<作者より>
ありふれた二つの花器に造形的な世界を見出したい、というのが描く動機となった作品です。私は馬上にまたがったナポレオンよりも朽ちた一片の流木に描く意欲をそそられます。
ありふれた二つの花器に造形的な世界を見出したい、というのが描く動機となった作品です。私は馬上にまたがったナポレオンよりも朽ちた一片の流木に描く意欲をそそられます。
<作者より>
私は「手」をテーマに制作しています。今回のは3作目で、昭和31年頃、熊本県水俣で発生した奇病と言われた水俣病患者の手を写真を基にして、自分なりの心情を入れて作りました。
石彫はなかなか難しく思い通りには行きませんが、なぜか興味が湧くのでこれからも「手」をシリーズにしていきたいと思っています。
私は「手」をテーマに制作しています。今回のは3作目で、昭和31年頃、熊本県水俣で発生した奇病と言われた水俣病患者の手を写真を基にして、自分なりの心情を入れて作りました。
石彫はなかなか難しく思い通りには行きませんが、なぜか興味が湧くのでこれからも「手」をシリーズにしていきたいと思っています。
<作者より>
はじめて石を彫った時の作品です。
ライムストーン(石灰石)の柔らかな色を生かすように ふんわりと仕上げました。石という長い年月をかけて出来上ったものに畏れを抱いてなかなか彫り込めず、結果的にこうなったというのが本当かもしれませんが。
うずくまってはいますが、どこかに何かを見つけ出したいという思いがあります。
はじめて石を彫った時の作品です。
ライムストーン(石灰石)の柔らかな色を生かすように ふんわりと仕上げました。石という長い年月をかけて出来上ったものに畏れを抱いてなかなか彫り込めず、結果的にこうなったというのが本当かもしれませんが。
うずくまってはいますが、どこかに何かを見つけ出したいという思いがあります。
<作者より>
「鍬」は「鉄の道具展」という展覧会で見た全国から集められた鍬の形態の美しさに感動したことがキッカケです。昔は村々に鍛冶屋があって村人の要望に従って様々な形の鍬を作っていたそうです。制作していて、だんだん人の手に近づいていく事に途中で気付かされ、手の延長としての道具の美しさを表現したいと思いました。
「鍬」は「鉄の道具展」という展覧会で見た全国から集められた鍬の形態の美しさに感動したことがキッカケです。昔は村々に鍛冶屋があって村人の要望に従って様々な形の鍬を作っていたそうです。制作していて、だんだん人の手に近づいていく事に途中で気付かされ、手の延長としての道具の美しさを表現したいと思いました。
(撮影 藤田観龍氏)
<作者より>
当初は、自画像から出発しましたが、徐々に人間の存在そのものにせまりたいという方向に変わっていきました。従って再現描写は遠ざかり、内面が形となってあらわれたもののみを描出したいと願い描きました。
当初は、自画像から出発しましたが、徐々に人間の存在そのものにせまりたいという方向に変わっていきました。従って再現描写は遠ざかり、内面が形となってあらわれたもののみを描出したいと願い描きました。
<作者より>
油絵のための習作として描きましたが、画材の違いから生じる描き方とその効果を考慮してみました。ガラス細工のようなピンと張りつめた透明感を求めて描いてみました。
油絵のための習作として描きましたが、画材の違いから生じる描き方とその効果を考慮してみました。ガラス細工のようなピンと張りつめた透明感を求めて描いてみました。
<作者より>
人間はこれまで道によって生活圏を際限なく拡大してきました。さまざまな障害にぶつかりながらもそれを超えようとする、橋はそんな人間の意志の強さの象徴のように思えるのです。
人間はこれまで道によって生活圏を際限なく拡大してきました。さまざまな障害にぶつかりながらもそれを超えようとする、橋はそんな人間の意志の強さの象徴のように思えるのです。
<作者より>「黒のトルソ」石との出会い
9月の始め 北アルプスの笠ヶ岳に登った。頂上の朝は快晴だった。そこからの眺めの中乗鞍岳の後方に御嶽山の雄姿があった。
私が白の家の仲間にして頂いたのも12年前の9月に御嶽山の頂上小屋で白の家の会員だった熊谷榧さんに出会ったのがきっかけだった。そこから石との付合いが始まり会員の先生方のご指導を受け今回の作品になった。
昨年の作品のコメントは 『石』にむかうときは『無』
この気持ちは今でも持ち合わせている。
9月の始め 北アルプスの笠ヶ岳に登った。頂上の朝は快晴だった。そこからの眺めの中乗鞍岳の後方に御嶽山の雄姿があった。
私が白の家の仲間にして頂いたのも12年前の9月に御嶽山の頂上小屋で白の家の会員だった熊谷榧さんに出会ったのがきっかけだった。そこから石との付合いが始まり会員の先生方のご指導を受け今回の作品になった。
昨年の作品のコメントは 『石』にむかうときは『無』
この気持ちは今でも持ち合わせている。
