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お知らせ

ここでは、「お知らせ」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


ちらし

高橋正明さんは常任としてチリ連帯運動に参加、たびたび軍政下のチリを訪れて現地の情勢を日本に伝えて連帯運動に貢献しました。また女性たちと連携をつくり、彼女たちにアルピジェラ制作を依頼し、多数の作品を日本に輸入して広める活動をしました。

酒井朋子さんは日本におけるアルピジェラ研究の第一人者。ロベルタ・バチチさん(北アイルランド在住)と協力して日本でアルピジェラを広めるために活動、昨年は実行委員会を組織して仙台、京都、長崎で展覧会を開きました。

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岩<崎信子 朗読の会のお知らせ>


コンサート


バラ祭り

アルピジェラ展

時刻表

春のダイヤ改正(新幹線、しなの鉄道)をもとに修正しました。
長電バス利用がシンプルでいいのですが、1時間に1本弱と少ないのが難点です。

屋代駅
屋代駅

游話舎

朗読家の岩崎信子さん(元信越放送アナウンサー)が主宰している游話舎の2018年の予定です。

游話舎:
長野県上田市中央西2-3-5  上田法律ビル2F
TEL: 0268-21-3422 FAX: 0268-24-8898
http://www.ued.janis.or.jp/~yu-wasya/

コンサート
10月29日(日)午後

大島博光記念館文化祭に特別出演して演奏されます



文化祭
はなや

今まで賃借していたレストランの建物と土地を購入しました。
これによってレストランと資料室を永続的に運営できることになり、活動の幅も拡げることができます。
今回のために尽力くださった(有)アース企画の土屋桂一様をはじめ、関係者の皆様に感謝申し上げます。

はなや
はなや
はなや
4)「ルイズ・ミッシェルを讃える バラード」

 さてコミューヌのあいだ、パリの女たちの活動はめざましいものであった。彼女たちは兵糧係や野戦病院付看護婦としてばかりでなく、戦士としても勇敢にたたかった。彼女たちはブランシュ広場、ピガール広場、バティニョール大通りなどのバリケードを守った。とりわけ女詩人ルイズ・ミッシェルの名は高いがユゴーは彼女に「男まさりに」という詩を贈っている。当時、パリ市庁の新聞出版課長の職にあって、コミューヌを支持していた、ヴェルレースもまた「ルイズ・ミッシェルを讃えるバラード」を書いている。

  荒っぽくて 率直で 臆病な
  貧乏人を 彼女は 愛した
  彼女は 貧乏人の白いパンのため
  熟れた穂を刈る鎌だ 聖女セシルだ 
  しゃがれ声で華奢(きゃしゃ)な美神(ミューゼ)だ
  そして 墨直で 御しがたい
  あの貧乏人の 守護神だ
  ルイズ・ミッシェルはすばらしい-------
(つづく)

(新日本新書『ランボオ』)

ルイズ・ミッシェル
ルイズ・ミッシェル


砧公園(東京新聞2017/4/2より)

息子が祖師ヶ谷大蔵に下宿していた頃、砧公園脇の環八道路をよく通りました。写真左手前の首都高速用賀を下りて、砧公園を左に見て環八を右(北)に進むと小田急小田原線に当たります。小田急線に沿って上(西)に進むと祖師ヶ谷大蔵に出ます。すぐ隣が成城で、西條八十の屋敷もあった高級住宅街です。街々に桜が多くて、桜の咲く時期はとても美しい風情でした。
写真中央、公園の一画にあるのが世田谷美術館で、3年前にロシア・アヴァンギャルドのポスター展を見に行きました。(ユートピアを求めて ポスターに見るロシア・アヴァンギャルドとソヴィエト・モダニズム
意欲的な企画や美術館友の会があり、魅力的な美術館だと思いました。

写真上(西)が狛江市になります。多摩川沿いに土井大助さんのお宅があり、車だと10分ほどで行けました。
ちょうど狛江側から逆に撮った航空写真が2月に掲載されていました。(土井大助さんと狛江

砧公園の桜も今週には満開になり、さぞかし賑やかになることでしょう。


四 エルザは言う

おまえは言う この詩はわかりにくいけれど
でも わたしが望んだほど難解じゃない(*1)みたい
盗まれた幸福の見える窓などは しめましょう
  陽が射しこんで あなたのお気に入りの
写真が 黄いろく ぼけてしまうから

おまえは言う わたしたちの愛が一つの世界をひらくなら
それは みんながよろこんで 卒直に話しあう世界です
もう お捨てになったら ランスロットや『円卓物語』は
  イゾルデ( *2)やヴィヴィアンヌやエスクラルモンドは
そんな曲った剣を 鏡にしたような人たちは

そんな人たちからでなく わたしの眼から愛を読みとってください 
そんな古いむかしの恋物語などに 酔わないでください
美しい廃墟も ひるま見れば ただの瓦磯の山です
  いまは わたしたちが 二つの影をもつ時です 
うまく 星占い師たちの眼を くらますために

暗い夜の方が 昼よりも魅力があるとでもいうのか知ら
澄みきった空(*3)を待ちこがれない人たちは恥知らずです
若僧などにたちまち まる腰にされてしまう人たち
  街にわき起った歌声にも 野に咲いた一輪の花にも 
涙ひとつ流さない人たちは 恥を知るがいいのです

おまえは言う しばらくは万雷(*4)の交響楽のとどろくにまかせましょう
こんな空模様では 辞書(じびき)をひいて調べることもできず
流行(はやり)の言葉に魅かれる 哀れな人たちがいるからです
  いまに その人たちも低い声でつぶやいて
頭をかしげて 考えこむかも知れないのです

