千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


松竹
竹松さんが歌ってくださいました。



 一九四一年、ジョルジュ・デュダックが、ニースに住んでいるアラゴンをたずねてくる。そうして、パリへ行って党の指導部と連絡をとるようにと伝える。六月二十三日、アラゴン夫妻とデュダックは、被占領地帯と自由地帯との境界線を越える。ちょうどその前夜、ヒトラーのソヴィエト攻撃が開始されていたので、警戒は厳重をきわめていた。運わるく、彼らは三人とも、ドイツ軍のパトロール隊につかまって、トゥール市の騎兵隊の兵営に拘留される。正規の身分証明書をもっていたのにも拘らず、十日間も引き留められる。彼らは、南仏から来たのではなく、パリから来たのだと主張して釈放され、パリへ「もどされる」ことになる。そのうえ、父親が病気だという口実で、パリへ行ってニースに帰える通行証まで手に入れる。この監禁中にアラゴンは「獅子王リチャード」を書く。

 かれらがパリに着くと、エリュアールが駅で待っていた。アラゴンとエリュアールは、一九三三年の訣別いらい会っていなかった。その頃、エリュアールは入党したばかりであった。そういうわけで、エリュアールは妻のヌーシュとともに、アラゴン夫妻を迎えにきていたのである。エリュアールはエルザに花束を贈り、ヌーシュは手作りのパイをアラゴンに贈る……

  エリュアールの花束の なんと心うったことか
  パリ・リヨン・地中海線の駅で

  ここで兄弟がまた手を結んだのだ
  あんなに長いこと別れていた兄弟が……
                       (『眼と記憶』)
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

エリュアール
ピカソ「エリュアールの肖像」


硫黄島

硫黄島
硫黄島3


(『角笛』1952年2月、詩集『ひとを愛するものは』)

海



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わたしの党に

わたしの党に


(「アカハタ」1961年4月、詩集『ひとを愛するものは』)

若葉



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てい談 第十七回多喜二・百合子賞を語る <上>

『大島博光詩集 ひとを愛するものは』

 第十七回多喜二・百合子賞は、『大島博光詩集 ひとを愛するものは』(新日本出版社)、佐藤貴美子『母さんの樹』に決まりました。受賞作をめぐって、西沢舜一、土井大助両氏とともに、山中郁子参院議員に作家・秋元有子さんとして語りあってもらいました。

 西沢 今年の多喜二・百合子賞は、詩と小説の分野で大きな収穫があったことを大いに喜びたいと思います。
 受賞の発表にもありましたが、『大島博光詩集 ひとを愛するものは』は、大島さんの戦後、日本共産党に入党してからの仕事を一巻の詩集にあまれたものです。作者のあとがきにもありますけれども、「党員となった時代が、自分の真の時代、真の生活」(市川正一)という生活が芸術的完成度においても立派な域に達している、そこに大きな意義があると思います。
 『母さんの樹』は、「赤旗」に連載中から大きな反響があり、単行本になってからも、多くの読者に歓迎され、版を重ねている。題材になっている長岡事件そのものが感動的ですが、それを一つの文学作品の世界にまとめあげた力作です。大島さんの詩集からはじめたいと思いますが、この詩集の編集に協力された土井さんからまずお話を……。

最初の個人詩集

 土井 これは大島さんの最初の個人詩集なのですね。そういうと、意外だという人が多い。フランス詩を中心とした訳詩・編詩集をあれだけだされ、戦前からの長い詩歴をもつ詩人なのに、七十四歳にして処女詩集というのは異例のことだからだと思います。
 大島さんには、こういうことにわりと恬淡(てんたん)としたところがあるのですね。この詩集刊行にあたっては、健康にすぐれない大島さんを支えて資料を整理された奥さんの協力が絶大でした。

 秋元 大島さんといえば、『フランスの起床ラッパ』などのアラゴンの訳詩がすぐ浮かんできます。ですからこれが初めての詩集とうかがってちょっと驚きました。大島さんは、日本共産党の獄死した幹部、市川正一の言葉を引いて、党員となった時代が自分にとって真の時代とのべておられますが、この詩集全体から大島さんの日本共産党員としての人格、生きる姿勢、その人格のさわやかさ、すがすがしさが伝わってきますとね。自分が選んだ共産党員としての人生に、何のひるみも、迷いもなく、また肩ひじもはっていない。
 私はときどき、だれも聞いていない真夜中に詩を声にだして読んでみるんですけれど、「わたしの党に」「千曲川べりの村で」など党をうたった作品は朗読すると、いっそう感動させられます。

