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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


ちらし

高橋正明さんは常任としてチリ連帯運動に参加、たびたび軍政下のチリを訪れて現地の情勢を日本に伝えて連帯運動に貢献しました。また女性たちと連携をつくり、彼女たちにアルピジェラ制作を依頼し、多数の作品を日本に輸入して広める活動をしました。

酒井朋子さんは日本におけるアルピジェラ研究の第一人者。ロベルタ・バチチさん(北アイルランド在住)と協力して日本でアルピジェラを広めるために活動、昨年は実行委員会を組織して仙台、京都、長崎で展覧会を開きました。

絵日記

7月31日 水曜日 はれ
せんたくをしていると、のりちゃんがきて、映画を見に行こうといって弟をさそって、あと一時間したら行こうと言った。
ぼくも行きたくなって おとうさんに言ったら、「おかねがないから店に行ってもらってきなさい。」と言ったので とりにいった。
映画を見ていると妹が帰りたいというので、ぼくと妹だけで帰ってきた。

*お母さんが花屋の店をやっていたので、洗濯もぶうわの仕事だったのですね。風呂桶に井戸から水をくんで入れ、薪でわかすのも子どもたちの仕事でした。⇒「花屋のお母さん
お金がいるときは歩いて十分ほど離れた店にもらいに行ったようです。映画はどこで何を見たのか覚えていませんが、幕や座席があり、お金も取っているので、野外映画ではなくちゃんとした映画館だったようです。おそらく「三鷹文化」で夏休みむけに子供だけで入れる映画をやっていたのでしょう。

黄花コスモス
花の都公園(山梨県山中湖村)は黄花コスモス、ひまわり、百日草が咲き乱れていました。
丘の頂上のホテルマウント富士から向こう側・山中湖の眺望が気持ちいいです。
花の都
黄花コスモス
花の都
花の都
ひまわりのエリアは三ヶ所あります
花の都
ここのエリアのひまわりは、花は小ぶりですが美しく咲いて一番見頃でした。
花の都
花の都
百万本が咲き誇る百日草のエリア。背景の富士山は雲に隠れていました。
富士山が見えるとこのようになります⇒以前の写真
花の都
花の都
花の都
花の都
湿地に咲くがまの穂


姨捨
姨捨の棚田の入口となっている長楽寺

姨捨
寺のバックボーンのようにそびえている巨岩・姨石
姨捨
たくさんの歌碑や句碑が並べられていて一種の文学館。
芭蕉をはじめ、昔の文人がここを訪れて月を鑑賞し、うたったもの。
姨捨
「よし野の桜より姨捨の秋の月」
姨捨
巨岩・姨石の上に立つと棚田と千曲川や善光寺平が一望に望めます。
姨捨

姨捨
棚田に入ると、美しいたんぼが広がり、休憩所や案内板も整備されています。
姨捨
姨捨
たんぼのオーナー募集中!
姨捨
もう一つ奇岩があり、お地蔵様が東を向いてなにかを念じています。
日記

7月30日 火曜日 晴れ

みんなで本しょうぎをした。
きんちゃんのと ささ木き君のと眉山くんのと桜井君のでした。はじめささ木君とした。ささ木君にかって、桜井君にまけて、丸山くんとはいつまでたってもしょうぶがつかないのでひきわけで、一勝一敗一ひきわけで、ほかりくんとしていると妹が「おとうさんがよんでいるよ」とよびにきたのでやめた。



スターリングラーダにささげる


(『ネルーダ詩集』角川書店)

 一九四二年の秋のある朝、メキシコ市の壁という壁にひとつの詩が貼りめぐらされた。それは、スターリングラードにおけるソヴェト赤軍の英雄的な抵抗をうたった、ネルーダの「スターリングラードにささげる歌」であった。これにたいしてメキシコの若い芸術至上主義者たちは、純粋詩の名において異議を唱えた。ネルーダは反論する。
 「純粋詩におぼれて、はやくも老衰してしまった青二才たち、かれらはもっとも大切な人間の義務を忘れてしまった……いまたたかわぬものは臆病者なのだ。過去の遺物をふりかえることや、夢の迷宮を踏査することは、われわれの時代にふさわしいものではない」(北民彦訳)。ネルーダは「スターリングラードに捧げる新しい愛の歌」を書いて、彼らにこたえる。<新日本新書『パブロ・ネルーダ』>

若葉

[スターリングラードにささげる新しい愛の歌]の続きを読む
絵日記

7月29日 月曜日 はれ
夕方、弟とかぶとをとりに行った。ひぐらしが「カナカナ」とないているので、ちかずいてさがしたが、くらいうえにはねがすきとおっているのでみつからない。
ねこの親が一匹 子が四ひきいた。弟はせみの子を1ぴきみつけたが、そのほかはなにもとれなかった。
絵日記