わたしの愛がほしいなら その人たちがやってきて 
のどの渇きをうるおすような 澄んだ水をもってきて下さい 
どうか あなたの傷口から流れでる血で 詩を書いて下さい 
  そうして巣をつくる場所もない鳥たちのために 
屋根のうえの 屋根屋のように 歌ってください

わたしたちのみじめな足どりを報ずる 文芸欄の終りに
「次号につづく」とあるような希望を 歌ってください
人間の声は ラッパの音にうち勝つのだ という希望を 
  そうして生きる理由を 与えてください
なにもかもが 死への誘(いざな)いと見える人たちに

いたるところ 人びとがへとへとになって働き
血にまみれ 寒さに凍(こご)えてる 愛もない場所で
口ずさめば重い足も軽くなるような歌をうたってください
  明けがたの 濃い一杯のコーヒーのような
十字架への道で ひょっこり出会った友だちのような歌を

ほんとに誰のために歌ったら 歌い甲斐があるというのでしょう
あなたがいつも 夢にまでみる人たちのためでないとすれば
思い出せば 鎖(くさり)の音がひびいてくるような あの人たち  
  夜も あなたの血の中で眼ざめていて 帆に語る風のように
あなたの心に語りかける あの人たちのためでないとすれば

おまえは言う わたしの愛がほしいなら あなたを愛しましょう 
でも あなたが描いてくださる わたしの肖像には 
菊の花の奥にひそんでいる青虫のように その主題のなかに 
  かくれたも一つの主題を 描いてください 
そしていまに昇ってくる太陽にその愛を結びつけて下さいな

(*1) わたしが望んだほど難解ではない……──当時、ナチの検閲の眼をくらますために、できるだけ彼らにわからないような詩が要求されていた。
(*2) イゾルデヴィヴィアンヌやエスクラルモンド──中世の悲恋物語の主人公たち。 
(*3) 澄みきった空──ドイツの空軍機の飛ばない空を意味している。
(*4) 万雷の交響楽──ナチの暴虐を指す。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

ゆうやけ



エルザの眼

 リベラックの教訓

 ペタンが、屈辱的な独仏休戦条約に署名した日、アラゴンは、フランスの南西部、ドルドーニュ県ペリグー市に近い小さな町リベラックにいた。ダンケルクから脱出してきた部隊の、生き残った仲間たちといっしょであった。こうしてこの町で『リベラックの教訓』がかかれることになる。
 「この一九四〇年六月廿五日、われわれはちょうど、一三〇〇年の復活祭の夜明けのダンテとヴィルジルのように、地獄から脱け出ることになった。そして

  ふたたび星の見られる出口がそこにあった

 と、彼らのように言うことのできたのは、リベラックにおいてであった」

 詩集『エルザの眼』に収められている『リベラックの教訓』は、リベラックの町に滞在した折に想を得たもので、この詩集を解きあかす鍵でもある。
 ナチによる占領と、それにたいする抵抗運動という情勢のなかで、詩によって国民の覚醒と決起を呼びかけるという任務は、ますます緊急なものとなっていた。フランス人民に呼びかけ、「生きている者にも、死んだ者にも声を挙げさせる」という歴史的要請を前にして、広範なひとびとにどのように訴えるか、どのように書くか、が問題となってくる。かつてシュルレアリストたちによって提起された、「なぜに書くのか」という問題は、もはや時代錯誤でしかなかった。
 「わたしは人間とその武勲(いさおし)を歌う……いつにもましていまはその時である。廿年前、わたしは当時の友人たちといっしょに、「なぜに書くのか」という意地わるなアンケートを出したが、こんにち、それを問題にすることは無用である。わたしの答えは、ヴェルギリウスのなかにある」(『われは武勲と人とを歌う……』)
 こうして十二世紀にさかのぼって、フランスの詩的伝統とその技法を見直し、革新し、延長することが問題になってくる。それは、「民族的な語り口」を回復するためでもある。フランスの十二世紀には、いわゆる中世騎士道物語や、『ローランの歌』などの雄大な詩的主題がうたわれると同時に、フランス詩の最初の韻律形式、とりわけ、フランス詩の特徴的な要素となる脚韻が現われたのだった。しかし、アラゴンが復活を試みたのは、この伝統的な詩法だけではなく、この中世紀騎士道の精神であり、その「女性崇拝」である。
 「クレチアン(ド・トロワ)のペルスヴァルは、いくつかの点で、リヒァルト・ワーグナーのパルシファルとは違っている……。彼は、女たち、弱き者たちを守る、さ迷える騎士である。彼は、ワーグナーとニイチエとがそこでいっしょになるような、あの個人主義の最後の表現などではない。……ペルスヴァルは、真実の担い手であり、審判者である。彼は、フランス人とはかくあれと願うようなフランス人、フランス人の名に価いするようなフランス人の、もっとも高潔な化身である。ここで、男性の使命とむすびついた女性崇拝は、あの正義と真実をまもるという使命に光を与えるのである」そしてアラゴンは、ジャン・ジオノの「這いつくばって生きよう」という敗北主義にたいして、クレチアン・ド・トロワの「辱しめられて生きるよりは潔ぎよく死んだ方がいい」という詩句を対置して、こう書いている。「こんにち、あの英雄主義、あの祖国への深い忠誠について、数千の生きた模範があることは疑いない。……だが、こんにち、それについて語ることができるだろうか。いや、できはしない。真紅の騎士ペルスヴァルをとおして、わたしは彼らに挨拶をおくる」真紅の騎士ペルスヴァルのなかに、アラゴンがまさに先取りしていたのは、英雄的なフランス人民にほかならない。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

林

小林
昨日は象山神社前で恒例の、核兵器廃絶を求める署名活動をおこないました。

博光
千曲川