにみちて歌っている。

 わたしが生まれた時 わたしのへその緒は
 生まれ故郷の村の土に埋められた
 しかし 大人になってからは この大銀河系から
 わたしの心と魂の祖国から
 自分のへその緒を切り離したことは一度もない
                (「年の始めの詩」)

 しかし、このような祖国愛も、「世界の人民への挨拶」にみられるような国際的連帯や人類愛の妨げとはならない。それどころか、このような祖国愛は国際的連帯への条件でもある。そして詩人はその人類愛を、「天の火を盗んだ」プロメテのイメージをとおして歌っている。

 人類の共同の財産として
 火を配って与える
 それなのに 臓腑はひき裂かれ肝臓は啄まれる
 それが気高い使命への報いなのだ
 禿鷹は数千年来 肥りつづけた
 だが 大地を輝かせる火も燃えつづけた
                 (「コーカサスでプロメテを想いながら」)
(つづく)

フイ・カーン詩集『東海の潮』
<ピラミッドとの対話>

 「ピラミッドとの対話」は、いわば生と死との対話をとおして、壮大なスケールで生への賛歌をかなでている。
 はてしない砂漠にそびえるピラミッド──その内部に眠るファラオたちの「永遠の死」……はてしない時間と空間のなかに横たわる死のイメージを、詩人はピラミッドをして壮大に語らせている。

 ──わたしの内部には 皇帝のミイラが横たわった
 そしてわたしの足もとには
 千万の民草たちが死んで崩おれた
 目もくらむような「時間」にうち勝つために
 硬直した皇帝は石の眠りのなかに閉じこもった
 生涯 皇帝は最後の眠りのために心を砕いた
 かれは死神を抱きしめて
 くる日もくる日も死神にうち勝とうとした
 だが、皇帝は深い石の眠りをつづけている
 たくさんの仲間のピラミッドたちは
 地平線をひき裂いて 崩れ落ち
 皇帝たちの乾いたミイラたちを
 永遠の外に投げ出し 晒している
 そうしてわたしは感じるのだ 「時間」が
 わたしの巨大な石の四つ足を 寒さで凍えさせるのを

 ファラオたちは、生涯「石の眠り」のために心をくだき、「永遠の死」に備えるために、ピラミッドを建造した。ファラオたちの「石の眠り」を守り、賛えるために、ピラミッドは高く高く積みあげられた。そのために千万の人民がピラミッドの足もとに崩れおれて死んでいった。しかし、ファラオたちの「石の眠り」も「永遠の死」も、目もくらむような「時間」にうち勝つことはできなかった。ピラミッドそのものが崩れたのだ。そうして死だけが支配しているかに見えた。だが、そのときピラミッドは見たのだ。

 突風や嵐のなかで
 「生」になろうとする「死」を わたしは見た……
 希望を叫ぶ砂の声を わたしは聞いた……
 石のうえにも 砂のうえにも
 芽を出そうとする生を わたしは見た

 死の守り手であるピラミッドが、石や砂のうえにも「芽を出そうとする」生を見たのは、ひとり詩人の想像や願望だけによるものではない。詩人はそこに、現実発展の法則でもある、生と死の弁証法を見ているのである。「希望を叫ぶ砂の声」は生きようとする人民の叫びにほかならない。そうしてそれは現実となる。

 青い夕ぐれ はてしない砂漠のはじで
 早なりのとうもろこしがさわさわと揺れて
 花をひらいている
 涼しさの溢れる大運河の岸べに……

 これが 詩人とピラミッドとの対話の結語である。──生は死にうち勝つだろう。
 生の詩人フイ・カーンの詩にみられるヒュマニスムは、その青年時代に深い影響をうけた西欧文化とむすびついているが、また古いべトナム文化の伝統にもむすびついている。このヒュマニスムの傾向はかれをますますべトナム人民へと近づかせる。

 ほんとうなのか おんみら 苦行の途上で
 地上の煩悩の衣を 脱ぎ捨てようとして
 最後にもう一度 身をよじり身をふるわせ
 普通の凡人のように 苦しむというのは
               (「タイフォン寺の羅漢たち」)

 詩人はまた、安すらかに眠ることのできない死者たちの声を聞く。

 ……地下に横たわる死者たちが
 こころ安らかに 眠れずに
 長い眠りから むっくと起きあがって
 鎮まらぬ心のたけを 吹きよこすのか
              (「夜の風」)