7月28日 日曜 はれ
夜 えいちゃんちでテレビを見た。
南海たい西鉄のと中日たいよみうりのをやった。
えいちゃんのお兄さんのとしちゃんが西鉄の方にかけたり中日の方にかけたりしたが、西鉄が五たい一で勝ったのでまだ一位だ。中日も勝って一位だった。

*この頃、西鉄ライオンズは稲尾和久、中西太、豊田泰光、大下弘らヒーローが揃い、黄金時代でした。
子どもたちはテレビのある(お金持ちの)家に集まり、窓ごしにテレビを見ました。

講演(一九三七年)

 フェデリコ・ガルシーア・ロルカの思い出 パブロ・ネルーダ

 あのわれわれの死者たちの尨大(ぼうだい)な森から どうしてひとつの名を引きはなすことができよう! 記憶するにもあたいしない敵によって虐殺された アンダルーシアのつつましやかな農夫たち アストリアの死んだ坑夫たち 大工や石工たち 町と野の賃銀労働者たち おなじく殺された数千の女たちと 虐殺された子どもたち──これら 死ぬに死にきれぬ死者たちのひとりひとりが あの不幸な 偉大な国の証人として いまみなさんがたの前に姿をあらわす権利をもつ。もしも みなさんがたがあらゆる不義不正と邪悪を憎悪されるなら これらの死者たちはすべて みなさんがたの心のなかに座席を占めるものと わたしはかたく信ずる。これらの怖るべき死者たちは 思い出のなかに一つの名まえをもつ それらの名は 炎と誠実とにみちみちた名まえであり 塩と水のそれのように 純粋で ありふれたものであり むかしながらの 気高い名まえである。塩と水のように かれらはふたたび大地のなかに 大地のはてしない名まえのなかに 消えうせた。なぜなら 他のいかなる闘いにもまして 祖国を清める闘いにおいて スペイン人民の犠牲 痛苦 純潔 たくましさは 冬のさなか 雪と血が相たたかう すさまじい世界を背景にした 平野や麦畑や石だらけの高原の その全展望(パノラマ)のなかで行われたからである。
そうだ このたくさんの黙した名まえのなかから どうしてひとつの名まえを ただひとつの名まえだけを 選びだすことができよう? そうだ しかしながら わたしが皆さんがたの前で呼ぼうとする名まえは、その暗い音綴りの背後に この上もない豊かさを秘めているのである。そのずっしりと重い名まえは いろいろな意味あいをもって広められており その名を呼ぶことは かれが詩で歌った素材そのものを防衛して仆(たお)れた すべてのひとたちの名を言うことにもなる。なぜならかれは ひびき高い詩によってスペインの心を防衛したのだから。

 フェデリコ・ガルシーア・ロルカ! かれは ギターのように 大衆的であった。子どものように 人民のように 陽気であり 淋しがりやであり 奥ぶかくて 明るかった。ひとびとが ひとつの象徴を犠牲(いけにえ)に供するのに誰を犠牲にしたらいいか、隅から隅へ 一歩一歩 苦労を重ねて探しまわったとしても どんな存在 どんな対象のうちにもここに選ばれた者のうちにおけるほどに溌剌深奥なるスペイン人民の魂を見つけだすことはできなかったであろう。かれらはまさにかれを選びだし かれを銃殺しながら かれの民族の心そのものを覗い撃とうとしたのだ。スペインを屈服させ 拷問にかけるため かれらは スペインのもっともかぐわしい香りを吹き散らし スペインのもっとも熱烈な息吹きをおしつぶし スペインのもっとも不滅な笑いを断ち切る道を選んだ。かれの死とともに ひとびとは けっして 相容れることのない二つのスペインをまざまざと見た。ひづめの割れた悪魔の足をした 蒼黒いスペイン 呪われた地下のスペイン 大罪を犯した王党派と聖職者たちの十字架につけられるべき有毒なスペイン──それに面と向って 溌剌とした誇りに輝くスペイン 精神のスペイン 直観と伝統継承と発見のスペイン フェデリコ・ガルシーア・ロルカのスペイン。
 かれは百合(ゆり)のように 手なづけがたいギターのように 犠牲(いけにえ)に供せられ 暗殺者どもがかれの傷ぐちを踏みつけ かれのうえに投げつけた土のしたに 死ぬことになろう。しかし かれの民族は かれの歌のように すっくと立って歌いながら 抵抗しており かれの魂は 血の渦巻から脱(ぬ)けでている こうしてかれらは ひとびとの記憶のなかに 永遠にとどまるであろう。