<作者より>
近年、ネパールに行った時に、今まで経験したことのない違う世界に来たという感じを得ました。ヨーロッパにも長く居たことがありますが、これらの「先進国」が失ったものがあるように思いました。人と人とのつながり、自然との共生、宗教(霊魂)との一体などです。非人間的な近代化による管理社会、合理化などにより人間的つながりを破壊されてるこの社会とは随分違います。最近まで王制が残り、カースト制度もあるネパールには古い形での社会と農業、宗教があって、それらが人々の関係を繋ぎとめているようです。山の神もネパールでは生活の中に居ます。
現実に存在し得ないものが居るということは心豊にならないでしょうか。昔は日本にも山の神、田の神は普通に居ましたね。
近年、ネパールに行った時に、今まで経験したことのない違う世界に来たという感じを得ました。ヨーロッパにも長く居たことがありますが、これらの「先進国」が失ったものがあるように思いました。人と人とのつながり、自然との共生、宗教(霊魂)との一体などです。非人間的な近代化による管理社会、合理化などにより人間的つながりを破壊されてるこの社会とは随分違います。最近まで王制が残り、カースト制度もあるネパールには古い形での社会と農業、宗教があって、それらが人々の関係を繋ぎとめているようです。山の神もネパールでは生活の中に居ます。
現実に存在し得ないものが居るということは心豊にならないでしょうか。昔は日本にも山の神、田の神は普通に居ましたね。
<作者より>
長野県富士見町葛窪にあるかじがはら石彫のアトリエに通い始めて5年目になりました。
昨年の夏より手掛けた牛を出品させて頂きました。制作過程は、作りたいものを発泡スチロールで作り、それを石彫場へ、多くの石の中からこれだと思う石を探しだし、幸いにイメージ通りの石が見つかり早速制作に取りかかりました。昨年は一応形だけ、今年に入って色々な過程をへてどうにか豚のような牛をようやく牛らしくして、磨きを掛けて丁寧に仕上げて行きました。1つの作品を作ることはとても楽しいでした。
長野県富士見町葛窪にあるかじがはら石彫のアトリエに通い始めて5年目になりました。
昨年の夏より手掛けた牛を出品させて頂きました。制作過程は、作りたいものを発泡スチロールで作り、それを石彫場へ、多くの石の中からこれだと思う石を探しだし、幸いにイメージ通りの石が見つかり早速制作に取りかかりました。昨年は一応形だけ、今年に入って色々な過程をへてどうにか豚のような牛をようやく牛らしくして、磨きを掛けて丁寧に仕上げて行きました。1つの作品を作ることはとても楽しいでした。
(撮影 藤田観龍氏)
作者より
「風の子」シリーズは、私が小学校に勤めていた時の作品です。「輪回し」は自転車屋さんが寄付してくれた車輪を棒で押して転がしていくんですが、これが中々難しくておもしろい。私も夢中になりましたが、子どもにはかないません。タイヤ跳び越しは、10連ぐらいのタイヤをトントンとリズム良く跳んでいくのですが、子どもたちの身軽で速いことに感心させられました。両作品とも青空のもと、自由で無心に遊んでいる子どもたちの軽やかさとのびやかさを表現したいと思いました。
作者より
標高1000m、甲斐駒ケ岳と八ヶ岳に囲まれた石彫場でノミを振るいました。あまり細かい部分にはこだわらず比較的早い時間で彫りました。少し首を傾げ手を合わせた優しい表情で、普段は石彫場の隅で皆さんの製作 状況を見守っています。
作者より
御影石を使った壺です。内側は電動のカッターなどを使いましたが、外側はノミだけで彫っていきました。ゆっくりと、少しずつ、三年かけて作ったもので、無心にでき上がった形です。石の存在感を感じていただけたら・・・と思います。野の花やススキなどを差すと、石の美しさがひきたちます。
(撮影 藤田観龍氏)
<作者より>
数年前のこと、インドの旅で岩壁に彫り込まれたヒンズー教の神・シバの踊る姿(ダンシング・シバ)のレリーフを見た。巨大な岸壁のかたさと、シバの踊っている線の柔らかさの対比が心に残った。
いざ自分の彫る石に対面した時、インドで感じた固さと柔らかさ・自然と人工・意識と無意識──という対比と調和のひらめきがこの石を刻ませた。
数年前のこと、インドの旅で岩壁に彫り込まれたヒンズー教の神・シバの踊る姿(ダンシング・シバ)のレリーフを見た。巨大な岸壁のかたさと、シバの踊っている線の柔らかさの対比が心に残った。
いざ自分の彫る石に対面した時、インドで感じた固さと柔らかさ・自然と人工・意識と無意識──という対比と調和のひらめきがこの石を刻ませた。
<作者より>
拾った羽はトンボの羽だった。大きいトンボだったのか、とても立派に見えた。ピンとはった羽の先は、ところどころ破れていて、羽の主が生きた時間を思わせた。
松の木で作った。羽の穴から空が見えた。
破れても、折れても、精一杯生きたかたちは美しい。そのことをカクニンしたくて、私は作品を作っている。