 ここでかれは、遠いむかし中国の侵略軍と戦って倒れた死者たちや、べトナム戦争で殺された死者たちの「鎮まらぬ心」の叫びに耳傾けているのであろう。
(つづく)

(フイ・カーン詩集『東海の潮』)
<ある塚のほとりに座って>

 さらに、この詩人の死生観を読みとることのできる恰好の詩に「ある塚のほとりに座って」がある。

 ある塚のほとりに座って わたしはつぶやく
 「大地よ いつかわたしはおまえのところへ還ってゆくだろう
 わたしの人間生活はおまえの樹液でみちていた
 わたしが死ぬだろうとき それは悦びのなかにあろう」

 おお 愛する人生よ ある日わたしは出てゆくだろう
 ねがわくばその日が 燃えるような夏の日の
 ま昼でありたいものだ
 そうすればわたしは納得するだろう
 出てゆくのは終りではないと
 そしてわたしはなつかしい大地のなかに横たわるだろう
 やがて季節を変える 熟れた種子のように

 死も「悦びのなかにあろう」──死ぬのは「終わりではない」──おのれの死について、だれがこのようなことばを口にしたろう?そうして死んでもなお「季節を変える 熟れた種子」でありたいと詩人は夢みる。この未来への信頼には終りがないだろう。他者のために生きた者は、他者のなかに生きつづけるだろう。これらの詩句の肯定、この積極性はわたしを圧倒する。おのれのつとめを果たし、おのれの生を完全に生きたという自信をもつ者の、楽天主義の勝利がここにある。
 それは死にうち勝った生の歌にほかならない。
(つづく)

(フイ・カーン詩集『東海の潮』)
 
 タイフォン寺の いならぶ 羅漢たちよ
 おんみらの子孫は しあわせをめざして船出する
 わたしはもういちど おんみらをじっと見つめる
 彫像の手で 霧や闇や煙りを払いのけるおんみらを

 おお おんみらの苦しみはまたわたしらのもの
 おんみらの足どりは 森の迷路に迷いこんだが
 永い時代のなかを通りぬけてきて おんみらは
 いまわたしらといっしょに行くのだ 春をめざして

 強大なアメリカ侵略軍から民族を解放するきびしい戦いのなかで、新しい革命詩人は、遠いむかしの圧制とたたかって苦しんだ死者たち、祖先たちをも喚び出し、解放をめざしていっしょに行こうと呼びかけるのである。

 <火と塩と>

 この春ごろ、フイ・カーンの詩集『東海の潮』Mareés de la Mer Orientaleが、Paul Schneiderの仏訳によってフランスで刊行された。なつかしいフイ・カーンの仏訳詩集を、わたしはさっそく取り寄せて読んでみた。
 フイ・カーンは一九一九年の生まれであるから、彼もすでに老境にある。その老年の想いを死や死後についての想いを、彼もまた詩のなかに繰り返えし書いている。それも、死への恐れや悲しみや不安などを感じさせない、きわめて積極的な態度で、達観したような高い境地で書いているのである。そこには、個人的な死の感傷に耽るというところはみじんもない。
 このところ、わたしも老いの歌を書いてきたが、老いの嘆きに崩れおれるような傾きがあって、わたしはそれを克服しようともがいていた。フイ・カーンの力強い老年の詩は、そういうわたしを感動させ、すがすがしい励ましとなった。
 「火と塩と」では、こう書かれている。

 老年になって わたしに残ったごく僅かな火で
 わたしは つつましい松明(たいまつ)をつくろう
 煙草を吸う農夫のキセルに火をつけるために
 マッチのないひとびとのかまどのために
 そして愛するすべを学んでいる若者たちのために
 ……

 おお 友らよ わたしがきみらと別れるその時には
 どうか ささやかな松明といくらかの塩粒をもって
 わたしのお伴をしてくれたまえ
 火と塩とは わたしの心を慰めてくれよう

 詩人は、老いの身に残った「僅かな火」を、ひとびとの役に立てようとかきたてている。そこに、他者に対するやさしい、ひろい詩人のこころを見ることができる。そうして「別れ」のときにも、自分の人生にとってもっとも大事なものだった「火と塩と」をもって送ってほしいと頼んでいる。この希いのなかには、「死は終わりではない」というこの詩人のつよい想いがある。それは生への執着というような個人的な感情とは無縁のものであろう。
 また、「ひとはめいめいそっと秘めている」という詩のなかでも、塩に託してつぎのように書かれている。