 かれの思い出をどのようにうまく話したらいいか わたしはそのすべを知らない。人生の烈しい光は ほんの一瞬 かれの顔を照らしただけで いまや かれは傷つき 仆れた。しかし かれの生涯の この長い一瞬のあいだ かれの顔は 太陽のひかりに燦然(さんぜん)とかがやいた。ゴンゴーラ*とローペ・デ・ヴェーガ**の時代このかた ガルシーア・ロルカのような創造者 このような形式と表現において流通自在な詩人は スペインにかって現われなかった。あのスペイン人民がローペを愛読した時代このかた スペイン文学において これはど幅ひろい魅惑をあたえた詩人はなかった。かれの描いたすべては 神秘的な唯美主義の高みにあってさえ──かれは自分にそむくことなしに この唯美主義を放棄することはできなかった──かれの描いたちいたすべては 深い本質に溢れ 民衆の骨の髄にまで浸みとおるひびきにみち 溢れていた。わたしはいま唯美主義という言葉を口にしたが まちがわないようにしよう。かれがその詩と演劇とを 人間的なドラマと心情の嵐でいっぱいにしたという意味では ガルシーア・ロルカは反唯美主義者であった。だからといってそのために かれは詩的神秘の根源的な秘密を投げすてるようなことはしなかった。人民は すばらしい直観で かれの詩をとらえて離さなかった。かれの詩はすでにアンダルーシアの村村で無名のままで歌われていたし いまも歌われているのである。しかしかれはみずからこの傾向を濫用して そこから利益をひき出そうなどとはしなかった。それどころか かれは自分自身の内部をもまた外部をも貪るように探究したのだ。
 かれの反唯美主義はおそらく かれのアメリカにおける大きな人気の源泉であるかも知れない。アルベルティ アレクサンドル アルトラギーレ セルヌーダ……などのような詩人たちを擁した あの輝かしい世代のなかで ガルシーア・ロルカは恐らく ゴンゴーラのあの冷却力という影響をうけなかった唯一の詩人であった。一九二七年 ゴンゴーラのこの冷却力は スペインの若い偉大な詩壇に 審美的不毛性をもって襲ったのだった。言語表現の古典的な祖先たちから数世紀来ひきはなされてきたアメリカは 人民の方へ血の方へと抗いがたく魅きつけられたこの若い詩人の偉大さを認めたのだった。三年前 わたしはブエノス・アイレスで わが民族の詩人がかってうけた最大の栄光を見た。かつてない言葉の豊かさにみちたかれの悲劇に 尨大な群衆が感動にふるえ涙をながして聞き入っていた。そこでは愛と死とが仮面をつけたり あるいは裸体で狂ったような烈しい踊りを踊っていたが このスペインの永遠のドラマはすっかり一新され新しい隣光をはなって輝いていた。

 いまの時間的距離では かれの思い出からひとつの肖像をえがきだすことは不可能である。かれは肉体の稲妻であり 活動中のエネルギーであり 生気に溢れた活気であり まばゆい光であり まったく超人的に優しかった。かれはすばらしい風采で 褐色(かちいろ)の髪をしていて ひとびとに幸福をもたらしたのだ。……
 ある夜 エストレマデラの村で かれは眠れぬままに 白みかけた夜明けに起きだした。エストレマデラの荒涼たる風景は まだ霧のなかにひたっていた。フェデリコは日の出を見ようと腰をおろした。あたりに いくつもの彫像が倒れていた。それは十八世紀の大理石像で その場所は ある封建領主の玄関の広間であった。そこは 多くのスペインの大領主の所有地がそうであるように まったくうち捨てられていたのである。昇る朝日が白い光で照らしだす 壊れたギリシャのトルソーを フェデリコは眺めていた。そのとき 群からはぐれた子羊が一匹 かれのそばで草を喰(は)みはじめた。すると 道をよぎってやってきた六、七頭の黒豚が 子羊におそいかかり フェデリコが怖ろしさに仰天している目の前で またたくまに子羊をばらばらに食いちぎって 食ってしまった。フェデリコは 言いようもない恐怖にとらわれ 怖ろしさで身じろぎもできず 子羊を殺してむさぼり食う野獣をじっと見ていた。孤独な日の出に照らされた 倒れた彫像たちのまんなかで。
 マドリードに帰ってきてかれがその話をわたしにしてくれたときかれの声はまだ顫(ふる)えていた。子羊の死の悲劇は 子供のように感じやすいかれの心にこびりついて離れなかったからである。いま かれの死 かれの怖るべき死は この血なまぐさい夜明けの思い出を わたしに思い起させる。この甘美で予言的な大詩人にたいして 人生は前もって 怖るべき象徴のもとに かれ自身の死の姿を予告していたのだ。