拾った羽はトンボの羽だった。大きいトンボだったのか、とても立派に見えた。ピンとはった羽の先は、ところどころ破れていて、羽の主が生きた時間を思わせた。
松の木で作った。羽の穴から空が見えた。
破れても、折れても、精一杯生きたかたちは美しい。そのことをカクニンしたくて、私は作品を作っている。
<作者より>
Francis GIMAZANE 通称ジジはフランスの古い友人で、とてもやさしく楽しい人だ。立派な人なのにとても謙虚で、惚けてみせては皆を笑わす。そしてジジといる時は食いはぐれと飲みはぐれは絶対にありえない。酒と食をこよなく愛する人だから今は少しからだが心配です。ジジの首は、なかなかカタチが見えてこなくてたびたび手が止まった。カタチそのものよりもカタチの存在する空間にジジのやさしさが漂ってくるように感じたとき少しずつ手が動くようになった。
Francis GIMAZANE 通称ジジはフランスの古い友人で、とてもやさしく楽しい人だ。立派な人なのにとても謙虚で、惚けてみせては皆を笑わす。そしてジジといる時は食いはぐれと飲みはぐれは絶対にありえない。酒と食をこよなく愛する人だから今は少しからだが心配です。ジジの首は、なかなかカタチが見えてこなくてたびたび手が止まった。カタチそのものよりもカタチの存在する空間にジジのやさしさが漂ってくるように感じたとき少しずつ手が動くようになった。
「トルソ」 岩田 實之
<作者より>
トルソとは、イタリア語で首および四肢を欠く胴体だけの彫像のことです。素材は御影石で、石のなかでは硬いもので、私はあえて硬い素材を使って人体特有の柔らかさとともに、静かな生命感を石の中に求めたものです。
実際の制作の時、素材である石が先にあって其の中に形をみいだすことが多々あり、この作品も其の中の一つです。ですからデッサンや模型のようなものは一切ありません。石の四面に赤鉛筆で大きなアウトラインをデッサンして彫り進めて行きます。石との対話がとても重要なところで、そこから造形が生まれて来る。仕上げは、粗さの違う砥石を使い、フォルムと自分の求めている表現とが一致した所で完成します。
実際の制作の時、素材である石が先にあって其の中に形をみいだすことが多々あり、この作品も其の中の一つです。ですからデッサンや模型のようなものは一切ありません。石の四面に赤鉛筆で大きなアウトラインをデッサンして彫り進めて行きます。石との対話がとても重要なところで、そこから造形が生まれて来る。仕上げは、粗さの違う砥石を使い、フォルムと自分の求めている表現とが一致した所で完成します。
<作者より>
「風の子」シリーズは、私が小学校に勤めていた時の作品です。「輪回し」は自転車屋さんが寄付してくれた車輪を棒で押して転がしていくんですが、これが中々難しくておもしろい。私も夢中になりましたが、子どもにはかないません。
「風の子」シリーズは、私が小学校に勤めていた時の作品です。「輪回し」は自転車屋さんが寄付してくれた車輪を棒で押して転がしていくんですが、これが中々難しくておもしろい。私も夢中になりましたが、子どもにはかないません。
<作者より>
石を切るダイヤモンドカッターで溝を切り、糸を埋めこんでつくった仕事です。硬い石のかたまりとしなやかな糸とが絡み合うなかで醸しだされる美しさを仕事の目標としました。石は南アフリカ連邦の黒みかげ石、ベルファーストという名の石です。ベルファーストはアイルランドの町の名で、移民した人々が名づけたこの町で産出するのでこの名が石の名になっています。糸はインドやネパールでつくられたリサイクルの糸です。
タイトルの「世界はいろんないろでできている」という由来は、あの9.11の不幸な出来事以来、ひとつの価値の基準が世界の価値の基準ではなく、もっと多様な価値が世界にはあるのだということを思い知らされました。自然界はもうとっくに多様な植生の中で多様な生を営んでいるというのに。嘆いてばかりはいられません。アートで何が可能か挑戦したいとおもっています。
石を切るダイヤモンドカッターで溝を切り、糸を埋めこんでつくった仕事です。硬い石のかたまりとしなやかな糸とが絡み合うなかで醸しだされる美しさを仕事の目標としました。石は南アフリカ連邦の黒みかげ石、ベルファーストという名の石です。ベルファーストはアイルランドの町の名で、移民した人々が名づけたこの町で産出するのでこの名が石の名になっています。糸はインドやネパールでつくられたリサイクルの糸です。
タイトルの「世界はいろんないろでできている」という由来は、あの9.11の不幸な出来事以来、ひとつの価値の基準が世界の価値の基準ではなく、もっと多様な価値が世界にはあるのだということを思い知らされました。自然界はもうとっくに多様な植生の中で多様な生を営んでいるというのに。嘆いてばかりはいられません。アートで何が可能か挑戦したいとおもっています。

