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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


バラ作業
入り口東のアルテッシモを剪定。
バラ作業
入り口西の白バラの花壇を整備。
バラ作業
バラ作業
春風を仕立てるロープと支柱はだいぶ傷んでいましたので新しくしました。
バラ作業
栗の木に絡ませるつるバラを大きく誘導。
バラ作業
お茶タイムに矢野さんが長野市花と緑大賞受賞について報告。
「バラボランティアの皆さんの長年の努力が報われました。ありがとうございました」
バラ作業
バラ作業
冬に咲くグランデアモーレ。
バラ作業
バラ作業
バラ作業
午後のお茶タイム。今井さん手づくりの栗おこわとブドウ大福をいただきました、
バラ作業



光の種子まく合唱団が歌う「里の秋」


里の秋

光の種子まく合唱団が可愛らしい韓国・朝鮮の童謡を合唱。



わたしの こきょう 花の村
桃の花 杏の花 やまつつじ
色とりどりの 花模様
遊んだあの日が懐かしい

合唱


光の種子まく合唱団・第一回コンサート(11月18日)で泉のほとりを合唱。歌詞が変わっていますが、元の歌詞で歌いたくなります。明るく楽しい曲ですね。

光の種子をまくとき





看護婦さん


(「武蔵野詩集」)

バラ


「武蔵野詩集」の作品には府中病院「群灯」詩話会、村山病院どんぐり会、清瀬病院といった書き手の所属を記したものがあります。入院療養中の人たちが病院内の詩のサークルに参加して意欲的に書いていたのですね。


ベットにて


(「武蔵野詩集」)

スタンド






夜明けのために.



(「武蔵野詩集」)

紅葉

 「武蔵野詩集」には病院の詩のサークルがいくつか参加していて、入院生活をテーマにした詩がかなりあります。
早く良くなってみんなと一緒に働きたい、活動したい、というのが最大の願いですね。


あなたったいの



(「武蔵野詩集」)

彫像


脱柵


(『武蔵野詩集』原稿集)

土間

 「武蔵野詩集」にはメーデー事件を歌った詩が4篇あります。末次正寛「壁」、山路源兵衛「石」、さき・かづ子「私は信じる 強いあなたを」と、きいれまこと「52年のメーデー」です。血のメーデーで殺された仲間を悼んでいます。

52年のメーデー


(『武蔵野詩集』原稿)

集会

末次正寛さんは「壁」と「仕事着のポケットの中で歌う」を武蔵野詩集に寄せています。『角笛』同人に参加し、近所に住んでいたのでしょっちゅう博光宅に遊びに来ていました。

仕事着


(『武蔵野詩集』)

末次
博光夫妻と末次正寛さん(右)1950年頃 三鷹にて
 博光の友人だった詩人の山岡和範さんも『武蔵野詩集』に「一九五三年の八月六日に」と「写生」を書いています。2篇とも米軍事基地に抗議する詩です。山岡和範さんは1952年に広島大学教育学部を修了し、町立田無小学校に勤務、東京都教職員組合加入。米軍宿舎反対運動に参加。「武蔵野」(武蔵野文芸懇談会)に参加。大島博光、津布久晃司などと会う<『山岡和範詩選集』山岡和範略歴(コールサック社 2010年)>とありますので、東京の小学校に赴任した山岡さんが『武蔵野詩集』を通して博光と出会ったことがわかります。

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 一九五三年の八月六日に 
                          山岡和範

しぶきをはねて いま
雨が降っている
きのう広島から来た友は
ねころんで雑誌を読んでいる

友の語った広島の話をたぐりよせながら
いま広島で開かれているという平和国民大会のさまを
おれははっきり胸に描く
鷹野橋を駆けつけている学生の群列を
八丁堀の電車から押し寄せていく人間の波を
〈昨年の大会に顔を見せなかった
おれの先生も友達も
いま 胸をはりつめているだろう〉