 わたしは 風とともに消え去るだろう
 わたしは 月とともに消え去るだろう
 だが わたしの生の潮水はふたたび戻ってきて
 塩田の塩とともに結晶するだろう

 ここにも、死んでもなお地の塩でありたいという詩人の精神をよみとることができる。
(つづく)

 あとがき

 ベトナムの詩人フイ・カーンは、わたしにとってなつかしい詩人である。
 およそ三〇年前、ベトナム戦争が激烈であった頃、わたしは『ベトナム詩集』(一九六七年飯塚書店)を訳出したことがある。その詩華集のなかに、トー・フーやスオン・ジウにまじって、まだ若かったフイ・カーンの「タイフォン寺の羅漢たち」という詩があった。それは、ベトナム・ソイタイ省の名刹タイフォン寺の羅漢像たちを見た詩人が、その多様な東洋的な苦悶の表情をとおして、ベトナムの苦悶とたたかいを歌いあげた傑作であった。それはわたしを感動させた。そうしてフイ・カーンはわたしには忘れられない、なつかしい詩人となったのだ。
 タイフォン寺の羅漢たちを訪れた詩人は、「なぜ、おんみらの顔には苦悶の皺が刻まれているのか」という問いから、羅漢たちの苦悶──解脱をめざして永い修業と苦行を重ねた高僧たちの苦悶を追求してゆく。

 ある者は 眼をかっと見ひらき 眉を斜みにひそめ
 くちびるは苦悩にやつれ 魂はかさかさに乾き
 その額には 輪廻の皺の波が浮きあがり
 神経は顛え 手はねじれ 動脈は燃えたっている

 またある者は 母親の胎のなかの胎児のように
 手足を折り曲げて ちぢこまって座っている
 そして 膝のうえにまで垂れさがった長い耳は
 悲惨な人生のすすり泣きにいまも聞き入っている

 そのめいめいの恐るべき風貌 おんみらの顔は
 苦しみにゆがんで 空の下に 燃え立っている
 おお 手をわなわなとふるわせた 奇妙な集団
 血と汗のような 涙を流している坐像たちよ

 ここには、羅漢像たちの表情が、さまざまな人間的な苦悶の表情として、「悲惨な人生のすすり泣き」に聞き入っているものとして描かれている。それらの苦悶の表情は、フイ・カーンの註にもあるように、それらの羅漢像が彫られた十八世紀のベトナムの苦悶そのものの反映と見なすことができよう。

「わがベトナム史上、一八世紀は困難な時代で、封建的停滞から抜けでる道を見つけだせずに、国はいつ果てるとも分らぬ社会的動乱のなかにもがいていた。」

 もがき苦しんでいたのは羅漢たちだけではなく、むしろベトナムの人民であった。こうして羅漢たちをとおして、詩人はそこにおのれの祖先を見いだす。

 ……これら 風と嵐のなかの魂たち
 これら すべての生の秘められた責苦はみな
 わたしらの祖先のもの その骨その血ではないか
 不幸に苦しめられた 祖先の生そのものではないのか
 おんみら 腹わたの煮えくりかえる思いで苦しんだ
 その時代 生活は八方ふさがりで足ぶみをしていた
 おんみらの胸に萌えでた希望は すべてみな
 陽のあたらぬつぼみのように しおれ果てた

 圧政に苦しむ農民たちが蜂起して、封建制にたいする闘争は絶えなかった。
ひとびとは「封建的停滞から抜けでる道」を探しもとめ、苦しみに顔をゆがめて「大いなる問い」を発する。

 かがんだ顔 かしげた顔 振り向いた顔が
 四方八方にむかって 大いなる問いを発している
 しかし おんみらの問いにだれも答えない
 断末魔の苦悶の色を浮かべた おんみらの顔

 おんみらは 出口と解決を探しもとめたが
 永い永いくらやみがおんみらの足どりを狂わせた
 おお いならぶ羅漢たち おんみらの額のうえには
 まだ 過去の濃い霧が立ちこめているようだ

 しかし、羅漢たちの大いなる問いに対して「だれも答えない」。十八世紀という時代は、その問いに対してまだ答えることができなかった。ベトナム人民が人民解放の道、民族解放の道をみいだすには、二〇世紀を待たなければならなかった。二〇世紀、ホー・チ・ミンの指導によるベトナム共産党の誕生を待たなければならなかった。そうして新しい侵略者にたいする驚異的な民族解放の戦いが始まる。
(つづく)