 土井 すがすがしい人柄、と秋元さんがいわれましたが、ぼくもこの詩集には、まぶしいくらい、ナイーブな感性を感じました。声を出して読むとよくとどくとのことですが、表題作「ひとを愛するものは」の終連で「言わないでくれ 音楽のない言葉は/語らないでくれ 酩酊のない散文は」とうたっているように、そういう意味で音楽性を重んずる詩人なのでしょうね。音声だけでよく伝わる言葉、これは詩法の特徴として一貫しています。いわば、この詩人の大衆性でしょう。

 西沢 詩の朗読の機会はもっとふやしたいですね。大島さんが翻訳・紹介されたパブロ・ネルーダの詩を、私、キューバへいったとき、葉巻き工場の中で朗読を聞いて感動したことがあります。最高級の葉巻きは一つひとつ手づくりなんですが、その作業場のまん中に銭湯の番台のようなものがあって、そこで朗読される詩を聞きながら手仕事をすすめるわけですね。大島さんの詩集も、もっと朗読・鑑賞をすすめたい。

 ナイーブな感性

 土井 大島さんは、プロレタリア詩運動が退潮期に入ったころに、ものをかきはじめた世代なのです。一九三四年早稲田大学を卒業。卒論は「アルチュール・ランボオ論」だったといいます。三三年に小林多喜二が殺され、三四年二月に作家同盟が解散している。だから、プロレタリア文学の影響は、文学的にはあまり受けていない。ヒューマンな心を抱きながらも、しかしそれをどう社会現実に結びつけていくのか、出口がまったくない時代に出発した詩人といえます。現実にたちむかうべき詩が出口をふさがれたまま、戦前、戦中の暗い時代をすごし、戦後を迎えたわけです。それ以前には、いろんな迷いも悩みもあったでしょうし、その一端は詩集からも読みとれます。「わたしもうちひしがれたもののひとり/だがくらやみをくぐりぬけたものにこそ/太陽のひかりはさらにまぶしかろう」(「わたしはさがしむとめた」)とうたっていますが、この「太陽というのは、戦後の新しい時代、人生を再出発させようとした大島さんの道が、日本共産党のさし示す道と必然的に合致した、そのことを象徴するイメージです。

 秋元 この詩集を読んで感じるのは、非常によくわかる詩だということです。現代詩の中には難解なものも多いですが…。
 私はそういうのはちょっとお手あげなんです。わからないとかわかるとかをめぐる問題が詩の評価とどうかかわるのか、読者、鑑賞者の一人としてよく考えさせられることがあります。

 西沢 そうですね。散文の場合は描写や説明が自由にできますが、詩歌は韻律という要素が決定的だから、詩人、歌人が鋭敏な感覚でことばを選択するわけですね。そこで一読して意味のとりにくい作品も生まれる。それにたいして、難解な詩はだめで平易な詩がよいという、単純な考えは正しくないと思うんです。一時期、こういう俗流大衆路線と呼ばれる主張もありましたが、むろんまちがっている。しかし、それでは一般鑑賞者に難解であることをもって良しとするということにはなりません。やはり多くの鑑賞者に親しみやすい作品はほしいですね。全国民に親しまれる詩の書き手を国民詩人というように、共産党員、党支持者に愛唱されるという意味での党員詩人といいますか、アラゴンやネルーダの紹介をしてこられた大島さんは、ご自身の詩作にもその司能性をもった詩人だと思います。

 土井 先ほどもいいましたが、たしかに「酩酊のない散文」では詩にならぬと思い定めつつ、酩酊がいきすぎて人を迷路に誘う詩がいかに多いかという詩壇事情も、彼にはよく分かっていたわけでしょう。かつては多少とも芸術至上のボヘミアンだった人のはずですから。そこから、「ひとびとの胸の火を照りかえして/火をつくりだすものこそ詩人」(「わたしのそねっと」結び)──戦後の再出発に、そう自分の態度と詩法の基本をきめて、それが四十年今日まで貫かれてきているわけです。だからこそ、今もって詩精神が若わかしく党派性も堅固なのだと思いますね。その軌跡がこの詩集です。