「 安らかに眠って下さい
過ちは繰り返しませんから」
その空を
立川からはアメリカ機が飛び立ってくる
朝鮮戦争は終わったのに
毎夜毎夜の爆音のなかに
照明柱は おれたちの町の
おれたちの星空を突き刺している

きょう、八月六日
おれは話した 子供たちに
一九四五年の八月六日を
その日の広島を
そしていまなお「死」へつき落とされている白血病の悲しみを

日本の敗戦を
いまいよいよ広がるアメリカ軍事基地を
この町を軍用車が運ぶ大型爆弾と
となりの町に工事されつつあるアメリカ軍宿舎と
おれは子供たちに話した
日本のいのちをむしばむ者への憎しみをこめて

ものすごいしぶきをはねて
いま 雨が降っている
友は雑誌を伏せて伏せて
すね毛のない足をぼりぼりとかいた
黒いズボンに隠されていたもの
それは骨の裏まで腐り着いたかもしれない傷跡
まる顔の半分はざらざらに赤くなっている
八年の夏の痛みに耐え抜いた傷跡

治療費一万五千円
八年の後もいまなお
子供をせなかにいくら働いても
治療できぬまま 次々に
死んでいくかもしれぬ被害者六千名
いつ原子病に落ちるかもしれぬ不安に憤る
何万という生きのびてきた被害者たち
そして友は口をつぐんでしまった
「おれはいつ死ぬかわからぬ」と
しかし友よ 耳をすませ
軍事道路が交差しているこの町に
爆弾を積み上げたトラックが20台
ビストルの光る権威を振りまいてこの町を揺さぶり
保安隊を詰め込んで続くトラック
この町の通路を閉鎖して疾走する
商店町も 住宅も 百姓のかまども
ひっそり黙ってゆさぶられる

おのれの町の利益のためだとだまされて
立川を中心に工事が重ねられた軍事道路
所沢街道
青梅街道
五日市街道
甲州街道

この中で日本の女がどのように辱められ
軍用車の車輪の下に
日本の子供たちがどれほど殺されていったか

そして友よ 見るがいい
雨の中にはってある
三多摩平和大会のビラを
きのう おれたちが貼はってあるいたビラ
この町の電柱に
隣の村の家の壁に
百姓の けや木の幹に
がっしりはってあるビラ

武蔵野市=米軍宿舎
大和村=米軍兵舎
小平町=グローブマスター墜落事件
小金井町=行政協定道路
立川市=空軍基地
大会に報告されるこの地域の問題を

おれはいま
この雨の中でたくわえる
おれの胸のいきどおりをたくわえる
国を売る者たち
やつらへのいきどおりを

黙ってはならぬ
広島・太田川を流れた血のために
広島の焼土をそめて赤い
戦争をにくしみのろう血のために

もはや子供達さえがやつらの墓のために
ささげる線香を用意しているとき
きょう 八月六日
広島平和国民大会の日
広島から来た友よ
いまこそ 怒り語れ
原爆と戦争の罪を
にくしみ込めて 語れ

ものすごいしぶきをはねて
いま大雨が大地をたたくように降っている
はねとばすしぶきをこえて
三多摩平和大会の用意が進んでいるとき

(『武蔵野詩集』)

もみじ


山岡和範さんご逝去




ダンス


(『武蔵野詩集』原稿)

バラ園にて

 三鷹駅の北側は武蔵野市で、広大な緑の住宅街が広がります。かつてここにグリーンパークという米軍用の住宅地区があり、私が在学した都立高校ではESS(英会話クラブ)がここを訪問して住民と交流をしていました。
 ところが、当初、建設反対の運動があったことが「武蔵野詩集」でわかりました。


平和な通研の

(『武蔵野詩集』原稿)

ロブスター

『武蔵野詩集』には、労働者の生活の苦しさや労働の厳しさ、体制への怒りを歌った詩があり、労働組合の闘いをテーマにしたものもあります。高木さんの「俺はプリンター」は、夫婦で徹夜をしてビラを印刷し、闘いに貢献した満足感と勝利への期待を歌っています。


俺はプリンター

(『武蔵野詩集』原稿)

ビラ配り