フイ・カーン詩集『東海の潮』
 わが胸像を彫る友に
              フイ・カーン
              大島博光訳

胸像は 新鮮な粘土から生まれたところだ
きみは瞬間を捉えて 永遠のものとしたのか
わたしは母親の胎(はら)のなかでかたちづくられた
たくさんの歳月が わたしをこしらえあげた
わたしは生を彫りたいと思った わたしをつくりあげた生を
だれが鋳型(いがた)をつくったのか
輪郭はみごとにかたちづくられたのか
さいわい わたしの粘土は新鮮で柔かい
生の顔かたちはまだ崩れてはいない
わたしはまだ 日日の面相をかたどることができる
おそかれ早かれ わたしは深い土のなかに横たわるだろう
そして骨と化したわたしの顔を 原初(もと)の粘土が塗り替えるだろう
そのときはじめて 友よ わが胸像の鋳型はきまるだろう
きょうまだ 悦びと苦労が わたしの顔に皺を刻んでいる
                    一九七二年

 フイ・カーンは、わたしにとってなつかしいベトナムの詩人である。わたしはおよそ三〇年のむかし、一九六七年、『ベトナム詩集』(飯塚書店)を訳出した。そのなかにフイ・カーンの「タイフォン寺の羅漢たち」という、東洋的なべトナムの苦悶をうたいあげた傑作があった。その作者として、フイ・カーンはわたしには忘れられない、なつかしい詩人となった。
 さいきん、そのフイ・カーンの彿訳詩集が出たので、その一篇をここに訳出してみた。かれも一九一九年生まれであるから、すでに老境にある。この詩にもその老いの想いがにじみでている。
         訳者

<詩誌『橋』1995.9.30>
 愁い
                フィ・カーン

うすらやみが浜べじゅうにひろがってもう夕ぐれだ 
手入れをしない庭で オジギ草が葉をたたむ
蜘蛛は悲しい糸を張るのに忙しい
愛するひとよ 眠りたまえ わたしが扇で風を送るから
夢の小鳥たちもねぐらをもとめて飛びたつ 

さあ 眠るがいい 安らかな夢をみたまえ
ポプラ並木のささやきが きみの子守歌・・・
高い木木の影がもの思わしげに伸びる・・・
 ―どれほどの苦しみの季節を経て きみの心は熟れたのだろう?
わたしの腕を枕にして 眠りたまえ
わたしには聞こえる きみの魂から落ちる苦しみの果実の音が

 夜なかの柘榴の実
                        フィ・カーン

わたしはこの詩を夜なかに書いている
木木も草も静かに眠り
風は遠くから吹いてくる
わたしは眠ってるきみを見つめる
蝉の鳴き声のさかんな
ま晝の庭の影のように くっきりとした魂を
  
海は凪(な)いでいる
きみはそよ風のなかにぐっすり眠ってる
わたしはきみを寝ずに見守る影だ
外の高みでは 星たちも二つづつまたたいている
夜という果実のなかの 黄金色の実の夫婦たち

人生という大きな果実のなかのわたしの心よ
木の実の夫婦のようなわたしたち二人も
たくさんの夫婦たちのなかのひと組だ
風が夜なかにおそく吹く
春なのか それとももう夏なのか
きみはどんな夢をみているのだろう?
きみのくちびるにほのかな微笑みが浮かんでいる

自然はこんなにも美しいきみを創った
                      フィ・カーン

自然はこんなにも美しいきみを創った
ある日 この世からきみを消しさるために    
自然はわたしを こんなにも愛する男に
こんなにも苦しく恋する男に創った
ある日 わたしに何んにも見えなくなるために

どれほど抱いたことだろう 豊かなきみの美しい胸を
温かい樹液にみちた夏の果実のような
どれほど抱いたことだろう 透きとおるようなきみのバラ色の踵(かかと)を
夜明けの明けそめの光でバラ色に染った地平線にも似た


 フィ・カーン詩集『東海の潮』 目次

春の行進曲
道のうえの足跡 
愁い
自然はこんなにも美しいきみを創った
朝ごと きみのところへ

ずっしりと重い悦び
春の服
熟れる
木の葉の化石  
夜の風
夜 音楽を聞きながら(医師のことば) 
コーカサスで プロメテを想いながら
大地の匂い
海とわたしと
重い出血の後に
夏の終わりの浜べ
わが少年時代のドン・バ街
ある塚のほとりに座って
海のうえの星たち
雄鶏はバ・ビの野に鳴き 取りいれは上上である
タイフォン寺の羅漢たち 
蚕は死ぬまで
風香る道
ひとはめいめいそっと秘めている
火と塩と
わが胸像を彫る友に
ピラミッドとの対話
祝祭
秋の午後
きみの息を聞きながら
恋する女の打明け話
白い服
夜なかの柘榴の実
サーカス
初秋の夜
大河
人民への挨拶
地理
ぼくの二つの手
年の始めの詩
フィ・カーン略歴
あとがき