 この世を去ったわれわれの偉大な同志の思い出を わたしは思い起したかった。多くのかたがたがわたしに期待しているのは この地上と戦争から遠くはなれた 静かな詩の言葉であることをわたしは知っている。だが スペインという言葉そのものが 重い希望のいりまじった大きな苦悩を多くのひとびとに与えるのである。わたしはこの苦しみを大きくしたくもなかったし われわれの希望を曇らせたくもなかった。しかし わたしはついいまスペインからやってきたばかりであり わたしはラテン・アメリカ人であるとはいえ その民族と国語においてスペイン人なのである。そのわたしは スペインの不幸以外のことを語ることはできなかったであろう。わたしは政治家ではないが わたしの言葉は──多くのひとびとが中立的であるようにと期待されたでもあろうが──情熱に色どられた。どうかわたしの 心中をご理解いただきたい。そして われわれスペイン系アメリカの詩人およびスペインの詩人たちは われわれの最大の詩人と見なし 現代スペイン文学の天使と見なしているところの者を殺した暗殺者を 断じて忘れもしなけば 赦しもしないだろうことを ご理解いただきたい。もしもわたしが あらゆるスペインの苦しみのただなかで ひとりの詩人の生と死だけを呼び起したとすれば おゆるしいただきたい。われわれはこの犯罪をけっして忘れることも赦すこともできないからである。われわれは断じて この犯罪を忘れないであろう 赦さないであろう 断じて。
 (パリにおける講演。一九三七年『コミューン」誌二月号に発表された。)

*ルイス・デ・ゴンゴーラ(一五六一ー一六二七) スペインの古典的な大詩人。その気取った文体はゴンゴリスムを生むにいたる。
**ローベ・デ・ヴェーガ(一五六二ー一六三五)スペインの大詩人。詩のほか、多くの小説・劇を書く。彼はその時代のスペインの壮大な映像そのものだと言われる。

(『ネルーダ詩集』)

ロルカ




ロルカ
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(『ネルーダ詩集』)

やし

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死んだ


(『ネルーダ詩集』)

 一九三六年九月四日付の、「反ファシズム知識人同盟の機関誌「エル・モノ・アスル」(菜っぱ服)五月号に、「死んだ義勇兵の母親たちにささげる歌」という詩が掲載され、「この詩はある大詩人の筆になるものであるが、本誌編集部は現時点ではその名前を明らかにしない方がいいと考える」という注が書き添えられていた。むろんそれは、そのときマドリード駐在チリ総領事パブロ・ネルーダにほかならない。外交官の立場上、その名前を公表することがはばかられたのだ。このすばらしい詩は恐らくスペインの悲劇について外国の詩人が書いた最初のものであった。(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

木


ヒル

弟がへんな虫を見つけて呼んだ。見ると、この前 子どもの金魚のはちの中にいたのとおなじやつで、せなかに黒いすじが三本はいっている。
びんにいれて先生に見せようとしたが、まったくへんな虫で頭が歩いたところを遠回りをしても尾も歩くのです。

*毒々しい黄色い体の気味の悪い虫。いまだに名前も分類もわかりません。



ネルーダがスペイン・ファシズムを告発した詩「そのわけを話そう」を岩崎信子さんが朗読しました

母子


日記

7月26日 金曜日 雨
ちょっと雨がやんだので、ほかり君の家に遊びに行った。「ほかり君」とよぶと、きんちゃんがえんがわから出てきて「しょうぎをしないか?」といった。きんちゃんはいくおちゃんの弟で、いくおちゃんのことをほかり君とよぶ。はじめ本しょうぎをした。あとからほかりくんたちとお金将棋をした。

*穂苅君の家は路を隔てた隣だった。同じ年代の兄弟だったので、仲良く遊んだ。兄のイクオちゃんはぶうわより一学年上のさわやかで優しい男の子、弟のきんちゃんはぶうわの弟・秋光と同学年、秋光とおんなじ頭がごつい形のいかにも次男坊だった。お父さんは刑事だった。きんちゃんに似たしぶい感じの人だった。ある時、ほかり君たちと一緒に楽しく歌を歌っていると、ジロッと僕を見たが、その眼が鋭かったこと。



岩崎信子さんがパブロ・ネルーダ「裸のおまえは」(百の愛のソネット)を朗読

裸


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