美術展2日目の朝

昨日までの「詩と歌の家」が「芸術の森」とでも呼びたいような空間に生まれ変わっています。

午前9時半。本日最初のお客様は、長野県高等学校教育文化会議事務研究会の皆さん。

まず木陰でお茶を。彫刻を楽しみながらのどを潤す。人間を取り戻す時間の始まり。

こんなに身近に彫刻と出会える機会は余りありませんから。

失礼!取材に来られた信濃毎日新聞の記者さんを後ろからパチリ。明日(?)の記事が楽しみです。

大本営地下壕ガイドを終えて立ち寄ってくださった今井昌美さん。「良いですねー」と鑑賞。

「手を触れたくなるよね。『触れないでください』って書いて無いしね」無邪気に手を伸ばすはなや店長の縣美恵子さん。(壊さないで!)

埼玉の民主商工会の皆さんを中心にバスで到着したのは「桃狩りツアー」の皆さん。

短時間でしたが、共感を示しながら博光さんの詩の世界を味わっていただきました。

記念撮影。

今日のツアーを企画した池田達生・弓子夫妻です。

記念館のご近所の中沢さんが親子3代4人で見学に。

「2階の窓から見えたので早速、夕涼みがてら来ました。」

「これは木材で出来ているんですね?これが一番好きです」

「道路から見えて、はじまったなと思い寄りました」両角さんは取り立てのトマトを沢山くださいました。

「私にもやらせてくれない?」

(壊さないでね、御願いだから)

この人も手を触れたい派?雨宮さんです。
作品ははなやブログで見れます。