フィ・カーン

(日曜舎 1997年10月)

 バーバラ・ベードラーヘの返事
  ──わが十二才の小さな妹に
                      フイ・カーン
                      大島博光訳

小さなバーバラよ
大きな 海がわたしたちを引き離していても
きみの皮膚の色は ちがっていても
きみには わたしたちの叫びが聞こえ
わたしたちのことが よくわかるのだ

アメリカのナパーム弾で
着ものに 火のついた
ハイフォンの子どもたちの
その泣きわめく声が
きみには 聞こえる

きみは やっと十二才なのに
爆弾の雨や ナパーム弾の金色の焔に
心痛めている ひとびとの良心に
きみの心は 語りかける

アメリカよ アメリカよ
金色の焔に 焼かれる
ベトナムの 幾千もの子どもたちの
この泣き叫ぶ声が
おまえには 聞こえぬのか

ドルの金色の焔が
癌のように 肉をむしばむ
恐ろしい癌が
U・S・Aの
血を腐らせ 魂を蝕(むしば)んでいる
アメリカよ
おまえは 気がつかないのか
おまえの肉が このドルの火に焼かれ
おまえ自身の爆弾で
おまえの良心が 吹きとばされているのを

バーバラよ 小さな妹よ
きみの詩の中の 別の火は
悪魔どもを焼き 悪魔どもをとり巻き
悪魔どもを 気ちがいのようにするのだ

彼らは 真実に猿ぐつわをはめようとしたが
どうしてはめられよう
真実はこうこうと光を放っているのだ

小さな子どもたちの 心の中にさえ


 これは、アメリカの十二才の少女バーバラ・ベードラーが書いた『ナバーム弾がハイフォン近郊の村々にばらまかれたことについての反省』という詩にたいする、フイ・カンの返事の詩である。少女バーバラは、すでにアメリカの名によって行われている戦争犯罪を、彼女の詩のなかで意識しているのである。彼女はこう書いている。「アメリカの人たちよ/耳をすまして 聞いてください/ハイフォン郊外の森の中で/子どもたちが焼かれているのです」

<掲載誌不詳>
 蚕は死ぬまで
              フイ・カーン
              大島博光訳

蚕は 死ぬまで
絹糸を吐きつづけて
繭をつくりつづける
悦びを宿す黄金色の部屋を

絹糸を吐く詩人の わたしも
わが運命の繭をつくろう 死ぬまで
いやいや 新しい時代のために
わたしが蝶に変わるまで

友らよ わたしの糸はすでに伸びた
軽やかに 細く 強く
もう どんな虫にも悔恨にも蝕まれない
もう どんな裏切りにも脅かされない

絹糸は 絹糸は 太陽の繊維だ
詩は 詩は この世の繊維だ
わたしは詩でわが人生を織りわが墓を織る
あけぼのの糸で わたしは目覚めを織ろう 

 フイ・カーンは一九一九年生まれのベトナムの詩人。青年時代にベトナム民族解放戦線に参加し、アメリカ帝国主義を追い出すべトナム戦争をたたかい抜いた詩人も、いまは老年です。しかし、その詩はますます円熟と高邁をみせています。
 ここに訳出した詩も、つややかな絹糸を思わせるような詩の冴えをもって詩人自身の老境の想いをうたったものです。
 「友よ わたしの糸はすでに伸びた/軽やかに細く 強く」──わたしの生命の糸はもう伸びて、細いが強い。だから何ものにも「蝕まれない」「裏切りにも脅かされない」と言うのです。詩人は老いのおとろえを嘆くどころか、反対に老いの強さ、高さを強調しているのです。そこから「あけぼのの糸で わたしは目覚めを織ろう」という奇跡のような最後の一行が出てくるのです。それは、未来を見据えた詩人の精神の高さ、信条の美しさそのものにほかならないように思われます。
(おおしまひろみつ・詩人)

<「新婦人しんぶん」─今月の詩─>



初秋の午後


(フィ・カーン詩集「東海の潮」)