 近代詩の遺産を

 秋元 「硫黄島」という詩。私も何年か前に、国会の調査団として硫黄島にいったことがありましたので、興味深い題材でした。数万人といわれる玉砕した日本軍の主力が、少年兵だったそうですが、あくまでも青く澄み切った空と海のもとで、何で若い子どもたちが死ななければならなかったのかと思うと、涙がでましてね。この詩をよんで、そのときのショックを作日のことのように思いだしました。戦争への告発として大変力のある詩ですが、詩集が全体としてそついう主張をもっていると思います。

 西沢 さて、『母さんの樹』に移る前にひとことふれておきたいのは、大島さんが内外の近代詩を身につけて党に入党された、というか、党をうたいあげるときも、青年時代の素養が血肉化していると思うんです。直接にはランボオに傾倒し、西条八十のお弟子さんだったわけだけど、先生をつうじ、さらに独自に吸収した近代詩の遺産ですね。藤村などとも共通の郷土である信州をはじめとして、日本の風土をうたい、季節をうたう詩にも、近代詩の発展的継承者としての大島さんを感じます。近代文学の遺産の積極的な継承、発展という点では、この賞がちなむ小林多喜二、宮本百合子がそうでしたが…。
(つづく)

(「赤旗」1985年3月12日)

てい談

てい談



ほんとうの人殺しは


ほんとうの人殺しは

(赤旗」1988年3月13日)

*テキスト<ほんとうの人殺しはだれなのか


ただひとりで

詩集『ひとを愛するものは』──春としあわせについて)

沖縄
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なぜならそこに


詩集『ひとを愛するものは』──春としあわせについて)

集会

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たとえ石の

(詩集『ひとを愛するものは』──春としあわせについて)

こぶし

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いくどでもわたしは

(詩集『ひとを愛するものは』──春としあわせについて)

もくれん



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うばいとられた

(詩集『ひとを愛するものは』──春としあわせについて)

立岩

1953年に妙義米軍基地反対闘争があり、浅間山の闘争に続いて勝利を収めました


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みなみ風が


詩集『ひとを愛するものは』──春としあわせについて)

赤バラ


トロツキー


映画「フリーダ」とトロツキー

ロバート・キャパの写真「トロツキー」が掲載された新聞(2月12日、東京新聞)を見て、映画「フリーダ」を見た時に覚えた違和感の正体がわかった。

この映画は奔放な愛と芸術に生きたメキシコの女流画家フリーダ・カーロの生涯を、著名な壁画家だった夫ディエゴ・リベラとの愛憎を軸に描く。主演女優は美貌で情熱的なフリーダの生き写しのように魅力的だった。
彼女とトロツキーが情を交わす場面が一つの山だった。メキシコに亡命してきたトロツキーをフリーダは自宅にかくまうことになる。共産主義者だった夫リベラからの依頼によって。フリーダは一目見て彼に魅せられ、トロツキーもフリーダの愛を受け入れる。ところがトロツキー役は憂いをおびて物静かな大学教授風で精悍な革命家の魅力がまったく感じられない。なぜこんな男が??二人の恋に観客は納得するのだろうか?

ロバート・キャパの写真にはトロツキーの熱気が写し取られている。こういう彼にフリーダは惹かれたのであろう。

2003年 アメリカ映画 監督 ジュリー・テイモア 主演 サルマ・ハエック

ふりーだ



きみはさっさと


(詩集『老いたるオルフェの歌』)

鳥
バラ作業7
大切な冬のバラ作業、鉢替えをしました。
バラ作業
朝から雪が舞ったため屋根の下に移動して作業。
バラ作業4
凍っているバラを鉢から引き抜いて根土を落とす作業。ハンマーやツルハシを使う力仕事です。
ハンマー
バラ作業6
あたらしい用土を配合。予想以上に大量に必要となり、何回も車を走らせて買いに行きました。
バラ作業5
成長したバラは大きめの鉢に移植。
バラ作業
オヤキの名人・山下さん手作りのオヤキと凍り野沢菜、たくあんでお茶タイム。
バラ作業8
新しい土になって気持ちいい!
バラ作業
バラ友の皆様、お疲れ様でした。